第50話 火竜討伐隊、出発!
ガラガラガラ……
西の地平に日が没してからすでに4刻ほどが過ぎ、アルマすらも沈みきると帝国、いや、大陸のほとんどの場所は完全に闇に沈む。
各国の首都や大都市の主要な場所ならば魔道灯や篝火が灯されていたりもするが、それ以外の場所は天空に浮かぶ星々が微かに光を恵んでくれるばかりで、いくら目を慣らしたところで数リードすら見通すことはできない。
そんな闇の中、一台の馬車が頼りないランタンの光だけを頼りに街道を進んでいた。
どんなに急ぐ旅であっても普通はこんな時間に街道を移動などしない。それが軍の伝令などであってもだ。
それだけ真っ暗闇の中を進むという行為が極めて危険なものであり、夜行性の猛獣や魔獣に襲われる可能性が高いというだけでなく、街道を外れでもしたらたちまち方向感覚を失って遭難してしまう。
中には暗闇をものともしないレスタールの狩人のような常識外れな存在も居たりはするが、あえてこの時間に移動するのは大概が野営地を襲おうとしている盗賊や、危険を冒してでも移動しなければならない逃亡者などの、あまりよろしくない素性の者だと言える。
それを念頭にこの馬車を見ると、ランタンには前方以外を照らすことの無いように龕灯のような覆いがされ、大型の箱馬車は光沢の無い黒に塗られている。そしてそれを牽く馬までが黒毛のもの。そして御者台に座っている人物も全身を黒い外套に身を包んでいる
車輪には皮でも巻かれているのか、踏み固められた街道を通る音は並の馬車よりずっと静かで、ほんの30リード(約24m)も離れれば馬車の存在すら気付かないかもしれない。
「そろそろだ。止まれ」
しばらくして、馬車の中からの指示に御者は手綱を引いて馬車を止める。
「アレか?」
「そうだ。ここからは歩いていくぞ」
御者が前方に目をこらすと、地平から上に散りばめられた星明かりが、街の城壁のシルエットを浮かび上がらせている。加えて、街門の上に据えられているのだろう、篝火の光が微かに見えている。
箱馬車の横の扉が開き、男と思われる3人が降りる。
ひとりは馬車を背に周囲を警戒し、残りのふたりは馬車の後ろに回って、一抱えはありそうな大きな樽のような物に背負い綱を括りつけた。
「ギーシュとバッジはここで待機。一応火は消しておけ。ルーイとオットーは樽と血の入った瓶を持って俺と来い」
指揮官らしき男が言うと、他の男たちは無言で頷く。
ギーシュと呼ばれた男が樽を背負い、瓶を小脇に抱えたバッジと共に、指揮官の男の後を追う。
馬車を止めた場所から街まではおよそ2ライド(約1.6km)ほどだが、足許も見えない暗闇のため、慎重な足取りで近づいていく。
だがこうした環境に慣れているのか迷うような素振りは無く、まるで見知った場所であるかのように街門を回り込むように街道から外れて城壁まで辿り着いた。
帝都やその他の大領の領都とは比べるべくもないが、地方の街としてはそれなりに大きな街だ。夜間は当然門は固く閉ざされている。
他国との国境は遠く離れているが、それでも野盗はどこにでも出没する(レスタール領は除く)し、他領からの嫌がらせや諍いも無いわけではないため、ある程度の規模がある街は夜間であっても門は警備兵が不寝番をしているし、街の周辺の巡回もしていることだろう。
男たちは街門から離れた場所の城壁のしたまで来ると、指揮官の男が鈎付きの綱を街側まで投げ入れる。
城壁の高さはせいぜい5リードほど。
戦争になった場合はものの役にたたない規模でしかないが、野盗や野生動物程度ならばこれで十分なのだろう。
綱を引き、しっかりと掛かっているのを確かめると指揮官が先に上がる。
城壁の上は人がふたり並んで通れる程度の幅があり、男は改めて綱の鈎をしっかりとかけ直してから合図を送る。
ほどなくギーシュとバッジも城壁を上がり、すぐに3人とも壁の内側に降りる。
その動きは熟練したもので、やはり彼らが普通の旅人などではないことは明らかだ。
城壁の外と同じく、街の中もほとんど真っ暗だ。
いくつかの建物から少しばかり明かりが漏れている場所もあるが、真夜中ともなればほとんどの人は眠りについている。
夜を照らす魔道灯というものもあるが、庶民が手に入れるには高価だし、使えば消耗もする。油に火を灯せば油代も嵩むわけだから、当然眠るときは消してしまう。
そして、街中は建物が建ち並んでいるために微かな星明かりすら届かない場所ばかりで、伸ばした自分の手すら見ることができない。
指揮官の男は懐から小ぶりな龕灯を取り出すと、手早く火をつける。
江戸時代、鼠灯台や強盗提灯などとも呼ばれ隠密活動に用いられたと言われるように、龕灯の前方の限られた範囲だけを照らす明かりを使って男たちが街の路地を進む。
息を殺しつつしばらく歩き、街の中央にほど近い場所で男が足を止める。
「このあたりで良いだろう」
指揮官がそう言うと、ギーシュは背負っていた樽を降ろし、厳重に封をされた蓋を開ける。
「……保存庫に入れていてもさすがにそろそろ臭って来たな」
「仕方あるまい。いくら魔法が掛かっているとは言っても刻を止めるわけじゃないからな。加工もせずにひと月以上保つだけ信じられんくらいさ」
顔をしかめるギーシュに指揮官が苦笑で応じる。
ギーシュは小さく溜め息を吐き、腰袋から二の腕まである長い手袋を取り出して身につけると、樽の中に手を入れて中に入っていたものを引っ張り出した。
「可哀想だがこれも仕事だからな。恨んでくれるなよ」
樽から出されたのは人の子供ほど大きな蜥蜴のような生き物の死骸。
ただ蜥蜴と違うのは頭部から突き出た一対の角と、背中に生えた蝙蝠のような翼があることだろう。
ギーシュはその死骸を建物の目立たない場所に擦りつける。一ヶ所だけでなく複数の建物にも。
「よし。次はこっちだ」
ギーシュの作業が終わると、バッジが抱えていた瓶の蓋を開き、中から汚れた布を取り出して同じように建物に擦り付けていった。
とはいえ、あまり目立たない物の陰になっている場所や建物の裏手を選んでいるのでほとんど目立つことはないだろう。
一連の作業を終えた3人は、再び樽や瓶の蓋を厳重に閉めてから手袋を適当な路地に放り込み、再び城壁の外へと姿を消していった。
Side フォーディルト
ガラガラガラ……
街道を馬車が行く。
こんなことを言うと随分と長閑な感じに聞こえるだろうけど、実際の光景はというと。
「3番歩兵隊、隊列を乱すな!」
「前方4ライド(約3.2km)泥濘あり! 7番歩兵隊は輜重部隊の補助に回れ!」
周囲に見えるのは甲冑に身を固めたむさ苦しい男たちと、荷が満載の2頭曳き幌無し荷車が数十台。
その数およそ5千人!
「フォーディルトから見れば遅いだろうが普通の軍の行軍としてはむしろ速い方だぞ」
俺の溜め息を誤解したらしいカシュエス元帥が馬上からそんなことを言ってくる。
けど、別に俺は移動速度に不満があるわけじゃない。問題は今の状況そのものなんだよ。
つい先日、フォルス公爵との面談に割り込んできた(失礼)皇帝陛下の勅命によって、モクモス子爵領に飛来した火竜への対応は帝国軍が主体になってすることが決定された。
まぁ、一子爵領でのこととはいえ相手は巨大な身体で空を飛び、火まで吐く超弩級の魔獣だ。
子爵領が抱えている警備兵程度じゃとても相手にならないし、寄親のなんちゃら侯爵の援軍だってあっさり蹴散らされたらしい。
なので、軍が対応するのはある意味当然のことだ。っていうか、元々それを確認するために宰相閣下に会いに行ったわけだし。
ともかく、その場で国軍の派遣が決まったということは、俺の出番は無くなった。はずだった。
正直なところ、火竜が相手では国軍といえどそれなりの被害は出るんじゃないかとは思っていた。
聞いたところ、火竜は空が飛べるだけでなく、表皮がかなり硬くて普通の弓矢程度じゃ弾かれてしまうらしい。
かといって馬鹿正直に近づけば巨体に吹っ飛ばされるか火を噴かれて丸焼けになるだけ。
重要なのは遠距離からダメージを与えることと、墜落した火竜に致命の一撃を加えることだ。
軍には当然弓兵もいるが、それ以外にも弩弓という、超強力な馬鹿でかい矢を撃つことができる対船舶、攻城兵器がある。
機械式の巻き上げに時間は掛かるし連射もできないが、十分に引きつけてから複数台で一斉に発射すれば結構なダメージを与えることができるはず。
翼が傷つけば飛ぶことができなくなるから、後は慎重に距離を取りながら弩弓や槍でトドメを刺すことになるだろう。
あ、念のために言っておくと、宰相閣下が対応を渋った場合にレスタールの狩人200人で火竜見物って話も、別に脅しでもハッタリでもなく、必要ならするつもりだったよ。
んで、結局なにが不満かという話に戻ると、帝国軍の火竜討伐に俺が同行しなきゃいけないという今の状況なのだ。
恥ずかしい話だが、俺はあまり集団行動ってのが得意ではない。特にそれが命に関わる軍事行動ならなおさらだ。
……友達が少ないからじゃないよ。
それに、今回動員されることになった騎士団の中には俺を嫌っている連中が何人も居るらしく、俺が加わった直後から睨みつけてきたり、わざわざ近づいてきて嫌味を言ってきたりする奴も複数。
確かに騎士団の訓練に参加したときに、何人も叩きのめしたことがあったのだが、文句は無理矢理俺を練兵場まで引っ張っていったカシュエス元帥閣下に言ってほしい。
「プライドばかり高くて役にたたんから鼻っ柱をへし折ってやってくれ」って言ったのもあの御仁だし。
そんな状態なので、俺はできるだけ騎士団には近づかず、平民の多い兵団の近くで過ごしたいのだけど、辺境伯家の嫡男という立場を考えろと元帥閣下に言われてしまったのだ。
そんなわけで、斥候や伝令を兼ねた軽装騎兵部隊に続いて行軍する騎士団の花形部隊、重装騎兵のすぐ後ろで、カシュエス元帥の騎乗する馬と並んで歩いているというわけ。
あぁ~、居心地悪い。
ちなみに俺たちの後ろには輜重部隊と歩兵部隊が続いている。
今回の遠征軍で今のところ俺の知っている人はほとんど居ない。
リスはモクモス子爵の寄親であるコーリアス侯爵の手前連れて行くわけに行かないし、今回の騒動の切っ掛けになったエリウィール嬢はごく普通の令嬢なので軍事行動に加わるわけがない。学院の友人たちだって同じだ。
というわけで、俺はひとり淋しく延々と注がれ続ける敵意に晒されながらトボトボと歩いているというわけだ。
ここで一応説明しておくと、帝国の正規軍は大きくわけて2種類。騎士団と兵団がある。
全部で7つある騎士団はそれぞれに軽装騎兵と重装騎兵というふたつの兵種を抱えていて、基本的に全て騎兵で構成されている。
そしてもうひとつの兵団というのは全部で15あり、歩兵、弓兵、斥候、工兵、輜重、救護の各部隊がそれぞれに所属している。
編成によって多少の差はあるが、ひとつの騎士団は2千名、兵団は6千名で構成されるらしい。なので帝国全軍は常備兵だけで10万近い人数であり、これが帝国の力の源となっている。
騎士団は帝都に第1から第3までが駐屯し、残りの4騎士団は国内の主要都市に、兵団は帝都に第1から第5まで、残りは騎士団の配置されていない都市に分散して駐屯している。
んで、今回の火竜討伐には帝都の第3騎士団と、第4兵団の半数、それからモクモス子爵領に近い場所に配置されている第9兵団の半数が後から合流することになっている。あと、レスタール領の狩人の100人も同じ場所で加わる予定。
早く合流してくんないかなぁ。
帝都とモクモス子爵領まではおよそ5日の距離らしいが、出立して3日目の日が傾く頃には子爵領の手前にあるトルス男爵領の街が見える位置まで到着することができた。
各領主貴族の領地といっても別に境界に線が引かれているわけではなく、所領と認められた街や村、その周辺という大雑把なものでしかない。
なので、あの街と、その先にふたつほどある村までがトルス男爵領で、その先にある最初の村から先がモクモス子爵領となる。
その間にあるのは街道以外は荒野や森などの自然豊か、というか自然しかない。その地域は一応帝国の領地ではあるが、領主など居ない無主領土という扱いだ。
ちなみに、制度上はこの無主領土を開拓して街ひとつと村をふたつ以上作ってから、規定の税金と共に内政府に申請、議会の承認を得れば貴族と認められてその場所の所領を得ることができる。
まぁ、開拓民を他から引っ張ろうものなら周辺貴族から睨まれるし、許可無しに紛争地の難民を連れてくることもできないので事実上実現不可能な制度なんだけどな。
話が逸れた。
予定ではトルス男爵領唯一の街に到着後、街壁の外側に仮の陣を敷いて、第9兵団やレスタールの狩人たちと合流。準備が整うまでの間に交代で兵士たちの休憩と物資補給をして、それからモクモス子爵領に出発することになっていた。
それと、細かな状況確認のためにモクモス子爵もあの街に来るように事前に使者を送っているらしい。
のだけど、まだまだ小さくしか見えないトルス男爵領の街から、どういうわけか煙が上がっているんだけど?!




