第48話 子爵令嬢の頼み
休暇が明けてから2週間。
あ、一応説明すると、帝国の暦は大陸南東部にあった大陸最古の王国、アーリレム王国が定めた大陸暦が使われている。まぁ、ここも今や帝国の一部なんだけど。
旧アーリレム王国の暦台で夜と昼の時間が同一となる日(つまり春分の日)を新年、生の月の1日として、アルマ(月)の満ち欠けの周期である30日をひと月に、それを5分割にして6日間を1週間としている。
順に鉄の日、土の日、金の日、午の日、山の日、政の日と呼んで、それぞれに対応した仕事をする人の安息日(つまりお休みね)に定めているのだ。
ちなみに学院は行政関連に含まれていて、政の日が学院の休みとなっている。
まぁ、実際は結構誤差があるらしくて、数年に一度暦の調整が行われているのだけど、詳しいことは知らない。
それはともかく。
長期休暇明けの浮ついた空気も落ち着いてきたこの頃なのだけど、俺は寮から校舎に向かう道中、周囲の気配に気を配りながら物陰に隠れるようにしながら移動していた。
そんな俺をどうやってか見つけたらしいリスランテが近寄ってくる。
「……フォー、何やってるの?」
「ちょっ、せっかく隠れながら学院に向かってるのに」
存在感ありまくりなリスが話しかけてきたらその努力が水の泡だ。
「いや、離れたところから見ると、すっごく怪しくて目立ってるよ?」
……ホント?
「いつも変だけど、今日はさらに不審人物までトッピングして、どうしたのさ」
いつにも増して辛辣ですね!
ってか、そういえば休暇明けからリスは学院に来ていなかったな。会うのは久しぶりだ。
なので、俺はここ最近の状況を説明する。
「へぇ~、見事に打算まみれの令嬢に囲まれた夢のような状況じゃない。いくらでも食い散らかし放題だね」
もしもし、リスランテ公爵令嬢様?
なんでそんなに棘だらけの言葉を投げつけられるので?
「んなことできるかよ。確かにレスタール領に来てくれるお嫁さんは欲しいけど、悲壮感たっぷりだったりギラギラ欲丸出しなのは全力で遠慮したいんだよ」
「ふ~ん? まぁ、フォーがそんな女連中に引っかかるとは思ってないけどさ」
俺の言葉にリスの目からほんの少し険が弱まった気がする。
「俺のことはともかく、リスはどうしたんだよ。ずっと休んでただろ」
「ん~、ちょっと色々あって公爵家当主の代理として人と会ってたんだよ。……主にフォーのせいなんだけどさ」
リスの言葉の後半の意味がよくわからんが、きっと例の決闘騒ぎに関連することなんだろう。少し申し訳ない。
けど、騒ぎを大きくしたのは公爵閣下にも責任があるのだから諦めてもらうしかない。
リス曰く、落ち着いたというわけではないけど、忙しかったのは彼女が勝手にレスタール領についてきたことの罰という部分もあるらしく、とりあえず解放されたということだった。
なので、遠慮なく俺は今の状況を改善するためにリスに相談する。
「無視すれば良いじゃないか」
バッサリ。
いや、その通りなんだけど、それができれば苦労しないわけで。
そもそも悲しいことに俺は令嬢から言い寄られた経験がない。さらに言うと、レスタールの男の業として、敵対しているわけでもない女性に対して酷い態度を取ることはできないのだ。
つまり今の俺にできるのは狩人に狙われた獲物のごとく、見つからないように隠れるか、それとも逃げることだけなわけで。
俺がそう言うと、リスは心底呆れたといった感じで盛大に溜め息を吐いてみせた。
「勇猛で成らすレスタールの跡取りにそんな弱点があるとは思わなかったよ」
「勇猛とか関係なくない!?」
別にレスタール領の男たちは過剰な女性至上主義ってわけじゃない。敵対すれば容赦なく切り捨てるし、嫌いな相手に優しくすることもしない。
ただ、そのどちらでもない相手には優しくすべしという教育が幼少期からすり込まれているので、どうにも塩対応が苦手なのだ。
「はぁ~、仕方ないね。とりあえず僕が側に居れば下位貴族の令嬢は近寄ってこられないと思うよ」
「それは助かるけど、それはそれで余計な誤解を招くような……」
なにしろリスにもまだ婚約者が居ないのだ。
慣習として辺境伯と侯爵家以上の家が婚姻を結ぶことはない。というか独自の武力を持つ辺境伯家と高位貴族が結びつくことは皇帝陛下が許可しないはずなのであり得ないのだが、疑念を持たれるだけでもリスの家にとって良くないだろう。
「入学の時からしょっちゅう一緒に居るのに今更だよ。ただ、せっかく訪れたかもしれないフォーの春がまた遠ざかるかもね」
またってなんだ、またって!
どっちにしても打算まみれの求婚なんてされても困るだけだし、それくらいなら別に寄ってこられなくてもいい。
……ちょっと残念だけども。
ともかく、リスと合流したことで俺も怪しい行動をすることなく校舎に行くことができた。
で、階段を上って教室に近づくにつれ、普段とは違うざわめきが聞こえてくる。
……なにか、とてつもなく嫌な予感がするんだけど。
「騒がしいけど、なんだろうね」
「わからん。けど、このまま回れ右して寮に帰りたいんだが」
俺のそんな声をリスはサラッと無視して教室のドアを開ける。
『!』
教室の中に居た連中が俺の姿を見た途端、声にならない響めき? そんな感じに空気が固まる。
何? 何なの?
異常な雰囲気に、俺とリスは顔を見合わせる。が、当然ながら状況がわからない。
困り切って教室の中を見回すと、友人のひとりであるボーデッツと目が合った。
彼がいるのは……俺の席の隣?
んで、ボーデッツは俺を見てから、自分の少し前の床付近に視線を送る。
意味がわからず、とりあえずそちらに向かって十数歩。
何故か、ひとりの令嬢が床に額をこすりつけるように跪いていた。
「え? だれ? ってか、どういう状況?」
思わず呟いた俺の声に、跪いた令嬢の肩がビクリと震え、次の瞬間、
「ふぉ、フォーディルト様! 何でもします! どうか、どうか私の家と領地をお救いください!」
絶叫に近い懇願。
「はぁ~!?」
令嬢の声に負けないぐらいの音量で素っ頓狂な声が出た俺を誰も笑わないと思う。
「僕が教室に入ってすぐだったんだけど、モクモス子爵令嬢が来て、フォーの席の場所を聞いてきたんだよ。それで僕が教えたら、いきなり跪いて。フォーが来るまで待つって」
さすがにあの混乱した教室で話なんてできないので、なんとか令嬢に立ってもらって場所を移すことにした。
今居る場所は食堂の隅の席だ。
授業中ということもあって、食堂には仕込みをしている調理師以外誰もいないし、厨房からは離れているので聞かれることもないだろう。
令嬢の名前はエリウィール・クーヴェ・モクモス、モクモス子爵家の長女で学院の4年生。つまり俺のひとつ上ということになる。
ボーデッツの話だと、教室に来るなりずっと跪いていたらしい。そりゃあ教室があんな雰囲気になるはずだよ。
ただでさえあまり良い噂のないレスタール辺境伯の嫡男。
明日から、いや、今日の放課後にはさぞ楽しい噂が流れることだろう。
……泣きたい。
「それで、エリウィール嬢はどうしてフォーの所に? 家と領地を救ってほしいって言っていたけど」
混乱覚めやらぬ俺に代わってリスが彼女に訊ねる。
「は、はい。じ、実は今モクモス子爵領は未曾有の危機に瀕しているのです」
未曾有の危機とは随分と大仰な事態だけど。
「私の家が与る領地の東側にフォーレ山という火山があるのですが」
「確か子爵領に繋がる半島の山だよね。火竜が生息していると聞いているよ」
「はい。地元の人々はその山を火竜山と呼んでいて、聖域として崇めています。ですので基本的に人が近づくことはないのですが……」
エリウィール嬢の話を要約すると、その信仰の対象である火竜は、遠くに飛ぶ姿を見ることはあっても子爵領の方に来ることはこれまでなかったらしい。
フォーレ山も一番近い集落からさらに2日ほど行かなければならないほどの距離だし、危険を冒してまで近づく理由もない。
数年に一度くらいの頻度で無謀な腕自慢が山に向かうことがあるらしいが誰も戻ってこないという。
ただ、それでも火竜がモクモス子爵領に被害をもたらしたことはなく、むやみに近づかなければ畏怖すべき無害な魔獣というのがその地に住む人たちの認識だった。
ところが、20日ほど前、突如として火竜が領地で最も東側の小さな街に飛来し、そこに住んでいる人々諸共破壊の限りを尽くした。
生き残った衛兵が領主である子爵に報告するために転がり込んできたとき、エリウィール嬢は学院に戻る前の一時を両親と過ごしていたそうだ。
当たり前だがモクモス子爵は大慌て。
突然火竜が街を襲った理由もわからず、調査のために兵を派遣するも、破壊された街に居座っていた火竜によってほとんどが殺されてしまった。
治安維持のために許された兵士しか持っていない子爵はすぐに寄親のコーリアス侯爵に使いを出し、援軍を要請。
侯爵は100名からなる部隊を派遣したのだが、被害のあった街に一番近い街で討伐の準備を始めた矢先、火竜の襲撃に遭い壊滅したと。
まぁ、相手は空を自由自在に飛び回る上に大きくて頑丈、力も強い。あと、火まで吹く。
せいぜい弓矢と槍くらいしか装備していない衛兵部隊じゃどうにもできないだろう。
子爵は再度コーリアス侯爵に援助を要請しているということだけど、侯爵だって兵力にそれほど余裕があるわけじゃない。
寄親として援軍は送ったもののあっさり蹴散らされて及び腰になってしまっているという所か。
「えっと、それで何故俺のところに? そういったことなら皇帝陛下に報告して軍を動かす必要があると思いますけど」
うちとモクモス子爵家とは特に繋がりがない。ってか顔を見た記憶もないな。
侯爵領と違って辺境伯家には制限がないからそれなりに兵力の余裕はあるけど、レスタール領とは距離も結構離れている。援軍の要請なら南部の辺境伯家か、なんなら帝都の正規軍のほうが近いほどだ。
「それが、その、コーリアス侯爵閣下は宰相閣下と不仲ということで」
「コーリアス侯は貴族派の筆頭だからね。フォルス公爵に借りを作りたくないってことじゃない?」
ものすごく言い辛そうにエリウィール嬢が言うと、リスが呆れ交じりの溜め息を吐きながら理由を推測する。
……く、くだらねぇ!
「父は侯爵閣下に国軍の派遣を要請していただけるようお願いしているのですが」
下位貴族である子爵は直接議会や軍を統括している元帥府に要請する権限を持っていないため、正規ルートだと帝都の内政府か法政府が派遣している監察官を通して要請するしかなく、その場合は調査と審査でかなりの日数が掛かる。
帝国が大きすぎるせいなのだけど、緊急の場合は寄親や親交のある高位貴族に口利きしてもらって議会で取りあげてもらうか、直接宰相閣下に話をすることになる。
んで、今回の場合は宰相閣下と寄親の仲が悪いので話をしたくないと。
馬鹿なのか?
「お願いします! フォーディルト様は山のように大きな魔獣すら一撃の下に切り捨てることができると聞きました。わたくしにできることならどのようなことでもいたします。生涯を貴方様に尽くすことも、ど、奴隷にでもなります。そ、その、特殊な趣向であってもお応えできます! ですから、どうかモクモス子爵家をお救いいただけないでしょうか!」
うぉい!
噂に尾ひれがつきまくってるんですが!?
それに、特殊な趣向って何!?
必死の形相で縋り付くように見つめてくる令嬢に困り果て、俺は友人ふたりに目をやる。が、すぐさま目を逸らしやがった。
仕方がないので自分の脳みそを無理矢理に動かして考える。
まず、令嬢の要請を聞いて俺が火竜を討伐する。
うん、無理!
政務科の授業で帝国各地の資料を見たときにフォーレ山とそこに住む火竜の説明もあったが、数百年を生き、数十リード(数十m)もの大きさの怪物、しかも空を飛ぶと書いてあった。
いくら俺が力自慢で魔獣を狩る一族の出とはいってもひとりでなんとかなるような相手じゃない。
とはいえ、理由は不明ながら、挑んだわけでもない人間を誰彼構わず襲うような魔獣を放置していたら、この先どれほどの人間が死ぬか想像もつかない。
兵士は戦って死ぬのも仕事の内と言えるかもしれないが、何の咎もない民が殺されるのを黙って見ているのは俺の良心が耐えられない。知らないままなら気にせずに済んだかもしれないけど。
だからなんとかしないといけないのは間違いない。
だったら、俺の執れる手段は……
考えを纏めた俺は、未だに頭を下げ続けるエリウィール嬢に顔を上げてもらい、ぎこちない笑みを見せてからリスの方を向く。
「リスランテ・ミーレ・フォルス公爵令嬢にレスタール辺境伯家次期当主として請う。宰相閣下との面談を取り付けてくれ」
ことさら形式張った俺の言葉に、リスは口元に薄く笑みを浮かべて貴族令嬢の礼で応えたのだった。




