第42話 麗しの都クレスタ
Side フォルス公爵家騎士隊長
真っ直ぐに伸びた街道とその両側に広がる広大な農地。
秋植えの麦が収穫された後に植えられたホルプという根菜が青々とした葉を一面に広げていて、その上を通る風は煌の月(8月に相当)の強い日差しを和らげてくれる。
そして、街道の先に見えてきたのは城壁に囲まれた大きな街、我等が仕えるフォルス公爵家の領都であるクレスタだ。
この距離なら日が傾き始めた頃には街に入ることができるだろう。
ここまで来てようやくホォ~と大きな息を吐くことができた。
「やっとクレスタに戻って来られましたね」
「そうだな。あと一息だが、最後まで気を抜くなよ。それにまだ帝都までの護衛もある」
私と同じ感慨に耽っていたらしい部下が心底安心したような声を出したので一応釘を刺しておく。
私たちの役目はフォルス公爵閣下の令嬢であるリスランテ様を無事に帝都まで送り届けることであり、クレスタはあくまで途中で立ち寄ったに過ぎない。
とはいえ、リスランテ様が本邸に居られるあいだくらいは多少気を抜いても許されるだろう。
「隊長はそう言いますけど、はっきり言ってレスタールの御曹司がお嬢様の側に居れば俺たちいらなくないですか?」
「滅多なことを言うな! お仕えする公爵家の令嬢を守るという責務を他者に委ねて騎士が務まるか」
私はあえて厳しい口調で叱責したものの、部下の気持ちもわからないでもない。
溜め息を堪えつつ表情を引き締めようとするが結局苦笑が浮かんでしまう。
最初、リスランテ様が休暇に合わせてレスタール辺境伯領へ視察に行くのに同行するよう命じられたときは、辺境の蛮族という評判を聞いていたために緊張はしていたが、それでも名門貴族旗下の騎士としてそうそう後れをとることはないと自負していた。
が、そんな自尊心は、いざ帝都を出発する時に紹介されたレスタール兵を前にしてあっさり砕け散る。
辺境伯令息と一緒に現れたレスタール辺境伯領の兵士、と言っても便宜上そういう立場にしてあるだけで本職は森で狩りをする狩人ということだったのだが、我々よりも頭ひとつ分は高い背に分厚い身体、丸太のような手足とまるで野生の猛獣のような眼光。
一目見ただけで敵わないと思えるほどの体躯と身のこなしに、剥き身の刃のごとき威圧感は、今回選ばれた公爵家騎士団の精鋭10人をして敗北する未来が見えるほどだった。
幸いなことに迫力のある外見に似合わず受け答えは穏やかで、多少の粗野な言葉遣いに目を瞑ればとても好ましい性格の青年だったので安心したものだ。
……顔は少々、いや、結構恐かったが。きっと野生の熊に至近距離で出くわしたらあんな気持ちになったことだろう。
ともかく、レスタールの兵士と同行したレスタール領への旅は順調そのものだった。
なにしろ見るからに屈強な戦士と普通の荷車や馬車の倍以上大きな荷車を悠々と牽くこれまた巨大な馬、いや、馬なのか?
道程で一度たりとも不穏な気配を感じることはなかったし、常なら公爵家の紋章を掲げた馬車には行く先々で商人やら貴族やらが知己を得ようと接触してくるのだがそれも無い。
まぁ、必要があって近づこうとした商人にまで逃げられるのには困ったが。
そうして辿り着いたレスタール領は、聞いていたとおり深く広大な森が広がる中にあったのだが、その領都は想像とはまったく違うものだった。
失礼ながら辺境伯とは名ばかりの蛮族という噂を真に受けていた私たちは、頑健な城壁に囲まれ、広い通りに整然と家が建ち並ぶ光景に驚いた。
領民は活気に満ち、少なくない商人が行き来しているようでとてもそこが辺境の街だとは思えなかった。
なにより、レスタールの女性は皆信じられないほど美しい。体つきは小柄で細身、それでいて出るところはしっかり出ている。顔立ちも非常に整っていて、微笑むと少女のような純真さと淑女のような貞淑さを感じさせた。
公爵家の騎士として恥ずかしながら部下たちの多くが思わず鼻の下を伸ばして落ち着きをなくしてしまったほどだ。
……もっとも、それも一抱えもありそうな大きな鉄鍋を片手で振り回して大男をぶっ飛ばすのを見てすぐに萎んだが。
そんな衝撃的な辺境伯領での日々だったが、やはり一番印象に残ったのは狩人たちが『溢れ』と呼んでいた森の奥から猛獣や魔獣が押し寄せてくる現象だろう。
帝国内のいくつかの領地で数年に一度魔獣と呼ばれる獣が現れて、いくつもの村や街に被害が出ることがある。
あり得ないほど巨大だったり、魔法に似た能力を持っていたり、凄まじく強く凶暴だったりする危険極まりない存在で、駆除するために領兵や場合によっては軍が対応するのだが毎回少なくない損害を被ることになる。
そんな魔獣が大挙して領都近くに出てくるという話に、私はすぐさまリスランテ様に避難するように進言した。
のだが、我々の心配を余所に、レスタール領の狩人たちはまるで祭りでも始めるかのように嬉々としている。
聞けば、彼らにとって『溢れ』はある意味森の恵みであり、普段はなかなか手に入らない森の奥の獲物を狩る機会に過ぎないのだと。
それを証明するように、一体でも現れたら小さな街を蹂躙するような獣でさえほんの数人の狩人で仕留めていく。
噂でしか聞いたことのなかったレスタールの戦士、その強さを目の当たりにして戦慄したものだが、その後に見た光景はそんなものではなかった。
しばらくして魔獣・猛獣の襲来が途切れ、騒動も終わりかと肩の力を抜きかけたその時、地響きと木々がへし折られる音と共に現れた怪物。
3階建ての建物と同じほどの大きさの、いかにも凶暴そうな魔獣。
我々の居た城壁から数百リード離れていたにもかかわらず腰を抜かしそうになったほどの偉容に、さすがの狩人たちも怯んでいるように見えた。
リスランテ様の魔法に映し出された先で、狩人たちの放つ矢や斬撃はほとんど痛痒を与えることができず、ついには狩人のひとりが怪物の尾に弾き飛ばされてしまう。
そこに立ちはだかったのがレスタール辺境伯の嫡男、フォーディルト殿だった。
年齢はまだ十代の半ば。
若干12歳でありながら3年前のプリケスク動乱で凄まじい武勲を立てたとは聞いていたが、正直なところレスタール領の戦士たちの活躍が誇張されたものだと思っていた。
しかしそれは間違っていた、どころではなく、むしろ控えめな評価でしかなかったのだろうと今では考えている。
他の狩人たちよりかなり小柄で、威圧感はほとんどない。にもかかわらず、他の狩人が数人がかりで倒している巨大な蛇をたった一振りで両断し、見上げるほど巨大な怪物の攻撃すらあっさりと弾き、屠ってしまった。
高位貴族の後継者相手に失礼だとは思うが、率直に言って同じ人間とは信じられない。
「……人間って、あんなに飛ぶんですね」
私がレスタール領での衝撃的な出来事を思い出していると、先程の部下がなんとも言えない表情で呟いた。
領境近くの野営所でのことだろう。
まぁ、確かにフォーディルト殿の一振りで野盗が20リードも真横に吹っ飛ばされたのを見ればそんな感想を抱いても不思議じゃない。
特にコイツは彼と怪物の戦いは見ていなかったからな。
もっと驚くのは襲撃してきた野盗どもの内、我々が対処した者以外、つまりフォーディルト殿が倒した野盗は全員生きているということだ。
ひとり残らずボロボロでろくに口も開けない有様ながら命に別状は無く、今は手足を縛られ猿轡をされた状態でリグムの背中に括りつけられて護送中だ。
そうそう、あのリグムという獣の子供の輸送もリスランテ様に命じられた重要な仕事だ。
荷車を牽いていた成獣に比べると小さいが、すでに並の馬と同じくらい大きい。
調教すれば騎乗もできるそうで、大きさの割にそこまで足が速いわけではないが、普通の馬の襲歩並みの速度で丸一日駆けることができるのだとか。
レスタールの者でリグムに騎乗するのは女子供だけで男衆が乗ることはないが、その理由は走った方が速いという意味のわからないことを言っていたので考えないことにする。
馬のように干し草は食べず、口にするのは若芽や雑穀、木の実、さらに肉という雑食性で、特に好むのは動物の内臓だとか。とてつもない量を食べるそうだが、逆に一月以上食べなくてもビクともしない。寿命も馬の数倍という話だ。
リスランテ様でなくとも目を付けるだろうが、並の貴族では維持するのは難しそうだな。
なんにしても今回のレスタール領行きは驚きすぎて頭が疲れた。
もちろん公爵家の令嬢の護衛というのは騎士としてこの上ない名誉な任務であり、不満があるわけではない。
のだが、正直な気持ちはさっさと任務を終えて休みたい。
さらに頭が痛いのが、レスタール領の狩人たちを見てすっかり自信を失っている部下たちをどうやって立ち直らせるか。
日々厳しい訓練を積み、実戦経験こそ少ないものの公爵家の騎士として恥ずかしくない練度を誇る精鋭と言われていたのに、辺境の蛮族と蔑まれているレスタール領の、それも新兵にすら勝てる気がしない。
比べる相手が悪いのだと私は思うのだが、それを言ってもそう簡単に切り替えられるものでもないだろう。
いずれにしても帝都に戻ったら公爵閣下に全てを報告しなければならないのだが、果たしてありのままを信じてもらえるかどうか。
こんなことなら隊長になんてなるんじゃなかった。
Side フォーディルト
「おぉ~! アレが麗しの都クレスタか!」
馬車の窓から身を乗り出し、街道の先に大きくなってきた街を見て思わず声を上げる。
「僕の地元だからその大げさな呼び名は少し恥ずかしいけどね」
対面に座るリスランテは苦笑を浮かべているが、それでも故郷を褒められれば嬉しいようで、どこか楽しげでもある。
婚活に失敗した心の傷は未だに癒えてはいないけど、野営所で少しばかり憂さ晴らしできたおかげで多少は気持ちも前向きになってきている。
学院を卒業するまでまだ2年ある。
その間になんとしてもレスタールに嫁いできてくれる女性を見つけるために頑張らなきゃいけないからな。
卒業したら2年間の軍務に就かなきゃならないし、どうせ軍務期間中は女っ気なくなるだろうから落ち込んでいる暇なんてないんだよ。
「街に入ったらまずはうちに行くよ。先触れを出して厩舎を空けてもらっているからリグムの子供を休ませてあげよう」
「その前に盗賊連中を引き渡さなきゃいけないだろう」
「それは城門のところに居る警備兵に任せれば大丈夫。騎士達に事情を説明させて、そのまま治療と取り調べをするから」
さすが手回しの良いことだ。
俺の八つ当たりに付き合ってくれた野盗たちだが、非常に元気が有り余っていたらしく勢いよく突っ掛かってきたり、数人で連携して攻撃してきたり、敵わないと見るや素早く逃げようとしたりと、結構な時間楽しませてくれた。
さすがにそんな相手を問答無用で切り捨てるのも忍びなく。それに騎士隊長さん曰く、ただの野盗ではなく訓練された兵士崩れか傭兵の可能性があるということなので、身動きできないように縛って、輸送途中のリグムに乗っけてきたのだ。
まぁ、俺には普通の野盗と兵士崩れの区別はつかないのだけど、隊長さんが言うのならそうなのだろう。
フォルス公爵領のすぐ近くに出没した連中なので取り調べを公爵家が行っても文句は言われないはずだ。
そんなわけで、連中の後処理は頭から追い出して、クレスタの街を楽しみたい。
フォルス公爵領の領都クレスタは、元はクレスタ王国の王都だった場所だ。
というか、フォルス公爵家自体が元々クレスタ王国の王家で、アグランド帝国の前身であるフォーレシア王国の時代、婚姻によって結びついた両家が国を統合し、クレスタ王家は旧王国の版図の大部分を領土として認められるのと同時に公爵に叙せられた。
そういった経緯もあり一度として戦火に見舞われることなく繁栄を続け、帝都までの流通の要所として、そして帝都の台所を支える一大穀倉地帯として帝都に次ぐ大都市となっている。
人口も10万人を優に超え、美しく整備された街並みは“麗しの都”と呼ばれているほど。
一度は訪れてみたい帝国の名所として他国にまで名が知られているという話だ。
当然俺も来てみたいと思っていたので、今回は結構楽しみにしていたりする。
一応、名目としてはリス、というかフォルス公爵家に譲渡したリグムの子供の引き渡しと、飼育や調教の指導ということになっている。
まぁ、軍馬の繁殖や育成、調教をしている熟練の飼育員が沢山居るそうなので、それほど教えることはないだろうと思っている。
餌と、気性が荒いので調教の仕方に少しばかりコツがいること、それからある程度しっかりとした絆がないと騎乗できないってことを教えればあとはなんとかなるだろう。
そもそも数日しか居られないので観光することを考えるとわずかな時間しか指導なんてできないし、熟練の飼育員さんが俺みたいなガキから事細かに指示されるのは面白くないだろうしな。
乳離れの終わったリグムは頑丈だし、滅多に病気にも罹らないからそれほど心配はしていない。
そんなわけで訪れたクレスタ。
レスタールの街とは比較にならないほど大きな都は城壁に覆われていると言ってもそれほど堅牢なものではなく、10リード(約8m)ほどの石造りの壁と周囲を堀で囲っている。
あくまで侵入者を防ぐことを目的としていて軍勢に攻め込まれたときに守ることは想定されていないようだ。
リスの話だと、過去に何度か街が拡張されていて、大きく5層の構造になっているらしい。
中央にあるかつての王城、今の公爵邸を中心に放射状に通りが延び、多くの人で賑わっている。
行き交う人々の顔に暗い影は見えず、公爵の統治が安定していることを窺わせる。
そしてなにより、縦横に張り巡らされた水路の水は澄んでいて、建物はどれも歴史を感じさせつつも手入れが行き届いている。
都市内の汚水は地下の水路を通って遠くに流れる河まで運ばれるらしく、細部まで清潔で美しく整った街が広がっていた。
なるほど麗しの都なんて大仰なうたい文句が噂されるはずだ。
城門を潜ってからずっと目を奪われっぱなしなのが田舎者丸出しで恥ずかしいが、これは仕方がないと思う。
我が故郷レスタールだって良いところだと自負しているのだが、ここは別の意味で素晴らしい魅力に溢れている。
「な、なんか、フォーにそこまで手放しで褒められると照れるね。でもこの街だってそれなりに問題はあるんだよ。どれほど父上が手を回しても貧民は居なくならないしね」
それはどうしようもないだろうな。
公爵閣下がどれほど優れた為政者でも、帝国の貴族が全て同じことができるわけじゃない。
基本的に平民が他領に移り住むのには許可が必要で、特別な理由がない限りそう簡単に移住することはできない。
けど、それでも豊かで安定した領地があると噂に聞けば全てを捨ててでもそこに行こうと考える人間は少なくないはずだ。
たとえクレスタに今居る貧民を掬い上げて仕事を与えたりしても、外から次々に移住希望者が押し寄せたら切りがない。
結局、今は移住希望者を領都の城壁の外側に隔離した上で、土木作業や農作業の小間使いで日銭を稼がせながら治安の悪化を防ぐのが精一杯だという。
それができるだけでも大したものだと思うけどな。
そんな会話をしながら窓から見える街の光景を楽しむ。
さすがに大きな街だけあって、最初の城門を通過してから1刻(約2時間)近く掛かって到着したのはまさにお城としか表現のしようのない公爵邸だった。
爵位としてはひとつしか違わないのに、ここと比べるとうちの辺境伯邸なんて犬小屋ぐらいにしか思えない。
思わず圧倒されながら馬車を降りる。
「ようこそフォルス公爵邸へ! 歓迎するよ」
「お、おう」
芝居がかった仕草で言うリスに、俺はぎこちなく頷くしかできない。
いや、途端に自分の格好がみすぼらしく思えてきたんだけど、本当に俺が世話になって大丈夫なのか?
俺がそんなことを考えて不安になっていると、不意にリスを呼ぶ大きな声が響いた。
「リスランテ嬢!」
野太い男の声に、リスは反射的にそちらに顔を向けるがすぐにわずかに眉を顰める。
「おひさしぶりですね、ララブージ・カウ・ローギス殿。ですが何故ここに?」
「いえ、父の代理として麦の収穫量に関わる報告書類を代官殿に提出するために立ち寄っていたのです。ですが、リスランテ嬢が帰郷されたと聞きご挨拶をと思いまして」
少々小太りの30歳くらいの男が、腹を揺らしながら駆け寄ってきて俺を押し退け、リスと向かい合うとそんなことをのたまう。
「そうですか、それはご丁寧に。それでは僕はまだ予定がありますので」
表情を消したままリスがそう言ってララブージとか言う男の脇を通り過ぎようとすると、その男は慌てて彼女に手を伸ばす。
が、俺が男とリスの間に割り込んでその腕をはたき落とした。
「な、なんだ貴様は!」
あ~ぁ、到着早々面倒そうなのに出くわしたもんだ。




