第40話 泣いていいですか?
地響きを立てながら倒れた元北の主を見て俺はホゥ~と長い息を吐いた。
といっても完全に気を抜いたわけじゃない。
死んだと思って油断してると最後の力を振り絞って一撃! なんてことは狩りではよくある話だ。
予備として持っている腰の短剣をすぐに抜けるように手を添えつつ注意深く様子を見る。
…………。
うん、完全に死んでるな。
それにしても、さすがに元とはいえ魔境の奥で広大な縄張りをもっていた魔獣。予想以上にデカくて厄介だった。
まぁ、魔法とかを使うわけでもなく単に桁違いの大きさとそれに見合う力の強さってだけだけど、デカいってのはそれだけで強いからな。
まぁ、なんにしてもウチの狩人たちに被害が出なくて良かった。
……何人か吹っ飛ばされてたけど、あれくらいなら大丈夫だろ。私生活で鍛えられていて頑丈な連中だし。
狩人たちの歓声? 雄叫び? 怒号? を浴びながら元北の主に近づく。
野生の獣は死んでいたとしても反射的に身体が動くことがあり、気を抜いていたら爪や牙でザックリなんてこともたまに起きるので慎重に、だ。
にしてもデカすぎるだろ。
頭だけで俺と同じくらいの大きさがある。
とりあえずなんとか身体をよじ登り、首に突き刺さったままの戟を引っこ抜こうと力を込める。
筋肉が収縮してがっちりと刃を締め付けているので一苦労だ。
「あぁ~、駄目だなこれは」
無理矢理引き抜いた戟を見て俺は溜め息を吐く。
何度も爪を弾いたり受け止めたりしたせいで刃はあちこち欠けているし、刃の付け根はガタガタ、鋼心の入った柄も歪んでしまっている。
直すより新しく作った方が早いだろう。
気に入ってたのになぁ……。
「兄ちゃん!」
「兄様、スゴいです!」
駄目になった戟を未練がましく抱えて元北の主の身体から飛び降りると、バリーシュとクロアが矢のような勢いで飛びついて来た。
まだ見習い狩人にもなっていない二人はこれほど間近で、それも超大型の魔獣を狩るところを見るのは初めてなので興奮しているのだろう。
巨大な身体を解体するために集まってきた狩人たちを目を輝かせながら見ている。
「若、お疲れさん」
弟妹たちのお守りをしていたジェスパさんも苦笑を浮かべながら近づいてきたのでお礼を言っておく。
「お目付役をしてくれて助かったよ。大変だったでしょ?」
「まぁ最初の大鹿の時はいまにも飛び出していきそうで目が離せなかったが、大牙虎が出てきてからはさすがに今の自分たちじゃ無理だってわかったみたいで大人しくしてたぞ。あの見極めができるならそろそろ狩りに連れて行っても大丈夫だろ」
どうやらやんちゃな弟妹たちもちゃんと成長しているらしい。母さんに報告しておこう。
「こりゃあ、ボルガだな。特異固体だろうが」
ジェスパさんが元北の主をしげしげと見ながら言う。
ボルガというのは比較的森の奥に生息する獣で、普通は体長6~8リード(約4.8~6.4m)くらいの大きさで、食性は肉食寄りの雑食。
外見は手足と首の長い熊って感じだけど、そこまで攻撃性は強くないはずだ。
ただ、魔境と呼ばれるこの森では時折濃密な魔素によって突然変異した生き物が生まれることがある。
同族と比べて極端に大きかったり力が強かったりすることが多いのだが、中には腕や足の数が多かったり強力な魔法を使えるようになってたりするのもいる。
森の獣の中のヒエラルキーで言えば本来そこまで高い位置にいるわけでもないボルガが森の北側に主と呼ばれるほど大きな縄張りを作ることができたのも特異固体だったからだろう。
「なんにしてもこれで今回の"溢れ"は終わりだろう」
「そう願うよ。武器も壊れちゃったし」
「ソイツは若が特注で作らせた戟だろう? また作り直しか?」
それしかないよなぁ。
気に入ってたのは本当だけど、作ったときよりも身体が大きく! なってるし、もう少し長さと重さがあった方が使いやすそうな気もする。
家に帰る前に鍛冶屋に寄って注文しておこう。
……また出費が。今回の仕事のお駄賃を母さんに頼んでみよう。
予定外の出費に痛む頭を抱えながら街に戻ると、城門のところでリスとサリーフェ嬢が待っていてくれた。
それは嬉しいんだけど、二人の表情が微妙なのが気に掛かる。やっぱり令嬢に見せるには刺激が強すぎたのかも。
けど、レスタール領のことを知ってもらうには避けて通るわけにいかないからなぁ。
「お疲れさま、フォー。怪我はしていないかい?」
「ああ、うん、とりあえずは無事に済んだよ。最後の元主には手こずったけどな」
「…………」
リスが何か言いたげな表情から一旦口を閉じ、呼吸を整えてからいつものアルカイックスマイルを浮かべて労いの言葉を口にする。
普段男っぽい態度で周囲をけむに巻くリスも、騎士の訓練やこの間の決闘騒ぎ以外で戦いを目にするのは初めてだったろう。
きっと思うところはあるのだろうが、それでもいつもどおりの態度で接してくれようとするのはありがたい。
ただ、サリーフェ嬢にはあまりに今回の狩りは生々しすぎたのか、顔色は青いし俺と目が合わないようになのかずっと俯いたままだ。
「えっと、やっぱり恐がらせた、かな? ごめんなさい」
「い、いえ、そんなことは……」
俺の謝罪にサリーフェ嬢は首を振る。けど、俺と目が合うと怯えたように顔を背けられてしまった。
「その、すこし疲れてしまったので先に戻ります。申し訳ありません」
「あ、はい。それじゃ案内を……」
「だ、大丈夫です」
今居る北側の門からウチまではそれなりの距離がある。
ここに来るまでは案内を頼んだヴィルンに連れてこられたはずなので誰かに連れて行ってもらおうと思ったのだけど、サリーフェ嬢はさっさと踵を返して行ってしまった。
まぁ、この街は女性に乱暴を働くような男が居ない、というか存在できないし、向かう場所は領主の家なので迷っても誰かに聞けば教えてもらえるだろうから心配いらないとは思うけど。
いや、だから、リスランテさんよ、慰めるみたいに肩をポンポンするの止めてくれないかな?
「……やっぱりあんなにデカい魔獣が跋扈する領地って貴族令嬢には恐いよなぁ」
溜め息を吐きながら俺がそうこぼすと、リスはなんとも言えないって感じで苦笑を浮かべた。
「そういうことじゃないと思うよ」
違うの? ってことは狩人の荒っぽさとか血生臭さか?
といってもなぁ、狩りはレスタール領の主産業だし、こればっかりはどうしようもない。
特に今回は滅多にない溢れ現象にかち合ってしまったけど、狩人の仕事は獲物の命を奪い糧にすることだ。
そのためにレスタールの狩人たちは自分を鍛え、命がけで野獣・猛獣・魔獣と対峙する。
帝都の宮廷みたいな虚飾も欺瞞も通用しない、むき出しの命のやり取りだけがそこにあるのだ。
できればそういった泥臭いことも含めてこの領や俺のことを受け入れてくれると嬉しいんだけど、高望みかなぁ。
「確かに僕たちみたいな温室育ちからすると、結構衝撃的な光景だったけどね。特にフォーがあんなに強いなんてさすがに思ってなかったし。正直に言うと少し恐いとすら思ったよ。僕が知ってるフォーと、あの怪物と戦っているフォーが同じ人間だと思えなかった」
リスはそう言いながらもどこか可笑しそうにクスリと笑みをこぼす。
「そうか?」
「同時に凄いとも思ったけどね。まるで神話の世界の英雄みたいだった」
「返り血でドロドロの汚らしい英雄ねぇ。まぁ、ありがとさん」
過分な褒め言葉に照れくさくて軽口を返すが、少しばかり気持ちが軽くなる。
そんな風に話をしながら街の中を歩く。
「ところでどこに向かっているんだい? 領主邸とは方向が違うみたいだけど」
俺が通りを曲がって路地に入るとリスが聞いてきたので、俺は手に持っている戟を見せる。
「武器が壊れたから鍛冶屋に寄るんだよ。特注しなきゃいけないから学院に帰るまでには間に合わないとは思うけど」
「……刃こぼれはともかく、どうすれば鋼の芯が入ってる槍がこんなに歪むの? 相変わらずフォーの腕力っておかしいよね。僕じゃあ持ち上げるのが精一杯な重さなのに」
何代にもわたってこの森に暮らしている狩人の一族は他の領地の人間に比べて力が強いから、リスの言葉にもあまりピンとこない。
この程度の重さならうちの母さんでも片手で振り回せるからなぁ。
「そういえば結局色々あって街の案内は途中だったから職人街は行けていなかったよね。それじゃあついでに僕との約束も果たしてもらおうかな」
「約束? って、なにかあったっけ」
何かを思いついたようなリスの呟きに、思わず聞き返すと彼女は不満そうに睨んでくる。
「酷いな、忘れたのかい? 前に街を案内してくれたときに短剣を買ってくれるって約束したじゃないか」
……あっ、そういやそんな話をした気がする。
サリーフェ嬢に帽子と首飾りをプレゼントした時にリスも何か欲しいって強請られたんだった。
「あ~、悪い。すっかり忘れてた。これから行く鍛冶屋で気に入った物があったら買うよ」
俺がそう言うとリスは機嫌を直してくれたのでホッとした。
……少々、いや、かなりお財布の中が気になるけど仕方ない。
まぁ、公爵令嬢が気に入るような短剣が置いてあるかはわからないけど。
そんなことを考えながら、俺はリスと連れだって馴染みの鍛冶屋に向かったのだった。
俺がリスと一緒にレスタールの屋敷に戻ったのはすっかり暗くなってからだった。
思った通り、刃こぼれと歪みの酷い愛戟は修理不可と言われてしまい、新たに作り直すことになった。
そうと決まればやっぱり最高の一振りにしたいじゃないか。
長さや重さ、槍先の形状など、以前の戟で不満だったり改善したかった部分を盛り込んで注文するのに時間が掛かったのだ。
ちなみにリスへのプレゼントにした短剣だけど、狩人が使うには少々頼りないが、それでも十分に実戦に耐えられる頑丈さと、それでいて意匠に優美さを持たせた女狩人向けに作られた逸品を気に入ったようで、それにした。
リスはそれを嬉しそうに受け取り、早速自分の腰帯に差していた。……令嬢へのプレゼントにしては贈った物も贈られた反応も正直どうかと思うが。
家に入ってロビーでリスと別れると、一足先に帰ってきたばかりらしい双子の弟妹が纏わり付いてくるのを適当にあしらって、まず親父の執務室に向かう。
『そろそろ休憩に……』
『つい先程休憩したばかりです。次はこちらの書類に目を通してください』
『まだあるのかよ! もう何日も机に縛り付けられて腰が痛くてたまらん!』
『本当に縛り付けてあげようか? 散々仕事から逃げてた自分が悪いんでしょう』
おぉ~、相変わらずだ。
固く閉じられた扉の中から廊下にまで響いてくる親父の嘆きと容赦ない文官の催促。それに母さんの叱責。
少しばかり気の毒に思わないでもないが、そもそも自分の仕事を息子に押しつけてる時点で同情の余地はない。
とはいえ、少しくらいは息抜きになるかもしれないと、今回の溢れの報告のために扉を叩いた。
「……そうか、ご苦労だった。それで、本当に全部終わったのか? 取りこぼしはないのか? フォーディルトが狩ったのが実は元北の主じゃなかったとか」
「ジェスパさんも確認してたから間違いないよ。もちろん領都近くまで来た森の奥の獣を全部狩り尽くしたわけじゃないけど、追い立ててた奴が居なくなったから残った獣はほどなく元の住み処に帰って行くはずだ……だから、期待しても駄目だって」
俺が失敗するか大物の取りこぼしをするのに一縷の望みを持っていたのだろう。親父の期待するような言葉を容赦なく否定しておく。
ガックリと肩を落とす親父に呆れ交じりの溜め息を吐いてみせると、そんなことは知ったこっちゃないとばかりに文官が新しい書類を親父の目の前に置いた。
……まぁ、なんだ、頑張ってくれ。
「フォーディルトも帰ってきたばかりでしょう。湯浴みをして着替えちゃいなさい」
言われてみればまだ返り血のついた服のままで、汗と土汚れも酷い状態だ。
こんな格好で公爵家令嬢を連れ回してたと、今になって考えれば相当失礼だよな。
母さんの言葉に俺は執務室を出て一旦自分の部屋に戻り、血のついた上着を脱いで着替えを用意する。
そして浴場へ向かう廊下を歩いていると、同じく入浴してきたのかサリーフェ嬢が歩いてくるのが見えた。
「あ、サリーフェさん、気分はどうですか?」
城門で見た彼女はかなり顔色が悪かったけど、今は身体が温まって血色も戻っているように見えたのでそう声を掛けたのだが……。
「ひっ!? あ、あの、フォ、フォーディルト、様」
俺と目が合った途端、サリーフェ嬢が怯えたように後ずさりして声が震え出す。
それに、一瞬前までわずかながら上気したように赤らんでいた顔も瞬く間に色を無くしてしまう。
「えっと、サリーフェさん?」
「っ! その、も、申し訳ありません!」
あまりに過剰な態度の変化が心配になった俺は、思わず一歩踏み出して手を差し出したのだが、サリーフェ嬢は慌てて顔を背けると、頭を下げてから足早に俺の脇を通り抜けて行ってしまった。
え?
ひょっとして、嫌われた?
……泣いていいですか?




