第38話 狩人の狂宴
レスタールの領都を囲む高く分厚い城壁。
その周囲30リード(約240m)は猛獣や魔獣が近づいて来た時に発見できるように森が切り開かれて見通しが良くなっている。
ちなみに、街に流れ込んでいる水路には格子が幾重にも張り巡らされているのである程度大きさを持つ生き物は入り込むことができないようにされている。
我がご先祖様たちがいつ頃からこの森に住んでいるのかは知らない。というか基本脳天気で細かいことを気にしない気質の狩人一族には伝承めいた話はほとんど伝わっていないから知りようがない。
それでもどんな場所にどんな集落を作るのが安全かという経験則はしっかりと蓄積されていて、森の中に街を築いた時に生かされているというわけだ。
そんな安心できる城壁の外側に、1000人近いむくつけき男たちが集まっている。
全員が弓や槍、剣などを手に、和気藹々といった感じで賑やかだ。
とてもこれから森の奥から押し寄せてくるだろうデカかったり凶暴だったりする野獣や魔獣を狩ろうとしているとは思えない雰囲気なのだが、これが我がレスタールの狩人たちの通常運転だったりする。
「若、誘導綱の設置は問題無いらしいですぜ」
「見張りの連中がヒマすぎるからなんとかしろって合図送ってきてますよ」
俺のところには色んな報告がやってくる。
といってもすでに必要な準備は終わっているので、ほとんどは最終確認や、待ちくたびれた短気な連中の愚痴ばかりだ。
ジェスパさんの報告を受けた二日後。
前日には周辺の集落からの避難が終わり、森の北側から来る魔獣たちを誘導するための誘導綱と呼ばれる物の設置も行った。
避難のほうは慣れたもので、連絡に行った狩人の話を聞いてすぐに荷物をまとめて移動を開始。
狩人以外の集落の家族たちは、こういうときのために領都内に用意されている空き家で普段と変わらず過ごしている。
そして誘導綱だが、これを設置するのもちゃんとした理由がある。
北側の森の主と呼ばれる魔獣が交代したことで、縄張りを追われた元の主は新たな縄張りを求めて移動する。
そうすると、追われたとはいえ広い縄張りに君臨していたほどの強大な魔獣が移動するわけなので、当然周囲の力関係にも変化が起きる。
つまり、それまで食物連鎖の頂点に居た猛獣や魔獣が押し出される形で移動するのだ。
で、その移動した先でまた縄張り争いが起き、負けた方が移動して……。
そんな風に普段は森の奥に生息している奴らが、狩人たちが狩りまくって隙間だらけの領都周辺の森までやってくる。
これが俺たちの言う「溢れる」状態なわけ。
ただ相手は動物。
どこぞの創作物の災害じゃあるまいし魔獣たちが一斉に領都を目指して爆走してくるわけがなく、それぞれ好き勝手な方向に移動するわけだ。
それを誘導するために、魔獣や猛獣が嫌がる匂いを付けた丈夫な綱を広範囲に張り、漏斗のように先を細めて領都近くまで伸ばしている。
そうすれば元主に追いやられた魔獣や猛獣はこっちまで来ることになる。
まぁ、嫌がる匂いって言っても対象によってまちまちなので、その辺はベテラン狩人の腕の見せ所、らしい。
こうした森の主の世代交代は縄張りごとに数年に一度のペースで起こるのだが、全ての世代交代で溢れるわけじゃない。
縄張り争いで元の主が死んでしまえば周辺に影響はほとんどないし、領都とは別の方向に移動してしまうこともある。だから今回のように領都の狩人が集まって対応するのは3年ぶりのことだ。
ちなみに、当然ながらレスタール領の狩人たち総出でというわけではなく、全体で5千人以上居る狩人の中で選抜(くじ引き)した精鋭? 千人が今回対応に当たることになっている。
正直、準備で一番大変だったのがこの狩人の選抜だったりする。
どいつもこいつも自分が自分がって引きゃしないんだもの。
おかげで狩り場の面積的に500人で十分だったのに、2交代制にして人数を増やさなきゃならなくなった。
ともかく、そんなこんなで準備を整え、ベテラン狩人の予測を基にこうして待ち構えているというわけだ。
……すでに待ちくたびれて文句言ってる奴もいるけど。
俺は何度目かの溜め息を押し殺して、先行して森に入っている見張りの方向に目を向ける。
ピュゥ、ピッピッピ、ピュルルゥ。
直後、耳に届いたのは鳥の鳴き声に似た音。
距離があるらしく、帝都の人間なら聞き取れないくらいの小さな音だが、ここに居る狩人たちは例え談笑中であっても気づかないわけがない。
あの音は森の奥で見張りをしていた狩人が、溢れた獣たちが近づいてきたことを知らせる口笛だ。
つい先程までのだらけた空気は一瞬で消え去り、すぐさま狩人たちが決められた配置につく。
彼らの表情は引き締まり、その目は獲物を狙う狩人のものだ。
俺も地面に突き刺してあった自分の戟を手に森へと足を向ける。
「来たぞ」
しばらく森の奥を睨んでいると、微かな地鳴り、というのか、下生えを踏み荒らすようなザワザワとした音と、何かが近づいてくる気配がしてきた。
森の入口に陣取った狩人が声を掛けるまでもなく、狩人たちの顔に凶悪な笑みが浮かぶ。
前半組の500人。
誰もがどんな状況にも対応出来るような自然体で構え、後半組は城壁の傍で自分たちの分の獲物を残すようにとヤジを飛ばしている。
とてもこれから凶暴で強大な猛獣魔獣が押し寄せてくるとは思えない雰囲気だ。悲壮感の欠片もない。
ザザザ……。
音がドンドン大きくなり、最初に森から飛び出してきたのは森林大鹿だった。
大鹿の名の通り、背中までの体高は2リード(約160cm)を超え、角の先端まで含めると3リード(約240cm)ほどにもなる大型の草食動物だ。
ただし、森の浅いところに生息している森鹿と異なり、並みの肉食動物は簡単に蹴散らすほど気性が荒い。
普段は森のかなり奥に生息していて、領都周辺には滅多に姿を現さない動物だ。
半リード(約40cm)ほどの長さの真っ直ぐな角は太く、恐ろしい武器でもある。が、毛皮は大きくて丈夫、角は剣や道具類の柄に最適だし、肉も美味い。
「一番獲物もらったぁ!」
真っ先に飛び出した狩人のひとりが大鹿の角を躱すと同時に一刀で首を断ち切る。
直後、出遅れた男ふたりが舌打ちして悔しさを表しつつ、倒れた大鹿の後ろ足と転がった頭を掴むと猛スピードで引きずって城壁近くまで来て、それを置いてまた森まで戻っていく。
残された大鹿の死骸は、待機していた後半組があらかじめ用意していた血抜き用の竿に吊して皮を剥ぎ、内臓を抜いていく。
なんでこんな緊急事態にそんなことをしてるんだって?
だって終わるまで放置したらせっかくの獲物が傷むし邪魔になるからな。
俺たちにとって、これはあくまで狩りであって戦闘じゃない。
森の恵みに感謝しつつ、貴重な獲物を大量に手に入れられる大切な祭りなのだ。狩った獲物を無駄にするような真似はしないのだ。
100頭ほどで森林大鹿の群れは途切れる。
だが森の奥からのざわめきは続いている。
そして数拍後、姿を現したのは大鹿と同じくらいの大きさの猫科の肉食猛獣が20頭。
大牙虎と呼ばれる獣で、褐色の地に灰色の縞模様、短い尾に強く太い足に鋭い爪を持つ危険な猛獣だ。
ギリッ、ビュッ!
「ギャウッ!」
森を抜けて突然開けた場所に出たことに戸惑ったのか、足を止めた大牙虎に狩人の矢が空気を切り裂いて襲いかかる。
とっさに身を翻そうとした数頭の腰や後ろ足に矢が刺さり、悲鳴を上げる。
だが半数以上が素早い動きで矢を躱し、身を低くして襲いかかる体勢を取った。
「囲め!」
さすがにこのくらいの相手になると狩人でも単独で狩るのは難しい。
間合いの広い槍や戟を持った狩人が牽制しつつ距離を詰め、短弓を射かけながら逃げ道を塞ぐ。
「ドルルルル、ガァッ!」
追い詰められた大牙虎が堪えきれず一番手前に居た狩人に飛びかかった。
右前足の爪が振り下ろされるのを引くことなく大剣で受け止める。
大熊の首をへし折る3リード超えの大牙虎の一撃を受けても微動だにしない狩人の体幹に感心するしかないが、動きが止まった一瞬が大牙虎の最期だ。
横から正確に首を目がけて突き出された槍先が斜め下から喉と脊髄を貫き、数度大きくけいれんした後に動かなくなった。
同時進行で森の出口のあちこちで同じように仕留められた大牙虎が骸を晒し、相対した狩人たちもさすがに肩で息をしている。
が、当然のことながら森の猛獣たちはそんなことを考慮してくれず、それ以後も散発的に大鹿や大猪、大牙虎が出てきて、獲物の回収と対応に追われることになった。
もちろん俺も参戦して、大鹿2頭と大猪3頭、大牙虎1頭を仕留めた。
……ホントだよ?
しばらくすると森から出てくる動物が一段落する。
そのタイミングで狩人たちを後半組と入れ替えた。
まだやるという我が儘な連中を笑顔で黙らせ、獲物の処理だけで鬱憤の溜まった後半組を配置につかせる。
どさくさに紛れて出てこようとしたバリーシュとクロアの襟首をひっ捕まえてジェスパさんに引き渡し、ずるいずるいと子供っぽいブーイングをスルーして再び森の出口に行くと、丁度シュルシュルと地面を擦る音が響いてきた。
「大蛇だ! 戟と斧の奴が相手をしろ!」
「赤猿も居るぞ!」
これまでに出てきた獣たちは、大きさや力の強さはあれど、普段狩りをしている獲物とそれほど変わりはない。
だが、大蛇や赤猿は紛れもなく魔境の奥に暮らす厄介な魔獣だ。
猛獣と魔獣の違いだが、別に明確な基準があるわけじゃない。
ただ、猛獣がただ強いだけの獣に対して、魔獣は異常に知恵があったり、魔法じみた能力を持っていたり、極端に生命力が強かったりと、狩るのにかなりの危険を伴う獣を指して呼んでいる。
そして、大蛇は異常に頑丈な鱗で全身が覆われている上に生命力が強く、赤猿は風魔法に似た能力と高い知能を持つ魔獣の名に恥じない厄介な獣だ。
まず姿を現したのは大蛇。
白と茶の斑模様で20リード(約16m)を超える体長の蛇だ。
毒は持っていないものの、男が腕を回しきれないほどの太さの身体に巻き付かれればレスタールの狩人でもタダではすまない。
狩人のひとりが牽制のために矢を射かけるが、それは刺さることなく光沢のある鱗に弾かれてしまう。面に対してわずかでも斜めに当たると貫くことができないほど滑らかで固い鱗に覆われているからだ。
ただ、巨体のせいで動きは遅く、噛みついてから絞め殺すという戦い方なので捕まりさえしなければ被害に遭うこともない。
そして対抗するための手段は、斧や戟、大剣といった鋭く質量の大きな武器でひたすら頭を叩き、断ち切るしかない。
「おぉぉぉ!!」
「どっせい!」
並みの兵士では持ち上げることすら難しいような戦斧を振り下ろし、大蛇の首を3割ほど削ると、痛みに頭を振って攻撃してきた狩人を突き飛ばそうとする。が、そこに別の狩人が戟を大きく振りかぶって叩きつける。
それによって半ば首を断ち切られた大蛇が暴れるが、予測していた狩人たちはすぐさま距離を取ると別の大蛇に向かう。
「っと、暢気に実況してる暇はないか」
危なげない連携を見せる狩人を感心しながら見ていると、横から鎌首をもたげた一際大きな大蛇が俺を一呑みしようと襲いかかってきた。
俺は後ろに跳び退くと同時に渾身の力で蛇の首目がけて檄を振り上げる。
瞬間的にまるで丸太にでも叩きつけたかのような衝撃が腕に伝わるが、構わず振り抜くと、ドスンと音を立てて大蛇の首が地面に落ちた。
直後、息を吐く間もなく森のほうからものすごい速度で石のような物が飛来したのを身を屈めて躱す。
「うっわ、結構沢山居るな。面倒くせぇ」
飛んできた先を見ると、そこに居たのは体長2リードほどの赤毛の猿。
見たまんま赤猿と呼んでいるその獣は、大きさも力もそれほどではないのだが、かなり頭が良い上に風魔法のようなものを使って矢を逸らしたり、投げつける石の速度を上げたりする厄介な性質を持っている。
大蛇とは共生に近い関係を持っているらしく、大概一緒に現れるのだが、なにより面倒なのはとにかく群れで襲ってくることだ。
ざっと見た感じ、300頭以上居そうな赤猿に、大蛇の処理を終えた狩人たちが向かう。
けど、相手は木の上。
風魔法もどきのせいで弓や投げ槍などは効果が薄いし、木登りで猿に勝てるわけもない。
なので、どうするかというと猿に構わず群れの向こう側に抜け、狩人たちはその有り余る力で木を切り倒しはじめた。
飛び移って移動する木々がなければ赤猿たちも地面に降りざるをえない。
そして、降りてしまえば狩人にとって少々すばしっこいだけの、自分たちよりも小さな猿の群れに過ぎない。
知恵が回るだけに、俺たちが何をしようとしているのかわかったのだろう。
赤猿たちは慌てて手に持っていた石を、斧を振り回している狩人たちに投げつけようとするが、弓を持った連中が妨害し、投げた石は木を切っている奴の前に陣取った別の狩人がたたき落とす。
そんなことをしていると、持っていた石が尽きた猿は地面に降りて石を拾おうとするのだが、手の届く位置まで降りてきたのを見逃すことなく別の連中が狩る。
守ってくれる大蛇は全滅し、攻撃手段である石も無くなれば猿たちに為す術はない。
ほどなく逃げ場を失った猿たちが掴まっている木も切り倒され、赤猿は狩られるか森に逃げ帰ることになった。
大蛇はともかく、赤猿の肉は不味いし毛皮の使い道もあまりないので深追いはしない。
どうせ逃げても大蛇が居なければ別の獣の餌になるだけだろうし。
赤猿が逃げ帰ったのを見届け、数人がかりで大蛇の死体を城壁まで運ぶ。
さすがの狩人の怪力でも大蛇はデカいし重いので大仕事だ。
とはいえ、肉はあっさりしているのに旨味が濃くかなりの美味だし、塩漬けにするとかなり日持ちもする。それに皮は武具や道具の素材として行商人に高く売れる。
いくつかの武器が壊れたし矢の消費も多いが十分過ぎるほどの利益が出たことで狩人たちの顔は満足そうだ。
耳を澄ませても森の奥から獣たちが近づいてくるような音はない。
これだけなら今回の溢れは終わりということなのだけど、どうにもそんな感じはしないな。
こんな時はベテランの意見を聞いてみるべきだろう。
「そうだなぁ、元の主がどこまで下ってくるかによるんだが……」
何度も溢れたのを経験した一番年嵩の狩人が難しい顔で唸る。
追われた主がどこに行こうとしているかなんて知りようもないのだから正確な予測はつかないのは当然だ。
とりあえずしばらくは様子を見ながら周辺集落からの避難は継続するしかないかと考えていると、不意に森の奥から鋭い口笛の音が響いてきた。
獣の行動を阻害しないように抑えられた最初の口笛とは違い、強く、警告するようなものだ。
ピィィッ! ピィィィィ!
見張りを務めているのは身軽で経験豊かなベテラン狩人のひとり。
そして合図の意味は大きな危険。
狩人の符丁で警告しているということは襲われたというわけではなく、それだけ危険と思われる存在が近づいてきているということだろう。
「こりゃぁ、元の主だな」
俺が意見を聞いていたベテラン狩人の呟きが耳に入る。
警告といい、これまで息を潜めていた鳥が逃げるように飛び立ちはじめたことといい、その言葉が正しいことを証明している。
やがて、バキバキと木が折れる音や踏みしめる地響きが聞こえてきたかと思うと、かつての北の主だったであろう魔獣が木々の隙間から姿を現したのは、建物並みの大きな身体を持つ、熊に似た巨大な姿だった。




