第31話 領主夫妻
「なっ!?」
「きゃぁぁっ!」
「くっ!?」
突如としてリビングのドアを開けて入って来たのは顔中が毛むくじゃらで茶色い毛皮を纏った身の丈3リーグ(約2.4m)近い巨体。
その姿を見た瞬間、リスは慌てて立ち上がり腰に手をやる。が、今は帯剣していないのでスカッと空ぶってる。
そしてサリーフェ嬢は悲鳴を上げ、ボッシュ前男爵は顔を引きつらせただけで腰を浮かせることもできずに居る。
護衛の騎士達は、おおっ! わずかに怯んだように一歩下がったけど踏みとどまって剣の柄に手を添えてるな。さすがは訓練された職業軍人。
一瞬にして緊迫感に満ちた空気がリビングを支配する。が、直後に響いた乾いた音であっさりと霧散した。
「アンタ! お客さんに会うなら着替えなって言っただろ!」
人の足くらい大きな木ベラで巨体の頭を引っ叩き、その行動を窘めたのは張りのある女性の声だ。
「痛っ! い、いやしかしだな、フォーディルトが友達を連れてきたんだ。父親である俺が出迎えなければ……」
「ただでさえ熊だか魔獣だかわからない面相してるんだよ。せめて身だしなみくらい整えないとせっかくのお客さんが逃げちまうだろ!」
叩かれた頭を抑えながら熊、いや、我が父、ガリスライ・アル・レスタール辺境伯が言い訳をするが、そのすぐ後ろから部屋に身体をねじ込んできた小柄な女性、母、レミエールが威勢良く叱りつけている。
ってか、熊か魔獣って、人成分どこいった?
「わ、わかった! 着替える、着替えてくるから!」
「服だけじゃなくて髭も剃りな!」
母ちゃん、最後の蹴りは必要なかったんじゃ?
我が親ながら、見上げるほどの大男と、その半分くらいしかない背丈の見た目線の細そうな女性が繰り広げる光景とは思えないな。
呆然とその光景を見送っていたサリーフェ嬢とボッシュ前男爵の顔を横目で見ながら俺は溜め息を吐きたいのを我慢する。
ったく、レスタールが辺境の蛮族なんて呼ばれているのは親父の外見も大きいんじゃないかと俺は思っている。
体格の良い騎士ですら見上げるほどの巨体と野性味が溢れすぎている強面、粗野な言動……客観的に見て蛮族にしか見えんわ。
帝都まで迎えに、というか、買い出しついでに俺たちを連れ帰った領兵は、アレでも見た目が大人しい連中を選抜しているほうだ。
レスタール家が治める広大な森に住む男たちは総じて大柄で厳つい連中ばかりだ。
親父はその中でも特に縦にも横にも大きく、全身が分厚い筋肉の塊だ。しかも結構毛深いので母さんの言葉どおり、下手をすれば熊と間違えそうなほど。
……なのに、なんで俺の背は伸びないんだろうか。
「すみません、驚いたでしょう? 普段はもうちょっとマシな格好をしているんですけど」
俺はサリーフェ嬢とボッシュ前男爵に頭を下げる。
もちろん突然の親父の乱入で驚かせたからだ。
驚いたのは格好だけじゃない? それはもう直しようがないので無視だ。
「い、いえ、あの方がレスタール辺境伯閣下ですか。あ、いや、お会いするのは初めてだったので」
ボッシュ前男爵は引きつりながらもなんとか笑顔を作ってそう言ってくれる。
うん。
爵位も官位もずっと上だと言葉は選ぶよね。気を使わせて申し訳ない。
「ウチの馬鹿当主がごめんなさいね。遠いところようこそ、レスタールへ。えっと、一応辺境伯夫人ってことになってるレミエール・アル・レスタール? です。皆様を歓迎します」
しばらくして親父の尻を叩きながら押し出していった母さんが戻ってきて、改めて挨拶をする。
けど、いくら普段名乗る機会がないからって自分のフルネームに疑問符をつけないように。
「こ、こちらこそ、急な訪問となってしまいご無礼を。ボッシュ男爵家の前当主ジルベラズ・アウズ・ボッシュと申します。こちらは孫のサリーフェ」
「は、初めてお目に掛かります。サリーフェと申します。フォーディルト様の招待に与りまして訪問させていただきました。よ、よろしくお願いいたします」
つい先程の威勢の良い怒鳴り声とのギャップに戸惑っているようで、どこかぎこちなく挨拶を返すふたり。
「ご無沙汰しております。覚えていらっしゃらないかもしれませんが、2年ほど前に帝城の晩餐会で挨拶させていただきましたリスランテ・ミーレ・フォルスです。この度は我が儘を言ってフォーディルド殿に同行させていただきました」
リスのほうは如才なく笑みを浮かべながら一礼する。
「まぁまぁ! こんな可愛らしいお嬢さんたちをフォーディルトが連れてくるなんて! 近いうちに魔獣が押し寄せてくるかもしれないわね」
縁起でもないことを。
どうして世の母親ってのは他人の前だと息子のことを貶すんだろうか。
案の定、サリーフェ嬢も同意すれば良いのか否定すれば良いのかわからず困った顔で愛想笑いを浮かべている。
「とにかく、10日ほど滞在する予定だからよろしく。言っておくけど、今回はサリーフェ嬢とリス、リスランテ公爵令嬢の案内とかしなきゃいけないから領の仕事は手伝わないからな」
「え~っ! フォー君が帰ってくるからって、あの人何日も書類仕事してないわよ。そろそろ役場の人たちが怒鳴り込んでくる頃だと思うけど」
「それは親父にやらせろよ」
母さんが首をコテンと傾けて言ってきたので速攻で拒絶する。
相変わらず机の上の仕事から隙あれば逃げようとする親父の癖は変わってないらしい。
それでもなんとかこの領が破綻せずに居られるのは優秀な役人が何人かいるおかげだけど、レスタール領からの交易商人が帝都に来るたびにその役人たちから陳情が俺の所に回ってくるのだ。ガリスライ様が全然仕事をしてくれないので決済が滞って困るって。
当然そんなことは知らないし、帝都の仕事だけでなくこっちの仕事まで押しつけられてもこっちが困る。
家督を継いでいない以上、親父が領主なんだから仕事は全部やってもらわなきゃな。




