第19話 公爵家の晩餐会
風の月。
帝国では1年を12の季節に分けて暦としている。
昼と夜の時間が丁度同じになる日を"生の月“1日とし、“花”“水”“風”“陽”“煌”“穀”“獲”“霜”“雪”“闇”“光”の順に巡り、月であるアルマが満ち欠けする周期の30日で次の季節へと移る。ただし、最後の光の月の日数は年によって異なる。
その4番目が風の月だ。
この月が終わると陽と煌の月となるのだが、帝国南部の地域は酷暑に見舞われる。帝都もかなり暑く、日中の日の高い時間は役所も含め多くの店や工房は閉められてしまう。
帝国高等学院もふた月は休暇となり、寄宿が義務づけられている学院生も帰郷が許されている。
もちろん俺もレスタール辺境伯領に帰るつもりだ。
まぁ、帝都からの距離を考えると半月もいられないんだけどな。
ちなみに、月の中には週という単位もあるのだが、それはまた機会があれば説明しよう。
それは置いておいて。
今日は以前リス、フォルス公爵令嬢に誘われた晩餐会の日だ。
決して未婚の貴族令嬢が出席するだろうからと俺から強請ったわけではない。あくまで! リスが誘ってくれたから出席することにしたのだ。
……それはまぁ、期待は、していないわけじゃないけど。
むしろ滅茶苦茶楽しみにしていましたけども!
リスの実家、フォルス公爵家はレスタール辺境伯家が接触しても問題ない数少ない高位貴族だ。
厳格にして高潔、帝国開闢以来の名門中の名門で、皇帝に対する忠誠心は随一と称されるフォルス公爵はどの派閥からも距離を置いている。
だからこそ色々と特殊事情を抱えているレスタール辺境伯家でもある程度の交流が許される。他の高位貴族相手だと無意味に皇室から警戒されてしまうからな。
ただ、派閥に属さないとは言っても帝国一の名門貴族だ。寄子の貴族は多いし、派閥を問わず多くの貴族家とも付き合いがある。もっともかなり相手を選んでいるようで、腹に一物を隠しているような貴族とは徹底して距離を取っているらしいけど。
まぁ、そんな公爵様の主催する晩餐会だ。
俺の希望する条件に合う令嬢だってたくさん出席してくれているはず。
そのために朝早くから入念に服装や髪型をチェックした。
数日前から食べるものにも気をつけたし、何度も歯磨きだってしたぞ。
……ちょっと気合い入れて身体を磨きすぎてヒリヒリするけど些細な問題だ。
約束の時間の少し前に寮を出てリスの迎えを待つ。
ソワソワソワソワ……
んだよ、変な人を見るような目でこっちを見ないでくれ。
このままではまた令嬢から遠巻きにされかねないと思って深呼吸で気持ちを落ち着ける。
「なにしてるの?」
「うわぁっ!?」
いきなり背後から声を掛けられて心臓が止まるかと思った。
「リ、リス? お、お前なぁ! ってか、馬車はどうしたんだよ」
「寮の前で方向転換させてると周りの迷惑になるから少し手前で待たせてるよ」
「……本音は?」
「フォーの姿が見えたけど、変な踊りをしてるみたいだから面白くて」
この野郎、気配を殺して、わざわざ魔法まで使って音を消して近づいて来やがったな。
だが俺は寛大だから今日だけは許してやる。
晩餐会に連れて行ってもらえないと困るからではないぞ。うん。
「はぁ~、まぁ良いや。ところで、公爵家の晩餐会なんて初めてなんだが、服装はこれで大丈夫か?」
前にもリスに聞いているけど、服装で浮いてしまったら恥ずかしいからな。
「問題ないよ。学院の制服でも良かったけどね」
俺の服は皇宮に上がるときに着ている貴族用の準礼服だ。
騎士服ほど厳つくないし礼服ほど堅苦しくもないから貴族の男性や令息が晩餐会などに着ていくことが多いらしい。
リスが乗ってきた馬車は言葉どおり寮から少し離れた場所で待っていた。
公爵家の紋章が入った黒塗りの箱馬車だ。
見るからに高級そうで、多分この馬車一台を買う金で平民家族が十年以上苦労せずに生活できるくらいだろう。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
恭しく箱馬車のドアを御者らしき男性、いや、護衛も兼ねてるな、あれは。その人物が開けてくれたので大人しく乗り込む。
中も凄い豪華だ。
「そう言えばフォーはうちの馬車に乗るのって初めてだっけ?」
「ああ、これまでそんな機会、なかったからな」
乗り込んだ途端にキョロキョロしだした俺に、リスが今さらなことを聞いてくる。
リスとは学院入学以来の友人だが、俺はリスの実家や帝都の邸宅に行ったことはない。
一緒に帝都内で遊んだこともあるがその時は歩きだったし。
まぁ、おかげで公爵家令嬢という意識をしなくて済んでいるのかもしれないけど。
馬車はゆっくりとした速度で公爵邸に向かって走っているが、車内はもの凄く静かでほとんど揺れもない。
やかましくて座って半刻もすれば尻が割れるようなウチの馬車とは大違いだ。荷運び用の土台に木板で無理矢理屋根と壁を付けただけのハリボテ馬車と比べる方が間違ってるんだが。
ただ、こうやってリスと向かい合っていると、どうにも落ち着かない。
リスも今日は制服ではなく私服姿なんだが、さすがに晩餐会ということで装飾の施された華やかさのある装いだ。相変わらずパンツスタイルで一見して性別がわからないデザインではあるけどな。
俺も準礼服だし、どうにもいつものような馬鹿話をするのは躊躇われる。
ガラにもなく落ち着かない俺を見て、リスがケラケラと笑っているが無視する。
下手に反応してリス相手に緊張してるなんて知られたら目一杯揶揄われるのが目に見えてるからな。
そうこうしているうちに馬車は学院から貴族の邸宅が建ち並ぶ区画に入る。
貴族区画は皇宮に近い場所から高位貴族に割り当てられ、離れるにつれ爵位が下がっていく。
学院は貴族区画の外れにあるので皇宮のすぐ近くの公爵邸までは距離にすると数ライド(1ライド=0.8㎞)ほどなので馬車ならすぐだ。
「すっげぇ、さすが帝国貴族筆頭のお屋敷」
晩餐会への出席と言っても周囲はまだ明るいので立派な門構えとその向こうに大きな邸宅がよく見える。
門の両側には甲冑姿の衛兵が立っていて、馬車の紋章と、窓から顔を出したリスを見てすぐに門を開いてくれる。さすがご令嬢。
ちなみに、帝国議会への出席を義務づけられている貴族たちは帝都内に爵位に応じた土地が宛がわれている。
法的には皇帝陛下からの貸与という形なのだが、爵位に紐付いているので陞爵や降爵などで爵位が変わると連動して場所も移ることになるのだが、よほどのことがない限りは次代に受け継がれるので建物は自前で用意することになっている。
議会への出席義務のない辺境伯家も一応は侯爵と同等とみなされているので場所は貰えたのだが、我がレスタール家は屋敷を建てるどころか完全放置してたので取り上げられてしまったらしい。
そして帝国きっての名門貴族たるフォルス公爵家の邸宅である。
帝都の中にあるとは思えないほど広い敷地に、伯爵家以下の貴族家なら敷地ごと入ってしまいそうな大きな建物だ。
……こんなに部屋数いるのか?
庭の隅々まで手入れが行き届いているのがパッと見ただけでわかるほど。
見事な庭園を馬車に乗ったまま通り抜け、邸宅の前へ。
何十人もの侍女や執事が整列してお出迎えだ。
ヤバい。すっげぇ緊張してきた。
「さぁ、降りるよ」
「お、おう」
俺の逡巡なんてお構いなしに、リスはさっさと馬車を降りてしまう。
ええい、ここまで来て怖じ気づいていられるか!
「お帰りなさいませリスランテ様。ようこそおいでくださいましたフォーディルト様」
「うん、ただいま」
「は、はい、よ、よろしくおねぎゃいします」
おい、リス、大笑いしてないでフォローしてくれ。
「くふふ、ガーランドが今の君を見たらどんな反応するんだろうね」
「盛大に馬鹿にしてくれるだろうよ、畜生」
脳裏にあの嫌みったらしい令息の顔が浮かんで、逆に気持ちが落ち着く。
リスはひとしきり笑って満足したのか、俺の肩をポンと叩いてから邸宅の玄関へと足を向けた。
俺も慌ててそれに続く。
執事らしき男性が大きな扉を開く。
と、そこに待っていたのはがっしりとした体格と眼光鋭い厳めしい男性がひとり。
「来たか」
「父上、ただいま戻りました」
リスがそう挨拶をすると、かすかに口元が緩んだような気がする。
のだけど、すぐに元に戻って、今度はその眼光が俺に向けられた。
「ご無沙汰しております、宰相閣下」
リスの父親、フォルス公爵家当主にして帝国の宰相を務める重鎮中の重鎮。
オズワルト・ミーレ・フォルス公爵との予期せぬ対面となった。
……いや、晩餐会が始まったら挨拶しようと思ってたのに、いきなりの登場かよ!




