第17話 閑話 ジェスビア王国襲来
side ヴェルテ
「ご苦労だった。下がって良いぞ」
湯浴みを終え、髪を整えると私は侍女にそう言ってから宛がわれた寝室へ入る。
さすがは広大な領地を有し、大陸全土でも屈指の大国と謳われるアグランド帝国だ。
それなりの規模の街がすっぽりと入りそうなほど巨大な城の内部に建てられた迎賓館は、華美ではないが質の良い家具や調度品で彩られ、その権威を見せつけてくる。
帝城の迎賓館にはいくつかの格があるらしく、一応の同盟国であるプリケスク王国の女王である私には最上級の部屋が宛がわれたようだ。
帝国にとって我が国は食糧や鉱物資源の補給庫と同時に、敵対国との緩衝地帯という役割があるのだろう。
軽く扱われているわけではないが、利用されている立場なのは間違いない。
とはいえ、帝国の後ろ盾があるからこそ安定した統治ができているのも事実だ。
3年前も戦いが終結した後、侵攻してきた国、ジェスビア王国から多額の賠償金を支払わせることができたのも帝国の口添え、いや、恫喝があったからこそだ。
それがなければ交渉の場でものらりくらりと有耶無耶にされてしまったに違いない。
もっとも、ジェスビアが真に恐れたのは帝国というよりはレスタール辺境伯の兵だろうが。
交渉の場に文字通り引きずってこられた時のジェスビア王の顔は今思い出しても胸がすく。
豪奢な装飾が施された天蓋付きのベッドに身を傾け、長く息を吐く。
国を離れてできる執務などたかがしれている。
帰ってから山積みになっているであろう仕事を想像すると頭が痛くなってくるが、久しぶりの休暇と思い、のんびりさせてもらおう。
「しかし、フォーディルト殿は随分と大人びてきたな。背丈はあまり変わっていないようだが」
甥のクライブが背のことを揶揄うと、わかりやすく不満そうにするのがどこか微笑ましく思える。
一見すると小柄で子供っぽく考えていることがすぐに顔に出るなど、あまり貴族っぽくはない。
だが、それは外側から見える彼のほんの一部にすぎないことを私は知っている。
そう、初めて会ったあの時のように。
「父上が?!」
「は、はい。撤退中に流れ矢に当たり深手を」
王宮で不在の父に代わって執務を行っていた私のもとに前線の報告がもたらされ、その内容に気が遠くなった。
これまで国境での小競り合いはあれど、互いに商人の往来はあり微妙な距離感で接してきた隣国、ジェスビア王国が突如として大軍を擁して侵攻してきてからひと月あまり。
国王である父はすぐに動かせるだけの兵士を率いて迎撃に赴いた。
だが、準備万端整えて、しかもおそらくはほぼ全軍を上げて攻めてきたジェスビアの兵士の数は、我が国の2倍。
突然のことで準備もままならないままとりあえず数だけかき集めただけの兵で防ぎきれるはずもない。
地の利と、土地を家族を守るという気概で何とか進軍を遅らせてはいたものの、ジリジリと日を追うごとに押し込まれていった。
そんな中、自ら陣頭に立ち兵士を鼓舞していた父上が負傷したという。
意識はあるもののとても前線に立てる状況ではなく、少数の部隊に守られながら王都へ向かっているらしい。
「帝国への援軍要請はどうなっていますか」
「もう帝都に知らせは届いている頃合いですが、すぐに準備を整えてくれたとしてもこちらに到着するのは早くてもあとひと月は……」
絶望的な状況に泣き叫びたくなるのをグッと堪える。
今一番辛い思いをしているのは家族を殺され家を焼かれた民衆と、決死の覚悟で戦っている兵士たちだ。
「……魔境に、レスタール辺境伯に使者を送りなさい。兵站は全て我が国で用意する、救援が成ったあかつきにはありったけの塩と鉱物、食糧を提供すると」
「殿下、それは!」
「ジェスビアに敗北すればいずれにせよ全て奪われる物です。彼の地の戦士は野蛮なれど女子供には手を出さないと聞きます。皇帝の頭越しに要請したことは問題になるかもしれませんが、今は他に方法がありません」
「しょ、承知いたしました」
文官も今の危機が理解できるのだろう。慌てて部屋を飛び出していった。
「……王都の民は動ける者は帝国に避難させ、動けぬ者は王城に避難させなさい。私はこれから前線に向かいます。供回りは最小限で構いません。陛下が帰参し、体調が回復するまでは宰相に執務を任せます」
「で、殿下、それはなりません! 殿下にもしものことがあれば」
「陛下が負傷して撤退したとなれば兵や民衆が動揺しているでしょう。王族が城に閉じこもったままでは士気が落ちて戦うどころではなくなります。もし私が死んでも陛下がご存命なら国体は守れます。それに継承権を持つのは私だけではありませんから」
実際、現王の子のうち、王族と認められているのは私だけだが、傍系に幾人か継承権を持つ子女が残っている。
この戦況では私が生きて帰ってこられる可能性は低いだろうが、行かなければ間違いなく前線は瓦解してしまう。いや、今ですら既に壊滅していてもおかしくない。
なおも反対し続ける文官たちを強引に黙らせ、私は自室で着替えを済ませた。
王族のたしなみとして形だけ用意されていた派手な甲冑を侍女の手を借りて身につける。そして休むことなく王城の兵舎で十数名の騎士と合流すると、城門を駆け抜けた。
途中の街で馬を換えながら走ること3日。
街道が整備されているのにも助けられ、わずかな休憩と仮眠を挟んでの強行軍とはいえ、想定よりもずっと早く前線に到着した。
というよりも、防衛線がそれだけ後退してしまっていたのだ。
見た目を気にする余裕もなく辿り着いた私たちの格好も酷いものだが、敵と戦ってきた兵士たちの惨状とは比べものにならない。
それでも私が姿を現すと、我が国がまだ自分たちを見捨てていない、諦めていないと伝わったのだろう。
死屍累々といった有様だった兵士たちの目にわずかながら力が戻ったように思えた。
兵士と、家族や故郷を守ろうと武器を手に取った義勇兵の主立った者達を集め、軍議のようなものを行う。
「……10日だ。10日も耐えれば帝国の、レスタール領から援軍が到着するはずだ。伝説とまで称えられる精強なレスタールの戦士が加われば、必ず戦況は覆せる」
実際に返答をもらったわけではないし、そもそも援軍を送ってくれるかもわからない。
帝国の辺境伯には独自の外交権と交戦権があるとは聞いているが、他国への援軍をそう簡単に決められるはずもない。
だが、そんなことはおくびにも出さずに私はそう言って兵士たちを鼓舞する。
10日後に援軍が到着しなければ前線は完全に崩壊して私も生き残ってはいないだろう。恨み言はその時にまとめて聞かせてもらう。
「私と兵士たちの命は将軍に委ねる。何とか10日の時間を稼いでくれ」
「承知いたしました。殿下の覚悟は絶対に無駄にしません」
私の命令に、ここまで前線を支えてきた将軍が決意のこもった目で頷いてくれた。
ここから先は私の出番はない。
王族として一応兵法なども学んではいるけれど実戦経験のない小娘が余計な口を挟む余地は無い。
それから数日。
ジェスビア軍からの散発的な攻撃はあったが、正面からぶつかるのを避け、夜襲を掛けたり輜重隊に襲撃を擬態したりしてジェスビアを警戒させて時間稼ぎに徹する。
だがそれも限界に達したようだ。
「……増援、か」
「くっ、ここまできて」
我が国が誇る広大な麦畑に布陣するジェスビア軍の後方から、軍旗を翻しながら合流する兵士らしき影が遠くに見える。
おそらくジェスビア軍は援軍の到着を待っていたためにそこまで積極的に攻めてこようとはしていなかったのだろう。
あと数刻もすれば奴らの兵力はこれまでの倍以上、我々の4倍ほどの差になるかもしれない。
あれが進軍を再開すれば我々が抵抗する間もなく蹴散らされるのは火を見るより明らかだ。
「将軍、義勇兵と一部の部隊を連れて王都まで撤退しろ。籠城して帝国からの援軍を待つしか無い」
「殿下はどうなさるのですか?」
「最後まで悪あがきをするわ。そしてどうしようもなくなれば投降する。これでも一応は王女なのだからジェスビアも利用価値を考えて多少の時間稼ぎはできるかもしれない。兵士たちに嬲りものにされて殺される可能性も高いけど」
「……殿下のお覚悟は立派です。ですが、もう間に合いそうにありませんな。私のような無骨な中年男で申し訳ありませんが、最後までお付き合いさせていただきますよ」
私が言い終えた直後、ジェスビア軍が隊列を整えながら前進を始めたのが見えた。
「私の好みは小柄で線の細い美男子だけど、今は将軍のような男が一番魅力的に映るわよ。死出の供には頼もしいわ」
「ほっ、一国の姫様にそう言われるのは男として末代までの自慢話になりますな」
正面を見据えたまま私と将軍が笑い合う。
「さあ! 我等の意地をジェスビアの盗賊どもに見せつけてやるぞ!」
私はろくに振れもしない長剣を抜いて高々と掲げる。
それに将軍が続けた。
「全軍、正面中央に向け、突撃、いや、待て!!」
将軍が号令を掛けようとした瞬間、平原の右側から盛大に土煙が上がり、人の集団が突っ込んでいく。
それもジェスビア軍に向かって。
「あれは、何だ?」
「わ、わかりません。が……」
突然の状況に私も将軍もただ困惑するばかりだった。
何しろ、数万はいようというジェスビアの軍が、まるで引き裂かれるように分断されているのだから。




