第16話 隣国の女王様
皇宮を出る=そこは帝城の中。
前に言ったように、帝城はいわば帝国の政治と軍事の中心で、全ての行政機関が集まっている。
他にも帝国議会の議場や来賓の滞在する迎賓館、練兵場や皇族の執務室、謁見の間などがあり、その重要度によっていくつかの区画に分かれている。
帝国民であっても官位の無い平民は許可が無ければ入ることができず、平民用の行政窓口が別に用意されているらしい。
皇族の執務室と謁見の間は一番奥側、つまり皇宮に近い場所で、その手前側にあるのが議場と迎賓館だ。
クライブ殿下に連れられてやって来たのはその迎賓館。
いくつかある建物の中でも比較的奥側にあり、立派な作りながら落ち着いた佇まいの大きな建物で、主に同盟国や友好国の王族や高位貴族、高官などが滞在するためのものだ。
クライブ殿下の母君の祖国、プリケスク王国の同盟国としての歴史はそれなりに長い。
主な産業は農業と鉱業で、豊かな穀倉地帯と岩塩をはじめとしたいくつかの鉱山をもっている。
帝国とは国力に大きな差があるために実質的な属国と揶揄されることもあるが、その余裕のある生産力は、たびたび飢饉や蝗害などの天災に見舞われる帝国の重要な保険として機能する。
逆にその生産力を敵対国が狙うことがあり、帝国にとっても無視できない国だ。
賓客が滞在するだけあって建物周辺や入り口は衛兵によって厳重に警備されているが、当然のことながらクライブ殿下が居るので顔パスである。
玄関に入ると侍女が出迎えてくれ、案内される。と言っても行き先はすぐ側の部屋だ。
「クライブ・フォル・アグリス殿下とお付きの者が到着されました」
侍女の人が扉を叩き、中にそう告げる。
お付きの人? 俺? まぁ、お付きの人か、そうだな、うん。
扉はすぐに開かれ、騎士服姿の男性が姿を見せる。
多分、プリケスク王国から連れてきた護衛の騎士なんだろう。
30歳くらいで精悍ななかなかの偉丈夫だ。さぞモテるんだろうな。
いかん、最近こんなことばっかり考えてるぞ、俺。
リスが招待してくれる晩餐会もあるんだから、こんなことじゃまた令嬢に逃げられてしまう。
「叔母上、おひさしぶりです。お元気そうで安心しました」
「うむ、久しいな。クライブも変わらぬようで嬉しく思う。おおっ! フォーディルト殿も来てくれたのか。歓迎しよう」
殿下は跳ねるように真っ先に部屋に入り、満面の笑顔で挨拶する。
こうしてみていると本当に年相応の美少年なんだけどなぁ。
迎えた方も柔らかな笑みを浮かべてソファーから立ち上がり、近づいてくる。
「ご無沙汰しておりました、シールス陛下」
「他人行儀な呼び方は止めてもらいたい。何しろ貴殿は我が国の恩人なのだからな。私のことはヴェルテで良い」
「さすがにそれは。他の者に聞かれたら叱られてしまいますので」
「頑固だな。ならば私的な場では名で呼んでくれ。そのくらいなら良かろう?」
「承知しました、ヴェルテ様」
ここまで言われれば折れるしかない。
ってか、眼前にいるプリケスク王国の若き女王、ヴェルテ・アーライス・シールス陛下は確かまだ22歳。
クライブ殿下そっくりの髪と瞳の色、きつめに見えるやや吊り気味の目に、意志が強そうな引き結んだ口元、女性らしく起伏に富んだ体型は男としての視線を引き寄せるには十分すぎる。
はい、めっちゃ美人です。
3年前に起こった隣国からの侵攻が原因で父王が急逝して、まだ十分な引き継ぎも無いまま即位したんだから相当な苦労があっただろうに、そんなものを微塵も窺わせない。
俺とはその時の紛争で知り合ったんだけど、あの時はまだ綺麗なお姉さんって感じだったのが、今は匂い立つような色気まで加わって、目を合わせるだけで心臓がヤバい。
ましてや、迎え入れるのが男とはいえ甥っ子だと思っていたからなのか、薄くて柔らかな生地の簡素なドレスなので、ボディラインがハッキリ見えて目のやり場に困る。
……ついチラチラと見てしまうけど。
男の子だもの。
俺は悪くない。と、思う。
「フォーディルトも座りなよ」
殿下の方は俺の困惑やら懊悩やらにお構いなしで、サッサとソファーに座って侍女がお茶を淹れるのを待っている。
自分が強引に連れてきたんだから少しはフォローしてくれよ。
「ふむ。フォーディルト殿と会えた喜びでいささか無作法をしてしまったようだ。掛けてくれ」
「はい。それでは失礼して」
……なんでヴェルテ様が向かい側じゃなくて俺の隣に?
しかも近い。近いんですが?
肘とか膝が当たるよ?
あ、良い匂い。
じゃなくて!
「あの、ヴェルテ様?」
「ん? せっかく久しぶりに恩人に会えたのだ。少しくらい近くに座っても問題なかろう」
問題だらけです。
せっかくモルジフ殿下への不敬が不問になったのに、今度は同盟国の女王様への不敬で処刑されそうです。
「あはは、フォーディルトの顔が真っ赤だ。珍しいものを見たよ」
「仕方ない。残念だがこのくらいにしておこうか。揶揄いすぎて嫌われたくないからな」
「本気で勘弁してください」
ようやくヴェルテ様が対面のソファーに座り直し、落ち着いて会話ができるようになった。
いや、それはそれで開いた胸元とか、足を組み替えたときにチラリと覗く太ももに目が引き寄せられるけど、さっきまでよりはマシだと思うことにしよう。
「それにしても、久しいな。クライブ、いやクライブ殿下と呼んだ方が良いか。それにフォーディルト殿とも2年ぶりか。あまり背は変わっていないようだが」
ほっといてください。
まぁ、確かに前回会ったのは戦争終結から1年後に救援の礼を言うために公式訪問した時だから2年以上前の事だ。
「叔母上の方は落ち着いたの?」
「ようやく多少は、だな。賠償金で復興は進んでいるが、内政の方は落ち着くまでもう少し掛かるだろう。あの戦いで兵士だけでなく文官も数多く犠牲になったし、なにより父王が急死したのが尾を引いている」
クライブ殿下の質問に、ヴェルテ様は渋い顔で答えてる。
関係はあまり良くなかったとはいえ、防衛手段を取る間もなく侵略されていくつもの村や町を破壊され、兵士や役人を虐殺されたんだ。
当時の王様も応戦した際に受けた傷が元で急死となれば国が傾くほど混乱しても不思議じゃない。
むしろたった3年である程度立て直したヴェルテ様の手腕が卓越してると言える。
「おかげで私は婚期を逃しかけているが。国内に釣り合いの取れる貴族子息が残っていないのでな」
あの、その意味ありげな視線はいったいなんでしょうか?
「それならそこに絶賛婚活中の帝国貴族子息が居るじゃない。領地だってプリケスク王国に隣接してるし、悪くないんじゃない?」
お願いだから煽らないでください!
「うむ。私としてもそれは願ってもない良縁だな。我が国の窮地に颯爽と駆けつけて敵国を蹴散らした若き英雄が相手ならば民衆は歓呼の声で迎えるだろう。私の立場も一層強固なものになるだろうし、言うことないな」
をいをいをいをい!!
「じ、自分は帝国の臣なので、勝手に他国と縁を結ぶわけにはいきませんよ! そ、それにレスタール領を離れるわけにはいきませんから!」
「つれない御仁だ。まぁ、今回は諦めることにしよう」
そう言ってヴェルテ様は悪戯っぽく笑う。どうやら揶揄われただけのようだ。
し、心臓に悪い。
それからしばらく各自の近況や雑談などに興じ、俺はクライブ殿下を残して辞去することになった。
つ、疲れた。
もうヤダ。午後の授業は休んで寮で寝よう。そうしよう。
sideクライブ
「あらら、帰っちゃった。悪いことしたかな」
「ふふふ、まぁ大丈夫だろう。相変わらずわかりやすいなフォーディルト殿は」
叔母上が隣に座ったときの顔は傑作だったね。
その後もチラチラ胸とか足とか見てたし。
本当に揶揄い甲斐があって面白いよ、彼は。
「でも、フォーディルトを婿にって、結構本気だったんでしょ?」
「もちろんだとも。確かに帝国の国境地帯を守護する辺境伯家が同盟国とはいえ他国と縁を結ぶのは簡単ではなかろうが、あの家は特殊だからな。今代の皇帝陛下なら話の持っていきようによっては何とかなるかもしれん」
そう言う叔母上の顔は、なんて言うか、身内ながらすごく綺麗で、それでいて少女のようだった。
まぁ、僕としては彼が身内になるのは面白そうだし、しばらくは楽しめるかもね。




