四十一話 堪忍袋の緒が切れた
最初に言っておくと、柊の言葉は少し間違っている。
楓は、家に帰っていないわけではない。
家に帰った後、両親がいない間にまた家を出たのである。ただし、その理由は、あまり好ましいものではないが。
「正直、呼び出しをされた時は、徹の奴かと思ったんだが……まさか、アンタがアタシを呼び出すなんてな―――井上加奈」
街はずれにある廃病院。楓はそこに来るよう、呼び出されていた。
その相手は、彼女にとって、会いたくない人物の一人。
少し赤みがかった長髪をなびかせている少女……井上加奈である。
「遅かったじゃない」
「別に、そこまで遅れちゃいないだろ。数分遅れた程度で、ガタガタ言うなよ。程度が知れるぞ。加えて言うなら、他人を脅してここまで来させた奴が、文句言ってんじゃねぇ」
言いながら、楓は懐から紙を取り出す。そこには、『一人で廃病院に来ること』『来なかったら周りの人間に危害を加える』『警察に連絡しても同様のことになる』などといった内容が書かれてあった。
「相変わらず、口が悪いのね。女の子として、本当にどうかと思うわ」
「知るか」
加奈の指摘を楓は一蹴しながら、問いを投げかける。
「それで? 一体アタシに何の用?」
「何の用? よくそんなことが言えたわね。私と彼の邪魔をしておいて」
その言葉で、楓は理解する。
彼女もまた、徹と同じ考えであるということを。
「アンタもアタシが邪魔したと思ってるわけ?」
「勿論。だって、そうじゃなきゃ、おかしいんだもの。貴方と関わるまで、私の人生は順風満帆だった。そして、それはこれからもそうなるはずだった。だから、聞かせてほしいの―――貴方、何者なの? どうして『あの人』の予知を覆すことができたの?」
「あの人?」
唐突に出てきた奇妙な言葉に、楓は思わずまゆを顰める。
が、そんな彼女のことなど知ったことかと言わんばかりに、加奈は続けて言う。
「『あの人』の予知で、私の家族は生まれ変わった。たった一年で、お父さんの会社は急成長して、優雅な暮らしをすることができて、私も徹君と恋人になれたっていうのに……そして、その結果、貴方の家は潰されるはずだったのに、どうしてなの?」
「ちょっと待て。何の話だ?」
生まれ変わった? 潰されるはずだった?
意味が分からない言葉の数々。それを前に困惑する楓に対し、加奈はどこか苛立ちを覚えていた。
「とぼけるの? 自覚がないとでもいいたいわけ? そんなわけがない。『あの人』曰く、自分の予知は外れることもある。けれど、今回に限ってはあまりにも外れ過ぎた。きっと誰かが邪魔しているんだろうって。そして、私は考えた。私の人生が狂ったきっかけ。その要因……それが、貴方と関わった時からだって」
確かに、その点については、そうなのかもしれない。
要因云々はともかくとして、加奈の会社が傾き、婚約が無くなったのは、その時期だ。そういう観点からみれば、彼女の人生が落ち始めたのは、楓と関わったところから、というべきだろう。
とはいえ、そんなものはただの言いがかりでしかないと楓は思うのだが、加奈にとってはそんな言葉は通用しない。
「まぁ、いいわ。どうせ、嫌でもすぐに喋りたくなるようにしてあげるから」
言って、指を鳴らす。
すると、病室の入り口から、ぞろぞろと数人の男たちが入ってきた。
「驚いた? 私のちょっとしたお友達よ。貴方の『あられもない姿』を撮影するのに、協力してって頼んだら、皆喜んで承諾してくれたわ」
言われ、楓は周りの男たちを見る。全員、ロクでもない顔つきであり、考えていることもまたロクでもないことなのだろうということが察せられた。
つまり、加奈がやろうとしていたことは、こういうこと。痴態を録画し、それを通して復讐と脅しをしてくるつもりだった、というわけか。
「楽しみだわ。貴方がどんな声で鳴くのか」
などと言いつつ、下卑た笑みを浮かべる加奈。
しかし、実際現状は多勢に無勢。楓はどこからどう見ても、追い詰められている状態だった。
だというのに。
「―――言いたいことは、それだけか?」
彼女は全く怯える様子はなく、どこか呆れた口調でそんな言葉を吐く。
「……何ですって?」
「全く……呼び出しを喰らった時、妙なことをしてくるだろうとは思ってたけど、まさかここまであからさまことをしてくるなんて。アンタ、思った以上に馬鹿なんだな」
「なっ……」
楓の言葉に、加奈は怒りの表情を浮かべる。
だが、そんな彼女に対し、楓は続けて言い放つ。
「わざわざ呼び出しを喰らったっていうのに、アタシが、何も考えず、ここにくるとでも思っていたのか?」
「……警察でも呼んでるわけ?」
「いいや。警察には言ってない。だって、そんなことしたら、アタシの鬱憤が晴らせないだろ?」
そう。楓がわざわざこんなところに一人でやってきたのは、脅されたからではない。
自分の手で、この件にケリをつけるため。そして、今の彼女には、その策が存在している。
「アタシさぁ。このところ、結構充実した毎日を送れてたんだよ。友達もできて、バイトも始めて、好きなことにも熱中できて……そんな日々を楽しく過ごしてたんだよ。なのに、アンタみたいなのがまた出てきて、台無しにしようとしてる……はっきり言って、もう堪忍袋の緒が切れちまった」
だから。
「とりあえず、あれだ―――全員まとめて、叩きのめしてやるから覚悟しろよ」
などと言い放った瞬間。
楓の姿は、一瞬にして、消失したのだった。
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