第31話:みんなで鶏の唐揚げ(ニンニク醤油味)
……そうだ。頭から完全に抜け落ちていた。流れ着いた異世界の素材や文化をこれだけ早く浸透させ、人間へ広められる存在。それは、異世界人しかいない。
食文化がこの100年足らずで急速に発達したという事実、それから魔族を凌駕しつつある王国騎士の軍事力。これまで見聞きしたピースを組みわせ、さらに異世界人の存在を加えればこの世界の現状が浮かび上がってくるようだった。
……そう。この世界、プリモルディオは——————。
「おー、やるじゃねぇかメッタン。美味そうに揚がったな」
「はいッ! 二度揚げすることで中はプリっとジューシーに、外はカリッと仕上がるのです!」
キッチンスペースから聞こえるジュワァ……という音だけでなく、ニンニクと醤油の合わさったなんともギルティな香りが腹ペコな身体を刺激した。
先までのシリアスなトーク、思考、推理はもうどうでもいい。いや、よくない。よくないけれども、今はただ……。
お腹がすいた!!!!!!!!
「ねぇ〜、メッタンごはんまだ〜? ウチもうお腹空きすぎてヤバいんですけど〜、倒れそうなんですけど〜」
「ヒカリ殿、お待たせいたしました! いまお持ちしますッッ!!」
「おいコラ、待てやメッタン。ちゃんと野菜も乗せろ。キャベツは消化を助けてくれんだぞ」
と、彼女は年季の入った木製の定食皿に千切りのキャベツを乗せてからシーザー風のドレッシングをかけ、その他にくし切りされたトマト、スライスレモン、彩り用のパセリを添えた。
これ、もはや定食だな。しっかりたっぷりバランスよく味わえる日本の定食。安心感がハンパないヤツ。
「……これでヨシ。いいぞメッタン、持ってけ」
「はいッ!!!」
魅惑の香りを放つだけでなく彩りまで豊かになった定食皿。そこにホカホカの白米、豆腐とワカメの味噌汁が加わり、華やかさの増したお盆をメッタンがゆっくりと運んでくれた。
……くんくん。くんかくんか。……はぁ、いい香り。これだけでご飯三杯はいけそう。
嗅覚経由でウチの食欲を刺激し続けた『カラアゲ』改め『鶏の唐揚げ定食(ニンニク醤油味)』が今まさに目の前にある。……じゅるり。唾液の分泌が止まらない。
食欲暴走寸前のウチは、大人しく待つことなど当然できず……。
「さあさあヒカリ殿、お待たせいたしました! どうぞ召し上がってくだ————」
「いただきまァァァァァァァァァァァァァァァァす!!!!!!!!!」
ガブガブ、モシャモシャ、ズビズビズ、シャキシャキシャキシャキときどきプチュ!
咀嚼、嚥下、咀嚼、嚥下をひたすら繰り返す。
本当に美味しいもので空腹を満たすとき、人は唸りながら無心で貪るらしいと聞いたことがある。それがまさに今だ。
「くゥゥゥゥ、んゥゥゥゥまァァァァァァァァァいッ!!!!!!」
ニンニク醤油で罪深く仕上がった唐揚げが我先と食道を通り越して胃袋へ向かい、ツヤツヤで甘みのある白米が追いつけ追い越せと駆け抜ける。
『そんな急に大量の食品は受付られませんよ』と咳き込むことで身体が些細な抵抗を示すものの、食欲は微塵も気にすることなくウチの箸を進ませ続けた。
「……おい、すげぇ食いっぷりだな。おかわりだってあるから落ち着いて食えよ」
「ハッハッハ、ヒカリ殿は本当に美味しそうに召し上がりますな」
若干の水分を欲した時には味噌汁を、口内の油分が有り余れば千切りキャベツを頬張る。水々しいキャベツに程よくかかった酸味のドレッシングが味わいのバランスを整えてくれている。うん、美味しい。
それにしても……ドレッシングの謎の赤い粒々はなんだろう?
「アルフェさん、ドレッシングめちゃめちゃ美味しいです!」
「そりゃあそうだろう、何せオレの自家製だからな」
「さすがっす! ところでこの……赤い粒々はなんです? プチプチしてて食感良いヤツ!」
「あー、それはな『マギの実』っていう、この辺りで採れる木の実だ。疲労回復に滋養強壮、それから体内の魔力生成にも一役買ってくれる。それを細かく砕いてドレッシングに混ぜてんだよ」
野菜を添えてくれただけでなく、ウチの身体に配慮してくれるこの優しさよ。
振る舞いや言動に多少の荒さはあっても、彼女の心の根っこの部分はやはり善なのだろう。
『取引先』という一時的な関係性なのかはまだわからないが、少なくともこの夜は彼女の温情に触れていたい……と、そんな風に思ってしまった。
「……くんくんくん。なんだかそれ、美味そうじゃないか」
頭上で寝そべっていた小悪魔が急に身を乗り出し、ウチの唐揚げに視線を向ける。
これはアレだ。要するにアレだ。『食べる?』って聞いてほしい『察してちゃん』の言い方だ。
嫌だ。絶対に嫌だぞ。素直に『少しください』って言うまで絶対にあげないからな。
「そうでしょうそうでしょう、美味しそうでしょう。これはウチの唐揚げ〜、んフゥ〜美味ぁい〜♪」
「ぐぬぬッ! オ、オマエッ! いいい、意地悪なヤツだなッ!」
「洞窟で魔石を一人だけバリボリしてたプイプイに言われたくありませんよ〜だッ!」
痴話喧嘩を始めるウチらに呆れた彼女は『あー、うっせぇなぁ』と吐き捨て、再びキッチンスペースの奥へと入っていった。メッタンが恐る恐るその背中を覗き込む。すると……。
……現れた。バカクソデカい器に盛られた、メガ盛りならぬ『ギガ盛り』の唐揚げが。
「ほらよ、デモンズとこのチンチクリンもメッタンも食え。こういう人間が食うメシだって元は生命だ。魔石には遠く及ばねぇが、多少の魔力回復にはなる。食えるときにありがたく食っとけ」
工房の天井まで届きそうな勢いの唐揚げの山。ウチが一人で平らげようとすれば、確実にヒールスライム案件だ。絶対にぶっ倒れる。……っていうか、どこにこんな大量の鶏モモ肉をしまっておいたんだ、お姉さんよ。
「いただいてよろしいのですか、アルフェ様⁉︎」
「オメェが調子ぶっこいて大量に揚げたんやろがい。いいから早く食え。冷めちまうだろ」
「い、い、いいのか⁉︎ ワタシまで⁉︎」
「そこの嬢ちゃんだけじゃ片付かねぇだろ。食い物は無駄にするな。さっさと食え」
……ムッチャモッチャ、ムシャムシャモシャモシャ、カジカジハムハム。
三者三様、無心で肉を喰らう。
その様子をほんのわずかに微笑みながら、どこか遠い瞳で見つめる彼女。
彼女がなぜそんな寂しく儚げな表情をするのか、ウチに知る術はない。今はただ箸を進めることしかできないのだが、どうにもその姿がウチの瞳に焼き付いて離れなかった。
そして、キッチンスペースで徐に煙草をふかし始めると、落ち着いた声で彼女が言った。
「食いながらでいいからちょっと耳貸せ。オメェらの知りたい情報に近いモノは明朝必ず伝える。だから今日のところはメシ食って風呂入ってさっさと寝ろ。風呂はここの地下2階、寝室は地下1階の空いてる部屋を好きに使え」
……風呂。その魅惑のワードと響きをどれだけ待っただろうか。
いや、ヒールスライムのおかげでほぼ入浴済み状態みたいにしてもらったけれども、そういうことではない。女の子には絶対に絶対的に……バスタイムが必要だッ!!!
『よっしゃァァァァァ!!!!』と一人小さくテーブルの下でガッツポーズを作るとき、完全には彼女への警戒心を緩めない小悪魔が念を押した。
「……信じていいんだな?」
「当ったりめぇだ。言っただろ、オメェらはもう『取引先』だって。取引が成立した以上、出し惜しみはしねぇ。オレの知る限りの全てを話す——————」
——————ユグドラシェルについて、な。




