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あやかし斎王  ~斎宮女御はお飾りの妃となって、おいしいものを食べて暮らしたい~  作者: 菱沼あゆ
第三章 あやかしは清涼殿を呪いたい

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姿なき中宮様より、斎宮女御様の方が得体が知れない……


 命婦は鷹子について御簾の内に入った。


 薄暗い中、立派な几帳や衝立などが見える。


 奥の方には他の調度品もあるようだが。


 ともかく外とは遮断したいという雰囲気で、通常より多く几帳など、身を隠すものが置かれていた。


 そのせいか、中宮の居室の室礼(しつらい)としては、殺風景な感じもした。


 そもそも人の気配がない。


 中宮なのだ。

 女御よりたくさんの女房たちが仕えているはずなのに。


 まあ、姿なき中宮どころか、その女房たちさえ、まともに見たことはないのだが。


 気のせいかもしれないが、御簾の外と比べて、空気も冷え冷えとしている感じがする。


 恐ろしいな、と命婦は思った。


 鷹子が怪しいものと会話をしていることは今までにもあったが。


 今はまったく置かれている状況が違う。


 此処は言わば、敵の腹の中。


 薄暗いし。

 なんか怖いっ、と怯えていたが、命婦はそれを見せないようにした。


 私が毅然としていなければ、斎宮女御様を守れないっ、と思っていたからだ。


 そのとき、ほほほほほほ……と室内に広がり渦巻くような女の笑い声が聞こえてきた。


「なかなか勘の鋭い女房のようじゃな。

 だが、このままでは(わらわ)の姿は見えぬようだ。


 主人を守るため、怯えを見せぬよう、気丈に振る舞うその忠誠心、素晴らしいの。


 妾が見えるようにしてやろう」


 そんなよく通る声とともに、入るときに嗅いだ香りがまた吹きつけてくる。


 急に周囲が明るくなった。


 小柄な女房が灯台に火をつけたようだった。


 いや、普通の灯台ではない。


 青白い光が揺らめいている。


 それを見た鷹子が、

「……ガス。

 じゃないですよね~」

と言って苦笑いしていた。


「お前は相変わらずわからぬことを言うな」


 そんな声とともに、几帳の前に美しい女が現れた。


 のっぺりとした顔に細い目だが、配置が恐ろしく整っている。


 ……これが姿なき中宮様。


 くっ。

 美しいっ。


 でも、うちの女御様の方がもっと美しいですっ、と命婦は恐ろしいのも忘れ、妙な敵対心を発揮する。


 中宮寿子の側に、今、火をつけていた女房が近づいた。


 中宮のように細身で細目の、年配の女だ。

 口許に怪しい笑みを浮かべている。


 狐狸妖怪の類いに違いないっ、と鋭い命婦の勘が告げていた。


 鷹子が振り向き、自分に言ってくる。


「渡して、命婦」


 この怪しい女房にクリームソーダを渡せと言っているようだ。


 この得体の知れないものに、頑張って作ったクリームソーダをですか?


 心細く鷹子を見上げたが、鷹子は、こくりと頷く。


 渋々渡すと、怪しい女房は中宮にそれを渡した。


 先程、花朧殿の女御に渡したものより量が少なく、色も違った。


「これは……っ。

 なんと美しい色っ。


 子どもの頃見た、湖の色のようじゃな」


「パタフライピー、チョウマメで色をつけてみました」


 見たこともない澄んだ青色の飲み物だ。


 僅かに入れた氷が炭酸の泡をまといつかせ、ふわふわとその中で浮いている。


 上にはちゃんとミルクアイスと支那実桜 (しなみざくら)の実ものっていた。


「いや~、苦労しました」

と鷹子は言う。


「バタフライピーに含まれるアントシアニンにより、色が変わるんですが。


 酸性だと赤。

 中性だと紫。

 アルカリ性だと青色になるんですよね」


 鷹子の解説に、また得体の知れないことを言い出した、と命婦は思う。


「まず、この美しい青色をお見せしたかったんですけど。

 よく考えたら、炭酸泉って弱酸性なんですよね」


 いきなり、紫になっちゃって、と鷹子は笑った。


「水で色を出したら、綺麗な青色だったんですよ。

 でも、炭酸泉で赤みがかってきて、紫になってしまって。


 だけど、ほら。

 やっぱり、ぽこぽこした泡があった方が綺麗じゃないですか。


 そこで、またアルカリ寄りの水を足しまして。

 いろいろ調節して、青くしたんですけど。


 おかげで、ちょっと寝ぼけた感じのソーダになってます」


「……なんだかわからないが、あまり飲みたくない感じだな」


 ですよね~と鷹子は中宮に向かって笑う。


「なので、量は半分にしておきました。

 で、これを足します」


 中宮の手にある『バタフライピーちょっとだけソーダ』に鷹子が隠し持っていた瓶詰めの炭酸泉を入れる。


 ミルクアイスを避けるようにして一気に注ぐと、シュワッと泡が弾け、ふわっと底の方から紫色に変わっていった。


 おお、と中宮たちが歓声を上げる。


「これは飲みたくなってきたぞ」


 どうぞ、と鷹子は笑顔で言った。


「その炭酸泉、中宮様のお父上、左大臣様がわざわざ運んで来てくださった毒水なんですよ」


「……また飲みたくなくなってきたな」


 いや、妾に毒は効かぬのだが、と呟く。


 何故、効かないのかはちょっと追求したくない感じだった。


「バタフライピー、疲れがとれたり、若返ったり、色が白くなったり、やせたりする効果があるらしいですよ」


「どれも妾には意味がないわ」

と言いながらも、中宮は鷹子が渡した麦ストローで飲んでみていた。


「ほうっ。

 甘いなっ」


 もう一度飲み、


「甘いなっ」

と繰り返す。


 鷹子は、はは……と笑った。


「……確かに、味はあんまりないですよね~。

 もう少し赤っぽくなってもいいのなら、柚子とかで味と匂いを足すという手もありますが。


 まあ、そのうち、ミルクアイスが溶けてきて、ミルクアイスの味がしますよ」


 言うだけ言うと、鷹子は中宮に、では、これで、と言った。


「なに?

 もう行くのか」


「はい。

 今回はいろいろとお世話になりまして、ありがとうございました。


 ……帝への呪いは今は東宮様が抑えてくださっていますが。

 近いうちになんとか致します。


 では、先を急ぎますので」


 さっさと退出しようとする鷹子に命婦が慌ててついていく。

 中宮が後ろから言ってきた。


「斎宮女御よ。

 ほんとうに良いのか、妾をこのままにして」


 鷹子は振り向き、笑って言う。


「言ったではないですか。

 中宮様がいらしてくださる方が私には都合が良いのですよ」


 では、また、と鷹子は急ぎ御簾の外に出た。


 明るい……。


 まだ昼だったか。


 あの御簾の中、御簾が下りているからというだけではなく、薄暗かった、と命婦は今更ながらに、ゾッとする。


 息を詰めて待っていたらしい女房たちが、わっ、と鷹子の許に寄ってきた。


 いつの間にか来ていた無表情な晴明も彼女らの後ろに居る。


「大丈夫でございましたか?」

「女御様たちが入られてからも、まったく人の気配も声もしなかったもので、心配で」


 そう女房たちは怯えたように言ってきた。


 えっ? あんなに騒がしかったのに? と命婦は振り返る。


 今も御簾の向こうは、しんとして見えた。


 晴明は黙って鷹子を見ていて、なにも言わなかった。


「よしっ。

 あと一息っ。


 炭酸が抜ける前に、清涼殿に行きましょうっ」


 なにも動じていない鷹子は、そう言って女房たちを急かしていた。




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