23話・その頃、奥方様は……
俺は公衆浴場を訪ねた。
「こちらの浴場で化粧水のサンプルを置かせていただきたいのですか、いかがですかね?」
「ウチの風呂場に胡散くさいモノ置きたいんならナンボか払ってもらわねえとな!」
リアルビジネスの営業なんてやったことがなかったけれど、異世界だろうと飛び込み営業はキツイな。
「最近の異界人は、押し売りまでやるのかよ!」
「この世はお前らのオモチャじゃねぇんだ!」
罵声を浴びせられたこともある。
これらの声の主は、まず例外なく現地人だった。
さっきのビキニ鎧メガネ女子の優しさを思い出すと泣けてきそうだ。
転生者や被召喚者と、異世界の人たちとは心の隔たりがあるようだった。
魔王を倒し、町の発展や公衆衛生に貢献しているはずの転生者や被召喚者が、必ずしも歓迎されない空気を肌で感じている。
その一方で、転生者や被召喚者たちは皆、けっこう親切だ。
幸いなことに、貴族街、下町を問わず公衆浴場の責任者は大抵は転生者だった。
事情を説明すると、こちらにはけっこうあっさり話が通り、化粧水のサンプルを置かせてもらえる運びとなった。
後はレモリーにサクラになってもらって、湯上がり後に化粧水を実演販売してもらう。
異世界の女性たちにスキンケアという発想を提供するためだ。
俺の中では「これはいけるんじゃないか?」という根拠のない自信があったのだが……。
◇ ◆ ◇
しかし実演販売の評判は良いものの、結果はいまひとつだった。
貴族・平民街合わせて15軒の公衆浴場にサンプルを置かせてもらった。
が、おおよそ1週間で売れたのは25個。
売り上げは大体12万ゼニル。
3500万ゼニルの借金返済までおおよそ7300個を売らなければならなかった。
みんなサンプルに群がったものの、肝心な化粧水を買うまでの消費行動にはつながらない。
もう少し様子を見るか、別のところに販路を広げるか……悩みどころだ。
そんな苦境でも、俺たち3人の役割分担はそれなりに機能していた。
エルマは『複製』スキルでラベルを量産。製品を作る。
俺は公衆浴場に話をつけ、サンプルを置かせてもらう。夜は検品。
レモリーはサクラとして浴場で実演し、宣伝する。
「じゃあ今日も予定通りに。俺は貴族街西地区をもう一度当たってみる」
「はい。では時間をずらして公衆浴場に入ります」
「レモリー、帰りにタピオカをテイクアウトしてくるのですよ♪」
「はい、お嬢様」
何故かレモリーはとても嬉しそうだった。
エルマの両親は俺達の働く姿を横目で見て、何を思っているのかは分からない。
伯爵の職務として王宮で晩さん会やら舞踏会やらに出席しているとのことだが、実際のところは分からない。
俺たちとも、ほとんど顔を合わせない。
伯爵夫人も同様で、何日か前の晴れた日に、庭のテラスで編み物をしている姿を見かけたくらいだ。
居候の俺は食事も別だったので、普段の伯爵夫人が何をしているかは知らないのだが。
ところが、ある夜。
俺はふと異変に気づいた。
日没から少し経ったあたりだろうか。
いつものようにラベルの貼り付け作業と検品を行っていると、倉庫の窓から人影が見えた。
一瞬、レモリーかと思ったが、伯爵夫人のようだ。
フードのついた外套を目深にかぶり、周囲をうかがうように裏口から屋敷を出ようとしている。
こんな夜更けに一人でどこへ行くのだろう。
俺は作業を止めて、こっそりと後をつけることにした。
◇ ◆ ◇
貴族街の夜道を青白いガス灯のような精霊球が照らしていた。
たとえ高級住宅地といえども、従者も連れずに外出とは物騒じゃないか。
伯爵夫人の向かった先は、灯りの届かない裏路地だった。
ひっそりした構えの店の扉をたたき、中へと入っていく。
店は秘密めいた雰囲気があり、少しばかり胡散くさいモノを感じた。
俺は、夜風をとり入れるためわずかに開いた磨りガラスの窓から、こっそりと中の様子がうかがった。
鼻眼鏡をかけた偏屈そうな老紳士と夫人が差し向かいに座っている。
「……」
何を言っているのかは聞き取れないが、状況はおおよそ把握できた。
伯爵夫人は身に着けていた豪奢なネックレスを外し、老紳士に渡した。
血のように真っ赤な宝石をあしらったネックレスだ。
それを値踏みするように見た彼は、革袋に入った金貨を見せ、袋のまま夫人に渡した。
金貨1枚で1万ゼニル。袋の中は多くても10枚程度だと思われる。
差し押さえられていない宝飾品を売っていくらかを得ているのだろう。
エルマや伯爵が知っているかどうかは分からない。
こちらとしては詮索するつもりもない。
金貨を受け取ったときの夫人は、怒りとも哀しみともつかない異様な形相で、静かに肩を震わせていた。
売り飛ばしたネックレスは、先祖伝来のものなのか、それとも個人的に思い入れのある品なのかは分からない。
(……見ちゃいけないものを見てしまった感じだな)
正直、いつもニコニコとぎこちない笑顔を見せている夫人しか知らなかったので、俺は何とも言いようのない気分になった。




