偽りの玉座4
「――ああ、もうこっちに現れた。思った以上に早いな」
「主」
「大丈夫、僕の望み通りだよ。……ゼオン、分かっているね?」
「………………御意」
「うん、それでいい」
シシリィアが意識を取り戻した時、間近でそんな会話が交わされていた。声から、ベルファスディールとゼオンディリュースだろう。
意識を取り戻したことを悟らせないようにしつつ耳を傾けていたが、抽象的な表現ばかりで内容はよく分からない。
彼等の目的などが分かれば良いのだが……。
ベルファスディールはとても強力な妖精だ。そんな者相手に、迂闊な言動をしたら命取りにしかならない。
ジルヴァーンに対する仕打ちからも、残酷で身勝手な者と思われるのだ。
無事にみんなの元へ帰る。
そのためにも、なんとかして情報を手に入れたかった。
静かに倒れ伏したまま、様子を伺う。
しかし――。
「ねぇ。もう、起きているんでしょ?」
「…………気付いてたの」
「うん、魔力の巡りが変わったからね」
思っていたよりも敵意のない声を掛けられ、シシリィアはゆっくりと身を起こす。
絨毯が敷かれてはいるが、埃っぽいし硬い床に転がされていたのだ。バレているのならばそんな場所で寝続ける趣味はないし、高位妖精相手に寝転がったまま対峙するなんて恐ろしい。
体の調子を探ると、ベルファスディールに掴まれた喉が少しひりつくが、それ以外は特に不調もない。
氷薔薇の槍は落としてきてしまったようだが、特に拘束もされていなかった。ただ床に放置されていただけのようだ。
そっと周囲を見回すと、床に敷かれた絨毯は煤けているけれど、本来であれば豪華絢爛な逸品だったと思われるものだ。
広い部屋の最奥でベルファスディールが腰掛けている椅子も、崩れかけた彫刻が随所に施されている。
荒れた玉座の間のような場所だった。
「ここは?」
「お前に教える義理はないけど、まぁ、安心すると良いよ。妖精界ではないから」
「そう……」
「お前は妖精界に連れて行かれたことがあるのかな? アレがわざわざ人界に来て名前とかを与えるとは思わないし……」
「ディルスさんのことであれば、そうだね。妖精界で私を助けてくれるために、守護を与えてくれたの」
「ははっ! 相変わらずオヤサシイことだねぇ」
そう嗤うベルファスディールの顔には、侮蔑と憎しみの色がありありと浮かんでいた。
ディルスから妖精王の座を奪おうとした者なのだ。彼に対して良い感情を持ってはいないとは思っていた。
しかし、ここまでも強烈な負の感情を抱いているとは……。
恐怖で息が詰まりそうになる。
「人間なんかに、名前を呼ばれるなんて不愉快極まりないのにね」
「あの男に主の名を与えることとなり、大変申し訳ございません」
「仕方ないよ、アレが施した封印はとても強力なものだったからね。世界の理を利用するしかなかったよ」
「世界の理……?」
「ああ、人間には分からないか」
そう言って馬鹿にしたように嗤いながら、ベルファスディールが言うことには。
闇の妖精が夜の闇を支え、光の妖精が朝の訪れを連れて来ること。
か弱い人界の生き物には越えることのできない界を、力の強い妖精や精霊が容易く越えられること。
名前を与えた者の声が界を越えて届き、そしてその者の元へ妖精が駆け付けることが出来ること。
そういったことが、世界の理。
人間には持ち得ない、妖精や精霊の強力な力の源にもなるものなのだという。
「妖精や精霊は、世界の理に縛られているんだよ」
「…………」
どこか自嘲するようにベルファスディールは呟く。
そして不意に漆黒の瞳を扉の方へと向ける。
「そろそろかな」
「……!」
ベルファスディールが軽く手を掲げると、シシリィアは薄闇のような柱の中に閉じ込められていた。
周囲をぐるりと囲む薄闇色の壁に指先でそっと触れると、軽い衝撃とともに弾かれる。
「なん、なの……?」
「何も出来ないだろうけど、大人しくしてなよ。下手なコトをしたら、どうなるか分からないよ」
外の様子は見え、声も聞こえる。
とても狭く、仄暗いその中は居心地が悪いけれど、まるで結界の様だった。
何が起こるのか。
不安を感じつつ様子を伺っていると、立ち上がったベルファスディールがシシリィアの傍までやって来る。
ゼオンディリュースも付き従うようにそっと後ろに立ち、広間の扉へと目を向ける。
そして。
「シシィ!」
「ベルファスディール。彼女を巻き込むのは止めるんだ」
エルスタークとイルヴァ、シャル、そしてディルスが広間へとやって来たのだった。
破壊しそうな勢いで扉を開けたイルヴァが、そのままこちらへと向かってくる。
「おっと、そこで止まらないと、この娘がどうなっても知らないよ?」
「っ、痛っ……」
「シシィ!!」
急に柱が縮まり、体に触れた壁から衝撃を受けたのだ。
一瞬で柱は元の大きさに戻ったが、全身であの衝撃を受けるとかなり痛い。
ふらついて、自ら壁に当たりそうになるのを何とか堪え、息を整える。ベルファスディールは本当に、趣味が悪い。
心配と焦燥、怒りを全身から立ち昇らせているイルヴァをそっと抑え、ディルスが一歩前へと出る。
「ベルファスディール……。やはり、駄目なのか」
「簡単に解決するようなモノなら、最初からあんな事にはなっていないよ」
「そう、か……」
金色の瞳を伏せたディルスは、悲しみに暮れている様だった。
他のみんなは話が見えず、様子を見守るしか出来ない。
そんな彼らを嘲笑うように見たベルファスディールは、一歩前へと踏み出す。
「時間が解決するなんて甘い考え、さっさと捨てるべきだ。むしろ、僕にとってそれは侮辱だよ。ただ、憎しみが募るだけだ」
そう吐き捨てた彼の背中にある漆黒の翅が一枚、不意にどろりと溶け落ちる。
ぐらり、と揺れたベルファスディールは、しかしそのままさらに一歩、前へ出る。
「もう、十分に時間はあげたよ。新しい力も、しっかり育っているはずだ」
「……ああ」
「だから、僕は僕の望みを叶える」
そう言い切ったベルファスディールが、虚空から取り出した剣をディルスへと向ける。
相対するディルスは、一瞬、泣き出しそうな表情を浮かべた気がした。しかし次の瞬間には覚悟を決めた様子で、剣を手にしていた。
彼らが、何を言っているのかは分からない。
でも、きっと重大なことが起きようとしている。
そう感じたけれど、重苦しい雰囲気に声を出すことも出来なかった。
ベルファスディールとディルスが駆け出す。
互いにしっかりと見据え、剣を構える。
そして。
「ベルファスディール…………」
「っ、ぐ……。これが、僕の望みだよ」
そこには。
剣を捨てたベルファスディールと、剣で彼の胸を深々と貫いているディルスの姿があった。




