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元闇妖精の狂研究者

 シャライアラーナと共に闇の妖精の国へ戻ったディルスは、まずは新月の塔へと向かった。

 塔には問題ないというシャライアラーナの報告を信じていない訳ではないが、もしものことがあってはならないのだ。ディルス自身の目で確かめる必要があった。


 そして辿り着いた闇の妖精の国の片隅、新月の塔の周辺はかなり荒れていた。


 普段は監視のための最低限の者しか訪れない塔の周辺は、本来は月光華げっこうかという白い花が咲き乱れていた。

 月の下で咲く月光華は、特別な力を持っているわけではない。しかし塔に施したディルスの封印の力の影響を受けてか、新月の塔周辺では、国のどの場所よりも美しく、沢山咲いていたのだ。


 それが踏み荒らされ、無残な状態になっていた。

 塔に近い場所には一つも白い花は無くなり、所々地面も抉れている。

 かなり、激しい戦闘があったのだろう。


 ディルスは目を伏せ、そっと新月の塔の扉へ触れる。

 魔力を巡らせ、塔へ施した封印を確認する。

 幾重にも、塔全体を絡めとるように複雑に編み上げた封印には、緩みや傷は見受けられない。要所要所に埋め込んでいるディルスの魔力結晶にも、破損などはなさそうだ。


「……封印には、問題はなさそうだ」

「安心致しましたわ」


 傷一つない漆黒の塔を見上げて呟いたディルスは、小さくため息を零す。

 ゆらり、と迷うように漆黒の翅を揺らめかせ、傍らに控えるシャライアラーナへ問い掛ける。


「ベルファスディールは?」

「襲撃があったことには気が付いていたようですが、変わりなく塔の一室で静かに過ごされていたとのことです」

「そうか。……引き続き、監視を頼む」

「お会いには、ならないのですか?」


 躊躇いがちに問い掛けるシャライアラーナの視線から逃げるように、ディルスは目を伏せる。

 彼女の眼差しは、心配をするようであり、逃げ続けているディルスを責めているようでもあった。


 塔までは、封印の状態を確認するために定期的に訪れている。しかしベルファスディールには、幽閉してから一度も会っていないのだ。

 それは、あの日向けられた憎しみからの逃避でもあった。



 しかし、それ以上に。


「…………会わぬ方が、互いのためなのだ」

「そう、ですか…………」


 シャライアラーナは全く納得していない様子だったが、ディルスとしても譲るつもりはなかった。


 あの日のベルファスディールの、憎しみと絶望に染まった闇色の瞳の理由を理解してしまっているから。

 会わないことが最善なのだ。


 拒絶するように、新月の塔へと背を向けて歩き出す。

 新月の塔以外にも、確認しなくてはいけないことはあるのだ。


「捕らえた者は?」

「……もう。捕らえた者は皆、城の牢に入れております」

「では、城へ戻ろう」

「承知しました」


 困った様にため息を吐きながらも、シャライアラーナは従ってくれる。

 てきぱきと采配をして、くだんの研究者との面会の場が整えられた。


 魔力を封じるための枷を着けられ、椅子に縛り付けられたその老研究者は、そんな状況であるにも関わらずたのしそうな笑みを浮かべていた。

 かつて会った時と同じように笑う、しかし記憶にある姿とは少々違うその者に、ディルスは眉をひそめる。


 翅を落としながらも、今も在り続けているその方法は、どうも真っ当なものではなさそうだ。


「キルヴェルゴール」

「ひひひ、妖精王が儂の名を未だ覚えておられるとは! 実に光栄ですなぁ」

「御託は良い。その姿は、どういうことだ?」

「ひひ。これこそ、儂の研究の集大成です!」


 ガタリ、と椅子を揺らしたキルヴェルゴールは見せびらかすように、背中の歪な翅を揺らす。


 その翅は、闇の妖精同様、漆黒ではある。

 しかし蝶のような妖精の翅とは違い、歪によじれ、不格好なものだ。

 しかもその翅と同じようなものが、背中だけでなく右腕からも生えている。さらに耳は尖り、肌色はどす黒くなっていた。


 妖精でも、人間や魔人、精霊などでもない、この世のどんな生き物とも違う、どこかおぞましい姿だった。


「妖精界の空気も、毒とは成り得ない! 翅を落とした元妖精でも、妖精と等しく在れる! ひひひ、誰も成し得なかったことを、儂は成し遂げたのだ!!」

「妖精と等しい、だと? その悍ましい姿がか?」

「見た目など、大した問題ではないのです。高い魔力を持ち、界を渡ることが出来る! 人界の者どもには出来ぬ力を持つこの身は、間違いなく、妖精に近しい存在なのですよ!」


 哄笑こうしょうするキルヴェルゴールは、ガタガタと椅子を揺らす。


 確かに、キルヴェルゴールは妖精と近しいほどの魔力を持っている。通常、翅を落とした妖精でソレはあり得ないことだ。

 しかも、どうやら襲撃のために人界から妖精界へと界を渡って来たらしい。

 どんなに魔力が多くても、人界の生き物は界を渡れない。魔人であるエルスタークや、人へ転属したランティシュエーヌは自力で妖精界へ来ることは出来ないのだ。


 界を渡ることが出来る存在は、確かに妖精に近しい存在なのかもしれない。


「……だが、翅を落とした妖精は、妖精には戻れないはずだ」

「ええ。ええ、そうですとも! だからこそ、これは儂が生み出した新たな存在なのです!!」

「新たな存在……?」

「そうです! 通常、妖精が転属するのは人間で、妖精に換える元とするのも人間。しかし、あえて一番脆弱な存在になる必要もない。だから我々はまず、魔人に成ったのですよ。ですが、魔人も所詮は人界の脆弱な存在。ベルファスディール様のお力で生命を停滞させても、限界がありますからね。そこから妖精に成るため、実に多くの実験が必要でした……!」


 滔々と語るキルヴェルゴールの言葉に、ディルスは眉をひそめる。

 今のキルヴェルゴールの姿と、シャライアラーナから報告のあった、闇色の魔物の姿が重なったのだ。


「もしや、お前と共に襲撃してきた闇色の魔物は……」

「ええ! 失敗作どもですよ。妖精に成ることを志願した魔人たちでしたが、残念ながら自我が残りませんでしたなぁ……」

「貴様……!」

「ひひ。実験には犠牲がつきものなのですよ、妖精王。それよりも、そろそろ……」


 愉しそうに演説を続けていたキルヴェルゴールが、不意に言葉を切る。

 そして――。


「っ!? ベルファスディールが、消えた……?」


 不意に、闇の妖精の国から、新月の塔に幽閉しているはずのベルファスディールの気配が消えたのだ。


 目を見開くディルスに、キルフェゴールはケタケタと愉しそうに嗤う。

 そして嘲けるように、言い放ったのだった。




「ひひ、始まりましたねぇ! これが、我々の真の目的ですよ」


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