祝祭と事の顛末
フィリスフィアの婚約と次期女王決定の報せはすぐに告知され、シャンフルード王国中が祝福と喜びに沸いていた。
貴族だけでなく、それこそ小さな農村からもお祝いの贈り物も届く程だったのだ。
そして王都では、伴侶選びの舞踏会の2週間後にはお祝いの祝祭が開かれていた。
街中の家や街路樹など、至る所に銀と金のリボンで装飾された水色の花と若葉のブーケが飾られ、フィリスフィアとランティシュエーヌを祝福している。
さらに、あちこちの広場では二人をモチーフにしたと思われる、王女と妖精の恋愛物語の演劇が行われているし、姿絵や絵付けのされたカップなど記念品もあちこちで販売されている。
短時間で準備されたとは思えない程の盛り上がりを見せる祝祭は、近隣の都市からもこぞって人々が集まっている。
笑顔で楽しそうにしている人々をこちらも笑顔で見守り、シシリィアは同行者たちを見上げる。
「今日は、来てくれてありがとうございます、ディルスさん。……忙しくなかったですか?」
「むしろ、呼び出してくれて助かった。そろそろまた、シャライアラーナに追い出されそうだったからな」
「また働きすぎですか?」
「本当に、闇の妖精王は働くのが好きだな……」
一緒に行動しているエルスタークが呆れた様子で呟きながら、シシリィアを引き寄せる。
驚いてワインレッドの瞳を見上げるそのすぐ後ろを、酔っ払いたちが賑やかに通り過ぎていった。エルスタークが引き寄せてくれなければきっとぶつかっていただろう。
「ありがと、エルスターク」
「ああ、今日は本当に人が多いからな」
「ふふ。みんな本当に姉さまたちを祝福してくれてて、嬉しいな」
シシリィアに気付いて挨拶をしてくる人々に手を振り返し、満面の笑みのままディルスを見上げる。
今回も金褐色に髪の毛を擬態しているディルスは不思議そうに小さく首を傾げている。
色彩以外は変わっていない彼は、人ならざる者であることがありありと分かる美貌だ。さり気ない動作でも、道行く人が目を奪われている。
出会ったきっかけはとんでもない事件だったけど、これ程の力を持つ妖精と縁があったのは間違いなく幸運だった。
「ランティシュエーヌさんに助力してくれて、ありがとうございます」
「彼には借りもあったからな。それに今回、花の女王の醜態を見れたからな。今後のいい取引材料になる」
そう言って珍しくニヤリと笑ったディルスは、妖精の国であった出来事を教えてくれるのだった。
§ § § § §
「嫌よ! わたしの可愛い子どもの転属を認めるなんて……」
「女王陛下……」
エメラルドのような美しい瞳いっぱいに涙をため、植物の妖精王である花の女王はふるふると首を横に振る。
可憐な美少女、それも自身の王である花の女王に泣かれたランティシュエーヌは困った様子で眉を下げていた。
ランティシュエーヌに乞われて転属のために一緒に花の女王の元へと来ていたディルスは、その様子に小さく息を吐く。
やはり、予想した通り簡単には認めないだろう。
「花の女王よ。転属が子どもの願いなのだ。叶えてやるべきであろう」
「うるさいわ、闇の王。そもそも、どうして貴方がここに居るの」
「”輝きの子”と、彼に乞われたからだな」
「なんで? そこまでして、転属したいというの……?」
ぽろり、と大きな瞳から涙を零した花の女王の姿はどこまでも可憐で、罪悪感をとても煽る。
しかしそれは、花の女王の作戦だ。大抵、植物の系譜の者はこの泣き落としに負けて女王が望む選択を選ぶことになる。
ランティシュエーヌは大丈夫だろうかと彼の妖精を見ると、その若葉色の瞳には揺らぎはなかった。
「女王陛下。私の唯一と共に在るためには、これしかないのです。だから、どうか転属をお認めください」
「ランティシュエーヌ。貴方が転属するのでなく、その子を妖精にすれば良いじゃない。そうしたら、二人で永遠にも近い年月を生きられるのよ? その方が、幸せじゃない」
「いいえ。先に申し上げた通り、私の唯一は永遠を望みません。生まれ育った国を、そこに生きる人々を愛しているのです。そしてそこで一緒に生き、彼女と共に歩んで行くことが、私の望みでもあります」
そこで言葉を切ったランティシュエーヌは片膝をつき、花の女王の手を取る。
そして真っ直ぐ、エメラルドの瞳を見つめて真摯に願う。
「だから、どうか私の転属をお許しください」
「………………でも。わたしは、可愛い子どもが自ら命を縮めようとするのを、祝福なんて出来ないわ………」
ふるふるとストロベリーブロンド髪を揺らした花の女王も、切実な思いを零す。
高位の妖精であれば、寿命はないに等しい。
ここまで永い時を生き、そしてこの先も永い時を生きる。そういうものだ。
それが人間になってしまえば、この先長くても50年程度の命になる。妖精からしてみれば、人間に転属するというのは自殺にも等しいのだ。
同じ妖精王として、ディルスでも自身の系譜の者が人間に転属したいと願い出たら、祝福できるか悩ましいものだ。
それが、常日頃から自身の系譜の者を子どもと言っている、花の女王であればより認め難いことだろう。
だが、ランティシュエーヌは考えを変えるつもりはない。
だからこそ、ディルスへの助力を乞うたのだ。
彼の妖精は深くため息を吐くと、花の女王の手を離して立ち上がる。
「女王陛下に祝福して頂ければ一番でしたが……、仕方ありません。闇の妖精王よ、どうか、私が人間に転属するために、祝福を頂けないでしょうか?」
「……やはり、そうなるか」
なるべく避けたかった流れに、ため息が零れる。
妖精が人間に転属するためには、妖精王の祝福が必要だ。
その祝福は自身の系譜の王からのものであるのが一番ではあるが、他の系譜の王の祝福でも転属は叶う。
だから、ランティシュエーヌはディルスに転属の助力として、花の女王が祝福を拒んだ際には祝福を欲しいと願っていたのだ。
しかし、転属する際に他の系譜の王から祝福を貰うと、元の系譜からは外れてしまう。
ランティシュエーヌがディルスの祝福で人間に転属した場合、植物の系譜でも闇の系譜でもない魔力を持つ存在となり大きく力を落とすことになる。ディルスも間違いなく、花の女王に恨まれることになる。
ランティシュエーヌにとっても、ディルスにとっても最善ではない。
しかし、ランティシュエーヌが求める未来のためには、これしか道は無くなってしまった。その未来のために助力することを約束したのだ。
渋々ながらも、ランティシュエーヌへ祝福を与えるために手を差し向けた時だった。
どすり、と腹へ衝撃を与えられた。
「っ、花の。なんなのだ?」
「ダメよ! 貴方の祝福で転属してしまったら、完全に私との繋がりが無くなっちゃうじゃない!」
ディルスの腹に突撃した花の女王はふるふると首を振る。
そのあまりにも子どもっぽい振る舞いに思い切りため息が出る。
「…………はぁ。お前も王ならば、駄々ばかり捏ねるのではない。子どもの望んだ道を祝福してやれ」
「うぅ~~。……………………ランティシュエーヌ」
「はい、女王陛下?」
ディルスに抱き着いたような状態のまま、花の女王は首を捻ってランティシュエーヌを見上げた。
幼気な少女のようにエメラルドの瞳を涙で濡らした花の女王は、真っ直ぐに若葉色の瞳を見据える。
「一度、人間に転属したらもう、妖精に戻ることは出来ないわ。それでも、絶対に後悔しない? 必ず、人間として幸せになれる?」
その問いは、何処までも真摯なものだ。
花の女王の声は、心の底から子どもの未来を案じ、幸せを願う母親のようなものだった。
それに対してランティシュエーヌは一つしっかり頷き、花開くような美しい笑みを浮かべた。
心底幸せそうな、溢れんばかりの愛情と喜びが感じられるものだ。どんな言葉よりも、ランティシュエーヌの心を伝えてくる。
「はい。私の唯一、フィアと共にこの先を歩めるのであれば、後悔することなど有り得ません」
「そう……。分かったわ。それなら、幸せにおなりなさい」
「……! ありがとうございます」
ふわり、と淡いピンク色の光がランティシュエーヌの胸に吸い込まれていった。花の女王の祝福だ。
ランティシュエーヌは光が入っていった胸元を抑え、深々と頭を下げる。
祝福があるから、魔力としてはまだ花の女王とも繋がりは残る。しかし、花の女王が人界に赴くことはほぼない。
きっとこの先、花の女王とランティシュエーヌが会うことはないだろう。
そのことは分かっているだろうが、花の女王はぷいと顔を背けてディルスにしがみつく。
離れていく子を心から祝福して見送れないからと、駄々っ子のような行動をする花の女王に呆れてしまう。
しかし、元々相性の良い相手でもない。引っ付かれても嬉しくもなんともない。
小さくため息を吐くと、腹にくっついている花の女王を引き離す。
そして花の女王は放置して、頭を下げ続けているランティシュエーヌを見る。
「折角だ。私の祝福も贈ろう」
「そんな、畏れ多い……」
「なに、其方が力を持っていた方が”輝きの子”たちも安心であろうからな」
「そうであるならば、謹んでお受けいたします」
深々と首を垂れるランティシュエーヌに、淡く輝く闇の球を贈る。
すっと吸い込まれていった祝福が、ランティシュエーヌに定着したのを見届け小さく頷く。
「植物とはあまり相性の良くないもので申し訳ないな」
「いえ。私が司るのは植物そのものよりも、芽生えや守りといった方面の方が強いですから。闇や眠り、といったものはむしろ相性が良いと思います」
「そうか、それならば良かった。……そろそろ、転属が始まるだろう。人界まで送ろう」
「はい。……女王陛下、ありがとうございました。どうか、お元気で」
意地を張った様に決して声を掛けようとしない花の女王に、もう一度ランティシュエーヌは深々と頭を下げる。
そして少しずつ人間へと転属が始まり、青緑色の美しい光へと溶けていく翅を花の国に降らせる彼を連れ、妖精界を後にしたのだった。
§ § § § §
「しかし、あれだけ啖呵を切っておいて、伴侶の座を逃しそうになっていたと言うのには驚いた」
「そうだな。あれだけの執着を見せておいて、引き下がろうとするのは意外だったな」
「多分、ランティシュエーヌさんはお姉さまの考えを尊重しようとしたからじゃないかなぁ?」
「妖精らしくない考えだが……。相手のために自身が転属するくらいなら、あり得るのかもしれないな」
美麗な顔に嬉しそうな笑みを浮かべ、ディルスがしみじみと呟く。
「とにかく皆が幸せになれそうならば、良いことだ」
「はい」
にっこりとシシリィアも笑みを浮かべ、エルスタークの手をギュッと握る。
フィリスフィアとランティシュエーヌが結婚し、王位継承がちゃんと落ち着いたら、シシリィアたちの婚約も発表される予定なのだ。
そこを含めて、ディルスも喜んでくれていた。
しかし、物事はそこまで全て順調に事が進まないものなのだった。
「休暇中に、申し訳ありません」
「シャライアラーナか。一体どうした?」
不意に、ディルスの斜め後ろに生じた闇から一人の闇の妖精が現れた。
銀色の筋が入った漆黒の翅を持った老女――シャライアラーナは小さく頭を下げ、手短にディルスへと報告をする。
「先程、新月の塔への襲撃がありました」




