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春嵐

 その日は朝から強い風が吹いていた。

 どこか不穏な気配を感じる天気に落ち着かなかったところに、その知らせが届けられたのだった。


「フィリス姉さまっ!」

「シシィ、突然飛び込んでくるなんてはしたないわ」

「そんなこと! なんで、姉さまは、普通にしているの!?」


 ランティシュエーヌが王宮から居なくなったと聞いてすぐ、シシリィアはフィリスフィアの元へと駆け付けたのだ。

 シシリィアが物心ついた時には常に二人は一緒に居たのだ。

 そのランティシュエーヌがフィリスフィアの元から姿を消すなんて、信じられなかった。


 しかし、執務室に居たフィリスフィアはいつも通りに忙しなく、執務をこなしているだけだった。

 傍らに常に居た美しい妖精の姿はないというのに、それ以外は何も変わらないその様子に、シシリィアは声を荒げる。


「なんで!? フィリス姉さまは、どうして、そんなに冷静なの……!?」

「シシィ落ち着きなさい」

「だって……」


 手元の書類を机に戻して困った様に微笑むフィリスフィアを見て、一つ深呼吸をする。

 こちらが落ち着かなくては、フィリスフィアは何も話してはくれないだろう。


 逸る気持ちを抑え、真っ直ぐフィリスフィアの水色の瞳を見つめる。


「落ち着いたわね。ランティにはね、守護の破棄をわたくしから願ったの」

「守護の破棄を!?」

「ええ。伴侶を決めなくてはいけないですからね。それなのに、ランティの情を利用して守護を貰い続けるなんて、出来ません」

「そんなこと……。それに、伴侶って…………」


 理解が追いつかない頭を緩く左右に振り、シシリィアはフィリスフィアを見る。

 普段は優しい笑みを浮かべているその顔には、しかし今は為政者らしい冷静で、厳しい眼差ししかなかった。


「シシィ。貴女も分かっているでしょう、父様の体調がかなり悪いことを」

「うん……」

「近いうちに、次期王位継承者をはっきりさせる必要があります。そして、それにはわたくしが一番向いていることも。それだけです」

「でも! フィリス姉さまとランティさんは……」

「シシィ、それ以上は言わないで」

「っ、姉さま…………」


 首を横に振るフィリスフィアに、涙が零れそうになる。

 フィリスフィアとランティシュエーヌは、どう見ても相思相愛だった。二人が共に在ることが、日常だった。


「…………私が、エルスタークを選んじゃったから?」

「シシィ。それは別の話だわ」

「でも! ユリア姉さまに王位継承権がなくて、私が魔人のエルスタークを選んじゃったから、フィリス姉さまは……」

「違うっ!」

「っ……。フィリス、姉さま…………」


 滅多なことでは穏やかな様子を崩さないフィリスフィアが声を荒げ、シシリィアの言葉を遮る。


「わたくしは、そんなことは考えていません。シシィが思い悩むことは、何もないのです」

「でも、姉さまだけが犠牲になるだなんて…………」

「犠牲だなんて思っていないわ。自分で決めたことです。それにね、シシィ」


 そう呼びかけたフィリスフィアは、淡く微笑む。

 柔らかい春の光に照らされたその笑みは儚く、美しい。


「王位継承権とか関係なく、わたくしとランティには未来はなかったのです」

「え…………?」

「わたくしはね、この国が好きなのです。厳しくもあるけれど美しい。そして、力強く生きる人々が沢山いる、この国が」


 さらり、と白銀色の髪の毛を揺らし、窓の外へと視線を向ける。


 強い風が吹いているが、明るい春の陽射しが降り注ぐ窓の外。

 王宮の奥にあるこの部屋から街の様子を見ることは出来ないが、今日も多くの人々が平和な日常を送っている。


 それを思い描くように、フィリスフィアは優しく微笑む。


「王族でなくても、この国を離れるなんてことはあり得ない。妖精に成ることを選ぶなど、できないのです。だから…………」


 そこで言葉を切ったフィリスフィアは、一つ息を吐く。

 そして瞳を伏せ、まるで自身に言い聞かせるように、言葉を紡ぐ。


「わたくしは、永い時を生きるランティと、一緒に生きることは出来ない。わたくしはどうしても、彼を置いて行ってしまう。それならば、これが良い機会だったのです。ここで別れるのが、最善なのです」

「姉さま…………」


 こんなことが、最善のはずがない。

 そう思うのに、何も言うことが出来なかった。


 そして執務の邪魔だ、とフィリスフィアに追い出されてしまったシシリィアはふらふらと廊下を歩く。

 フィリスフィアは自分で決めたこと、と言うけれど……。


「でも、やっぱり……」

「シシィ、どうしてこんなところに居るんだ」

「…………エルスターク」


 そっとかけられた声に顔を上げて周囲を見ると、そこは庭園の片隅だった。フィリスフィアの執務室から、無意識のままこんなところまで来ていたようだ。

 心配そうに見つめるワインレッドの瞳に対して何でもない、というように笑みを向けた。

 しかしエルスタークは眉間に皺を寄せ、有無を言わせずシシリィアを腕の中に抱き込む。


「っ、エルスターク!?」

「どうして泣いている?」

「泣いてなんて……」

「泣いてる」


 シシリィアの目元を拭う優しいその手に、もう耐えられなくなった。

 ボロボロと零れる涙をそのままに、エルスタークの服を掴む。縋りつくように抱き着いて泣きながら、ぽつぽつとフィリスフィアのことを話す。


「私が、フィリス姉さまを、追い詰めた……」

「シシィ……」

「今も、エルスタークに、私は縋って…………」


 ぎゅう、とエルスタークの服を強く握り締めると、大きな掌で宥めるように背中を摩られる。

 そして口を開いたエルスタークの声は、迷いのないものだった。


「……俺は、やっぱりどうやってもシシィに俺を選んで欲しい。だから、これが悪いことだなんては欠片も思わない。それでシシィが苦しむのは困るが」

「エルスターク……」


 抱き締められたまま顔を上げると、エルスタークが安堵した様に笑う。


「それにな、シシィ。妖精は、守護したものを失うくらいならば相手を殺して自分も死ぬタイプのはずだ。だから、あの守護妖精がただで消えるなんて、あり得ない。きっと、なんかある」

「なにか……?」

「ああ。妖精の執念は恐ろしいからな。そう簡単に、アレが第一王女を手放すなんてない」


 そう言ってエルスタークは強くシシリィアを抱き締める。

 温かく、逞しいその腕の中は、とても安心できる。


「そうだと、いいな……」

「きっと、大丈夫だ」


 その言葉に、シシリィアは目を閉じて息を吐く。

 そして、そっと祈りを捧げるのだった。




 どうか…………。




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