願い
今日は急遽の昼食会が入って少しイレギュラーな形だけれど、本来は祭事の翌日であるために休日なのだ。
だから昼食会後は特に予定はない。
どこか切実な様子だったランティシュエーヌとはその場で約束を交わし、何事かと不安に思いながらもシシリィアは約束の場所へと向かっていた。
城の中だし、相手もフィリスフィアの守護妖精であるランティシュエーヌだ。
危険に思う必要もないはずなのだが、指定された場所が人気の少ない庭園の外れということもあってイルヴァが一緒に行くと、かなりしつこかった。
しかしあの切実な様子と、あえて人気のない場所を指定されたのだ。
直感的に、一人で行く方が良いと感じた。
宥めすかし、縋るように懇願して、シシリィアの私室にイルヴァを置いてきたのだった。
約束の場所である、庭園の片隅にある大きなミモザの木の下に佇んでいたランティシュエーヌへ声を掛ける。
「ランティシュエーヌさん、お待たせしました」
「シシリィア様。お時間いただき、ありがとうございます。……お一人で、いらっしゃったのですね」
どこか憂いを含んだ眼差しでミモザを見つめていたランティシュエーヌは、一人で訪れたシシリィアを見て、驚いた様子で美しい青緑色の翅を揺らした。
どうやら彼も、誰かしらがついてくることを予想していたのだろう。
シシリィアは少し困った様に笑う。
「わざわざランティシュエーヌさんが、私にお願い事をするなんて、大切なことだと思ったので。イルヴァたちには部屋で待ってもらっています」
「……ありがとうございます」
そっと伏せられた若葉色の瞳に、安堵と、苦悩の色が入り混じっていたことに、シシリィアは気付いてしまった。
いつも冷静で、優秀な妖精がこんなに思い悩んでいるのは一体何事なのか。
休日でもフィリスフィアの側を離れることの少ない彼が、わざわざシシリィアに願うのは、何なのか。
不安に早くなる鼓動を抑え、シシリィアは口を開く。
「それで、ランティシュエーヌさん。要件は一体……?」
「…………闇の妖精王を、呼んで頂けないでしょうか」
「ディルスさんを?」
「ええ。シシリィア様が得た恩恵を、私個人の願いのために利用させて頂くなど許されないこととは知っておりますが、どうかお願いします……」
切実な願いを強く感じさせる声だった。
先日ディルスを呼んだときは、ジーヴルの街での出来事に関することであり、シシリィアも関係があった。
しかし今回は、理由は全く分からないけど、シシリィアは関与していないことだ。そんなことのために、シシリィアに対して与えられた名前を利用するなど、普通はない。
特に、名前を与える側であるランティシュエーヌとしては、あり得ないことだろう。
それなのに、こうしてランティシュエーヌは願い出ているのだ。
それは、きっと、どうしてもディルスの力が必要なのだろう。
ディルスは優しいが、多忙で、そして絶大な力を持つ妖精王だ。
本当ならば、気軽に呼び出すべき相手ではない。
でも、こんなランティシュエーヌの声を聞いてしまっては、断れない。
いつも沢山迷惑を掛けてしまっているこの妖精に、せめてもの恩返しだ。
「分かりました。今、呼べばいいですか?」
「っ、ありがとうございます。どうか、お願いします」
「はい。…………《ディルスフィアルース》」
声に魔力を乗せ、そっとディルスの名前を呼ぶ。
途端にシシリィアの近くの中空に強い魔力が凝り、闇が生じた。そしてその闇の中からディルスが現れる。
「どうした、”輝きの子”よ」
「ディルスさん、来てくれてありがとうございます」
「闇の妖精王、お呼び出しして申し訳ございません。私の願いで、シシリィア様へお与えになられた恩寵を使わせて頂いたこと、どうかお許しください」
「其方は、花の女王のところの者か。……”輝きの子”に何かがあったわけではないのだな?」
「はい。私は、何事もないですよ」
辺りを見回し、仄かに光る乳白色の長い髪をさらりと揺らしたディルスに、シシリィアはにっこりと笑う。
それを見て少し満足気に頷いたディルスは、ランティシュエーヌへと視線を移す。
「構わない。其方には以前迷惑を掛けたからな」
「ありがとうございます」
「……じゃあ、私は席を外しますね」
「シシリィア様、私の願いを聞いて頂き、ありがとうございます」
「いえ、ランティシュエーヌさんにはいつも迷惑を掛けてばっかりだから。じゃあ、失礼します」
ぴょこん、と頭を下げてささっとランティシュエーヌたちから離れる。
暖かで明るい光が降り注ぐ穏やかな休日。
満開のミモザの木の下、麗しい妖精が二人立っている姿はうっとりする程美しい光景だ。
庭園から立ち去る間際に見たその光景に、しかし何故かシシリィアは不安を感じてしまった。
「……どうか、何事もありませんように」
少し足を止め、小さく祈る。
きっと、これは杞憂だ。
そう信じていた。
しかし翌朝。
ランティシュエーヌが王宮から姿を消していたのだった。




