貴方に捧げる花束
「それでは、補償についてはこちらの内容ということでよろしいでしょうか」
「ええ、構わないわ」
「勿論、異論なんてありません。これから、どうぞ良しなに」
そんな言葉で、長時間の会議で張りつめていた空気が緩む。
花冠祭りのこの日の午後一杯掛けて行われていた会議が、やっと終わったのだ。
「もう俺は必要ないな? これで失礼する。…………くっそ、もう陽が落ちてるじゃないか!」
「助かったわ、エルス。またね~」
「ふざけんな! さっさと帰れ」
そう言い捨て、同席してもらっていたエルスタークが慌ただしく出ていく。
今日は花冠祭り。恋人たちのイベントといってもいい日だ。
最近、妹のシシリィアと良い感じのエルスタークにとって、こんな会議に捕まるのは心外だっただろう。
でもジーヴルの街での出来事や、フィスターニス国での調査してきた内容の共有をしてもらう必要があったのだ。妹を少し悲しませることになっても、国のためには仕方ない。
隣でランティシュエーヌが呆れたようにため息を落とすのを聞きつつ、フィリスフィアはそう自分に言い聞かせた。
そして会議卓を挟んで向かいに座る魔人を見る。
艶やかな紫黒色の髪を綺麗に結い上げ、かっちりとした印象のドレスを纏うその人は、魔人の国フィスターニスの外交官であり、エルスタークの姉であるという。
「リシルファーナ様。後ほど、部屋へご案内しますね。歓迎のパーティーが明日になって申し訳ありません」
「気になさらないで。急に押しかけたのですもの。礼を失しているのはこちらだわ」
「本当に、エルスターク殿から連絡を頂いた際には驚きました」
「ランティ」
「ふふ、構いません。守護妖精殿には、多大なるご迷惑をお掛けしたわ」
しれっと苦言を零すランティシュエーヌを慌てて窘める。
しかし魔人であるリシルファーナは妖精の性質もよく分かっているのだろう。全く気分を害した様子はなく笑ってくれる。
確かに、今朝エルスタークからランティシュエーヌへ、フィスターニス国の外交官を連れて来ると連絡があった時はとても驚いたし、困った。
花冠祭りの日だから、本来はフィリスフィアたちは王宮での儀式を執り行う予定だったのだ。
でも、ジーヴルの街での事件に関して、と言われたらこちらを優先する必要があった。幸い、儀式はユリアーナでも問題なく執り行えるものだったから、急遽予定を変更してリシルファーナの対応をしていたのだ。
半日足らずの準備で、普段国交のない国と交渉するなど普通ならあり得ない。それでも、事情が事情だった。
近頃体調のあまり優れない父王に代わってランティシュエーヌと二人で対応し、不測の事態が発生した場合に協力体制を取ることや今後正式に交易を行う、といった実りある結果を出すことが出来たのだ。
そっとランティシュエーヌが新しく淹れなおしてくれた紅茶に口を付け、息を吐く。
「ふふ」
「? どうされましたか、リシルファーナ様」
「いえ。この国は、素敵だなと思って」
「そう、ですか?」
「ええ。人間の国は、他種族を排除する国も多いですから。色々な種族の者が共存できる、とても良い国ですね」
「……ありがとうございます」
リシルファーナの評に、少し迷いながらも礼を返す。
確かに、シャンフルード王国ではランティシュエーヌやシャルなど、人間以外の種族の者も高位官職に就いている。
人間以外を奴隷のように扱う国もあるのだから、魔人国の外交官として、この国は良いように見えるだろう。
しかし王位継承者権については、そうでもない。
そのことが脳裏に過り、すこし迷ってしまったのだ。
ランティシュエーヌが心配そうに若葉色の瞳を曇らせるのに、そっと首を振って何でもないと示す。
リシルファーナもそのやり取りで何かあると察したであろうが、そこには何も触れずに話題を変えてくれた。
「それにしても、あの子が惚れ込む相手が出来るなんてね!」
「あの子……」
「ええ。エルスは、今までどんな美姫にも心を動かさなかったのよ。そんなあの子が、あんなに慌てて向かうだなんて!! 妹さんにお会いするのが楽しみだわ」
ワインレッドの瞳をニンマリと笑ませたその美貌の魔人は、エルスタークとも似ているのだが、何故かそれ以上に、ユリアーナを彷彿とさせる。
少しシシリィアたちを心配に思いつつ、曖昧に笑みを返すに留めておく。
試練は、当人たちで乗り越えるべきだ。
§ § § § §
客室へ向かうリシルファーナとは会議室で別れ、ランティシュエーヌと二人で執務室へと戻って来たのは既に陽が完全に沈んだ後だった。
街の方ではまだまだ花冠祭りで賑わっているのだろうが、執務室のある辺りはひっそりと静まり返っている。
「今日は、一日お疲れ様でした」
「フィアもお疲れさまでした。明日の昼食会の手配については、お任せください」
「ありがとう、助かるわランティ」
明日の昼食会はリシルファーナの歓迎のためのパーティーとなる。
急遽のことであり、正式な国交も今はない相手だから内々のものだけれども、手を抜けるものではない。
こういった采配が上手いランティシュエーヌに任せられるのは、とても幸せなことだ。
二人きりの時にだけ呼ばれる名を、慈しむように呼ばれて笑みを返す。
仰ぎ見た若葉色の瞳は、温かく、そして労りに満ちていた。
この美しい妖精の、優しい眼差しは自分以外に向けられることはない。
彼のただ一つ。
それが自分であることを、よくよく感じられる。
その事実は嬉しくもあり、未来を思うと胸が張り裂けそうになる。
零れそうになるため息を飲み込み、事前に用意していたモノを手に取った。
「ランティ。これを受け取ってくれるかしら?」
「これは……。フィアが用意したのですか?」
「ええ。折角の、花冠祭りですもの。いつもお世話になっているランティへ」
そう言ってランティシュエーヌの手へ押し付けるのは、黄色のミモザと白いカスミソウで作った小さな花束。
花冠祭りで、女性が男性へ花冠を渡すのは愛の告白だが、花束であれば親愛や感謝を示すものだ。
ランティシュエーヌへ花冠を渡すことは出来ないが、せめて、と思って用意したものだった。
普段フィリスフィアが好む花とも、フィリスフィアの見た目とも似合わない花を使った花束に、ランティシュエーヌはしばし怪訝そうにしていた。
しかし、彼は植物を司る高位妖精で、フィリスフィアを教え、育てた人でもある。すぐに、その意味を悟ってしまったようだ。
ゆらゆらと、動揺したように美しい青緑色の翅を揺らめかすその姿に、フィリスフィアは苦しい息を吐く。
「……フィア」
「シシィたちは、きっと皆から祝福されるわ。そう、なって欲しいの。だから…………」
何かを言おうとしていたランティシュエーヌを遮り、強い意志を籠めた眼差しで若葉色の瞳を見上げる。
ここまで慈しみ、そして、ずっと待ってくれていた彼には申し訳ないけれど。
もう、決めたのだ。
姉として。
国を導く者として。
自分の想いは心の奥底に沈め。
考えうる、最善と思う選択を。
「伴侶を、決めます」
「フィア………………」
驚きと悲しみ、そして絶望の響きが籠った声で落とされた名前に、決意が揺らぎそうになる。
それでも。
フィリスフィアはただ、微笑みを浮かべて首を横に振るのだった。
色々と花言葉はありますが、今回は以下の意味合いでイメージしています。
黄色いミモザ:秘密の恋
カスミソウ:永遠の愛




