星彩の街と忍び寄る影5
「《ディルスフィアルース》」
声に魔力を乗せ、教えて貰った名前を呼ぶ。
呟くように口にしたその声が聞こえるのか半信半疑だったのだが、変化はすぐに起きた。
シシリィアの近くの中空に強い魔力が凝り、一瞬闇色の球のような物が生まれる。そして闇色の球が弾けると、そこには2人の闇の妖精が居た。
仄かに光る乳白色の長い髪と漆黒の翅を持った男性と銀色の筋が入った漆黒の翅を持つ小柄な老女――ディルスとシャライアラーナだ。
現れたディルスは周囲を見回し、小さく首を傾げる。
「”輝きの子”よ、何があった? 私の名を呼ぶということは、困りごとがあるのだろうが……」
「ディルスさん、呼び出してしまってすみません。ちょっと、聞きたいことがあって」
「なに、構わない。先日はこちらが迷惑を掛けたからな」
「うふふ、陛下を押し付けちゃってごめんなさい」
可愛らしく上品に笑うシャライアラーナだが、間違いなく彼女がディルスを人界へと放り出した首謀者だろう。
相変わらず、小柄で優雅なご婦人の見た目に反して恐ろしい女性だ。
そんな闇の妖精2人を少し呆気に取られた様子で見ていた一同だったが、早々に立て直したランティシュエーヌが口を開く。
「シシリィア様たちが襲われる事件があり、そこで使われた魔物などが闇の精霊の国のものではないかと思いまして、お話を伺いたく」
「まぁ、闇の妖精の国のものですって?」
「シャライアラーナ。分かることであれば教えよう」
不機嫌そうに翅を揺らしたシャライアラーナの名を呼んで諫め、ディルスは頷く。
その顔には、いつもの憂いよりも深刻そうな懸念の色が見えた。
そのことに不安を抱くシシリィアを他所に、ランティシュエーヌが事情を説明を行っていく。
憶測を交えたりはせずに簡潔にまとめられた説明を聞いたディルスは、深くため息を吐いた。
「まず、擬影蟲は間違いなく、闇の妖精の国の固有種だな……」
「アレは固有種だけれど、我が国であればありふれた存在だわ。力はないから使役をしようとする者はほとんどいないけれど、捕まえるのは簡単でしょうね」
「もう一つの、闇色のモノたちについては心当たりはないな……」
「闇の妖精の術ではないと?」
「ああ。聞いただけでも悍ましいモノを使役するような術はない」
ふるり、と不快そうに翅を揺らしたディルスの眉間には、薄っすらと皺が寄っている。
あの化け物は見ていてゾッとするような存在であった。妖精としても、聞いただけでもとても不快な存在なのだろう。
「シャライアラーナ。確か、今は人界に出ている者や人間に守護を与えている闇の妖精は他に居なかったな?」
「ええ。陛下がそのお嬢さんへ与えている守護以外はありませんわ」
「……それは確かな情報ですか?」
「ああ。先日のマレシュの件があったからな。国の者の情報を正確に把握しなおした」
「そうですか。それでは、闇の国の蟲を入手した経路は、他の妖精が……」
「いや、あと一つ。あまり考えたくはないが、懸念することがある」
そう言ったディルスが重々しいため息を吐く。後ろに控えているシャライアラーナも悲痛そうな表情だ。
そして語られたのは、妖精たちにとっても古い時の話。
それは、王位に就いたばかりのディルスから妖精王の地位を奪おうと、ディルスの弟である新月の夜を司る闇の妖精が反乱を起こしたという事件だった。
最も暗い夜を司る新月の夜の妖精は、ディルスに次ぐ力を持っており、支持する闇の妖精たちもかなりの数存在した。
闇の妖精の国を二分することになったその争いは闇そのものの存在を危うくし、妖精界を揺るがす程の大事件となったのだった。
「あの事件は、妖精界でとても衝撃的なものでしたね……。妖精にとって、王とは絶対の存在。反乱など考える者など、妖精では居ないと思われていましたからね」
「通常ならばそうでしょう。わたくしにとっても、陛下は絶対ですわ。でも、新月の方は陛下に並び立つだけの力を持ち、そして属性としては真逆の方。それが、全ての不幸の源だったのだわ」
「…………暗い闇に親しみと安らぎを抱いた者たちにとっては、ベルファスディールこそが王だったのだろう」
「陛下。だからといって、あれらを許す理由にはなりません」
後悔の滲む声で呟くディルスの言葉を、シャライアラーナがバッサリと切り捨てる。
どうにも、ディルスは反乱を起こされたことではなく、反乱を起こした者たちを想って悔いているようだ。
銀ランタン祭りに聞いた、新月の塔に幽閉している弟、というのがこの反乱の首謀者である新月の夜を司る妖精――ベルファスディールなのだろう。あの日も、ディルスの顔には悲しみが広がっていた。
自身を狙った謀反人にまで心を傾けていては辛いばかりだろう。
ディルスの難儀な在り方に眉を顰めつつ、シシリィアは口を開く。
「その新月の夜の妖精は、幽閉しているんでしょう? それと、今回の件が何か関係あるの?」
「ベルファスディール自身は、関係していないだろう。だが、ベルファスディールを王と仰いでいた者たちの一部が、反乱末期の混乱時に自ら翅を落として逃げていてな……」
「翅を落として……?」
聞きなれない言葉に首を傾げる。
周囲を見ると、妖精以外は皆、それがどういう意味か分かっていないようだ。そのことにランティシュエーヌがすぐに気づき、補足してくれる。
「妖精にとって、翅は力の源なのです。翅がある限り妖精としての力が使えますし、妖精同士、居場所なども感じ取れます。しかし、翅を落として妖精の力を捨てると、妖精王にも居場所を追うのは難しくなるんです。ですが……」
「普通ならば、翅を落とした妖精はすぐに消えてしまうわ。力を失えば、姿を保つことも出来ないもの。……手順を踏めば人間への転属も叶うけれど、妖精にとってもかなり昔の日のことだわ。人間の寿命などとうに尽きているはずよ」
「ああ。普通なら、そうだろう。だが、ベルファスディールが司るものの中には、眠りや停滞、というものがある」
高位の妖精は、己が司る資質に関係した複数の要素も司る。
妖精王や王族であればその司る資質の幅は広く、単純な属性だけでなく停滞、などという事象のようなものまでも含まれるのだという。
「停滞、で消滅を遅らせてここまで生き延びている、と闇の妖精王はお考えで?」
「いや、停滞だけでは無理であろう。だが、あの一派の中には魔術などを研究している者も居た。停滞で消滅までの時間を延ばしている間に、何かしらの方法を見出していても不思議ではない。それに、先程聞いた悍ましいモノは、その者が過去に作り出したものに近しい……」
「……そういえば昔、叔父の領地で変な研究者の実験で騒ぎが起きてたな。すぐに問題はなかった、と報告されたせいで詳細までは知らないが、関係がありそうだな」
エルスタークがくしゃり、と赤紫色の髪を握りため息を吐く。
「くっそ。1回、国に帰るべきか……」
「エルスターク?」
「どうにも、叔父の周りがキナ臭すぎるからな。王たちと連携するついでに、ちょっと調べて来よう」
「そう……」
エルスタークは軽く言うが、ゼルクイードのようなエルスタークを信奉するような魔人も居るはずだ。だからこそ、彼は国を出ていたはずなのだ。
そんなエルスタークが国に戻る、というのはどうにも不安要素が多い。
そっと俯いたシシリィアの頭を、エルスタークがぽんぽんと軽く撫でる。
「なに?」
「心配するな、すぐに帰って来る」
「でも……」
「闇の妖精たちについては、私も確認をしよう。翅を落とした者でも、闇の資質を全て削り落とすことは出来ないからな」
「それでは、そちらの件はエルスターク殿と闇の妖精王にお願い致しましょう。我々は、国としてフィスターニス国への対応を。構いませんね、フィリス様」
「ええ。こちらの交渉で情報を得られたら、それも共有しましょう」
想像していたよりも何倍も大きな問題の気配に、会議に参加していた面々は深いため息を吐く。
そして夜の深い時間にまで続いた会議は終了し、その日の夜明け前に、エルスタークは自身の祖国、フィスターニス国へと旅立っていったのだった。




