星彩の街と忍び寄る影3
目の前に現れた氷の矢の数は途轍もなく多く、そして何よりも距離が近すぎた。
どうすることもできないが、シシリィアは目を逸らさず氷の矢を見据える。
諦めたのではなく、信じているから。
そして氷の矢が一斉にシシリィアへと降りそそごうとした瞬間――。
「シシィに手を出すつもりなら容赦しない、と言ったぞ」
怒りの篭った、いつもよりも低い声が響く。
同時に、氷の矢が全て砕け散る。
ダイヤモンドダストのように宙に散る氷の欠片はもう、シシリィアを傷付けることはない。何処か幻想的にも見えるその光景の中、声の元へと目を向けると、エルスタークの周囲は地獄のような有様だった。
何度斬っても向かってくる闇色の妖精の成り損ないのようなモノを屠るために強力な炎の魔法を使ったのだろう。
地面に降り積もっていた雪は消え去り、それどころか剥き出しになった土も焼け焦げてゆらゆらと陽炎が立ち昇っている程だった。
もちろん闇色の化け物たちも跡形もなくなっている。
「嗚呼、殿下……!」
「五月蠅い」
エルスタークはいつもより赤みの強いワインレッドの瞳でゼルクイードを睨みつけ、掌を向ける。途端にゼルクイードは水の檻に閉じ込められていた。
透明な水の球が魔人の全身を包み込み、身動きを取れなくしている。
体の自由を確実に奪うためか宙に浮いている水の檻はゆらり、と輪郭を揺らめかせながらも堅牢なようだ。水の中でゼルクイードが藻掻いても壊れる様子はない。
ゴボリ、と吐き出された空気が水の檻の中で昇っていくのを見て、ハッとする。
「エルスターク、だめ!!」
慌ててエルスタークの元に駆け寄り、ゼルクイードへと向けている右手を掴む。そして怒りを露わにしているエルスタークを見上げ、首を横に振る。
「殺しちゃダメ」
「何故だ? こいつを生かしておく必要はないだろう」
眉間に深い皺を寄せ、苛立ち隠せない様子のエルスタークはシシリィアをぎゅうと抱き締める。
背中に回された腕が、微かに震えているようだ。
シシリィアも彼の背中へそっと腕を回す。
「エルスターク。助けてくれて、ありがとう」
「シシィ……」
シシリィアの首元に顔を埋め、エルスタークは深く息を吐く。
背後からバシャリ、と水が落ちる音と激しく咽る声が聞こえる。
エルスタークが、水の檻を解いたのだろう。ゼルクイードも生きているようだ。
そのことに、そっと安堵の息を吐く。
「この男には色々聞かなくてはいけません。殺されては困ります」
「シャル! イルヴァも、無事なのね!!」
「ええ、勿論よ。あんな虫程度に殺されるものですか」
ゼルクイードが水の檻に囚われたことで張られていた結界も崩れていたのだろう。
二人が近付いてくる気配に、放してもらうためにエルスタークの背を叩く。
少し嫌がるようにぎゅう、とさらに腕の力が強くなった。しかしもう一度背を叩くと、小さくため息を吐いて解放してくれる。
「シシィ、無事でよかったわ」
「イルヴァ。ちゃんと、エルスタークが守ってくれたから」
「当り前よ。このくらい、役に立ってくれなくちゃ。今回のことは、結局はこの男が原因ってことになるのだし」
「……そう、だな。俺のせいだ」
絞り出すように言うエルスタークに、首を傾げる。
確かに、ゼルクイードはエルスタークを王とするために邪魔なシシリィアへ襲い掛かって来たのだ。エルスタークが原因と言えなくもないだろう。
だが、それもゼルクイードの勝手な要求があってこそだ。
エルスタークが責任を感じる必要はないはずだ。
そう告げるがエルスタークは首を横に振り、口を開く。
「前に、ゼルクイードがこの国に来ていたから、戻るつもりはないと追い返したんだ。その時、ちゃんと対応していればこんなことにはならなかった」
「……そうかもしれませんが、過ぎたことを悔いても仕方ないでしょう。まずは、あの男に洗いざらい話させることが、っ何者です!?」
「いつの間に……!」
ゼルクイードを制圧し、油断をしていたせいもあるのだろう。
気付いた時には、ゼルクイードの側に顔を隠す面をした黒衣の男が現れていた。そしてその男は、無造作にゼルクイードの首を切り裂く。
パッ、と白い雪に真紅が散る。
「そんな……」
「っ、お前は、影の者か……!」
「ご無沙汰しております、殿下。対処が遅くなり申し訳ございません」
ゼルクイードを殺したその男は、恭しくエルスタークへと礼をする。
面に隠されていない耳が少し尖っていることから、この男も魔人だ。しかし、ゼルクイードとは全く違う。
エルスタークに対してはあくまでも儀礼的な態度だった。
「何故、殺した?」
「この男は危険思想の持ち主ということで殺害命令が出ておりました故」
「だが……」
「申し訳ございませんが、国を離れられた殿下に覆せるものではございません。後のことはこちらで処理致しますので、御前を失礼します」
「待て……!」
エルスタークの制止は無視され、その男はゼルクイードの死体を抱えて消えてしまう。
どこまでも、一方的な対応だ。
「なんてこと……」
紅く染まった雪を見つめ、シシリィアは呟く。
あっという間にゼルクイードを殺され、さらに死体までも持っていかれてしまった。
今回の件の手がかりとなるような物が全て、失われてしまったのだ。
重苦しい空気に支配されたその場を、冷たい風が吹き抜けていった。




