朝の風景
翌朝。
シシリィアはふとした瞬間に赤面しそうになるのを堪えながら、いつも通りシャルとイルヴァと共に朝食をとっていた。
幼少期から、この3人で朝食を食べるのが習慣となっているのだ。
「……そういえば、シシィ様」
淡々と食事をしていたシャルが、ふと思い出いた様子で口を開く。
シシリィアの物の倍くらいあった朝食は綺麗に全て食べ終わっていた。細く見えても、男で鬼人のシャルはよく食べる。
相変わらず凄いなぁ、と感心しつつシシリィアも食後の紅茶に口を付けながら首を傾げる。
「なに、シャル?」
「ディルス様は昨夜のうちに帰られたとのことです。世話になった、との伝言を預かっております」
「ん、ありがとう。結局、昨日はほとんどシャルルさんのお手柄なんだけどね」
「急に押しかけて来たのは向こうだもの、シシィが案内しただけでも感謝されるべきだわ」
「もう、イルヴァ……」
不機嫌そうに林檎を丸かじりするイルヴァにシシリィアは苦笑を零す。
昨日は結局色々と忙しくしていてイルヴァとは朝以外会うことはなかった。いつもの銀ランタン祭りでは一緒に街を回ることが多かったから、とても機嫌を損ねてしまっている。
そんなイルヴァにちらり、と視線を向けたシャルはしれっととんでもない爆弾を投下する。
「それからシシィ様。やっと、エルスタークの気持ちを受け入れたとか」
「何ですって!?」
「っ!!?? な、な、な、なんでっ!?」
ガタリ、とイスを蹴倒すイルヴァと目を白黒させているシシリィアに、シャルは落ち着いてあっさりと告げる。
「あの男が喜々として報告に来ました」
「はぁぁぁ!? エルスタークが!?」
「ええ。よほど嬉しかったのでしょう。言いふらして回らないよう、釘は刺しておきました」
「うぅぅ……、ありがと……」
テーブルに突っ伏してシシリィアは呻くしかない。
別に悪いことでもないし、どのみち伝えなくてはいけないことだけど、たった一晩で乳兄妹に知られているのは、なんだか恥ずかしい。
悶えるシシリィアを他所に、イルヴァはシャルへと詰め寄る。
「何で貴方はそんなに落ち着いているの! それでも貴方はシシィの護衛なの!?」
「護衛と、この件は関係ないでしょう」
「関係ない訳ないわっ!」
「イルヴァ殿……。シシィ様が決めたことです。俺は、考えを尊重すべきと考えます」
「それは……。そう、だけど…………」
「イルヴァ」
「シシィ……」
金色の瞳を潤ませるイルヴァの手を取り、シシリィアは笑う。
「泣かないで、イルヴァ。別に、何かが変わるわけじゃないよ?」
「ええ、そうです。姉姫方のこともありますし、結婚はまだ先でしょう」
「……でも、嫌なものは嫌だわっ!」
「イルヴァ……」
「はぁ……、本当に、いい加減イルヴァ殿はシシィ様離れをすべきです」
駄々っ子のような様子のイルヴァに、シャルは心底呆れた様子でため息を吐く。
そして残っていた紅茶を飲み干すと、椅子から立ち上がる。
「さて、そろそろ仕事の時間です。ああ、シシィ様は先に外来客棟へ行ってください」
「外来客棟? ディルスさんは帰ったんだよね?」
「ええ。昨夜、氷薔薇の妖精殿が泊まって居られるんです。帰る前にシシィ様とお話をしたいと」
「シャルルさんが?」
「ええ。向こうではエルスタークが立ち会うので、ご安心ください。さぁ行きますよ、イルヴァ殿」
「ちょっとシャル、あの下郎にシシィを任せるだなんてっ!」
「はいはい。いい加減諦めてください」
「もうっ! 引っ張らないでって……!」
抵抗するイルヴァを半ば引きずって強引に連れて行くシャルを、呆然と見送る。長身のイルヴァを引きずって行くなんて、相変わらずシャルの怪力は凄まじい。
シシリィアは冷めてしまった紅茶を飲み干し、ため息を一つ吐く。
「とりあえず、外来客棟行かなきゃかぁ……」
§ § § § §
そして訪れた外来客棟。
応接室のある廊下に見えた人影に、シシリィアは駆け寄る。
「シシィッて、いたっ!?」
「一発で許してあげる」
「だからって鳩尾……」
わざとらしくガックリと膝を付くエルスタークを見下ろし、シシリィアは鼻で笑う。
駆け寄ると見せかけて、全力でエルスタークの鳩尾目掛けてパンチを繰り出したのだ。しっかり鍛えられた腹筋のせいで大したダメージはないだろうけど、殴らずにはいられなかった。
「なんで、早速シャルに言ってるのよ!」
「……嬉しかったから、つい」
「もう……。とりあえず、シャルルさんも待ってるから、早く立ち上がって」
「相変わらず、シシィはつれないな……」
大仰に嘆きながら立ち上がったエルスタークは不意にシシリィアに近付くと、ちゅっと軽く唇へ口付けを落とす。
「っ!!??」
「さて、そろそろ行くか」
「ちょっ、エルスターク!?」
あたふたするシシリィアに一瞬色気漂う笑みを向けると、エルスタークは応接室の扉を開ける。
「待たせたな、氷薔薇の妖精」
「仲睦まじいのは良いことだが、人の往来のある場では自重すべきではないかな」
「あ? 覗きとはイイ趣味だな」
「覗きなんてしなくても、聞こえて来る声と今のお嬢さんの様子から想像がつくさ」
「っ!?」
頬が赤い状態で応接室に入ったシシリィアを見て、ソファーに腰掛けていたシャルルが少し呆れた様子で声を掛けてくる。しかしエルスタークは一切悪びれる様子はない。
そしてシシリィアはさらに顔を赤くするしかなかった。
シャルルはそんなシシリィアの様子を少し気の毒そうに見ると、手ずから紅茶を淹れてそっとシシリィアに差し出す。
「今日は、急に呼んでしまってすまないね」
「いえ、こちらこそ、昨日は色々お世話になりました。最後はディルスさんをお任せしてしまったし……」
「ははは、それこそ構わないよ。闇の妖精王や植物の系譜の王族と知り合うという稀有な機会を貰えたからね」
「植物の系譜の王族?」
「おや、君たちは知らなかったのかい?」
首を傾げるシシリィアに、シャルルは驚いた様子で淡い水色の瞳を見開く。
ちらり、とエルスタークを見上げると、少し眉間に皺を寄せていた。
「それは、第一王女の妖精のことか?」
「第一王女の妖精、というのを誰を指すのか僕は知らないけど……。この王宮に居る、ランティシュエーヌ殿は植物の妖精王、花の女王に準じる力を持った高位妖精だよ」
「そうなの……」
「知らなかったな……。まぁ、花の女王と直接連絡取れる妖精なら、そのくらい高位でないとおかしいか。しかし、妖精の王族がただの人間に守護を与えるなんて、聞いたことないな」
「はは。まぁ王族程の力があれば、守護を与えるなんて手間をかけずに気に入った人間を妖精に換えてしまうからね」
あっさりと笑って言うシャルルの言葉に、シシリィアは少し顔を引き攣らせる。
なんか、恐ろしいことをあっさりと言われた気がする。
「気に入った人間を妖精に換えるって……」
「おや、お嬢さんは知らないかい? 人間から妖精への転属について」
「人間が妖精界に長く居ると妖精に成るって聞いたことはあるけど……」
「近いけれど、それは正しくないんだ。守護を与えたりして妖精の力を馴染ませた人間でないと、妖精には成れずに崩壊してしまう。だから、妖精が守護を与えるのはその人間を伴侶にするための準備であることが多いんだ」
初めて聞いた事実に、シシリィアは目を見開く。
前に闇の妖精の国に連れて行かれた時は、自分で思っていたよりも何倍も危険だったらしい。
そのことに思い至り、ゾッとする。ディルスたちに保護されていなければ、消えていたかもしれないのだ。
身を震わせたシシリィアの肩を、エルスタークがそっと抱く。
「王族ならそんな手間は要らないってことなのか?」
「そうだね。王族位力があれば、時間を掛けずに力を馴染ませられるそうだから」
「でもランティシュエーヌさんは、フィリス姉さまに守護を与えているけど……」
「人間の成長を待つ間、目印として守護を与えることもあるけれど、ランティシュエーヌ殿の御心までは分からないね……」
ふぅ、と息を吐いたシャルルは一口紅茶へ口を付ける。
「大分、話が反れてしまったね」
「あ……、そうですね。何かあったんですか?」
「いや……。僕にも機会があれば、と思ったんだけどね。どうやら遅かったらしい……」
「……?」
「っち、これだから妖精は性格が悪いな」
「ははは! 妖精とは、そういうものだよ。優美な見た目で誤解されやすいが、僕たちは本能に忠実なんだ。とはいえ、無理強いする程無粋でもない」
そう言うとシャルルは立ち上がり、ひらりと氷のような翅を揺らす。
途端にダイアモンドダストのような煌めきが部屋の中を舞い、シャルルの手元へと集まっていく。
そして差し出されたのは、微かに光を纏った薄青色の花弁を持った薔薇の花だった。
「僕からのお祝いだよ。ただの置物だけど、青い薔薇は夢を叶える力があるというからね。御守りくらいにはなるんじゃないかな」
「わぁ、キレイ……。ありがとう!」
「……不可能、の方の意味じゃないんだな」
「ははは、まさか! そんな呪いみたいな意味を籠めたりなんかはしないさ。僕は、美しいものは一番美しく在ることこそが重要だと思っているんだ。それが僕の隣に居ることであれば嬉しかったけど、違うのならばきっぱり諦めるさ」
煌めくような笑みを浮かべたシャルルは、少し名残惜しそうにシシリィアを見つめる。
シャルルとエルスタークの会話から、どうもシャルルはもう一度伴侶の申し込みをしようとしていたのだろう。
だが、シシリィアがエルスタークの気持ちを受け入れたことを察して諦めたようだ。
昨日のディルスもそうだが、そんなにシシリィアの態度は分かりやすいのだろうか……。
「さて、それでは僕はそろそろお暇するとしよう。またどこかで会うことがあれば、おすすめのお店を案内しよう!」
「あはは……。その時は、よろしくお願いします」
「二度と会わないかもしれないがな」
「ははは! キミたちとはきっとまた会うさ!! では、また会おう」
さらり、と青銀の髪の毛をたなびかせてシャルルは颯爽と去って行く。
「なんか、本当にまたどっかで会いそうだな……」
「そうだね……」
悪い人ではないのだが、なんだか疲労感が凄い。
シシリィアの手の中でキラリと光る青い薔薇を見て、エルスタークと共にため息を吐くのだった。




