薄闇の訪い
シャンフルード王国の王宮の片隅。エルスタークは曇り空を見上げ、一人ため息を吐く。
「やっぱり、避けられてるよなぁ……」
先程の光景を思い出し、赤紫色の髪をくしゃりと掻き回す。
今日はシシィも休日だと聞いていたので、会えればどこかへ誘おうと思ってフラフラと王宮内を散策していたのだ。
そして運よく渡り廊下の先に居るシシィを見つけ、声を掛ける前だった。
不意に顔を上げたシシィがピタリと歩みを止め、そして急に向かう先を変えたのだ。
何かを思い出して行き先を変えたわけではないだろう。
間違いなく、彼女の緑色の大きな瞳と視線が合ったのだ。
確実に、シシィに避けられている。
「はぁ…………、なんでだ。この前シシィが一人で北の街で夜会に出た辺りから、か……?」
ノーザリオンの里に行った時は、悪くない反応だったと思っていた。
それに、さっきも彼女の金色の髪の毛にはキラリと輝く氷水晶の花のバレッタが見えた。
贈ったものは身に着けてくれている。それに仕事中であれば、事務的な感じは拭えないが会話もしてくれる。
でも、仕事が終われば全力で避けられている様子だった。
「はぁ……一体、どうしたら…………」
「何です、鬱陶しい」
唐突に掛けられた声に顔を上げると、いつの間にかシャルが近くに来ていた。
切れ長な紅い瞳を眇め、不審者に対するような視線を向けている。
この男が、仕事以外でエルスタークに声を掛けるなど珍しい。
「……シャルか。何だ、一体」
「いえ、別に? ただ、珍しく辛気臭い空気を漂わせているので、見物しに」
「……お前、シシィが居ないとかなりイイ性格しているよな?」
「さて、何のことでしょう」
空々しく肩を竦めてみるこの鬼人は、本当に性格が悪いと思う。
この男に弱みを握られたら、きっとロクでもないことになるだろう。でもその一方で、こいつならば、とも思ってしまう。
シャルは、シシィの護衛役であり、副官であり、乳兄妹だ。エルスタークより何倍も、シシィに近い位置に居る。
任務先に押しかけ、共に過ごす時間も増え、王宮にも部屋を貰った。でも、それだけなのだ。
策を弄し、各所から情報も得てはいるが、分からないことも多い。
さらさらと風にたなびくシャルの白髪を横目に、躊躇いつつ口を開く。
「なぁ……」
「……なんですか?」
「シシィには、政略的な結婚が望まれているのか?」
こんなこと聞いてどうするのだ、と口にしてから全力で後悔する。
しかし、言ってしてしまったものはしょうがない。
ちらりとシャルを伺えば、案の定呆れたような目を向けられていた。
「貴方がそんなことを気にするなんて驚きですが……。そうですね、そういった望みを持つ貴族は多いでしょう。先日のミンスでの夜会では、お見合いのような状態だったと伺っていますし」
「そうか……」
「とはいっても、そんなことは今更でしょう。シシィ様は王女です。貴方とて、最初から分かっていたことでしょう?」
「ああ…………」
言葉少なに頷いていると、隣で盛大なため息を零された。
その息には、呆れや苛立ちのような物が大量に含まれていたように感じ、思わずビクリと体を震わせてしまう。
「わざわざ俺が教えて差し上げる義理もないのですが。シシィ様が悲しむような事態は避けたいですからね……」
「……なんだ?」
「今、我が国と周辺諸国の関係は良好です。国内も比較的落ち着いており、王族の婚姻という手段を用いるような問題も、貴族側の思惑を除いてしまえば存在しません。…………だから、陛下たちは王女様たちの幸せを望んでいます」
そこで一度言葉を切ったシャルは、ずいとエルスタークの傍へ寄る。
そして胸倉を掴み、低い声で言い放つ。
「あの方は俺にとって、可愛い妹です。泣かせるようなことがあったら、絶対に許さない」
「……」
鋭い視線で睨みつけ、それだけを言うとシャルはその場から去って行く。
「……そんなこと、言われなくても分かってる」
絞り出すように呟き、エルスタークは近くの建物の壁に寄りかかる。
見上げた空は、もう薄闇に覆われ始めていた。
シャルやイルヴァ、姉王女たちや国王夫妻など、周りの人々がシシィを慈しみ、大切にしていることは分かっていた。
エルスターク自身も、シシィには笑っていて欲しいし、幸せになって欲しいと思っている。出来ることならば、その隣には常に自分が居たいとも。
そんな彼女に避けられ、どうしていいか分からなくなってしまったのだ。
今まで、自分から求めた存在などなかったから。
でも、別に明確に拒絶されたわけではないのだ。
嫌悪や憎悪を向けられているわけでもない。
それならば、自分に出来ることは明確だ。
今まで同様、押しかけるだけだ。
そこまで吹っ切れると、エルスタークはふぅ、と息を吐く。
ワインレッドの瞳を遠くへ向け、小さく舌打ちをする。
「その前に、一つ片づけておかないとな」
そしてその気配の元へと転移を行う。
そこは、シャンフルード王国の外れの森の中だった。
闇に沈みつつある木々の間に佇んでいたその男は、エルスタークを認めた瞬間、片膝を付く。
黒い髪の間から覗く耳は、少し尖っていた。
「殿下!」
「……それはもう捨てたものだ。何故、こんなところまで来た?」
「我々は、殿下のお帰りを……!」
「あり得ないな。お前たちとて、今の体制に不満があるわけではないだろう?」
「ですが、強き者こそが、上に立つべきなのです。それが、魔人の本能ではありませんか」
「時代錯誤だな。今はもう、争いの時代じゃない。平和なこの時代に必要なのは、兄上のような王なんだ」
「…………」
「俺には、俺の望みがあるんだ。大人しく、帰れ」
「望み……。それを叶えることが、王となることよりも、大事だと?」
「ああ。勿論だ」
そう言ってエルスタークはふわりと笑う。
その脳裏に居るのは勿論、金色の髪を持った少女だ。
「そう、ですか……」
「ああ。だから、俺はもうあの国に戻るつもりはない」
「……残念です」
小さく呟いた魔人は、ふらりと立ち上がる。そして小さく礼をすると、すぐに転移で去って行く。
だから、その間際に零された小さな呟きは、エルスタークの耳に届くことはなかった。
「人間の小娘に惑わされるなど……」




