魔術塔の書庫
高い吹き抜けの天井から降り注ぐ柔らかい魔法の光の中、シシリィアは捲った頁の文字を追うのをやめる。
ぐぐっと背を伸ばし、一つ息を吐く。
古い紙の匂いが満ちたこの場所は、魔術師団が使用している塔の1階にある書庫だった。
魔術関係の本に関しては、シャンフルード王国一の蔵書を誇る場所だ。
難しい専門書ばかりが収められたこの書庫はシシリィアにとっては馴染の薄い場所ではあるが、今調べたいことは多分ここの方が情報があると思ったのだ。
しかし、調べもの用のテーブルに分厚い本を何冊も積み、数時間居座っているが成果は芳しくなかった。
「ん~、見つからないなぁ……」
「シシィの探し物は何かしら?」
「っ!? ユリア姉様。どうしてここに?」
「珍しい人が随分長い時間書庫に籠っているって、わざわざ部下が報告に来たの」
「……迷惑かけてごめんなさい」
クスクスと笑って言うユリアーナに、シシリィアはしょんと肩を下げる。魔術師団の人に迷惑をかけてしまったらしい。
しかしユリアーナは紫の瞳を優しく笑ませると、ちょんとシシリィアの頬をつつくのだった。
「姉様?」
「別に謝ることはないわ。ここは魔術師団専用の場所ではないのだもの。単に、うちの部下がお節介なだけよ」
「でも、ユリア姉様も忙しいでしょ?」
「そんなことないわ。私は、シシィの調べものの方が気になるの」
にんまりと笑むその顔は、獲物を前にした猫のようだ。
ギクリとした時には遅かった。
「それで、シシィは誰か気になる人でも居るのかしら?」
「へっ? なんでそんな話になるの!?」
「シシィ、書庫では静かにしなさいな」
少し大きくなった声に、ユリアーナに窘められた。書庫に居た周りの人からも、少し迷惑そうな視線を向けられてしまった。
小さく頭を下げ、変なことを言い出した姉をじっとりと睨む。
「う……ごめんなさい。でも、姉様……!」
「あら、だってこの前シシィ、随分沢山のラブレターを貰ったらしいじゃない。そんな後にここで調べものだなんて、何か気になる人へのお呪いでも調べていると思ってしまったわ」
「違うよ! この前の手紙もミンシャール公に押し付けられただけだし……」
先日の月雪花の夜会で渡された大量の絵姿と手紙を思い出し、げんなりとする。
押し付けられたものとはいえ、相手はみんな家格もしっかりした貴族たちだ。無視する訳にはいかなかった。
形式的なお手紙だけでなく、熱い想いを綴ったものもそれなりにあり、当たり障りなくお返事を書くだけでも本当に大変だった。
何通かは既に更なるお返事も来ており、しばらく文通するハメにもなりそうだ。
それを考えると本当に憂鬱になる。
深く深く、ため息を吐くとユリアーナに優しく頭を撫でられた。
「ふふ、冗談よ。……それにしても、あのお爺様は余計なお世話ばかり焼いてくれるわねぇ」
「……ミンシャール公も、国を思ってのことだとは思うけどね」
「でも、こっちの都合も考えて欲しいものだわ」
そう言ってユリアーナは机に積んでいた本のタイトルを撫でる。
金色で箔押しされたその本のタイトルは、『魔人研究』というものだった。
「さて、シシィ。知りたいことは分かったかしら? 多分、本には載っていないと思うわよ?」
「う…………」
元々、薄っすらとそんな気はしていた。
でも、多分本人に聞いても答えてくれないと思ったから、こうやって調べていたのだ。
ユリアーナの顔を見ると、にっこりと笑みを浮かべていた。
「もしかしたら、私が答えられることかもしれないわ」
「そう、かな……?」
「ええ。私の部屋にいらっしゃい」
「…………うん」
「それじゃあ、行きましょう」
思っていた以上に優しい声に促され、シシリィアは本を片付けて書庫を後にしたのだった。
§ § § § §
魔術師団の塔の最上階にあるユリアーナの執務室に案内され、ソファへ腰掛ける。
今日は最初からシシリィアを連れてくるつもりだったからだろうが、ユリアーナの護衛達は誰一人として居なかった。そのことに少し安心し、ユリアーナが用意してくれた紅茶に口を付ける。
お茶請けに出されたバタークッキーは多分、ユリアーナお手製だろう。
たっぷりのバターを感じるほんのり塩味なクッキーをサクサク食べながらシシリィアは口を開く。
「ねぇ、ユリア姉様」
「なぁに?」
「ユリア姉様はさ……。魔力結晶って知ってる?」
「ええ、勿論。魔力を凝縮して作ることが出来る結晶ね。これも、私の魔力結晶なのよ」
そう言ってユリアーナは右手に着けたピンキーリングを見せてくれる。
金色の華奢なリングには、小さな紫色の石が付いている。ユリアーナの瞳の色と同じこの石が、魔力結晶だ。
魔力結晶は魔力で出来ているおかげで、魔法の付与が行いやすい。そのため、他の物には付与できないような魔術を付与する媒介としてよく使われるのだ。
だから、エルスタークから魔術保管庫を付与された魔力結晶のペンダントを渡されても特に不思議には思わなかった。
でも、ここ最近会った人々の反応を見ると、それだけではないのだろう。
恐る恐る、問い掛ける。
「それじゃあ……。魔人族が、魔力結晶を贈ることには、何か意味があるの?」
「……やっぱり、ソレはエルスタークさんの魔力結晶なのね」
質問への答えではなくそう呟いたユリアーナは、シシリィアの胸元を指差す。
今日も服の上にはエルスタークから貰ったペンダントを着けていた。ころりとしたワインレッドのペンダントトップを少し撫で、戸惑いつつ頷く。
「そう、だけど……?」
「そう。ちなみに、それを貰った時に、魔力結晶だという説明は?」
「されたよ。守護とかの魔法を付与したって、説明と一緒に」
「……それだけ?」
「うん」
「そう……。あの人は、意外とヘタレなのね」
「ヘタレ……?」
「ああ、気にしないで。大したことではないの」
首を傾げると、ユリアーナが少し呆れた様に笑いながら軽く手を横に振る。
そして唇に指を当てて、迷うように呟く。
「人間では意味があることを知っている人も少ないから、説明しなかったって言うことは、知られたくないってことだと思うけど……。でも、シシィは何か意味があると思って、それを知りたい、と思ったのね?」
「うん」
「そう……」
そう言って息を吐いたユリアーナは艶やかに笑う。
華やかで、色っぽい笑みは美しくありながら、どこか毒々しい。
ユリアーナがこういった笑みを浮かべるときは、大抵何かを思い付いた時で、酷い目に遭うことが多い。
反射的に体を震わせてしまうが、多分、今回はシシリィアにとっては悪いことではないはずだ。
ぐっと顔を上げ、ユリアーナの顔を見つめる。
そんなシシリィアの反応に満足気に頷き、ユリアーナは口を開く。
「ふふ、シシィ。魔人族の魔力結晶はね、極一部の者しか持っていないものなの」
「極一部……?」
「ええ、そう。魔人族は、自身の魔力結晶は自分で持つか、あとは、伴侶にしか渡さないの」
「自分か、はん、りょ……?」
なんか、思っていた以上の言葉に脳味噌が理解を放棄しそうになる。
しかし、ユリアーナはそんなシシリィアには構わず、更に爆弾を投げつけるのだ。
「ええ。だから、魔人族が自身の魔力結晶を渡すことは、求婚することに等しいそうよ?」
「きゅう、こん………………」
呆然と呟くシシリィアに対し、ユリアーナは楽しそうに笑んでいたのだった。




