月雪花の夜会
「はぁ……憂鬱」
「シシィ。そんなこと言わないの」
「だって……」
シシリィアはイルヴァに整えて貰った衣装を確認しつつ、深々とため息を吐く。
今日は、竜騎士というよりも王女としての仕事でシャンフルード王国北部にあるミンスの街に来ていた。この街で開かれる、月雪花の夜会に出席するためだ。
月雪花の夜会は、表向きはミンスの街の領主であるミンシャール公自慢の庭園を愛でる会だ。
実際、このミンシャール城の庭園は素晴らしい。歴史ある城らしく庭木は全て立派で大きく、隅々まで手入れが行き届いている。
夜闇の中、随所に設置された魔法の光で浮かび上がる雪景色と調和した荘厳さを感じる庭園は、何度見ても幻想的だ。
この美しい景色を見て、美味しいものを摘まみながら談笑するだけなら、どれ程良かったものか……。
「ミンシャール公とお話するの、緊張するし……」
「シシィ様。今日はとにかく、問題さえ起こさなければ良いとのことですから」
「そうだけどさ。変な言質も取られないようにしなきゃいけないじゃん。こっちの人たち、そういうの上手いから……」
「北部の人々は、なかなか油断ならない方が多いですからね……」
護衛として一緒に来たシャルも、困った様にため息を吐く。
月雪花の夜会にはシャンフルード王国北部に領地を持つ貴族が多く集まる。実質、北部の貴族たちの懇親の場なのだ。
そんな場に王女であるシシリィアが出席する意味は、政治的な思惑しかない。
ミンスの街は北の都とも呼ばれる。
シャンフルード王国第二の街であり、その領主であるミンシャール家は古くからある大貴族だ。
そんなミンシャール公を中心とした北部の貴族たちが集まる場に王族が出席することで、双方の関係が友好であることを確認するのだ。そしてついでに、北部貴族たちは王宮側の思惑を探ろうとするのだった。
「はぁ……。こういうのは、フィリス姉さまが出れれば良いのに……」
「さすがに、フィリスフィア様は長期間王宮を離れるのは難しいですからね」
「うん、分かってるけど……」
ミンスの街は王都からかなり距離がある。
移動に時間を要するため、現在王宮で政治の多くを担っているフィリスフィアがこの夜会に出席するのは難しいのだ。
ちなみに去年まではユリアーナが出席していたのだが、毎年色々と自由に振舞って、散々問題を起こしていた。
王宮側も、ミンシャール公側も、今後ユリアーナだけは出席させるのは止めることで見解が一致した程だったという。
そんなわけで、今年はシシリィアが月雪花の夜会に出席することになり、問題だけは起こしてくれるなと厳命されているのだ。
エルスタークが夜会に乱入することを防ぐために、今夜はわざわざランティシュエーヌが直々に彼を監視しているくらいだ。イルヴァとシャルも、この控室で待機するよう厳命されている。
可能な限り、ミンシャール公たちと対面する人数を減らし、後は大体笑って誤魔化してこい、というお仕事だった。
「さて、もうすぐお時間ですね。そろそろ、ミンシャール公がお迎えにいらっしゃりますよ」
「うう……。分かったよ」
「シシィ、気を付けてね」
「うん」
ピシっと背筋を伸ばし、一つ息を吐く。
今日のドレスはネイビー色に薄灰色のストライプ模様が入ったシックなデザインのものだ。胸元は開いているから、魔術保管庫を付与してあるペンダントは着けていない。
華奢なネックレスに飾られた首元を少し寂しく思いつつ、気を引き締めるのだった。
§ § § § §
今回、遠地での夜会ということで、わざわざ主催者であるミンシャール公がエスコート役に名乗り出てくれた。
おかげで月雪花の夜会は、本当に気が休まらない場となったのだった。
もうそろそろ老齢に差し掛かる歳であるが一切衰えを伺わせないミンシャール公の眼差しは、猛禽類を思わせる程鋭い。
そんな眼差しを向けられ、話を振られるたびにシシリィアは内心ヒヤヒヤしていた。
「シシリィア王女、今年の白月祭ではとてもご活躍されたそうですな」
「出来る限りのことはしたつもりです。でも無事白月祭を乗り切れたのは、騎士たちみんなが頑張ってくれたおかげです」
「ふふ、王女殿下は謙虚ですわ」
「今年は例年にない白月祭の魔物が出たとか」
「西のラムラーナが欲を出した末だそうだな。シシリィア王女がその魔物と遭遇したと伺って、肝が冷えましたよ」
朗らかに笑いつつそういうミンシャール公に、シシリィアの背筋が冷える。
あの大型の魔物について、同じようなことが今後起きないようにと、出現については公表された。しかし、詳細については伏せられていたはずだ。
勿論、情報収集を行えばすぐにラムラーナの街に出現したことは分かるだろう。
しかし、その魔物とシシリィアが遭遇したことは王宮でも一部の人間しか知らないはずだ。
そんな極秘情報すらミンシャール公は入手出来ている、ということだ。
大貴族の情報網は恐ろしい。
周囲に集まっていた貴族たちはそこまでは知らなかったのだろう。
口々に驚きの声を上げる。
「まぁ、シシリィア様! そんな恐ろしい目に遭うだなんて……。お怪我はありませんの?」
「ええ、幸いに怪我を負うようなことはありませんでした」
「それは良かった! 王女殿下の美しいお顔に傷でも残ったら、国の損失ですからね」
「まぁ、そんな……」
なんだか嫌な話の流れになってきたぞ、と思っているとミンシャール公がふむ、と口を開く。
「そういえばシシリィア王女も成人なされてもうそろそろ1年ですな」
「ええ。まだまだ未熟ですが、国のお役に立てればと日々精進しているところです」
「ははは、そう焦られずとも、十分にご立派です」
「ミンシャール公にそう言って頂けると、とても心強いですわ」
ミンシャール公のグレーの瞳と目が合い、互いにどこか空々しい笑みを浮かべる。
本格的に話の流れが嬉しくない方向に向かいそうだ。
慌てて話題を変更しようと口を開きかけるが、それよりも先にミンシャール公が言葉を続けた。
「それに、自身の不足を補うような方を伴侶とされれば、そのような不安も無くなりましょう」
「ええ、まぁ、そう、ですね……」
やはり、と顔を顰めそうになるのを堪えて曖昧な笑みを浮かべる。
シャンフルード王国の王の子供は王女しかいない。
この国の貴族たちは皆、将来を見据えてシシリィアたち3姉妹の伴侶が誰になるか、大きな関心を寄せ続けているのだ。
一瞬脳裏に過ったワインレッドをかき消していると、近くに居た年若い貴族女性と目が合う。一瞬、その女性がにんまりと笑んだように思ったが、一瞬の後には親しみやすそうな笑みが浮かんでいるだけだった。
そしてその女性が口を開く。
「シシリィア様はどなたか意中の方がいらっしゃるのかしら?」
「い、いえ! そんなことは……」
やっぱり、先程の笑みは見間違えではなかったようだ。慌てて否定するシシリィアの表情を見て、その貴族女性は少し満足そうな笑みを浮かべていた。
どうも、シシリィアの表情で色々と読まれているみたいだ。
社交界って怖い……。
「あら、そうですの……。フィリスフィア様やユリアーナ様もまだですものね。シシリィア様も、色々な方とお会いになると良いですわ」
「ええ、そうですね……」
「そうですな。ここにも色々な者が来ておりますから、紹介させて頂きましょう」
「え……」
「さぁ、こちらへ。まずはあの者から紹介しましょう」
社交界に恐れ戦いているうちに、流されてしまった。
恐らく、元々ミンシャール公の本来の狙いでもあったのだろう。夜会の後半では、シシリィアは青年貴族たちを紹介され続けるハメになったのだった。
そして恐ろしい夜会が終わったと安心したところで、ミンシャール公から渡されたお土産に、シシリィアは頽れることになる。
「準備が良すぎるよ…………」
シシリィアが悲しい嘆きをあげることになった、ミンシャール公から渡されたお土産。
それは、今日紹介された青年たちの絵姿と手紙の山だった。




