夜金工房と氷梨のタルト1
空気がピンと張っているように感じる冷えた朝だ。
しかし早々に寝台から抜け出したシシリィアは、寝巻のまま冷えた衣装部屋の中でむぐぐ、と唸る。
「武器屋、なら動きやすい恰好? でも、美味しいタルトもあるって言ってたし、可愛い恰好でも……」
今日はエルスタークと出掛ける約束した日だった。
早くに目が覚めてしまったのでさっさと着替えようと思ったけど、服装がなかなか決まらないのだ。
ふるり、と寒さに身を震わせる。
寝室はある程度暖められているけど、衣装部屋は流石に寒い。
そう思っていると、ふわりと肩から暖かい毛布を掛けられた。
「……? イルヴァ!?」
「だめよ、シシィ。部屋の中でもちゃんと暖かい恰好しなきゃ」
「ごめん。でも、こんな早くにどうしたの? 今日はお休みの日だよ?」
シシリィアが休日ならイルヴァも休日だ。守護竜である彼女とはそんなことは関係なく一緒に居ることが多いが、こんなに早朝に部屋まで来ることは珍しい。
イルヴァの顔を見上げると、金色の瞳には葛藤の色が見える。
「どうしたの、イルヴァ?」
「…………シシィは今日あの男と出掛けるのでしょう? そのお洋服選びを悩んでいるかしら、と思ったの」
「う……。イルヴァには迷惑かけないように自分で決めようと思ったんだけどね」
「迷惑なわけないわ。シシィを可愛くするのは私の喜びだもの」
そう言って笑うイルヴァの顔には、しかし何やら悩みの色もある。
少し首を傾げて見上げると、優しく頭を撫でてくれる。
「イルヴァ? 何か、困ってる?」
「いいえ、困ってはいないわ。ただ…………」
「ただ?」
「あの男のため、と言うのが腹立たしいの。…………シシィが約束したことだから、止めたりはしないけど」
イルヴァの言葉に、シシリィアは一気に顔が熱くなる。
多分、今の顔色は真っ赤だ。
あたふたとしながら、イルヴァの袖を掴んで言い募る。
「違う、違うから! 別に、エルスタークのことを思って、悩んでたわけじゃないから! 単純に、行き先が、武器屋とかだから、邪魔にならないような服が良いかなって、悩んでただけだから!!」
「あら。それなら、騎士服で良いんじゃないかしら?」
「う……、そうだけど…………。でも、さ。折角休日だし……」
「ふふふ、ごめんなさいシシィ。意地悪を言ったわ」
「もう…………!」
しょん、と項垂れると優しく頭を撫でられる。
そして背中を軽く叩き、イルヴァはにっこりと素敵な笑みを浮かべた。
「さぁ、そろそろ準備しましょうか。とびっきり可愛くしてあげるわ」
「イルヴァ! ……ありがとう」
「ふふ、どういたしまして。さて、まずはお洋服を選んじゃいましょう」
「うん!」
§ § § § §
待ち合わせた時間になり、中庭へと向かうとそこには既にエルスタークが居た。
銀のボタンがお洒落な黒いロングコートを纏った彼は、シシリィアを見つけると艶やかな笑みを浮かべる。
「シシィ。今日も可愛いな」
「もう! お世辞を言っても何もないからね!!」
「本心なんだがなぁ」
エルスタークの元へ走り寄ると、イルヴァが整えてくれた髪型を崩さないように、そっと髪を撫でられる。
結局、今日は全身イルヴァコーディネートだ。
ふわふわした生地が気持ちいい、落ち着いた薔薇色のニットワンピースの上に、ライトグレーのコートを羽織っている。足元は動きやすいようにと、ヒールはないダークグレーのショートブーツだ。
髪の毛は少し編み込み、ワンピースと同じ薔薇色のリボンでハーフアップのような形で結んでもらった。
装飾品だけは自分で選んだが、結局はいつも騎士服の下に着けている、エルスタークから貰った魔術保管庫が付与されているペンダントを着けているだけだった。
ワンピースの色合いと合うと思ったワインレッドのペンダントトップが、胸元でコロリと揺れている。
前を閉じていなかったコートの間からソレを目敏く見つけたエルスタークが、満足気な笑みを浮かべた。
「ちゃんと着けてるんだな」
「うん、可愛いし。魔術保管庫はお買い物の時にも便利だしね」
「……まぁ、そうだな」
少し苦笑を零したエルスタークは、シシリィアの手を取る。
「さて、そろそろ行こうか。転移を使うから、手を離さないようにな」
「うん。お願いします!」
「ああ。任せておけ」
そして何度か中継地を挟みつつ転移を行う。
距離があって一回の転移で移動できないからだろうけど、こんなに何回も転移を繰り返し使えるなんて驚異的だった。
慣れない魔力の奔流を潜り、辿り着いたのは家の壁がとてもカラフルで可愛らしい小さな集落だった。
「ここが、目的の場所?」
「ああ。氷の系譜の妖精から守護を受けた一族が作った隠れ里だ」
「それって、ノーザリオンの里!?」
「知っていたのか」
「うん。色々な素晴らしい職人さんが沢山居るって聞いて、一回は行ってみたいなって思ってたの。こんなに可愛らしい場所だったんだ!」
エルスタークと手を繋ぎっぱなしだということも忘れ、わくわくと周りを見回す。
どうやら盆地にあるようで、集落の周囲は白く雪が積もっている山がぐるりと囲んでいる。
この集落自体かなり寒く、あちこち雪が積もっている。しかし家や道を舗装するタイルは色鮮やかで、見た目がなんだか温もりに溢れている。
隠れ里、ということだが意外と来訪客は多いようで、色々な種族の人があちこちのお店でお買い物を楽しんでいる。
きっと、素敵な品物が沢山あるのだろう。お買い物が楽しみだ。
期待に胸を躍らせていると、くい、と手を引かれた。
「シシィ。まずは俺の用事を片付けさせてもらっても良いか?」
「あっ、うん。そうだね。というか、手!」
「ん? はぐれるといけないからな。行くぞ」
「え、っちょっと……!」
しかしシシリィアには構わずエルスタークは手を引いてどんどん進んでいく。
大きな掌に包まれた手はしっかりと握られており、取り返すことも出来なそうだ。
ちらり、と見上げればエルスタークの口元は楽しそうに弧を描いている。
「もう……」
「シシィ?」
「んーん。何でもない!」
「そうか。じゃあ、ここだ」
そう言ってエルスタークが入るのは鮮やかな紺碧色の壁を持ったお店だった。扉の上には、『夜金工房』と看板が掲げられている。
中に入ると、壁際にいくつかの武器が置かれ、あとは飴色のカウンターがあるだけだった。店員すら居ない。
きょろきょろと見回していると、エルスタークがカウンターに置かれたベルを鳴らす。
「はいはいはーい、ってエルスタークの坊ちゃんかい」
「坊ちゃん言うなって何回言わせる気だ、ゼルヴェ」
「ははは! 私にとっちゃ、何年経っても坊ちゃんは坊ちゃんさ」
げんなりするエルスタークを笑い飛ばすのは、小柄な老人だ。
ふっさりした白髪を揺らしてカウンターの奥から出てくるその人は、シシリィアを見つけて丸眼鏡の奥の瞳を見開く。
「おやおやおや! エルスターク坊ちゃんがついに女性を連れて来た!」
「え……っと、初めまして。シシリィアといいます」
「おや、これはこれは。私はゼルヴェといって、この夜金工房の代表をやってますよ」
にこにこと人好きのする笑みを浮かべるゼルヴェは、とても優しそうだった。
しかし差し出された手を握ると、ゴツゴツとした職人の手だった。きっと、この手でいくつも武器を生み出しているのだろう。
「さてさて。わざわざここまで来たってことは、まーた武器を壊したのかい?」
「まぁな。新しい剣を買いに来た」
「新しいのを? 修理ではなく?」
「ああ。高位火竜のブレスで燃えたからな」
「高位火竜のブレス……。一体どんな無茶をしてるんだか」
呆れた様子小さく肩を竦めたゼルヴェは、それ以上は何も言わずに奥から幾つかの剣を持ってくる。
飴色のカウンターの上に並べられたのは、5振り程の長剣だった。
「エルスターク坊ちゃんに丁度いいのはこの辺だろう。可愛らしいお嬢さんを連れて来たことに免じて、少しくらいならまけてやるぞ」
「うっさい。……シシィ、どれがいいと思う?」
「本当に私が選ぶの?」
「ああ。シシィに選んで欲しい」
にこにこと笑みを浮かべるエルスタークに促され、カウンターの前に立つ。
ちらり、とゼルヴェを見れば、こちらも何だか楽しそうな顔をしている。
凄く気まずい。
もう一度エルスタークを見上げるが、ワインレッドの瞳で選ぶように促されるだけだった。
多分、シシリィアが選ぶまでこのままだろう。
ふう、と小さくため息を吐いて長剣に向き合う。
どの剣も、実用的ながらそれぞれ独特な美しさを持っている。
しかし、その中でも、ひと際目を引くものが一つあった。
「…………これ」
「おやおやおや! お嬢さんは良い目をしているね。これは極夜の剣と言ってね、この中でも一押しだったんだ」
「へぇ、これはなかなか……」
にこにこと笑うゼルヴェに促されて極夜の剣を手に取ったエルスタークも、ほうと息を吐く。
柄や鞘も漆黒の誂えのその剣は、刃も黒く輝いて見える。
今までエルスタークが使っていた剣より大振りではあるが、幾度か振って感触を確かめると満足そうに笑う。
「これは良いな。これを貰おう」
「はいよ! そうだお嬢さん、折角ならこっちの剣はどうだい? 白夜の剣といって、その極夜の剣の番なんだ」
「え、私!?」
「そうそう! お嬢さんのその手、武器を扱う人の手だ。折角なら彼とお揃いで、どうだい?」
「いやいやいや、お揃いって……。それに、私は剣は使わないし」
「おや、そうなのか、残念だなぁ。番の剣だから、一緒に居させてやりたかったんだが……」
しょぼん、とするゼルヴェは思った以上に武器への愛情が深いようだ。
愛娘を見るように白夜の剣へ視線を送る様子を見ると申し訳なくなってくる。しかし使わないものを手元に置いている方が、武器には悪いだろう。
居たたまれなくて小さくゼルヴェへと謝る。
「すみません……」
「いやいや、構わないさ。ちなみに、お嬢さんの武器は何だい?」
「おい、ゼルヴェ」
「エルスターク、大丈夫だよ。えっと、私は、長槍を使ってます」
「お嬢さんが長槍を!?」
「ええ。竜の守護を持ってるから、大きなものでもちゃんと片手で扱えるんです」
ぎゅっと力こぶを見せるように拳を握ると、丸眼鏡の奥で目を見開いていたゼルヴェが嬉しそうに笑う。
「そうかそうか! それなら、お嬢さんに一押しのものがあるよ!!」
「おい、ゼルヴェ! あんまり押し売りするなよ」
「まぁまぁ、そう言わずに。ほらこれさ! 氷薔薇の槍と言ってね、氷薔薇の妖精に祝福を付与してもらったんだ。そのせいか、どうにも男に持たれるのが嫌みたいでね、なかなか持ち主を選んでくれないんだよ」
そう言ってゼルヴェが持って来たのは、シシリィアの身長を超える程大きな長槍だ。
全体的に薄っすらと青みがかった銀色の槍は、部分的に薔薇を模した飾りが施され、実用的でありながらとても優美だった。
シシリィアが持つには少々大きく、重そうだ。でも、一目見た時にはその長槍に魅入られてしまった。
恐る恐る、氷薔薇の槍を手に取る。
「っ、え?」
「おやおやおや! やっぱり、その子もお嬢さんを気に入ったようだ」
「そう、なんですか?」
「ええ。さっきの輝きを見ただろう? あれはね、妖精や精霊が祝福を与えた武器が、気に入った主を見つけた証なんだ」
ゼルヴェが言うようにシシリィアが触れた途端、氷薔薇の槍がしゃわり、と輝きを放ったのだ。
今はもうその輝きは落ち着いているけれど、槍に装飾されている薔薇が、最初に見た時よりも艶々としているようだ。大きさも、心持ちシシリィアが持ちやすいように小さくなっている気がする。
「どうかな、この子を連れて行ってくれないかな?」
「ええ、と……」
「シシィ、無理に買わなくていいんだぞ?」
案じるようにそう言ってくれるエルスタークに、しかしシシリィアは首を横に振る。
いじらしいこの槍を気に入ってしまったのだ。買っていく以外ない。
「ゼルヴェさん、この槍、ください」
「ええ、喜んで!」
嬉しそうに笑ったゼルヴェは、手早くお会計をしてくれる。
そしてペンダントの魔術保管庫に長槍を仕舞い、夜金工房を後にする。
ノーザリオンの里最初のお買い物は思いがけないものとなったが、とてもいい出会いだった。
このあとも楽しみだ。




