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竜の秘薬と嘆きと

 一年の始まりの日は、一晩かけた白月祭(はくげつさい)の休息に誰もが当てるため、とても静かな一日になる。

 王宮の中もそれは例外ではなく、今日働いているのは最低限の人間のみだ。


 しん、と静まり返った王宮の一角をイルヴァは一人歩いていた。普段あまり足を向けない場所ではあるが、迷うようなことはない。

 そして目当ての部屋へと辿り着くと、一応ノックはするものの返事は待たずに中へと入る。


「入るわよ、シャル」

「イルヴァ殿? 入室するなら返答を待って欲しいものですが……」

「あら。寝ているかもしれないと思ったのだもの。……ああ、起き上がらなくて良いわ、怪我が痛むのでしょう?」

「…………気付かれていましたか」


 王宮内でシャルに与えられている私室にずかずかと入り込んだイルヴァは、寝台から起き上がろうとした彼を制止する。

 しかしシャルはこちらの言うことなど聞かず、上半身を起こした。律儀なのか、弱っているところを見せたくないのか……。

 仕方ないから背中の後ろにクッションを入れてやる。


 はらり、と落ちてきた髪を払ってクッションにもたれる彼の顔色は青白い。

 表情はいつも通りを取り繕っているが、やはり体調は良くないのだろう。


「もう……。小さい頃はすぐ体調を崩していたじゃない。貴方のやせ我慢は沢山見てきたから、すぐ分かるわ」

「……そう、ですか」

「でも安心して。シシィは気付いていないわ」


 シャルにとってシシィは守るべき王女であり、ずっと一緒に育って来た乳兄妹だ。弱っているところなんて見せられないのだろう。

 それに、怪我をしていることを知ったらきっとシシィは悲しむし、不安がるだろう。

 だからイルヴァも、こうやって一人でシャルの元を訪れたのだ。


 コトリ、と寝台脇の小テーブルに淡い紅色の小さなガラス瓶を置く。

 窓から差し込む光に、瓶がキラリと輝いた。


「どうせ、医務室にも行っていないのでしょう?」

「……シシィ様の耳に入りかねませんので」

「貴方もバカねぇ。ちゃんと治療しないと後に響くでしょうに。骨、折れているんでしょう?」


 あの高さから竜共々叩き落されて、かすり傷で済むわけがないのだ。

 白竜シエルもちゃんと王都まで帰って来れたのが奇跡のような状態だった。王宮の専門医に声を掛けてきたから、きっと今頃治療を受けているだろう。


 この子も医者に見せた方が良いのだろうが、強情なのは昔からだ。

 きっと言っても聞きはしない。


「竜の秘薬よ。うちの里一番の薬師が作ったものだから、骨折だろうと一晩あれば治るわ。ただし凄く痛むから、今夜は眠れないと思っておきなさい」

「そのくらいは、構いません」

「……そう。本当に、可愛くないわ」

「この歳になって、可愛いと思われたくはないですね」


 つん、とそっぽを向く顔は女の子のように綺麗なのに、本当に可愛くない。


 小さい頃はシシィとお揃いのドレスを着て、二人揃って本当に可愛らしかったのに……。

 頬に手を当て、わざとらしくため息を吐く。


「ユリアーナに良い魔法がないか聞いてみようかしら……」

「……イルヴァ殿、何を考えているのです?」

「貴方を小さかった時の姿に戻す方法。ちっちゃくなれば、まだ貴方も可愛いわ」

「止めてください、本気で……! あの方だと、無駄な技術力で本当にそんな魔法を開発しかねません」

「あら、いいじゃない。皆の可愛い姿を見れるのだもの」


 シャルやシシィの小さい姿を思い描いてイルヴァはにっこりと笑う。

 しかしシャルは美麗な顔を思い切りしかめる。心底、嫌そうだ。


「イルヴァ殿、しっかり考えてください。ユリアーナ様ですよ? 絶対、大事おおごとになります。あの方は、人が嫌がることや苦しむことを好みますから……」

「…………そうね」


 この国の王女に対して酷い言い草ではあるけれど、事実だ。

 多分、ユリアーナが楽しむために、あちこちで盛大な被害が出る。イルヴァだって、被害に遭うかもしれないのだ。

 迂闊に、ユリアーナに変なネタを提供すべきではないだろう。


 一つ大きく頷いて、前言を撤回することにする。


「止めましょう。小さいシシィや貴方に会えないのは、とっても残念だけど……」

「諦めてください。今だって、シシィ様は可愛いのでしょう? それで満足してください」

「今も勿論、シシィは可愛いけど……」


 今朝方のシシィを思い出してイルヴァはしょん、と肩を落とす。


 シシィももう成人したのだし、いつかは伴侶を持つことは理解している。

 でも、まだ先のことと思っていた。まだまだずっと、イルヴァの可愛い子どもで居ると思っていた。


 それなのにあの子の心は、あの下郎へと傾いている気がする。


 勿論、シシィが決めることだし、シシィが決めたのならば何も言うつもりはない。

 それでも、愛し子を取られるのは嫌なのだ。

 ずっと、自分の腕の中で抱きしめていたい。


 愛し子の幸せを祈りたい気持ちと、自分の欲求がせめぎ合う。

 俯いてグルグルと考えこんでいると、呆れたようなため息を零された。


「イルヴァ殿は、そろそろシシィ様離れをするべきでは?」

「五月蠅いわ。そんなもの、する必要ないのよ」

「…………竜は、難儀なものですね」


 深々とため息を吐いたシャルは、寝台脇に置いたガラス瓶に手を伸ばす。そして一息に飲み切ると、柳眉を盛大にひそめた。

 竜の秘薬は、良く効くが、とても不味いのだ。

 きっと今頃、口の中が苦みえぐみで大変なことになっているだろう。


「ほら、これでも飲みなさいな」

「……子ども扱いは結構です」

「あら。私にとっては、貴方もまだまだ子どもだわ」

「…………」


 イルヴァが差し出した果実水を受け取ったシャルは仏頂面をしている。


 身長が大きく伸び、筋肉も力も付いている。可愛げもなくなった。

 それでも、長い時を生きる竜からしてみれば、まだまだ幼い。

 シシィ同様、小さい時から見守って来た、子どもでもある。


 かなり久方ぶりに、さらさらな白絹の髪を撫でてやる。

 嫌そうに唸るシャルに、くすりと笑いが零れた。


「貴方も、無理をしすぎないようにね。ゆっくり、お休みなさい」

「…………言われるまでもありません」

「あら、可愛くないわ」


 くすくすと笑いながら、しばらくイルヴァはさらさらな髪の毛を撫で続けるのだった。

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