新しい光
大百足を倒した頃には既に日付は変わっていた。
年を越しているので恐らくこれ以上、異常事態は発生しないと思われるが今までにない”白月祭の魔物”が出現したのだ。完全に大丈夫だ、とは言い切れる状況ではない。
幸いに、今年の白月祭の儀式で問題を起こした場所はラムラーナの街以外はないらしい。他に注視すべき場所はなさそうだった。
白竜が大百足の攻撃を受けた影響で飛び回るのは心配ということもあり、念のためシャルはラムラーナの街に残ることとなった。
そしてシシリィアは、エルスタークと共に行動することとなったのだった。
『なんで下郎まで乗せなきゃいけないのかしら!』
「まぁまぁ、イルヴァ。わざわざエルスタークの魔力を消費させる必要もないじゃん」
『下郎の魔力まで心配するなんて、シシィは優しすぎるわ……。下郎、シシィに変なことをしたら、叩き落すわよ!!』
「するかよ。状況くらい弁える」
「…………状況が許せば、変なことするってこと?」
イルヴァの背中の上、シシリィアの後ろに乗っているエルスタークを振り返る。
人型にも転じるイルヴァには元々鞍や手綱は着けていない。高位竜特有の、騎乗者を守るための魔法によって風や転落から守られているのだ。
おかげで、急に同乗者が増えても然程問題はなかった。
とはいえ翼などの位置関係で、結構密着して乗っている状態だ。
近くに見えるワインレッドの瞳をじっとりと見上げれば、わざとらしく視線を反らされた。
「さてな?」
「もう…………。そういえば、エルスターク」
「ん? どうした?」
「その……。剣、さっきの戦いで燃えちゃった?」
眉を下げてエルスタークの腰を見遣る。
大百足との戦いのとき炎を纏わせていたあの剣は、今は腰に下げられていない。多分、大百足の尻尾を貫いていた炎の杭は、剣を媒介にして作り出されていたのだろう。
「さすがに高位火竜のブレスには耐えられないからな。ま、大した物じゃない。シシィが気にすることはない」
「でも……」
ポンポン、と軽く頭を撫でられる。
そっとエルスタークの顔を見上げると、少し楽しそうに笑われた。
「気にする、と言うなら今度新しい剣を買いに行くときに、シシィが選んでくれないか?」
「私が? 剣なら、自分で選んだ方が良くない?」
「いーや。シシィが選んだ物が良い」
エルスタークは軽く笑って言う。
だが、武器は手に馴染むかが大切だろう。コレクションにでもするつもりだろうか。
むむ、と唸って首を傾げる。不信感で少し、眉間に皺が寄ってしまう。
しかしエルスタークは楽しそうに笑うばかりだ。
真面目に考えるだけ無駄かもしれない。
小さくため息を吐いて頷く。
「分かったよ。それじゃあ、今度のお休みの日にでも行こっか」
「ああ。約束だからな?」
「うん。お店とかって決まってるの?」
「ああ。少し遠いが、行きつけの所がある」
「……遠い、の?」
竜騎士をしているが、一応王女でもあるのだ。立場上、そうそう簡単に遠出は出来るものじゃない。
難しそうだと思いつつエルスタークを見上げると、優しく頭を撫でられた。
「転移を使えば移動には時間はかからない。だから、シシィも一緒に来てくれないか?」
「そっか、転移。うん、それなら一緒に行くね」
「近くに美味しいタルトの店もある。楽しみにしていると良い」
「うん!」
美味しいものの情報に頬が緩む。今夜を乗り切るための素晴らしい希望だ。
にっこりと笑みを浮かべていると、エルスタークがニヤリと笑う。
「良かった。シシィとデート、だな」
「で、デート!? 違うよ、そんなんじゃないから!」
『…………下郎、変なことを言うんじゃないわ! シシィ。もうすぐ次の街よ』
「う、うん! 分かった!!」
ワタワタしながら遠くに見えてきた次の街を見る。
”白月祭の魔物”がそれなりに集まっているその街の様子に、頭を切り替える。
先のことを考えている場合じゃない。
まだ、夜明けまではもうしばらくかかりそうだ。
§ § § § §
それからいくつかの街を回り、かなりの数の”白月祭の魔物”を倒し続けた。
ラムラーナの街程のことはもうなかったが、やっぱり、一晩戦い通しだった。
ふわ、と漏れそうになる欠伸を噛み殺して地平線の先へと目を向ける。
「やっと、夜明けだぁ……」
『お疲れ様、シシィ』
「眠いのなら俺に寄りかかって寝ればいい」
「んーん。まだ仕事中だから」
肩に触れる大きな手が促すように小さく叩くが、首を振って断る。
まだ、王宮に戻ってランティシュエーヌへ報告をしなくてはいけないのだ。眠れるまではもうしばらくかかる。
地平線から顔を出した太陽を目を細めて見つめる。
冬の澄んだ空気の中、闇を切り裂くように輝く光はとても眩い。
毎年イルヴァの背中で見る、一年の始まりを告げるこの光は好きだった。
いつもは隣を飛ぶ白竜に乗ったシャルと見る光景だ。それを今年はエルスタークと一緒に見ている。
最初は襲い掛かられたし、つい最近まではストーカーかなっていう存在だった。正直、今でもまだ色々と思うところはある。
それでも。
「エルスターク」
「ん? どうした、シシィ?」
名前を呼んで見上げると、小さく首を傾げてこちらを覗き込むように目を合わせてくれる。
その顔には疲れは見えず、ワインレッドの瞳には慈しむような優しい光があるばかりだ。
なんだか、とてもくすぐったい。
そして、とても嬉しい。
視界の隅に、王都の家々が見えてきた。もうすぐ、この時間も終わりだ。
そのことを少し残念に思いながら、小さく笑う。
眠気で少しふわふわする頭で思い付いたことを、実行に移すことにする。
「エルスターク。これからも、よろしくね」
「ああ。……って、シシィ!?」
覗き込むために傾けられているエルスタークの頬目掛けて、伸び上がる。
そして軽く、口付けを贈る。
後ろを振り返る無理な体勢なせいで、少し狙いがずれてエルスタークの唇の端をかすめたような気もする。
しかし眠気で緩んだ頭は、とりあえず自分のやりたかったことが達成出来たことに満足する。
ワインレッドの瞳を見開いているエルスタークに首を傾げつつも、ふにゃりと笑う。
「っ!!!?」
「エルスターク?」
「…………なんでも、ない」
エルスタークは端正な顔を真っ赤に染め上げ、口元を片手で覆って俯いていた。
なんか小さく震えているような気もする。
とはいえ本人がなんでもない、と言っているのだ。
変なの、と小さく呟きつつ前へ向き直る。
もうすぐ王都だ。
自分が仕出かしたことには気にもかけず、シシリィアはぐぐっと背筋を伸ばすのだった。
《おまけ》
高位竜は、竜の姿の時にはいくつもの独自魔法を展開している。
それは、自身の背に乗せる者を守るものであったり、大きな自身の体を守るためのものなど様々だ。
そのため、背中の上の様子もしっかり把握出来ていた。
可愛い、可愛い愛し子の思いがけない行動に気付いた時には、一瞬墜落するかと思った。でも、それよりも。
愛し子から口付けを贈られた下郎がどんな行動をするか気が気ではなかった。
それなのに。
『意外とヘタレなのねぇ……』
安堵と驚きの混じった言葉を夜明けの空に零し、イルヴァは大きな翼を動かす。
あの魔人の男が、ただ驚きに震えるだけとは。
とても意外だった。
絶対、調子に乗ってシシィの唇を奪うと思っていた。
何事もなくて本当に良かった。
今後の愛し子の心の動きが不安ではあるけれど、とりあえず今は、早くシシィを寝かせなくては。
寝惚けてこれ以上とんでもないことを仕出かす前に。
強い使命感を抱いたイルヴァは、目前に迫って来た王都へ向けて力強く羽ばたくのだった。




