迷子の花籠
さくり、ざくり。
早朝の凍てつく空気の中、土が露出している中庭の一角をあえて踏めば、霜柱が砕ける音がする。
寒さに鼻の頭が少し痛くなってきたけど、気持ちのいい音に口はニッコリと弧を描く。
ざくり、ざく。
「おい、シシィ。また寝込むことになるぞ」
「……エルスターク」
飽きずに霜柱を踏み進んでいたら、急に現れたエルスタークがマフラーを鼻辺りまでグルグルと巻きつけてくる。
冷えて痛くなってはいたけど、やりすぎだ。
むむ、っと唸って口元辺りまで引き下げる。
「ちゃんとコートも着てるし、手袋してるよ」
「だが、つい数日前まで寝込んでたんだ。油断するな」
「もう……。みんな、過保護すぎるよ」
シシリィアは深くため息を吐く。
確かに、妖精の国から戻って数日は寝込んでいた。高熱の影響か心も弱くなって、余計なことも言ってしまった気がする。
でも、数日前には熱は下がっていたのだ。
イルヴァやシャルが部屋から出ることも許してくれなかったから、懇願して、泣き落としまでして、やっと中庭への散歩を許して貰ったのだ。
まだ、中庭に出て5分も経っていない。
もう戻れ、と言わんばかりの表情のエルスタークに、文句くらいは言いたくなるものだ。
「部屋の中に居てばかりだと、体力も戻せないよ。年末も近いから、休んでばっかりもいられないし」
「白月祭か……。シシィは竜騎士としての仕事だったか」
「うん。一番忙しくて、重要な日だからね。……休む、なんてあり得ないからね!」
何か言いたそうだったエルスタークの言葉を封じるように言い切った。
絶対に譲らないという意思を籠め、ワインレッドの瞳を見上げる。
シシリィアにとって、竜騎士であるということは誇りであった。
ただ守られるお姫様ではなく、民を守り、役に立てるということは喜びなのだ。仕事には全力に取り組んでいるし、努力も怠らない。
それでも、王女であるシシリィアが竜騎士をしていることをよく思っていない存在は大勢居るのだ。
ここで竜騎士の重要任務である白月祭を休もうものならば、やはり王女に竜騎士など無理だったのだ、と言われるだろう。そしてすぐさま大量の縁談が持ち込まれるのだ。
シシリィアのことを王女という駒として、都合よく扱おうとする貴族たちの思う壺だ。
そんなの、冗談じゃない。
エルスタークもそのことは分かっていたのだろう。
決して納得はしていない、という表情ではあったが、小さく頷いた。
「…………ああ。分かってる」
「うん……、ありがとう」
マフラーの中に顔を埋め、ざくざくと霜柱を踏む。
居心地が悪い訳じゃないけど、なんでか、エルスタークと無言で一緒に居るとソワソワするのだ。
いつからだろうか、と考えて先日の熱が籠ったワインレッドの瞳が蘇り掛ける。
「違う違う……!」
「シシィ? って危ない!」
「ふぉっ!?」
ブンブン、と頭を振っていたらエルスタークに右腕を引かれ、抱き込まれる。
思わず、乙女らしからぬ声を上げてしまった。
「なに……?」
「コイツが突っ込んで来たから止めたんだが……。竜、か?」
「キュッ!?」
「ん~、見たことないね……」
「キュキュ~!」
シシリィアを抱き込んだのとは別の手に捕まれてジタジタしているのは、小型犬ほどの大きさのモノだ。
全体的に丸っこい、白い皮膚を持った竜のような見た目なのだが、背中の部分が変わっている。ピンクや黄色、水色など色とりどりの水晶のようなもので作られた大輪の花がいくつも咲いているのだ。
小さく丸っこい上に、綺麗な花々を背負っている可愛らしい姿だ。
くりくりした青い瞳で見上げられると、たまらない。
そぉ~っと手を伸ばすと、エルスタークに軽く頭を叩かれた。
「ちょっと!」
「何かよく分からないものを触ろうとするな」
「キュワッ!! キュキュ~!」
「王宮の結界を抜けて来れてるんだから、悪い子じゃないよ。この子も抗議してるよ?」
「キュッキュ~!!」
「あ~、うるさいな。悪しき存在じゃないってのは、分かるけどな。何でこんなところに居るのかも分かんないんだ。罠かもしれないだろう?」
「もう……。分かったよ、じゃあ。イルヴァ~!」
悪いものじゃないと言いつつも、エルスタークは警戒を解こうとしない。
この前の、マレシュが潜んでいた少女のこともあるから仕方ないのだろう。
小さく息を吐いてイルヴァを呼ぶ。同じ敷地内だから、聞こえているはずだ。
そして待つことしばし。
中庭に面した城の3階辺りの窓から、イルヴァが降って来る。
「どうしたのかしら、シシィ?」
「イルヴァ……。ちゃんと階段使おうよ……」
「こっちの方が早いじゃない。それよりも、そろそろ中に入らないと。冷えちゃうわ」
イルヴァに一切反省の色はない。多分、言うだけ無駄だろう。
お説教は諦めて、とりあえずエルスタークが持つ竜っぽい存在を示す。
「ねぇ、イルヴァ。その前に、この子が何か知ってる? ここで会ったんだけど」
「花籠竜じゃない。珍しいわねぇ」
「花籠竜って、あの幻の竜か?」
「あら、下郎は知っているの。乱獲されたせいで数がぐっと減って、今は竜の里で保護されて居るのよ。こんなところに居るのは本当に珍しいわ」
エルスタークから花籠竜を受け取り、イルヴァは目を合わせるように持ち上げる。
そして幼い子供に話しかけるように、優しく問い掛ける。
「貴女はどうしてここに居るのかしら?」
「キュキュ~。キュウッ!」
「あらあら……。保護者はどうしたのかしら?」
「キュワ~。キュウ……」
「そう……。困ったわぁ」
「イルヴァ、言葉分かるの? なんて言っているの?」
「ええ、この子も竜ですもの。この子、伴侶の竜とお散歩中に、シシィに惹かれて迷い込んでしまったみたい」
「私に惹かれてって、”輝きの子”だから……」
初めて、”輝きの子”の力の影響を目の当たりにして、へにゃりと眉が下がる。
こんな小さな子を迷わせてしまうなんて……。
小さくため息を零すと、エルスタークに軽く肩をぽんぽんと叩かれる。
「とりあえず、ずっとここに居たらシシィが風邪をひく。その竜も問題ないだろうし、中に入ろう」
「……うん」
「そうね……て、あら。お迎えが来たみたいだわ」
「え?」
「キュワッ! キュキュ~!!」
「ジゼルッ!」
焦りと安堵が滲む低い声が降って来たと思うと、ふわりと上空から一人の男性が降り立つ。
イルヴァを超える長身とガッシリとした身体つきの男性は、見た目は厳ついが、琥珀色の色に優しさが滲み出ていた。
一目散に花籠竜の側に駆け寄ると、深くため息を吐く。
「ジゼル、急に消えるから心配したよ。無事でよかった……」
「キュゥ~。キュッ!」
「ああ、そうだね。お礼を言わないと。火竜殿、皆様、うちのジゼルを保護して頂き、ありがとうございます」
「無事迎えが来てよかったわ。伴侶持ちの花籠竜が迷い込んだなんて、どんな騒ぎになるかと思ったわ」
「ははは、そんな。まぁ、もしジゼルが泣いていたら、きっとこの辺り一帯を谷底に沈めていたかもしれませんね」
朗らかに笑いながら言われた言葉に、ギョッとする。見た目からは分かり難いが、多分本気だ。
イルヴァは嫌そうに顔を顰める。
「これだから地竜は嫌よ、物騒なんだから」
「何を仰る。火竜殿もその契約の子を害されたら、周囲を焼き尽くすでしょう」
「まぁ、灰も残さないわね」
「ははは、やはり」
ほのぼのと交わす竜たちの会話に、シシリィアはもう言葉もない。
この前のディルスたちの気持ちも分かった気がする。
前々からイルヴァは過保護だとは思っていたが、竜とはこんなにも愛情が深く、過激な者たちなのだ。
「さて、それではそろそろ帰ろうか」
「キュキュ!」
「ジゼル? ああ、贈り物をしたいのか」
「キュワッ!」
地竜に抱かれた花籠竜はしばらくモゾモゾすると、背中からパキリ、という音が響く。
そして器用に尻尾で背中の黄色い花を一輪取り上げ、シシリィアへと差し出すのだった。
「くれるの?」
「キュッ!」
「貴女に、と。是非受け取ってやってください」
「ありがとう……」
「キュキュッ!!」
花を受け取り、花籠竜の頭を撫でてやる。
「キュッ!」
「では、失礼します」
「気を付けて」
「ばいばい、元気でね」
そして地竜は人の姿のまま飛び上がると、空中で竜の姿に転じた。
イルヴァの竜姿よりもはるかに大きい茶色の竜は一度上空をぐるりと回り、去って行く。
「行っちゃった……」
「ふぅ、何事もなく去ってくれてよかったわ」
「……竜はおっかないな」
「あら。竜の大切なものに手を出さなければ良いのよ」
「はっ、自分勝手なもんだ」
何でかまた一触即発な雰囲気のエルスタークとイルヴァに、苦笑が零れる。
花籠竜から貰った手の中の花は、水晶のような見た目なのにどこか温かい。
”輝きの子”という力が齎した出会いではあるが、これはあの子の真心の贈り物なのだ。
そう思うと、笑みが零れるのだった。




