望まれない贈り物4
「マレシュスフィアーズ」
「陛下。このような場所に陛下自らいらっしゃるなんて!」
名前を呼ばれて嬉しげな様子のマレシュに、闇の妖精王と思われる男はどこか憂いを帯びた表情で深く息を吐く。
そして金色の瞳をシシリィアへと向けた。
窓もなく薄暗いこの部屋の中で仄かに光って見える乳白色の長い髪と、褐色の肌を持ったその妖精は、シシリィアが今まで会ったどの妖精たちよりも美しく、そして絶大の存在感を持っている。
視線を一つ向けられるだけで、シシリィアの目は妖精王に釘付けとなった。
「”輝きの子”か……。マレシュスフィアーズ。お前が、この人間の娘を連れて来たのか?」
「はい! 陛下に捧げるために入手しました」
マレシュの誇らしげな返答を聞いた妖精王は、深いため息を吐く。ほっそりとした指をこめかみに押し当てたその姿は、偉大な妖精王というより、苦労の絶えない上司のようであった。
最初の印象と異なる様子に、シシリィアは小さく首を傾げる。
「そうか……。シャライアラーナ」
「はい、畏まりました」
妖精王が名前を呼ぶと、その背後から小柄な妖精の老女が現れた。
上品なグレーのドレスを纏った、銀色の筋が入った漆黒の翅が目を引くその妖精――シャライアラーナは、優しく微笑む。凛と伸ばされた背筋と、優雅な物腰は貴婦人のお手本の様だ。
しかしシャライアラーナは、マレシュとの距離を一瞬で詰めると、自身よりもはるかに長身の彼をあっという間に組み伏せた。
「え……?」
「お前!! 何をするっ!」
「あらあら、うるさいこと。お黙りなさいな」
「うぐっ……」
倒れ伏したマレシュの背にゆったりと腰掛けたシャライアラーナは、優しげに彼の頭を撫でる。シシリィアには、本当にそうとしか見えなかった。
しかし、マレシュは苦しそうな声を上げてビクリと体を震わせると、静かになる。
「え…………」
「うふふ、怖がらせてしまって申し訳ないわ。お嬢さん、もう安心して?」
「えぇっと……?」
状況が良く分からない。
壁際で身を縮こまらせた状態のまま、ぽかんとシャライアラーナを見つめる。マレシュを椅子にしたまま可愛らしく微笑んだシャライアラーナは、ちらりと背後へ振り返る。
その視線を追うと、最初に現れた場所から動かずにいた妖精王がいつの間にか近くまで来ていた。そしてシシリィアの側で片膝を付いて座ると、目を伏せる。
「臣下の者の暴走を止められず、申し訳ない。貴女のことは、すぐに元の世界へ帰そう」
「ほんとう、ですか……!?」
「ああ。……とりあえず場所を移そうか。シャライアラーナ、マレシュスフィアーズのことは任せた」
「はい。仰せのままに」
恭しく礼をするシャライアラーナを一瞥した妖精王は、おもむろにシシリィアへと手を伸ばす。
そして細身で優美な見た目とは裏腹に力強い腕で軽々とシシリィアを抱き上げ、立ち上がる。
「えっ……」
驚きに固まっているうちに、周囲の景色が一変していた。
そこは薄暗い部屋ではなく、大きな窓から柔らかな光が差し込む落ち着く場所だった。その部屋に置かれている大きなソファーに降ろされる。
手触りの良い綺麗な草花模様が織り込まれた布地を張ったソファーは、ふかふかと柔らかい。
周囲に置かれている他の調度品や壁紙なども上品であるが、先ほどの部屋よりもさらに数段立派な物のようだ。
シシリィアの向かい側のソファーへ腰を下ろした闇の妖精王は、一つ深い息を吐く。
あまりにも深いそのため息には、妖精王の苦労が伺わせられる。
「あの、えっと……」
「ああ、すまない。説明が必要だな。まず、貴女の私物については今持って来させている。少々、時間を頂きたい」
「あ……はい。その、ありがとうございます」
「いや、礼を言われるようなことは何一つない。体調は、どうだろうか? 貴女には……竜と魔人族の守護があるようだが、この世界は人間には辛いだろう」
光を受けて柔らかな輝きを放つ乳白色の髪をさらりと揺らし、小さく首を傾げた妖精王の言葉に驚く。
見ただけで、守護なんて分かるものだろうか。
妖精王がじっと見つめているので、とりあえず正直に今の体調を告げる。
「少し、体が怠いです」
「そうか。…………っ、その首の痣は、マレシュスフィアーズの仕業か」
「痣? あ……」
妖精王の言葉に、首元に手を添える。
今は痛みもないし、触っても分からない。でも、マレシュに首を絞められた跡が痣になっているのだろう。
イルヴァたちに気付かれたら、大変なことになりそうだ。
美しい顔をどんよりと曇らせた妖精王に、曖昧な笑みを向けておく。
「…………妖精界に居るからといってすぐに妖精化するわけではないが、体調が優れないのは辛いだろう。一先ず、私の守護を与えよう」
「そんな! 畏れ多いです」
「いや、むしろ迷惑を掛けた詫びの一つとして受け取って貰えないか? 勿論、人界に戻った後、既に守護を与えてくれている竜や魔人族が迷惑だと言うのであれば、その時には守護を回収しよう」
妖精の守護は、その妖精が気に入った人物に対して稀に与えるものだ。こんな、詫びとして与えたり、迷惑なら回収するなんてこと、聞いたことない。
しかも妖精王が人間に守護を与えるなんて、前代未聞だろう。
しかし、妖精王の美しい顔を覆う色濃い苦悩を見てしまうと、断るのも申し訳ない。
「……分かりました。お願いします」
「ああ。…………もう一つ、詫びとして私の名を与えよう。私の名はディルスフィアルース。ディルスと呼ぶが良い」
「え…………」
ぽかん、としているうちに妖精王――ディルスに手を取られる。
そして指先に唇を落としたディルスは、金色の瞳でシシリィアを見る。
「何かあれば、気にせず呼ぶと良い。助力しよう」
「ええええええ……!?」
「はは。元気になったようで何より」
思わず張り上げた声にディルスが朗らかに笑う。
確かに、ずっと体に纏わりついていた倦怠感は綺麗さっぱり無くなっている。
先程、指先に落とされたキスが守護の付与だったようだ。妖精王の守護の効果は絶大だ。
しかし、それよりも落とされた爆弾の方がとんでもない。
「あ……、ありがとうございます。でも、あの!」
「妖精王としての名は別のものだ。この名であれば、他の者に知られても問題はないから気にすることはない」
「いや、でも、名前は守護みたいに回収出来るものでもないですし……」
「そうです、陛下! なんてことを!!」
急に割り込んで来た声に視線を巡らせると、いつの間にかシャライアラーナたちが来ていたようだ。
マレシュは全身縄でぐるぐる巻きにされ、床に転がされているというのに関わらずシシリィアを鋭く睨みつける。
「人間が、陛下の名を呼ぶなど、許されることじゃない!」
「お黙りなさいな、マレシュスフィアーズ。お前の行いが、陛下をここまで煩わせているということが分からないのかしら」
「うっ……」
かたわらに立っていたシャライアラーナがマレシュを再び黙らせた。
冷たい視線でマレシュを見下ろした彼女は、呆れた様子でため息を吐く。そして手にしていた荷物をディルスに渡すと、柔らかい微笑みを浮かべた。
「マレシュスフィアーズの言うことは、気にしなくて良いわ。陛下の名前でこの件の詫びになるとは思っていないけれど、”輝きの子”である貴女には助けになると思うの」
「”輝きの子”……?」
「あら、知らなかったのね。それじゃあ、本当に何でここに連れてこられたか分からなかったでしょう」
シャライアラーナは慈しむように、シシリィアの頭を撫でる。
優しい彼女の手は、なんだかホッとする。
「”輝きの子”はね、他者に好かれやすい人間のことよ」
「他者に好かれやすい……?」
「正確には、人間以外の種族を引き寄せる魔力を持っている者だ」
シャライアラーナとディルスに説明に、シシリィアは首を傾げる。
その程度の特性で、わざわざマレシュがシシリィアを妖精界へと誘拐してくる理由には思えない。
「それだけで、マレシュはこんなことを?」
「過去には”輝きの子”を手に入れると力が向上する、といった迷信があったの。奪い合いも発生して、多くの”輝きの子”が害されたことがあったわ」
「あくまで迷信だ。今はまぁ、近くに居ると心地よい存在、といった程度か」
「それでも、”輝きの子”は希少な存在ですからね。”輝きの子”を所持していることをステータスだ、という愚か者も居るのよ。マレシュスフィアーズのそれで貴女を陛下に捧げようと思ったのでしょうね」
「余計なお世話だな……」
「ふふ。闇の妖精は陛下のことが大好きですから。どんな方法ででも陛下に喜んで頂きたいと思って、よく暴走するのよ。それで、陛下に迷惑を掛けるということを理解しない若い者が多くてねぇ……」
シャライアラーナは頬に手を当て、ため息を吐く。同様に深くため息を吐いているディルスは、心底嫌そうな顔をしていた。
かなり苦労をしている様だった。
そんな二人の様子に苦笑しつつも、シシリィアは小さく首を傾げる。
ディルスとシャライアラーナは当たり前のように話をしているが、シシリィアとしては”輝きの子”だなんて自覚はない。
「でも、私がその”輝きの子”、だなんて分かるんですか? 特に何かあるってわけじゃないみたいだし」
「ああ、人間だと分からないかもしれないわね。妖精族や精霊族、あと魔人族みたいな魔力との相性がいい種族だと、貴女の魔力が輝いて見えるから、一目瞭然なのよ」
「輝いて見えるの……?」
「ああ。それに、やはり近くに居ると心地良いな」
「ふふ、陛下の場合は、庇護欲も増しているのではないかしら? 人によってではあるけれど、そういった作用もするらしいわ。守りたい、とか独占したい、とかそんな感情を抱きやすくなるようよ」
「私は別に……。高位の存在であれば、本能に引きずられる訳ではない。守護や名前も、謝罪の意味で与えたものだ」
眉間に皺を寄せてそう言うディルスは、どこか言い訳がましい。
そんな様子を見たシャライアラーナは嬉しそうに、にこにこと笑っている。
「うふふ、陛下は素直じゃないわ」
「シャライアラーナ!」
「ふふ。申し訳ありません、陛下」
褐色の肌を少し赤らめて声を荒げるディルスに、シャライアラーナは頭を下げながらも微笑みは崩さない。
どうも、シャライアラーナは他の闇の妖精たちとは違い、ディルスを敬いつつも子供のように扱っている。
とはいえ、これ以上自分たちの王を虐めるつもりはない様で、少し話題を変えてシシリィアへと説明する。
「人間に分かりやすい例を挙げるとすると、そうねぇ。魔獣であれば大抵”輝きの子”が美味しそうに見えるみたいで、襲われやすくなるようね」
「確かに、他の人も居ても魔獣は私に向かってくることが多いかも……」
「魔獣や愚か者に狙われやすい。その一方で、守護も得やすい。”輝きの子”はそういった存在だと認識して置けば良い」
「そう、ですか……」
急に雑にまとめたディルスは、先程シャライアラーナに渡された荷物を確認しながらシシリィアへと渡す。
「貴女の服と、これは……魔人族の魔力結晶か。はぁ、本当に、マレシュスフィアーズは大変な人間を連れて来たものだ…………」
「あらぁ…………。早く帰してあげないと、大変なことになってしまうわ」
「えっと……?」
「あぁ、貴女のせいではない。……そうだな、早く人界へ帰そうか」
おっとりと微笑んでいたシャライアラーナの笑みが引き攣った。
ディルスの顔にも、今まで以上に濃い苦悩と焦りの色が浮かんでいる。
そしてディルスがシシリィアへ手を差し伸べた時だった。
「陛下! 花の女王とそのお連れがいらしてっ、てお前たち!!」
「邪魔よ! 早くシシィに会わせなさい!」
「シシィっ!!」
「イルヴァ! エルスターク!?」
来客を告げる闇の妖精の騎士を押しのけ、イルヴァとエルスタークが駆け込んできたのだった。




