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望まれない贈り物2

 シシリィアが目を覚ますと、そこは知らない場所だった。


 身を横たえているのはふかふかのベッドで、肌に触れるシーツは清潔だ。天蓋の薄布越しに見える室内は立派な調度品が置かれ、壁紙や部屋の装飾も豪華だ。

 周囲に人の気配がないのを確認し、そろりと身を起こす。


「……はぁ。何だろう? ちょっと、ダルい……」


 起こした体がグラリと揺れ、慌ててベッドに手を付く。

 そして俯けた視線の中、目に入ったものにギョッとする。


「え、なに……? なんで、服変わってるの……!?」


 デールトの街に居た時は、任務だったから竜騎士の制服である白い騎士服を着ていた。

 しかし今、シシリィアが身に纏っているのは黒いドレスだった。気を失っている間に着替えさせられているなんて、ぞっとする。

 ふらつく体を叱咤しながらベッドから降り、自身の格好をよくよく確認する。


 冬だというのに、このドレスはホルターネックで背中がバックリと空いている。首の後ろの部分に大きなリボンがあしらわれ、背中に流れているがそれも気休め程度だ。

 肩辺りで金色の髪の毛を切ってしまっているシシリィアは、白い背中がほとんど露わになっている状態だった。


 ドレスのスカートは繊細な黒いレース生地が何重にも重ねられ、ふわりと広がっている。

 それに対比するように上半身はシンプルなデザインだが、黒い糸や宝石で細かな刺繍が施されており、よくよく見るととても手が込んでいる。

 さらになんだか視界が薄暗い、と思っていたら頭からは黒いレースで出来たヴェールを被せられている。


 まるで真っ黒な花嫁衣裳のようだ。


「ペンダントと耳飾りは取られてる、か……」


 先日エルスタークから貰った魔術保管庫が付与されたペンダントと耳飾り型の通信用の魔道具は外されていた。

 ちらりと部屋の中を見回しても、シシリィアの私物はどこにもなさそうだった。


 履物も見つからないので裸足のままふかふかの絨毯を踏む。時折ふらつきながら部屋中を見て回ると、窓や扉が見当たらなかった。


 一見豪華な寝室だが、実質ここは牢獄のようだ。


「もう、なんなのよ。ここ……」

「あっは。もう起きたんだ」

「っ……!!」


 不意に響く見下したような声に、ビクリと身を震わせる。

 そして声の方へと振り返れば、予想通り、漆黒の翅を持った男が立っていた。


「マレシュ……!」

「やぁ、シィ? キミにまた会えて嬉しいよ」


 そう言ってマレシュは左手をシシリィアへ伸ばす。


 ぞわり、と肌が泡立つその気配に咄嗟に逃げようと身を翻すが、歩くことも覚束ない体調ではそれも叶わなかった。

 マレシュの手が首を掴み、壁へと押し付ける。


「っぐ……」

「はは。いいね、その苦しそうな顔!」


 間近でシシリィアの顔を覗き込むその顔には、愉悦の色が浮かんでいる。

 黒から薄い紫へとグラデーションがかったマレシュの髪がさらりと揺れ、周囲から隔てるカーテンのように覆いかぶさる。爛々と輝く碧い瞳が禍々しい。


「ほんと、人間風情が手間を掛けさせてくれるよ。右腕のことも……!」

「うっ……」

「あぁ、でも安心して? 殺したりはしないよ。わざわざ、そんな程度のためにキミを連れて来たんじゃないんだ」

「っかは……。ごほっ…………」


 一度強くシシリィアの首を絞めたマレシュは、パッと手を離した。


 急に支えを失ったシシリィアは床に倒れ伏して咳き込む。しばらく喉を抑えて荒い息を吐く。

 そして息が整ってきたところでマレシュを見上げると、悠然と腕を組んでシシリィアを見下ろしていた。


「なぁに?」

「……ここは、どこ?」

「あっは。そんなことも分かんないんだ」

「…………」

「ここはね、妖精界だよ? 妖精界の、闇の妖精の国」

「妖精、界…………」


 言葉を失うシシリィアを見て、にぃっとマレシュの唇が弧を描く。

 絶望に、歓喜しているのだ。


 妖精界は、シシリィアたちの世界――人界じんかいとは異なる世界だ。

 高位の妖精と思われるマレシュは自由に行き来をしていたが、人間であるシシリィアには自力で界を行き来することなど出来ない。つまり、自力で逃げることは不可能なのだ。

 それどころか、竜のイルヴァや魔人族のエルスタークですら界を渡るのは難しいだろう。


 そして何よりも恐ろしいのは、この妖精界は人界とは全く異なる世界だ、ということだ。

 精霊の棲む精霊界程ではないが、人間が生きるには適していないのだ。長期間この世界に居れば、人間ではなくなるという。


 この体調の悪さも、妖精界に連れてこられたせいなのだと納得する。

 それと同時に、時間の余裕もあまりないことを痛感した。


「なんで? なんで、私を連れて来たの……」

「わざわざキミに説明してあげる義理もないけど、失礼があると僕が困るからね」


 そこで言葉を切ったマレシュは、にっこりと毒々しい笑みを浮かべる。


「キミはね、僕たちの王へと捧げるよ」

「王って……。妖精王に?」

「そう、闇の妖精王さ! キミは人間だけど、なかなか珍しいからね。きっとお喜び頂ける。嗚呼、これできっと、僕も陛下のご寵愛を頂ける……!!」


 1本しかない腕で自身を抱きしめるマレシュは、うっとりと夢見るように宙を見上げた。

 滑らかな頬を桃色に染め、恋する乙女のようにため息を零すその姿は、先程までのシシリィアに対する態度と全く違う。


 異様な様子のマレシュに、シシリィアは恐怖を覚える。

 既に壁際に追い詰められた状況ではあるが、手足を体に引き寄せ、ギュッと小さく縮こまった。


 早く家へ、皆の元へ帰りたい。


 溢れそうになる涙をこらえ、ただそんなことを思う。

 どうすれば良いのかも、そもそも帰ることが出来るのかも、分からない。でも、とにかく、皆に会いたかった。


 イルヴァやシャル、フィリスフィアやユリアーナ。そして――。


「……エルスターク」


 小さく、小さく。囁く程の声でその名前を呟いた時だった。


 部屋の空気が一変する。

 凄絶な圧を感じる程強大で、しかしどこか清廉な気配がある魔力がその場を支配したのだ。


「っ陛下!!」


 驚愕と、喜びの入り混じったマレシュの言葉に、シシリィアは息を詰める。

 そしてマレシュの視線の先、いつの間にか現れていた漆黒の翅を持った美しい男の姿に、目を伏せたのだった。

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