女王様のお部屋
会議が解散になった後、シシリィアは一人、ユリアーナの執務室へと足を向けた。会議の場で話す程のことではないが、共有しておこうと思っていたことがあったのだ。
魔術師団が使用している塔の最上階にあるユリアーナの執務室には、色々な理由であまり人は近付かない。塔を登るのが大変、というのは勿論、迂闊に近付くと精神的ダメージを負う可能性が高いのだ。
石造りの壁と、立派な木製の扉のおかげで中の様子は伺えない。
シシリィアは一つ深呼吸をして、扉に取り付けられた魔道具に触れる。
部屋の中とのやり取りをするための魔道具だ。この部屋以外ではほぼ見ることのない、ユリアーナが周囲からのクレームを受けて自作したものだった。
「ユリア姉様。ちょっと伝えたいことがあるんだけど、入っても大丈夫?」
『シシィね。入っていいわよ』
「はぁい」
魔道具越しに入室を許されたシシリィアは、重い扉を開けて室内へと入る。
そして姉の姿を探して視線を巡らせ、仰天する。
「失礼しま……ってユリア姉様! 取り込み中なら入っていいって言わないでよ!!」
「あら、シシィには刺激が強かったかしら?」
「普通の光景ではないよ!」
両手に顔を伏せ、モゴモゴと反論する。顔が熱い。
先程見てしまった光景が、頭からなかなか離れてくれない。
紅い絨毯が敷かれた執務室の床にユリアーナの護衛であり第一の下僕である狼獣人が仰向けで倒れており、その胸元をユリアーナが鋭いピンヒールを履いた右足で踏みつけていた。そしてユリアーナは右手に持った乗馬用の短鞭で狼獣人の顎を持ち上げ、顔を覗き込んでいた。
ユリアーナの紫の瞳には愉悦の色があったし、狼獣人は恍惚とした表情をしていた。
完全に、お楽しみ中だ。
これだから、この部屋に入るのはリスクが高いのだ。
ふるふると震えるシシリィアに、あまり反省はした様子のない声でユリアーナは声を掛ける。
「悪かったわ、シシィ。とりあえずお茶にしましょう? ヴァン、お茶の準備をしなさい」
「……畏まりました」
どことなく不満そうな色を滲ませつつ、狼獣人――ヴァンドーズが動く気配がする。
状況が改善したことを察してシシリィアも顔を上げ、ユリアーナの勧めに従ってソファへと腰掛けた。そうするとすぐに、慣れた手つきでヴァンドーズが紅茶を淹れてくれる。
肉食獣らしいガッシリした体付きで、粗野な雰囲気の狼獣人にお茶を淹れてもらうなんて、不思議な感じだ。
しかもすごく美味しい。シシリィア自身が淹れるよりも、上手い気がする。
恐らく、ユリアーナに仕込まれたのだろう。
この部屋に入ってから受け続けている衝撃に、深くため息を吐く。
「ヴァン、外に出てなさい」
「しかし……」
「この部屋で、シシィと居るのに何があると思っているのかしら?」
ソファに座って長身のヴァンドーズを見上げている状態であるのに、見下している様な雰囲気でユリアーナが首を傾げる。
ヴァンドーズはぐぅ、と喉を鳴らして銀灰色の瞳を伏せる。
「畏まりました」
「じゃあ、行きなさい」
「はい。失礼します」
どことなくしょんぼりした雰囲気の灰色の狼獣人を見送り、シシリィアはちらりとユリアーナを見る。
ユリアーナはヴァンドーズには構わず、優雅に紅茶を飲んでいる。相変わらずの女王様であるが、赤い唇は満足気に弧を描いていた。
多分、紅茶の味がお気に召したのだろう。
ユリアーナ達の独特な関係性は、一般人には理解しようとするだけ無駄だ。
ふるり、と小さく頭を振って考えるのを止める。
「そういえば、ミュウさんは?」
「ミュウ? そうねぇ、ここ数日見ていないけど……。多分第一騎士団辺りで遊んでいるんじゃないかしら?」
「遊んでるって。被害者が出ないと良いんだけど……」
「第一は堅物ばっかりだからねぇ。ミュウの良いオモチャなのよね」
クスクス笑うユリアーナは、全く罪悪感などなさそうだ。
ミュウとは、ユリアーナが契約している精霊で、享楽を司る高位精霊だ。
人間と同じような姿でありながら、人間には持ち得ない美貌と完璧なプロポーションの肉体を持っている美女だった。その容姿でもって、若い男を弄んでは捨てて遊んでいるのだ。
王都周辺を任務地とする第一騎士団の騎士はよくミュウのターゲットにされ、失恋に打ちのめされて泣き暮らす者がそれなりの人数出ていた。出奔してしまったり、田舎に帰ってしまう者も居る程だ。
結構な被害状況ではあるが、精霊とは元々人間とは違う価値観を持ち、気まぐれなものというのが世間の常識だ。
そんな精霊相手に入れ込む方が悪い、となってしまうのだ。
契約者であるユリアーナでも抑えられるものでもないため、最早天災のような扱いだった。
ユリアーナの周りは色々と問題が多いのだが、実力があり、国への貢献も大きい。だからこそ、彼女たちはこうやって自由に振舞っているのだ。
相変わらずな様子に苦笑を零し、シシリィアはとりあえず伝えておきたいことを話すことにする。
「ユリア姉様。前に貰ったミュウさんの鞭、妖精にすごく効いたよ」
「妖精にって、闇の妖精に? こっちに来るとなると、高位妖精よねぇ」
「多分ね。長身の人型だったし」
驚いた様子で紫の瞳を見開くユリアーナにシシリィアは頷く。
妖精は中位妖精から人型を持つが、掌に乗る程度の大きさだ。しかも中位妖精は力がそこまで強くないため、自力で妖精界から出てくることはほぼない。
自由に妖精界と行き来をし、人間と同じような姿だったマレシュは間違いなく高位妖精だろう。
「右腕に鞭を当てられたんだけど、崩れ落ちてたよ」
「肉体を崩壊させる程なのねぇ……。ミュウは高位精霊の中でも、数少ない事象を司る強力な存在ではあるけど。とにかく、シシィの役に立ったのなら良かったわ」
「うん、あの鞭がなかったら危なかったと思う」
「あらぁ、そうかしら?」
小さく息を吐くシシリィアに、ユリアーナはわざとらしい疑問の声を上げた。ちらりと見れば、ニマニマと笑っている。
なんだか嫌な予感がする。
「何、ユリア姉様……?」
「迷宮ではエルスタークさんと一緒だったのよね? 彼が付きっきりで守ってくれたのじゃないかしら?」
「……色々、お世話にはなったけど」
むぐ、と唸るシシリィアをユリアーナは獲物を前にした猫のような表情で見ている。
揶揄う気、満々だ。
「何があったのかしらぁ?」
「別に、何もないよ。ご飯作ってもらったりとか、それだけ」
「ご飯は美味しかったの?」
「……悔しいけど、美味しかったよ。…………ねぇ、ユリア姉様は、お料理出来る?」
ティーカップで口元を隠してモゴモゴ呟いたシシリィアは、上目遣いでユリアーナを見る。
妖艶な美女、といった見た目のユリアーナが料理する姿はあまり想像できない。しかし、三姉妹のうち実は一番自立しているのはユリアーナだったりもする。
もしかして、と思って聞いてみればユリアーナは小さく頷いていた。
「たまには、下僕達にご飯やお菓子を振舞ってあげているわ。飴と鞭は大切ですもの」
「そう、なんだ……」
「シシィは、エルスタークさんの胃袋を掴みたいのかしら?」
「そんなんじゃないけど!」
ニマリ、と笑うユリアーナに顔を赤くして反論するが、全く信じて貰えてなさそうだ。
楽しそうに笑いながら、首を傾げる。
「なんでかしら? エルスタークさんは優良物件じゃない。イケメンだし、強いし、愛されてるし。求婚を断る理由が分からないわ?」
「だって……」
「だって?」
むぐぐ、と唸るシシリィアをユリアーナは促す。
わくわくと楽しんでいる様子に、正直言いたくない。でも、言わないと延々この話題で突きまわされそうだ。
小さな声で、ぽそりと口にする。
「別に、好きとか言われてないし……」
「あら……」
「それなのに、求婚って何? 何で、父様とかに、そんな話してるの……?」
こんなことを気にするなんて、子供っぽいのかもしれない。
でも、何も言われていないのに、応える気はなかった。
それに、エルスタークの言動はどこか軽く、冗談なのか本気なのかも分からなかったのだ。
それなのに、国に対して正式に求婚を申し入れているなんて言われても、ただ混乱するだけだ。
もやもやする胸の内に、シシリィアはため息を吐く。
「そう……。それなら、仕方ないわね」
「ユリア姉様?」
揶揄う気配のない声に、ユリアーナを見れば珍しく姉らしい優しい微笑みを浮かべていた。
そしてシシリィアの金色の髪を優しく撫で、悪戯っぽく笑う。
「そんな男なら、シシィが折れてあげる必要はないわ。たっぷり、翻弄してあげたら良いわ」
悪魔の囁きのような助言だ。
でも子供っぽいとか否定されず、姉は味方してくれるのだ。
シシリィアは小さく笑い、頷くのだった。




