森の中に潜むもの5
マレシュは先程までの草食獣らしいか弱さが嘘のように、不穏な空気を纏っている。自身に向けられた武器をつまらなそうに見遣り、首を傾げる。
「ねぇ、なんで僕が獣人じゃないって分かったの?」
「それはお前の演技が杜撰すぎるからだ」
「えー、杜撰?」
「ああ。獣人、特に兎獣人なんてのは臆病だ。それなのにお前は魔獣の接近に少しも気付かなかった。獣人ではあり得ないことだ」
「それに貴方は森で採取をしていたって言ったけど、今の森は魔獣で溢れてる。この辺の人たちは、そんな中で森に入ったりしないよ」
「へぇぇ。そんなつまんないことでバレちゃったんだ」
そう言うマレシュはニッコリ笑っているが、とても不機嫌そうだ。
細い身体からは、凶悪なまでに濃厚で威圧的な魔力が放たれている。
本能的に後退ったシシリィアを庇うように前に出たエルスタークは、目を眇めてマレシュを見る。
「……お前、闇の妖精か」
「えっ……!?」
「へぇ。あんた、人界の魔人のクセに目が良いんだね。忌々しい」
そう吐き捨てたマレシュの姿が一瞬で変わる。
頭上にあった黒い兎耳は消え、その代わりに背中に美しいクロアゲハ蝶のような翅が現れていた。
体付きは先程までと変わらず細身だが、ひょろひょろした頼りない印象ではなく、妖精らしい優美な印象が強い。身に纏う衣服もただの村人らしい粗末な物から一変し、様々な黒の布を用いた騎士服のような物になっている。
肩辺りまで伸びた髪は、毛先に向かって黒から薄い紫へとグラデーションになっており、まるで夜明け前の空のようであった。
「夜の系譜の闇の妖精か。……厄介だな」
「夜の系譜……?」
「ああ。闇の妖精の中でも、妖精王に近い一族だな」
「あっは、そこまで分かるんだ。……本当に鬱陶しいなぁ。お前に用はないのに、くっついて来るし。お前のせいで名前も切れ端しか掴めないし」
苛立たし気に呟いたマレシュは、わざとらしい程に美しい笑みを浮かべる。
とても優美でいて妖艶。そしてどこか禍々しい笑みに、ぞくりとする。
この妖精は良くない存在だ。
そんなことは分かっているのに、どうしてもマレシュの碧い瞳から目が離せなくなっていた。
一歩、踏み出しかけたシシリィアの前に、漆黒の服に包まれた広い背中が現れる。
「シィ。闇の妖精は精神を侵食するのが得意だ。目を見るな」
「っ……。ありがとう、エル」
「あーあ、本当にお前鬱陶しいなぁ! お前はコイツと遊んでろよ!!」
マレシュがエルスタークの前で指を鳴らす。
すると、その場所に闇色の球体が現れ、一瞬で弾けた。
「っ! やっぱりコレはお前が連れて来たのか」
「僕のお気に入りの子だよ。妖精界でもなかなかの暴れ者だから、楽しめよ!」
弾けた闇から出てきたのは、この迷宮にシシリィアたちを引きずり込んだ植物性魔獣だ。魔獣は現れた途端に大量の黒いツタをエルスタークへ伸ばす。
「っく、面倒だな……」
「エルッ」
「おっと、キミはこっちだよ?」
「っ、マレシュ……!」
エルスタークへ加勢しに行こうとするシシリィアへ、マレシュが腕を伸ばす。
しかし本能が、その手に触れられては危ないと告げていた。シシリィアは大きく飛び退き、マレシュへと槍を構える。
「あ~あ、残念。そんなに警戒しないでよ?」
「お断り! 貴方なんかに捕まるもんですか」
「へぇ? キミが僕に敵うとでも? 脆弱な人間なんだから、無駄な足掻きは止めなよ!」
「っ、シィ!!」
魔獣を相手にしているはずのエルスタークが呼ぶ声が聞こえた。こっちを気にしている場合じゃないはずなのに。
口元に苦笑を刻み、シシリィアは前を見据える。
馬鹿にしたような笑いを浮かべているマレシュは、武器や魔法を展開していない。ただの人間なんて、この程度で十分という侮りだろうか。
白く、美しい手が伸ばされる。
その手を見据えながら、シシリィアは右手を腰に伸ばし、そして振り抜いた。
ビシィィィッ!
「っうがぁぁ!? ……、な、に?」
「シィ!?」
「へぇ、妖精が精霊の武器に弱いって、本当だったんだ」
にやり、と笑みを浮かべてシシリィアは右手に持つソレをもう一度振る。
ピシッ、と鋭い音を立てて石畳に当たるのは、黒い鞭だ。
「シィ、一体それは……?」
「ユリア姉様の精霊が作った鞭。この任務の前に、妖精がちょっかいを出して来てるって聞いてたから念のために持って来てたんだ。まさかこんなに効くなんてね……」
「人間風情がっ……!」
憎々しげにシシリィアを睨むマレシュの右腕は、途中からもろもろと崩れ落ちている。
シシリィアは伸ばされた腕に鞭を打っただけなのだが、それで腕が崩壊しているのだ。恐ろしい程の効果だった。
妖精は精霊が苦手で、精霊は妖精が苦手だというのはよく言われている。そして、妖精には精霊が手を掛けて作った武器や道具が弱点となるらしい。
しかし、ここまで効果的なものとまでは知らなかった。
内心少々ビビりつつも、いつの間にか側に来ていたエルスタークをちらりと見上げる。
「魔獣は?」
「燃やした」
「え……? 燃えたの?」
「ああ。妖精界産とはいえ、植物は植物だったな」
そう言うエルスタークが視線で示す先を見れば、青い炎に包まれた魔獣が燃え尽きるところだった。
エルスタークは軽く燃やした、というがあの炎は人間では扱えないレベルの魔法な気がする。結構、無茶をしているのではないだろうか。
エルスタークを見上げるが、涼しい顔でマレシュを見据えているだけだった。
「形勢逆転だ。大人しく目的を吐けば、命は助けてやるぞ?」
「はっ、魔人ごときが偉そうに」
「シィ」
「うん」
もう一度、マレシュの間近へと鞭を打つ。
ピシッ、という音にマレシュはビクリと体を揺らすが、しかし碧い瞳にはまだ強気な光が宿っている。窮地に追い込まれた者の表情ではない。
「もう一度聞く。お前の目的は何だ?」
「言うわけないよね。それに、まだ時間はあるんだ」
「何を……、おいっ!!」
ふわり、とマレシュが翅を揺らす。
その瞬間にエルスタークが剣を振るうが、その一瞬前にはマレシュの周囲に闇が渦巻く。そしてエルスタークの剣が闇を斬った後には、マレシュは居なくなっていた。
「っち、逃げられたか……」
「あれって、妖精界に?」
「多分な。予備動作や準備もなく界を渡られるとは思わなかったな」
「あんなに無茶苦茶なんだね……」
「伊達に、妖精王に近い高位の妖精じゃないってわけか……」
深くため息を吐き、地面にしゃがみ込む。
どっ、と疲れが押し寄せてきた。
「多分、マレシュが今回の迷宮を起動させた犯人だよね?」
「多分な。そうじゃないと、もっと厄介なのが居ることになるしな……」
「とりあえずあの魔獣は倒せたから一安心、かな?」
「まだ、迷宮から出る目途が立ってないけどな……」
「うぅぅぅ~。早く出口見つからないかなぁ……」
シシリィアの嘆きは虚しく迷宮に響く。
結局、シシリィアたちが迷宮から出れたのは、さらに1日経ってからだった。
2020/2/16 気に入らなかったので、1話・3話を書き直しました。
1話・3話はまるっとエピソードを変えているので、よろしければ読み直して頂ければ幸いです。
読み直さなくても、後のエピソードには基本的に影響はないので、面倒だという方は以下の点だけ覚えて頂ければ大丈夫です。
・シシィからのエルス呼びは無くなりました。




