森の中に潜むもの3
しばらく歩き回っているうちに、いくつか分かれ道や小さな部屋などを見つけることが出来た。そしてここまでの道は傷んではいるが、平らな石を敷き詰めたものであり、壁もしっかりとした石造りだった。
明らかに、自然のものではない。
さらに、ここまでに度々遭遇した魔獣は魔犬やゴブリンだけだった。この場所に引きずり込んだあの植物を除けば、ここに存在している魔獣は一番弱い、戦闘初心者向けと言われるものだけの様だ。
魔獣にも種族ごとに生息に適した環境はあるから、場所によって魔獣の種類が偏ることはよくあることだ。
しかし、討伐難易度ごとに棲み分けるなんてことは、自然ではあり得ない。
「やっぱりここってさ、迷宮ってやつだよね? 古代によく創られたっていう」
「だろうな。わざわざこんな部屋まで用意されてるからなぁ」
そう言いつつ、先程まで床を調べていたエルスタークは部屋の壁に寄りかかる。
シシリィアたちが居るのは、部屋の中央に魔法陣のようなものが描かれた場所だった。その魔法陣以外は特徴もない、相変わらず石造りの床と壁の部屋だが、それなりの広さはある。
ちょこん、と魔法陣の側に座って眺めていたシシリィアは、そのままの姿勢でエルスタークを見上げる。
「この魔法陣って、結界の一種だよね? 見慣れない記述が多いけど……」
「今じゃ使われてない、かなり古い結界陣だな。確か、強力で永続性も高いが、陣を完成させるのにとんでもない対価が必要になるタイプだな。まぁ、おかげでこの部屋に居る限りは安全が確保出来るわけだけどな」
「安全地帯ってわけだね」
「だな。……シシィ、大丈夫か?」
「ん~、正直、大分疲れたかな」
へなりと背中を丸め、ため息を吐く。
実は、魔法陣の側でしゃがみ込んでしまってから、立ち上がりたくなくなっていた。
シシリィアとて竜騎士だ。日々鍛錬は欠かさないし、イルヴァとの契約のおかげもあって人並み以上の体力はある。
それにこの場所に出る魔獣は弱いものばかりだから、そうそう苦労するような戦闘もない。
でも、数が多すぎだ。
「なんで、どいつもこいつも、私目掛けて来るのよぉぉ!!」
「……まぁ、シシィだしな」
「どう言うことっ!?」
がばっと顔を上げると、思ったよりも近い場所でワインレッドの瞳に出会う。そしてエルスタークはポンポン、と軽くシシリィアの頭を撫でる。
宥められた、のだろうか。
むむむ、と唸るシシリィアに、エルスタークは苦笑する。
「シシィの性質のようなもんだ。モテモテだな」
「嬉しくない!」
「まぁ、そうだよな。ちゃんとフォローするから、無理だけはするなよ」
「うううう……。ごめん、お願いします」
「なんで謝る? とりあえず、休めるときにしっかり休んどけ。ほら、これでも飲め」
そう言ってどこからともなく取り出したマグカップを手渡される。中身は、甘い香りのするホットミルクだ。
普通、こんな迷宮で出て来るものじゃない。
だけど疲れていたシシリィアは深く考えるのは止め、温かいミルクを口にする。ふんわり香るこの甘さは、はちみつだろうか。
ほう、と息を吐く。
「そういえば、森に居た魔犬って、多分ここから出たんだよね。なんで急に魔獣が森に溢れたんだろう……」
「急に溢れた、というよりも今までこの迷宮が稼働していなかったんじゃないか?」
「休眠していた迷宮を誰かが起動させたってこと?」
「ああ。そっちの方が辻褄が合うだろ? 今までこの辺に迷宮があるなんて話、欠片もなかったし。休眠迷宮は結構あちこちあるらしいからな」
「そっか……」
遥かな昔、古代文明の頃に沢山創られたという迷宮は、魔獣の出現やこの部屋のようなギミックの稼働のためにエネルギーを使用する。このエネルギーの生成や供給のオン・オフといった機能は、大抵の迷宮では中核部分にあるらしい。
きっとこの迷宮はその中核部分が生きており、何者かがエネルギー供給をオンにしたことで稼働し出したのだろう。
「ん~……。古代の迷宮が生きてたのはすごいけど、勝手に稼働させるのは迷惑……!」
「まぁ、……そうだな」
「どうかしたの?」
「ん、ああ。迷宮の中核部は素人が適当に触って稼働させられるようなものじゃないから、何某かの思惑がありそうだなと思ってな」
そう言ってシシリィアの側に腰を下ろしたエルスタークは盛大に顔を顰める。
確か、迷宮の中核はかなり高度な魔術仕掛けらしい。魔術師であるユリアーナが以前、喜々として迷宮の調査へと出掛けていたのを思い出す。
多分、これ以上の原因調査も竜騎士団ではなく魔術師団の任務になるのだろう。
マグカップに残っていたホットミルクを飲み干し、シシリィアは小さく息を吐く。
「とりあえず、私たちはこの迷宮から出ることが最優先、かな」
「だろうな。そういえばシシィ、外のやつらに連絡を取らなくて大丈夫か? ここに落ちてから大分時間経ってるが」
「…………あ」
さぁっ、とシシリィアの顔から血の気が引く。
いつも過保護な二人だ。そんな二人の前から急に消え、連絡も取っていなかった。
確実に、とても心配している。
魔獣に襲われたり、落とされたこの場所が何なのか分からず、連絡どころではなかったとは言え、申し訳なさで一杯だ。
耳飾り型の魔道具を外し、掌に乗せる。
そして魔道具をじっと見つめ、恐る恐る起動させた。
「イルヴァ、シャル……?」
『シシィっ!! 無事なの!?』
『シシィ様! やっと繋がった……!』
魔道具で通信が繋がった途端返って来た二人の声に、シシリィアは目元がじわりと熱くなる。
安全な場所で、イルヴァとシャルの声を聞けてつい安心してしまったのだ。でも、今は泣いている時じゃない。
ぐいと目元を拭うと、隣のエルスタークが笑った気配がした。次いで再びぽんぽんと頭を優しく撫でられ、また目元が熱くなる。
しかしそんな無言のやり取りをしている間も、魔道具からはイルヴァとシャルの声がひっきりなしに飛び交っていた。
『シシィ、怪我はない? あの下郎に変なことされたりもしていない!?』
『シシィ様、すぐにお迎えに行けなくて申し訳ありません……』
『危険はないかしら。お腹は空いていない?』
「ちょっと二人とも、少し落ち着いて! 怪我はないし、今は安全な場所を見つけたから。そこで一休みしているの」
『そう! 良かったわ!!』
『そうですか。……では、状況をお伺いしても大丈夫ですか?』
「うん。さっきエルスタークと話し合って、こっちの状況まとめたから伝えるね」
そして先程推測した内容を手短に二人に伝える。
『迷宮ですか……』
「そう。とりあえず、どこかに迷宮の入り口があるはずだから、そこを探す予定。シャルたちは引き続き、森の方で魔獣退治をお願いね。ここから脱出したら合流しよう」
『……承知しました。こちらでも魔獣退治しつつ、入り口は探します。内部の探索は迷う者を増やすことになりかねないので控えさせますが、入り口を押さえておいた方が良いでしょう』
『そんな! シシィを探しに行かないと言うの!?』
「イルヴァ。シャルの言うことが正しいよ。擦れ違いになったら大変だし、森で待ってて」
『シシィ…………』
しゅん、としたイルヴァの声に苦笑が漏れる。本当に、竜というものは愛情深い。
暴走しがちなイルヴァを抑える羽目になるシャルは大変だろうが、どう考えても森で待っててもらうのが一番なのだ。
「シャル、戻るまで、竜騎士たちの指揮もお願い」
『承知しました。ご無事でのお戻りをお待ちしております。…………エルスターク、シシィ様を頼みます』
「当り前だな」
『シシィに傷一つでも付けたら、容赦しないわよ!』
「ちょっとイルヴァ……」
「そんなヘマはしないさ。大人しく森で待機してろ」
『下郎に言われる謂れはないわ』
「イルヴァ。無事に戻るから、ちゃんと待っててね」
イルヴァがカッとなった気配を感じて釘を刺せば、魔道具の向こう側で沈黙が落ちた。そしてかなり渋々といった雰囲気の声が返って来る。
『……ええ、分かったわ』
「うん、お願いね。……あ、そういえば今のところ一体しか遭遇してないけど、この迷宮に闇属性の植物性魔獣が居たの。そっちにも居るかもしれないから、皆に注意するよう伝えて」
『闇属性の植物性魔獣、ですか……?』
「そう。エルスタークの見立てだと妖精界か精霊界産だって」
『っ、それは本当ですか?』
シャルの声が驚きで上擦ったものになった。
妖精界や精霊界はこちらの世界とは大きく違う。だから、あちらの世界の魔獣など対処方法も分からないのだ。
おかげでシシィたちも逃げに徹するしかなかったのだ。
「纏う魔力がこの世界のモノじゃなかった。恐らく何者かが連れて来たんだろう。そう何体も居るとは思わないが、注意するに越したことはないな」
『……分かりました。シシィ様たちも、どうかご無事で』
「うん。安全地帯を確保出来たから、今日は休むよ。シャルたちも、ちゃんと休んでね?」
『ええ』
『…………分かったわ』
異常に間が空いたイルヴァの返答に、嫌な予感しかしない。
「本当に、ちゃんと休んでね!? 大人しく、森で、待っててね!」
『ええ。ちゃんと休ませます。イルヴァ殿、シシィ様が心配なのは分かりますが、勝手な行動は慎んでください』
『……仕方ないわ。シシィ、気を付けてね』
「うん。じゃあね。定期的に連絡するから」
『はい。連絡をお待ちしております』
そんなやり取りを最後に通信は切れ、シシリィアは小さく息を吐く。そしてググっと伸びをすると、立ち上がる。
「シシィ?」
「ご飯、食べよっか。といっても保存食だけど……」
手持ちの食料を思い出し、折角持ち上がった気分もダダ下がりになる。
今日持っている保存食は、干し肉と硬い黒パン、あとドライフルーツを数種類程度だ。迷宮の中では野生動物なども居ないから、食材を現地調達することも出来ない。
へにょり、とシシリィアは眉を下げた。
しかしそれに対し、エルスタークはニヤリと笑う。
「シシィ、安心しろ。食材ならあるぞ」
「え!?」
「ほら」
そう言ってエルスタークはどこからともなく新鮮な野菜や肉、さらには鍋などを取り出す。
「ええ! 何で、どこから!?」
「魔術保存庫だな」
「何それ! すごく便利そうなのに、全然知らないよ?」
「まぁ、魔人族くらいにしか使えない術だからな」
「えええ~。羨ましい……」
ひょいひょいと、何もない空間から物を取り出すエルスタークを恨めし気に見る。
こんな便利なものを使えるなんて、反則だと思う。じぃっと見つめていると、苦笑したエルスタークがぽんぽんと、頭を撫でる。
「シシィ、分かったから。何とかできないか考えてみる」
「ホント!?」
「ああ。ただ、どうにか出来るかは分からないから、あまり期待しないでくれ」
「うん、分かったよ。ありがとう!」
ニパッと笑うシシリィアに、エルスタークは深い赤紫色の髪を掻く。
そして何かを誤魔化すようにシシリィアへと食材を押し付ける。
「とりあえず、夕飯作りするぞ。スープ作り、任せていいか?」
「うん、任せて!」
元気よく頷き、シシリィアは槍を構える。そして用意されていた肉へ振り下ろそうとすると、慌ててエルスタークが止めに入る。
「ちょっと待て、シシィ!」
「え、なぁに?」
「いや、お前……。何しようとしてる?」
「何って、お肉切ろうと思ったんだけど……」
「槍で?」
「うん」
「まじか…………」
ぐったりとした様子でしゃがみ込むエルスタークに、シシリィアは首を傾げた。
とりあえず槍はダメっぽいので構えを解き、エルスタークを見つめる。
「なぁシシィ。いつも野営の時の食事作りはどうしてるんだ?」
「……ご飯作りの時、近付かせて貰えないんだよね」
「あ~。そういう事か。分かった、食事は俺が作る」
「ええっ!? 私だって料理出来るよ?」
「……ちなみに何を作れるんだ?」
かなり胡乱げな表情て問うエルスタークに、シシリィアは頬を膨らませる。何とも失礼だ。
胸を張って質問に答えを返す。
「ゆで卵とサラダは作れるよ!」
「……ちなみにサラダの味付けは?」
「お塩とオリーブオイルかな」
「まぁ、悪くはないが……。だが、それは料理とは言わないな」
「え~……」
不満を露わにするシシリィアに、しかしエルスタークも譲るつもりはないようだ。ポン、と大きな掌を頭に乗せられ、言い含められる。
シシリィアを見つめるワインレッドの瞳は、いつも以上に真剣だ。
「いいか、シシィ。食事作りは俺がやる。シシィは休んでろ」
「…………はい」
結局エルスターク一人で作った食事はとても美味しく、シシリィアは余計なダメージを負うことになるのだった。




