夕暮れの出会い
「皆さん、お疲れ様でした~!! これにて、ファンとの交流企画撮影分は終了で~す!!」
長い、長い、……一日の区切りが、ついた。
夕暮れのオレンジに照らされながら、スタッフの人が発した解散の声でひと息吐く。
とりあえず……、交流企画は無事に終わったけれど、私にとっての本番は、多分、これから。
「ほのかちゃん、私、ちょっと用があるからここでお別れだけど、……気を付けてね」
「幸希ちゃん……、うん。今日はありがとう。気を付けて帰ってね」
自販機の前で、今日一日付き添ってくれていた幸希ちゃんと別れると、私は周囲を見まわしながら歩き始めた。
日が暮れて夜になれば、子供達が楽しみにしているパレードもあるし、悠希さん達のバンドもまた、その時に園内のどこかで歌うと聞いている。
という事は……、進藤さんも、まだこの園内に留まり続けるはず。
姿の見えなくなった彼女の姿を捜しながら、私はメリーゴーランドの前へと辿り着いた。
可愛らしいメロディーと一緒に回っている白馬やカボチャの馬車、両親と一緒に笑っている子供達の姿。
進藤さんと一緒に過ごしている時は、ひとつも楽しいと思えなかった……。
嫉妬と敵意の度合いがどんどん強くなった彼女に、何度足を踏まれただろうか。
何度、服越しに鋭い爪を立てられたり、耳元で悪意を囁かれた事か……。
楽しいはずの場所が、危うくトラウマの地になりそうで不安だったけれど、今目の前ではしゃいでいる子供達を見ていると、嫌な気分や不安の気配が優しい光に溶けていくような気がする。
(まるで、幼稚園で皆と一緒にいる時みたい)
子供達が傍にいてくれると、不思議と心が落ち着く。
あの子達の笑顔が、私にとっての元気の源。
今頃皆、どうしてるかなぁ……、と、メリーゴーランドの前にあるベンチに腰を下ろして考えていると。
「あ~!! ほのか先生だ~!!」
「え?」
幼稚園で毎日顔を合わせている子供達の一人、翼君が嬉しそうに私の方へと駆け寄ってきた。その傍には、一緒に手を繋いでいる小さな女の子の姿もある。
「こんにちは、翼君。それから……、妹の桃ちゃんだよね? こんにちは」
「こ、こんにちは……っ」
ふふ、可愛いなぁ。お兄ちゃんの陰に隠れるようにして頬を染めている桃ちゃんに、私はニッコリと満面の笑みを浮かべる。
私も幼い頃は、よく蒼おにいちゃんの背中に隠れて恥ずかしがったりしてたなぁ。
特に、会社関連のパーティーに出席した時は、涙目になって人見知りした時期もあった。
懐かしいなぁ……、あれから私は成長して、夢を叶えて、この子達と出会って……。
なんだか、あっという間だった気もするし、とても長かったような気もする。
この子達も、すぐに大きくなっちゃうんだろうなぁ……。
いつか夢を抱いて、それに向かって、歩いていく子供達。
「翼君、桃ちゃんと二人? お父さんとお母さんは?」
「ん~とねぇ、えへへ、どっか行っちゃった~」
「え?」
「おにいちゃんが桃の事、引っ張って行くから……、パパとママ、見えなくなっちゃったの」
もしかしなくても……、迷子、かなぁ。
今にも泣きだしそうな桃ちゃんの頭を優しく撫でてあげると、私は二人を連れて迷子センターに行く事にした。園内放送でご両親を呼び出して貰えば、きっとすぐに迎えが来るだろう。
……と、思ったのだけど、こういう時に限って、タイミングの悪さというものが発動してしまった。
「ほ~んと、アンタって節操のない女。男だけじゃなく、子供相手にも媚びまくりじゃん」
「進藤さん……」
メリーゴーランドから離れかけたその時、私と子供達の前に立ちはだかったのは、もう猫被りをする事さえやめたらしい進藤さんだった。
憎悪を隠す事さえしないその表情に、涙を零さずに済んだはずの桃ちゃんが、小さく悲鳴を上げてしまう。
私は桃ちゃんと翼君を後ろに庇い、射殺しそうな迫力で睨んでくる進藤さんと対峙する。
話をするつもりではいるけれど、今は駄目。子供達を彼女の悪意に晒してはいけない。
「お話なら、後にしてください」
子供達を促して迷子センターのある施設に向かおうとすると、苛立っている進藤さんが前方に回り込んできた。
「逃げるわけ? アタシや月夜さんの心をこんなに傷つけておいて……、このクソ女っ」
「今は無理だって、そう言ってるだけです。この子達をご両親の許に帰したら、必ずお話に付き合いますから。どいてください」
「ガキなんかどうでもいいっての!! 撮影が終わるまでずっと我慢してたんだから、さっさと来いって言ってんだよ!!」
「ひっく、うぅっ、……お、おねえちゃん、こ、怖いよぉぉっ、うぇえ~んっ!!」
場所も弁えず怒鳴った進藤さんのせいで、桃ちゃんがついに泣き出してしまった。
子供がいるのに、何てことを……っ!!
「ごめんね、桃ちゃんっ。あのお姉ちゃんは桃ちゃんに怒ってるわけじゃないから、大丈夫、大丈夫だからっ。……本当にごめんねっ」
その場にしゃがみ込み、桃ちゃんの頭を胸に抱いて宥めていると、妹を泣かされた翼君が前に出てしまった。
「桃とほのか先生を泣かせるなぁ!!」
「翼君!! 駄目っ!!」
進藤さんに突撃しかけた翼君の手を掴んで自分の方に引き戻し、私は幼い二人の身体を自分の腕の中に閉じ込める。
私に対する悪意や嫌がらせだけならともかく、子供達まで害させるわけにはいかない。
「なぁにが、ほのか先生、だよ。そんな腹黒い女に手懐けられて、利用されてるってのがわかんないわけ? アンタ達が懐いてるその女はねぇ、人を平気で騙す、最低最悪の女なんだよっ」
「違うもん!! ほのか先生は、すっごく優しいもん!! 妖怪おばちゃんみたいに怖い顔しないんだ!! 嘘ばっかり言うなぁあっ!!」
「あぁ? 誰が妖怪だって? このクソガキ……っ」
翼君!! 確かに進藤さんは厚化粧で、今は顔がすっごくアレだけど、妖怪おばちゃんとか言っちゃ駄目だからあああああああ!!
恐ろしい形相がさらに般若以上の何か……、例えるなら、山姥のそれにグレードアップしてしまった進藤さんが、激怒状態でネイルを施した長い爪を構えた。
あぁ、完全に、子供相手に本気の怒りモードになってる!!
ぎゃあぎゃあと互いに罵り合っている進藤さんと翼君の姿に頭痛を覚えた私とは別に、園内を散策していた人達の視線が「何だ、何だ?」と集まり始めていた。
「君達!! 園内で何を言い争っているんだね!!」
「おじさ~ん!! 鬼婆が出たんだよ~!! 退治退治~!!」
「はぁ?」
「翼君!! そういう事言っちゃいけません!! あの、何でもないんですっ。それと、申し訳ないんですが、この子達、迷子なんです。迷子センターまで連れて行って貰えませんか? 名前は……」
ふぅ、助かった……。
流石に周囲の注意や警備員さんの存在まで出て来てしまったら、進藤さんも強気には出られない。
警備員さんに睨まれた彼女は、猫撫で声を出して、「ちょっとふざけてただけでぇ~す!!」と。
私もそれに頷いて、子供達を警備員さんに託した。
これで大丈夫……。これから進藤さんが何を仕掛けてくるとしても、子供達に危害が及ぶ事はない。
「進藤さん、行きましょう」
今度は私から、彼女の腕を掴み、早足で歩き始める。
小声で「触んな、キモいんだよっ」とか呟いている彼女に対して感じているのは、紛れもない怒り。それは、私に対する暴言や嫌がらせに対してじゃなくて、子供相手に怒鳴って、危害を加えようとする動きを見せていた事に対しての、激しい怒りの感情。
自分が何を言っているのか、何をしようとしたのか、彼女は全然わかってない。
「離せって言ってんだろ!! 痛ぇんだよ!!」
「――っ」
思い切り強く腕に爪を立てられた私は、彼女の手を離した。
人もまばらになっている、遊園地の入り口付近……。
進藤さんは自由を取り戻すと、何の予告もなく私の頬を打った。
叩かれた痛みと、鋭い爪が頬を勢いよく裂いていく。
私の事が嫌いだ、って、憎い、って、殺してやりたい、って、彼女が心から思っている事がわかる。その悪意と憎悪に満ちた視線を受け止めながら、私は静かに息を吐く。
「貴女が私に話があるように、私も貴女にお話があります」
進藤さんの感情は、この遊園地で出会った時よりも激しく色濃いものへと変わっている。
全ては、悠希さんへの、月夜さんへの想いが、間違った方向へと突き進んだもの。
私さえいなければ、彼女はきっと、今も純粋なファンの一人だったはず。
だから、元に戻そう。私と悠希さんの間には何もない、って、敵意を向ける必要なんか、ない、って……。
進藤さんはブツブツと私に対する苛立ちを吐き捨てながら、やがて、遊園地の外へと私を促した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「鈴城ほのか……、アンタのせいで、月夜さんは傷付いてる。アンタみたいな女に誑かされたせいで、アタシ達ファンの事を見なくなった!!」
「……」
「全部、全部っ、アンタのせいだっ!! 月夜さんの歌声がなんか変わったのも、ライヴ中に遠くを見てるような目になったのも、全部アンタのせい!! ウザイウザイ!! 死ねばいいのに!!」
柔らかなオレンジの世界が黒に染まり、周囲の様子も確認し難くなった、遊園地の外にある駐車場の片隅で、私は進藤さんの心を正面から受け止めていた。
罵声を浴びる度に痛む、心……。彼女の怒りが、憎悪が、私という存在に容赦なく突き刺さってくる。
「だから、さぁ……。アタシ達の大事な月夜さんを駄目にするアンタみたいな女は……、とことん痛めつけて、罰をやらないと反省しないんだよ」
「進藤さん……」
乾いた笑い声と共に、進藤さんは一瞬で距離を詰めてきた。
その背後から、一台の車がライトで道を照らしながら近づいてくる……。
「まぁ、性悪女のアンタにはご褒美かもしんないけど、月夜さんの目を覚まさせる為でもあるし、いいよねぇ?」
私達のすぐ側に停まった、ワゴン車。
中から出て来た複数の男性が、私達を取り囲んでくる。
「進藤さん……っ、何をする気なんですか!!」
「ふふ、アタシ達の月夜さんを守る為に、必要な事……。早く車に押し込んじゃってよ」
彼女と繋がりがあるのか、男性達は無言で抵抗する私をワゴン車の中に押し込むと、進藤さんを含む全員が乗り込んだ事を確認して、乱暴に車のドアを閉めた。
これって、どう考えても拉致誘拐の展開だと思うのだけど!!
猿轡を噛まされ、両手両足をしっかりと縛られてしまった私は、上機嫌で視線を寄越してくる進藤さんに、言葉にならない声を上げた。
「ん~!! ん~!!」
「あぁ、うっさいなぁ。ちょっと、そいつ黙らせてくんない?」
助手席で寛ぎ始めた進藤さんの命令に、後部座席に陣取っている男性の一人が頷いて実行に移った。鳩尾に感じた鈍い痛み……。彼女の愉しそうな笑い声が、意識と一緒に遠くなっていく。




