22.バイト代
大変お待たせしました!
22.バイト代
「テオくん、今日も起きてこないね……」
翌朝もテオはみんなの「いただきます」に間に合わなかった。
おそらく昨日……というか今朝というか、2時間前まで例の駐車場警備のバイトをしていたのだろう。
というか、火曜日一限目はテオが何よりも楽しみにしている『バレエ芸術に楽しむ』の授業なのに、そんな日も直前まで徹夜に近い状態で働いていたというのか。
「今日で深夜アルバイト、5連勤なんでしょ? そろそろ身体、壊すんじゃ……」
私はそっと隣の席を見やった。
その席の主はきっと部屋で爆睡中だろう。下手すると一限目に間に合わないのではないだろうか。
「別に今日一日出ないくらいでは単位が出ないわけじゃないんだろ? 休ませておけばいいんじゃないのか?」
と、カリムが向かいから言ってくる。見れば普段はテオよりも朝の弱いこの魔神は、未だに眠たそうに朝ご飯を食べている。
その右隣にはすでに朝食を済ましたハインさんとフリードが、ゆっくりモーニンティーを堪能していた。こいつらみんな、他人事といった様子だ。
でも確かにカリムの言うとおり、大体の講義は3回までは欠席しても単位を落とすことにはならない。むしろ多くの学生はその3回をいかに休むかを考えることだろう。
だけどテオの場合、出席日数とかは関係ないだろう。むしろ一回たりとも逃さずに『バレエ芸術に楽しむ』の授業を聞きたいに違いない。
「ねぇアサド、なんか画期的な目覚まし薬とかってないの?」
何でも出来る魔神、特に製薬が得意なアサドだ。きっとそういう薬くらい、この魔神なら持っているだろう。
私が期待の意味を込めてアサドを見つめると、それを目を丸くして受け止めたアサドは、にこっと笑った。あぁよかった、持っているのね。
――ん? にこっ?
アサドってそんな風に笑うっけ? にやっとか、にやりとか、そういう不敵の笑みがデフォルトなこの男が――。
「ねぇカエルくん、梅乃ちゃんが目覚まし薬欲しいんだってー」
アサドはその微笑みを、他人事のように紅茶をすすっているフリードに向けて言う。フリードは片眉をひそませて訝しむ。
あ、なんか嫌な予感がしてきた。
「薬が欲しいのはこの人じゃなくてテオでしょ? それに僕はそんな薬持ってない」
「うん、そうだね――カエルくんが薬だからねっ」
「――!!」
アサドがにっこりそう言った瞬間、フリードの姿が消えた。
っていうかカエル姿になった。
「えっちょっ、アサドどういう――って、ふわああっ」
いつの間にかアサドはニヤニヤ笑って、無言でカエル姿のフリードを宙に浮かばせる。何が何やら、一番状況が把握できていないフリードはばたばたと暴れるが、魔神の魔法の前ではまったく無意味なものだった。
「安心してね、梅乃ちゃん。ボクがテオを……いや、カエルくんがテオを起こしてくれるから」
案の定、愉快そうな笑顔でそう言うと、アサドは片手でフリードを浮かせたまま席を立ち、ダイニングを出て行った。
「何だ何だ、なんか面白そーじゃん。俺も見に行こうっと」
「そうですね、とてもおもしろいものが見れそうです。私も行きましょう」
そしてアサドたちに続いてカールとハインさんもなんだか楽しそうにダイニングを出て行った。ってかあの二人、絶対野次馬でしょ!
この状況、果たしてテオとフリードは無事なのか、私も心配なので彼らに続いてテオの部屋に向かうことにする。
……まぁ私も面白半分だけどさ。
「はぁ……何であいつらは朝くらい静かに出来ねーんだ」
「まぁ、賑やかなのは、いいんじゃないかな」
「……」
そんな私たちを眺めながら、残されたカリムとクリスとハンスの三人はそんなやりとりをしていた。
「ふぁああ、くっそー、どうしてこんなに眠たいんだ」
大講義室に着いて席に座った途端、テオは勢いよく机に突っ伏した。
両手を固く握りしめて、とてつもない睡魔に必死で抗っている様子だ。
「で……でもほら、何とか一限目には余裕で間に合ったし、授業だってたったの90分だよ? 耐えろ、耐えるんだ! かつては王様だったんだから!」
「うぐぐぐぐぐ…………」
やはり、頑固な睡魔を吹き飛ばすのは至難の業なのだろう。
あの後、アサドの操り人形と化してしまったカエル姿のフリードは、寝台で爆睡していたテオの布団に入れられてしまった。そこで止めておけば、まだフリードにもテオにも救いはあったのだろうけれど、あの魔神がそこで止めておくわけもない。布団の中でテオの首筋に絶妙な力加減でフリードの足を触れさせたり、テオの服の中にまでフリードを忍び込ませたり、正に鬼畜だった。そのたびにテオの身体がびくびく動き、なんか変な声が漏れ聞こえてきたり、その場にいたアサド、カール、ハインさんはげらげら笑って見ていたけど、正直私からすると、何とも言えない状況だった。おそらく操られているフリードこそ、とても複雑な心境だったろう。
それでもいつまで経ってもテオが起きなかったので、アサドはフリードの顔(カエルver.)をそのままテオの顔に近づけた。
「それはやばいって――」とギャラリー全員が息を飲む中、ぱちっとテオの目が開き、目の前いっぱいに広がったカエルに勢いよく覚醒したのだった。
とりあえず、フリードにどんまいとしか言いようがなかった。
「はぁー……王時代は一週間徹夜なんて当たり前だったのだが、軟弱になったものだ……」
テオは重い頭を何とか持ち上げると、眉間に何重ものしわを刻んでそう言った。
あぁあぁ、見た目だけはそんじょそこらにいないようなイケメンなのに、目の回りがかなり黒くなっている。もともとゲルマン系の白い肌なので、よりいっそうくまが浮き立っている。
「もう、確かにテオが空を助けたい気持ちは分かるけど……無理して倒れたって元も子もないんだよ?」
「あぁ……それは分かってはいる。分かってはいるんだが……」
それだけ言うと、再び頭を抱えて唸る。
さすがに睡魔も限界なんじゃないだろうか。
そんなテオを眺めていると、前の扉から空が入ってくるのが見えた。空もすぐにこっちに気がついた様子だけど、机上で唸っているテオは気がついていないようだ。
「おはよう、空」
私がそう声をかけると、隣でテオがびくっと反応する気配がしたけれど、重い頭はなかなか上げられない様子だ。
空も私たちのところにやってきて、いつもとは違うテオの様子に眉をひそめる。
「おはよう、梅乃――……彼、一体どうしたの?」
「あぁー……えっと、なんか最近新しいバイトを――むぐっ」
「おはよう、ソラ。今日もいい朝だな」
「え、えぇ、そうですね……」
急に横から手が伸びてきたと思うと、テオは私の口を塞いで何食わぬ顔でソラに挨拶した。
いやいやいや、何が「いい朝だな」だよ。自分はまったくもっていい朝じゃないくせに……!
するとテオは一つため息を吐く。
「すまん、梅乃。ここまで来たが、やっぱり睡魔が限界だ。一旦寝に帰るとする」
そう言うと、テオは私の口から手を放して自分の鞄を漁り出す。
それにはさすがに空も訝しむ。
「新しいバイト……睡魔が限界って、テオさん一体……?」
空がそのまま疑問を口に出したとき、テオは鞄の中から何かを空に差し出した。
茶色の封筒だった。
「ソラ、俺はお前の力になりたいんだ。だからとりあえず今ある分、渡しておく」
テオは空の右手を取ると、その手にその封筒を持たせた。空は一体何が何やらといった様子で、その封筒とテオを交互に見た。
「じゃあ、またな」
一応空が封筒を持ったところを確認すると、テオはにかっと頼もしげな笑みを残して講義室を去っていった。
どんなに顔色が悪くても、その顔はやっぱりかっこいいなぁと、しみじみ思ってしまった。
「これは一体……?」
テオに無理矢理封筒を押しつけられた空は、訝しげにそれを眺める。
確かにテオは一体何を渡したんだろう。こんなものを用意しているとは。
空は恐る恐る中を覗いた。
するとその瞬間、空の目が大きくなった。
「……? 空、中に何が入ってたの?」
「いち……に、さん……5万!?」
「は? 5万……円? って、えええ! お金!?」
えええええ。これには私もびっくり。
まさかテオがこんなに早く、こんな形で行動に出るとは。
気持ちは分かるけど、さすがにもらった方は戸惑うしかないんじゃ……。
「ちょっとこれどういうこと? テオさんは一体何をしているの? 梅乃何か知っているんじゃないの?」
「う……っいや、私にも……」
「お願い梅乃、私こんなの受け取れない。梅乃、彼とよく会うんでしょう?」
すっかり狼狽してしまった空は、テオから受け取った封筒をそのまま私に渡そうとする。
やっぱりもらう側は困るよね……。
でも、私はそれを空の手に戻した。
「それは、テオが空にって言ったんだから、空がちゃんと受け取るべきだよ」
「でも……」
「テオ、空のためにって、それだけを考えてたんだから、空が受け取ってくれなきゃテオが悲しむよ」
「梅乃……」
封筒の中のお金は5万。多分空を助けるにはこれっぽっちもプラスにならないような金額だ。
だけどテオは、かなり必死でそのお金を稼いだのだ。そのためにテオがどんなに無理をしているか、よく知っている。
その想いを無下にしてはいけない。
「一体……どうしてここまでして私を……」
空はただただ茫然とそう呟いた。
未だに困惑した状態で、その封筒を眺めている。
「私にそんな資格なんて……」
「資格?」
私は空が呟いた言葉に疑問を抱いた。
「資格ってどういうこと? ねぇ、空、まだ何か事情があるんじゃないの?」
先日聞いた話では、空はお兄さんの会社を助けるために、援助交際をしていたと言っていた。だけどその話自体、私はどこか釈然としなかった。どこが釈然としないのかはよく分からないけれど。
私がそう詰め寄れば、空は更に困惑した表情を浮かべて押し黙ってしまった。
やっぱり何かあるんじゃないだろうか。
しかしちょうどその時、先生が入ってきて講義が始まってしまっため、空を追究することは出来なかった。




