20.CAFE Frosch in Liebe
梅乃視点です
20.CAFE Frosch in Liebe
「……一つ、聞きたいんだけどハイン、この店、何なの?」
眉間に何重ものしわを寄せて、至極不愉快そうにため息混じりにフリードリヒは言う。
普段からあきれ顔というか不機嫌顔なフリードだけれど、今日は更にご機嫌がよろしくないようだ。
「おや? 言いませんでしたっけ? それとも見て分からないとか? はぁ、長らくカエルでいたせいで、私の主は脳までカエルに……」
それに対し、フリードの側近ハインリヒさんは、やれやれといったように両手を身体の横で天に向け、首を振っている。主がとても不機嫌そうなのに、この側近は相変わらず飄々とした様子だ。
「いや、そういうことじゃなくて、何でこんな内装になっているのかって聞いているんだけど」
「ふふふ……私がどれだけフリード殿下のことを想っているのか、これでよくお分かりでしょう」
「…………」
もはやフリードはため息を吐くばかりで、にっこりといい笑顔を向けてきたハインさんに反論する気力もないようだ。
それもそのはず。
私たちは今、うちから徒歩圏内にある河童公園の西口前にあるお店、ハインさんが経営しているというカフェにいる。
その名も『CAFE Frosch in Liebe』――ドイツ語で、『恋に落ちたカエル』。
4月の第2週目にフリードと一緒におとぎの国から来たハインさんだが、来て1週間目で主をほったらかしてこのカフェをオープンしていた。そんな話は聞いていたものの、ハインさんから「まだ来ないでください」と、要するに出禁を言い渡されていたのだ。
そして、開店からおよそ2ヶ月経った6月の第2土曜の今日、ようやくハインさんから招待を受けてこの店に入ることが出来たのだ。
店名の通り、店内の壁紙はカエル柄で、レジ台や各テーブル、床にはカエル型のインテリアやランプ、そして壁のいたるところにカエル水槽が置かれている。メニューを開けばカエル型のデザートやカエルのラテアートもあるみたい。
「あははっ噂に聞いていたけど、まーさかこんなにカエルだらけだったとはね」
斜め向かいからアサドの愉快そうな声が聞こえてくる。
この人はどこにいても楽しそうだ。
「カエル兄ってば、こんな主想いの側近持てて幸せだなー」
私の右隣にいたカールがニヤニヤ笑いながら、アサドの隣に座るフリードをからかう。フリードは無言でそれに睨み返すが、カールは気にする様子もない。
「……俺が主だったらこんな側近はいらねーな……」
更に私の左隣でカリムが出された水を飲みながら呟く。
その呟きにとても賛成だわ。
私とフリードだけでなく、他のメンバーも招待を受けてついさっき入店したばっかりで、真ん中の大テーブルに案内された。
どうやら私たちを入店させるために今日一日お休みにしているらしい。なので当然私たちだけで何の気遣いもいらない。
こういうところの気の回しようはさすが側近といったところだ。
「でも、カエルだらけだけれど、店内も料理も可愛らしくてセンスもいいね。さすがハインといったところかな」
カリムの向かいでクリスが店内を見回しながら言う。
他のメンツがフリードをからかったり憐れんだりしている中、この人だけ見ている物が違っていた。
今日招待されたのは私を含めこの6人。
ハンスはまだ乗船調査中だし、テオは何やら最近新しいバイトを始めたとかでハインさんのお店に来る時間がなかったらしい。
「本当はフリードがカエル姿だったらあそこの大きな水槽にフリードを入れてやるつもりでしたが、このカエル頭はそんな空気も読まずに薬を飲んできてしまいましたからねぇ」
ハインさんはキッチンから色とりどりの料理を運びながら、お店の一番大きな窓の前に置かれている水槽に視線をやる。それだけ他の水槽に比べると一際大きく、中にソファやら家やら豪華な水飲み場が作られている。もちろんカエル大だ。
「……カエルのままだったらあそこに放り込むつもりだったのか」
フリードは呆れ果てた様子で呟く。
そう、今の時刻は夕方6時。
6月なので日はだいぶ延びたけれど、そろそろ外も暗くなってきている。本来であればフリードはカエルになる時間帯だ。
しかし、今日はこの時間から招待されたからか、フリードはアサドにもらった夜でも人間になれる薬を飲んできたようで、外が暗くなっていてもフリードは人間のままでいる。
「そういえばフリードくん、最近は人間でいるときの方が多いよね」
やってきたグリーンサラダにチーズハンバーグ、ドリアといった洋食を、クリスがみんなの皿に均等によそう。
みんなで食べられるようにと大皿に盛られてたそれは、それぞれご自由にセルフで取る形式なのに、ついつい癖でクリスは手を動かしてしまうみたい。
「確かにカエル兄ってば、最近はあんまり梅乃の部屋にいないもんなー。梅乃捨てられちゃったな」
クリスに乗っかるように隣からカールがげらげら笑いながらフォークの先を私に向けてきた。
仮にも王子であるくせに行儀が悪い。
でも言われてみれば、確かにフリードはここ最近、夜も人間でいることが多い。アサドに薬をもらったばかりのときはあんまり飲んでなかったらしいけれど、先週は2回くらい薬を飲んで、今週は学科やら学祭の打ち上げやらで夜にカエルでいたのは2日くらいだったはず。
カエル姿じゃなければフリードはハインさんに連れ戻されることもないので、この一週間はほとんど自分の部屋で寝ていたみたい。
「でも少し飲み過ぎじゃないか?」
クリスによそってもらったお皿を受け取りつつカリムが言う。
少し眉をひそめている様子から、あんまり飲み過ぎるとよくないのだろうか。
「薬で何か副作用とかって起きたりするの?」
私はアサドに聞いてみる。
アサドは眉をひそめるカリムとは対照的に、相変わらず愉快そうな顔だ。
「起きたり起きなかったり……かな。まぁ、カエルくんが楽しいんだったらそれでいいんじゃない?」
と、そんな他人事のように返してくる。
アサドが作ったというのに、なんだか無責任だなぁ。
「まったく、折角アサド殿に薬をもらって梅乃お嬢様とのお熱い夜をお過ごしになるかと期待していましたのに」
「――ぷぷっ」
キッチンから更に料理を運びながらハインさんが爆弾を落としてくる。
それを聞いてカールが口に含んでたドリアを噴き出し、それがフリードにかかる。
「……カール、行儀悪い」
フリードはハインさんの発言を無視しながらカールを窘める。
まったく私とフリードに何を期待しているんだか。
私たち二人が呆れ模様だというのに、ハインさんは構わず続ける。
「それはつまり、フリードに甲斐性が欠けていることにもなりますが、」
「うんうん、カエル君、不甲斐ないもんね」
「うるさいな」
「それと同時に梅乃お嬢様にそれ相応の魅力がないということにもなるかと」
「……本当にハインさんて失礼な側近だな」
思わず本音がこぼれ出てしまったよ。
ことごとくフリードと私をくっつけようとしているハインさんだけれど、確かにここんところ当初に比べれば無理にくっつけようとしないと思っていたら、そんなことだったのか。
余計なお世話すぎる……!
案の定、カールがこっちにスプーンを差しながら笑ってくる。
「あははっ梅乃、魅力がないってよー。まぁ梅乃ってば、酔っぱらうわ殴るわバイト先の客につかみかかるわ、女らしさとかないもんなー」
「う、うるさいな。ほっといてよ……」
確かにそのどれにも心当たりがありすぎて反論できない。
少しばつが悪くなって視線をカールから逸らせば、向かいのフリードと目が合った。
それまでハインさんやらカールやらにいじられてふて腐れていたフリードだが、何故か私と目が合うと、「ふっ」と鼻で笑ってきた。
「ま、あんたにそんなもの求めたところで時間の無駄だと思うけどね」
なんて、フリードもハインさんたちに乗っかってそんな嫌味を投下してきた。
普段あきれ顔のフリードにしては、珍しく嫌みったらしい笑みだと思ったけれど、それに加えてこんなことを言うとは、非常に腹立たしい。
こいつ、あとでカエルになったときにあの水槽に突っ込んでやろうか。
「まあまあ、梅乃ちゃん。そーんなことで凹まないで、はいあーん」
「もぐっ」
あまりにみんなが私をいじめてくるので、いつもなら捨て置いているアサドの「あーん」も今日は甘えることにさせていただく。
するとアサドはとても満足げに口角を上げた。
それを見て私は自分の行動を誤ったと思った。
「こーんなに梅乃ちゃん魅力的なのにね。みんな見る目がないなぁ」
そんなことを言いながら、その表情のまま私の口端に付いていた汚れを親指で拭い、それを舐め取った。
とても魅惑的で危険なスウィートスマイルだ。
「驚くほど無欲だしな」
と、アサドに続いて隣からカリムが私の頭をくしゃくしゃと撫でてくれる。
そちらに視線を向ければ、頼もしげな顔を私に向けていた。
そして困ったように笑った。
「ま、俺としてはもっと頼って欲しいところではあるがな」
カリムはちらりと私の左手を見て言った。
以前、カリムに釘を刺されてしまったサファイアの指輪。ついつい付け忘れてしまうのだけれど、あれ以来思い出したら付けるか持つかしている。
あくまで思い出したら、だけど。
そんな風にアサドとカリムに甘やかされていると、嫌みったらしい顔を向けていたフリードが、何故か眉をひそめて私を睨んできていた。
「ふん、まぁ僕には関係ないことだけどね」
そう言いながら、黙々と前に並べられた料理を口に運ぶ。
なんだか妙に感じが悪い。
そんな様子を見ながらアサドとカールがにやにや笑っていた。
それから30分ほどしてテーブルに並べられた料理が全部なくなると、ハインさんが店奥からシャンパングラスとシャンパンを出してきた。
「あれ? どうしてシャンパン? 何かいいことでもあるの?」
「ふふっそれはお楽しみでございます。それでは少し明かりを暗くいたしますね」
さっきまではあんなに呆れた様子で言いたい放題だったハインさんだが、なんだかどこかご機嫌の様子だ。
そんなうきうきした様子でお店の明かりを消す。
もともと赤めの明かりがいくつかある程度の暗めの店内だったが、一気に暗くなって何も見えなくなる。
――パンパンッ。
「みなさま、グラスをお手にどうぞ。それでは――」
ハインさんが勢いよく手を叩いてその場の音頭を取る。
「我が主、フリードリヒ・ヘッセン・フォン・ヴィルト殿下の21歳の誕生日を祝して、乾杯!」
「「「「かんぱーいっ」」」」
よくわけも分からずにいると、ハインさんが大きい声でそんなことを言い、みんなが勢いよくシャンパングラスをぶつけ合った。
すると、私たちのテーブルの真ん中がボウッと赤く光る
そこに現れたのは、イチゴが沢山乗った大きなカエル型のケーキ。
それを縁取るようにして沢山のろうそくが刺さっている。
その灯りに照らされて、フリードは困惑した表情をしていた。
「……フリード、今日誕生日だったんだね」
私はようやく状況が飲み込めて、みんなに遅れて乾杯をする。
しかしまだフリードは戸惑った様子だ。
「そうそう、今日、6月8日はカエル君の誕生日。おめでとう、よかったね、カエル死にしなくって」
「……う、うるさいな。一言多いよ……」
アサドの余計な一言の混ざったお祝いの言葉に、フリードは呆れのような照れ隠しのような何とも言えない顔をする。
ようやく今日が自分の誕生日だと思い出したようだ。
そしてみんなそれぞれフリードにお祝いの言葉をかける。
その度に「ありがとう」と少し顔を赤らめながらトーンを低くして返す。
クリスなんか懐から何か取り出したかと思うと、小さいペット用のベッドをフリードにプレゼントする。カエル大のベットとカエル柄なことから、おそらく手作りだろう。
フリードはそれを何とも言えない顔をしながら受け取る。
「フリードごめん。私、何にも用意してないけど……でも、おめでとう」
私も同じようにお祝いの言葉をかける。
するとフリードは私に視線を移すが。
「ふんっ」
と、何故かぷいっと顔を逸らされた。
その反応に、明日カエル姿になったら絶対どこかに投げつけてやろうかと思ったが、その考えを改める。
フリードの赤くなった耳が、照れ隠しなんだということを説明していたから。




