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捨てられた王子たち  作者: ふたぎ おっと
第3章 アヒルもきれいな白色
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19.スナメリ(ハンス)

ハンス視点です。

19.スナメリ



 ゆらゆらと波に揺られている。

 別に船は進んでいないのに、荒波のせいか強風のせいか、とりあえず船は揺れに揺れている。

 出航の兆しもないままに。



 今週の月曜日に太平洋へ出港した海洋調査船だが、一日目はまだよかった。波は凪いでいて、風も穏やかだった。

 要所要所できちんと分析用の海水を引き上げることができ、他の学生が行っている底曳き調査も目的を果たせていた。


 しかし、二日目になって状況が悪化した。


 どうやら南の海上で台風が発生したらしい。しかもそれは、天気予報でも衛星でも予期していなかったことらしい。

 その上、今の時期は日本は梅雨だ。

 梅雨だけなら海上はそんなに荒れないらしいのだが、そこに台風が重なると、台風が規模を増してしまい、風も波も荒くなるそうなのだ。


 そういうわけで、二日目は洋上で停まってその場で調査するということもなく、すぐに近くの港に寄って停泊していた。

 その日はそのままその港で台風を凌ぐことになってしまった。



 そして三日目の今日。



 台風は過ぎ去ったはずなのに、こうして今日もまだ寄港したままだ。

 というのも、午前中に港を出発したことはしたのだが、今日もまた大時化でろくな調査も出来ずにこの港に引き返してきたのだ。


 正直、この程度の揺れは俺にはどうってことない。

 おとぎの国で乗っていた船に比べれば、船体も大きく揺れもそんなに大きくはない。

 しかし、この船で慣れていた調査員や学生たちは、気分悪そうに船室にこもっていた。そもそも、海を対象に研究しているのなら、船酔いぐらい早い段階で克服しておくべきだ。

 みんな調査や研究に対する姿勢がなってないと、つくづく俺は呆れ果ててしまった。



 と、まぁそういうわけで、俺は今、日本のどこか分からないところにある港にひとり佇んでいた。



 船が寄港するまでは、雨も大分降りしきっていたというのに、昼の3時を過ぎてから雲間に太陽が顔をのぞかせている。波こそはまだまだ荒れ模様ではあるが、空の方は非常に都合がよいと思ってしまった。


 すると後ろから足音が聞こえてきた。

 振り向けば、同じ調査船に乗っていた同じラボの4年生の女の子だった。


「もう出てきて平気なの? さっきは随分気分が悪そうにしていたけど」


 午前中の航海で揺れにやられた彼女は、寄港する前からずっと部屋で休んでいた。そのおかげか、今もまだ大分顔が青いものの、足取りはしっかりしている。


「あ、は、はい! 結構休んだので、もう平気です!」

「そう、それはよかった」


 俺が優しく微笑みかければ、その子は背筋をピンとし、その青い顔を赤く染めた。

 そしてその子は当たり前のように俺の側に寄ってきた。

 少し赤い顔で眉尻を下げつつ俺を見上げる。

 その瞳が何を意味しているかなんて、歴然だ。


 しかし、俺はそれに気づかないふりをする。


「それにしても、みんな船に弱いんだね。それともみんなが弱くなるほど海上がかなり荒れていたということかな」


 するとその子は少し残念なような、それともほっとしたような、とにかく顔を赤らめたまま何とも言えない表情をしている。

 そして何かに疑問を持ったかのように首を傾げた。


「ハンスさんは見てないんですか?」

「ん? 何を?」

「夢です」


 ――夢?

 どうして今の俺の発言からそういう話が出るのか、全く意味が分からない。


 その子は難しい顔をして続けた。


「はい、そうなんです。なんかみんな夢を見たとか言ってて、今は大丈夫みたいなんですけど、出航中に甲板に出て海のうねりを見ると、それがすごく気持ち悪くなるみたいなんです」


 なんだそれは。

 一体どういう夢を見ればそういう事が起きるのか、甚だ理解に苦しむ。

 馬鹿げてるとしか思えない。


 そんな気持ちが出ていたのか、その子は俺の表情を見るなり慌てて言いつくろった。


「あっあたしも見たんです、その夢。なんか波間からシャチやサメが飛び出て船を分断したり、海からタコやイカが這い出てきて船を荒らしたりとか」


 夢の内容を聞いて更に俺は呆れた。

 それがまだ、船がどこかにぶつかったり嵐に遭ったりなどして沈んでしまうのなら、分からなくもない。

 しかし、シャチやサメが船を分断? タコやイカが船を荒らす?

 非常に馬鹿げているとしか言いようがない。


 他の人たちも同じような夢を見て調査に出られないというのだろうか。

 たかだかそんな現実味のない夢くらいで海に出られないとは、まったく情けない話だ。



 あまりに馬鹿げすぎて、俺は笑ってしまった。


「――で、君はそれが本当に起こると思う?」


 きっと皮肉っぽい表情になっていたのだろう。

 その子は慌てて顔の前で手を振った。


「い……っいや! 夢で見ると結構リアルで怖いんですけど、別に本当に起きるとは思っていなくて……あたしは本当に船酔いで……」


 その慌てぶりが非常に嘘くさかった。

 そもそもさっきの話じゃ、この子もそれを信じて海を見ると気持ち悪くなっていたのではないか。

 俺の共感を得ようとしていたはずが、まさか俺がこんな反応になるとは予想していなかったのだろう。


 その様子にも呆れてしまうが、俺は柔らかい微笑みに戻した。


「そういえばまだ本調子じゃないみたいだね、顔が青いよ。戻った方がいいんじゃない?」

「あ、心配ありがとうございます。でも、もう少しここにいていいですか?」

「構わないけど、俺はここでフルートを吹くよ」


 そう言うとその子は興味深そうな瞳を向けてきた。

 正直なところ、夢だの幻だの妄想だのが現実に起こると信じている輩と一緒にいるのは気分がよくないが、それで俺に何か害を及ぼすわけでもないし、俺に好意があるらしいので、そのままにしておいた。

 その好意に答えるつもりもないけれど。



 俺はその場で持ってきていたフルートを吹く。

 風が少し強めだが、それに乗って音色が飛んでいく。

 潮風は楽器にあまりよくはないが、海辺でフルートを奏でるのはマーメイド領にいたときから好きだった。

 気持ちがいい。



 そうして吹いていると、顔を覗かせていた太陽がまた雲に隠れる。

 これが日本の「梅雨」ってやつか。


 そんなことを考えていると、俺は思わず笑ってしまった。

 それにつられて音色が乱れる。


 ちらりと隣を見れば、横にいた女の子はうっとりと目を細めて俺のフルートに聞き入っている。

 ふん、容易いものだ。

 少し優しく微笑みかけるだけで、大概の女の子は頬を赤く染める。

 ラボの子も、同じ研究科の子も、オーケストラの子も、夏海ちゃんも。


 しかし、梅乃はどうだ。


 こっちの世界に来てからもうふた月が過ぎている。

 なのに彼女はいっこうに俺に好意を寄せない。それどころか、俺に嫌悪感を剥き出してくる。

 最初の時に比べればそれは若干和らいだのかもしれないが、いちいち俺の行動に突っかかってくる。

 同じ屋敷にいるというのに、食事の時以外は極力俺を避けている。


 正直それも、よく飽きないものだと思ってしまう。

 それと同時に、案外梅乃に突っかかれるのは悪くはないと最近思っている。


 それだけ俺の行動を気にしているということだろう。

 いずれはそれも、好意に変えてみせようと思ってはいるが。


 そのためには、梅乃の変な誤解を解く必要があるだろうな。

 今回の調査員や学生たちのように、彼女もまた夢だのなんだので俺の過去に憤りを感じているのだから。



 そんなことを考えていると、どこかから音が聞こえてきた。



 キューッキューッキューッ。



 フルートの音色に呼応するように、その音は大きくなる。

 俺は気のせいかと思い、そのままフルートを吹き続ける。


 しかし、その音は止まなかった。



 キューッキューッキューッ。



「――何か、聞こえない?」

「え?」


 それがとても気になって俺は隣にいた子に聞いてみる。

 しかし、その子はその音を聞いていなかったようで、首を傾げた。

 またもや俺の気のせいかと思って、再びフルートを吹いてみる。


 すると。



 キューッキューッキューッ。



「分かった。こっちだ!」

「え? ちょっとハンスさん?」


 俺は音の方向を判別すると、すぐにそちらに向けて駆けだした。

 その子は状況が理解できていなかったようだが、とりあえず俺の後を追ってきた。





 近くの砂浜に向かえば、海岸線付近でぴちゃぴちゃ動いている何かがいた。

 近寄ってみれば、それは1メートルほどのスナメリだった。



「……さっきのは、こいつの鳴き声だったんだね」

「わぁ、スナメリ! ど、どうしましょう」

「とにかく海に戻してやらないと、戻れなくて困っているんじゃないかな。君、これ持っててくれない?」


 俺はその子に持っていたフルートを渡した。

 その子は未だにおろおろしている様子だ。


「え、ハンスさんが戻すんですか? 濡れちゃいますよ?」

「構わないよ。あぁ、出来るならそれを船に置いてついでに何か拭くものでも持ってきてもらえると嬉しいな」


 そうにっこり微笑んで言ってやれば、その子はしゃきっと背筋を伸ばして敬礼のポーズをとると、すぐに船に向かって走っていった。



「――さて、お前を今から海に戻すから大人しくしててね」


 そう言ってスナメリの近くに腰を落とせば、そいつは人間を恐れているのか、もしくは興奮しているのか、ベンベンと尾びれを振ってきた。それが勢いよく足に当たって若干傷む。


「はぁ、大人しくしててって言ってるのに」


 暴れるものは仕方ない。

 俺は上から腕を回してスナメリを押さえ込み、それを持ち上げる。

 しかし更にそいつは暴れ出す。

 重量的にはおそらく50キログラムだと思うが、暴れているせいか余計重く感じる。


「よし、今から戻してあげるからね」


 相変わらず俺の親切も知らずに暴れていて、上手く前に進めない。

 目が俺を睨んでいたように見えたのは気のせいか、おそらく気のせいだろうな。


 だが、俺が一歩、海に足を踏み入れれば、そいつは段々大人しくなっていった。


 もしかすると、暴れすぎて弱ってしまったのかもしれない。

 俺は急ぎつつ奥へ奥へ進み出る。


 しかし、そんな心配事は無用だったようだ。

 海岸線から10歩ほど歩いたところで腕の力を緩めてやれば、そいつはすぐに水しぶきを上げながら沖の方へ泳いでいった。



 それを見ながら何とも恩知らずなやつだと、内心思う。



 だが、途中でこっちを振り返った。



 キューッキューッキューッ。



 そしてまた、沖の方へ泳いでいった。



 俺はそれを茫然と見ていた。



 さっきは咄嗟のことで早くあいつを戻してやらないと思っていたが、沖に泳ぎながら上げるスナメリの鳴き声に、俺はどこか懐かしさを感じていた。





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