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捨てられた王子たち  作者: ふたぎ おっと
第3章 アヒルもきれいな白色
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6.Shall we Dance?(テオデリック)

テオ視点です。ちょっと長いかな。

6.Shall we Dance?



 この気持ちは果たして”恋”なのだろうか――。



 『バレエ芸術に楽しむ』の講義の後でそう梅乃に言われたが、俺は上手く答えずにいた。

 梅乃の話では、今朝からずっとそわそわしていたようで、その他にも今日の俺にはそう考えられる節がいくつもあったそうだ。



 ……まったく無自覚だったのだが。



 彼女、ハヤマ・ソラとまともに話したのは今日が初めてだったが、先日の土曜日、今日と会って俺は確信した。



 あの日見た天使は彼女だ。



 ひと月前、アルバイト探しに明け暮れていた俺は、今のアルバイト先であるコールセンターの面接前にふらりとキャンパスの裏手の方を歩いていたのだ。そのときは面接前で少し緊張気味で、そしてそちらまで行ったのもまったくの気まぐれだった。


 そしてサークル会館の3階で踊っている人物をを見つけたのだ。

 それはまるで天使のようで――。


 その後の面接はうまくいき、そのまま採用通知がやってきた。

 

 すべては単なる偶然だったのだろうしこう考えるのはとても愚からしいかもしれないが、俺には彼女が俺に仕事を与えてくれた天使のように思えた。

 だからもう一度会ってみたかったのだが、その後サークル会館で踊っている人物を見ることは叶わなかった。


 しかし会ってしまった、つい先日の観劇で。

 そして同じ講義を取っていることを知った。

この前はほとんど話せなかったから今日こそはゆっくり話せると思っていたのだが――。


 言われてみればこれは恋のような気もする。

 しかし単なる興味、という方が今の俺にはしっくりくるような。


 うーむ。分からん。




 ――――コンコン。



 梅乃とランチを過ごしてから研究室のデスクでそんなことを考えていると、研究室の扉が控えめにノックされた。

たまたま他に誰もいなかったので、俺が様子を見に行くことにする。



 しかし開けた瞬間、俺は目を瞠った。

 そこにいたのはつい今し方考えていたハヤマ・ソラだったのだ。



 彼女も俺を見て目を大きくしている。


「どうした?」

「あ、いえ、授業のレポートを出しに来たのですけど、レポートボックスが出ていなくて。先生もいらっしゃらなかったし、どうなのかしらと思って尋ねたのですが……」


 と、俺ら学生部屋の向かいにある教授室に視線を泳がせながら言う。

 見ればソラの手には紙束が握られている。


「そうか。しかし俺はそのあたりのことはよく分からないんだ。悪い」


 せっかく彼女の方から来たというのに、講義関係の話は正直俺にはさっぱりだ。適当なことを言うわけにもいかないので、俺は素直にそう伝える。

 するとソラは少し目を見開いた。


「今朝も思いましたけど、ずいぶん日本語上手なんですね」

「へ? あ、ああ、まぁ、めちゃくちゃ勉強したからな」


 4月当初はあらゆるところで指摘された“喋り方”だが、もはや今ではあまり指摘されることもなくなっていたので、どう言い訳していたかがぱっと出てこなかった。

 確かに俺のような見るからにヨーロッパ人のような者が流暢に日本語を話せていたら違和感ありまくりだろうな。


 ソラはくすくすと口元を控えめに笑わせる。


「そうなんですね。そしたらまた伺います。それでは」


 そう言って彼女は小さく会釈してきびすを返そうとする。


「あ、待ってくれ」

「――――!?」


 せっかくまた会えたのに行ってしまうと思った瞬間、気がついたら俺はソラの腕を握っていた。

 握られたソラは再び目を見開いて俺を見た。どこか困惑したような表情だ。


「……あ、いや、すまん」

「いえ、何でしょう?」


 彼女から返ってきた返事は、先ほどのやや柔らか口調から、どことなく冷たさが含まれているようにも感じた。


「せっかく来たのだから、少しゆっくりしていかないか……?」


 なんとなくこのまま帰すのは忍びない。

 なんとなく彼女と話してみたい。


 そんな気持ちが差し迫って思わずそう提案してみるが。


「ごめんなさい。私、これだけ出したらすぐに帰るつもりだったんです。これから用事もあるので」


 と、彼女は申し訳なさそうに俺の目を見据えて静かに言って、自分の腕を軽く引いた。

 それは「外して」の合図だったので、俺は彼女の腕を放す。


「そうか。それは残念だ。だが――」

「あの、それではまた」

「え、あっ」


 「また会えるか?」と聞こうとしたが、それを言わせぬようにしてソラは踵を返した。そしてそのまま逃げるように廊下を進んで行ってしまった。

 少し唐突すぎただろうか。ただもう少し会話をしたいと思っただけなのに。

 確かにあんまり知りもしない男に突然腕を握られでもしたら戸惑うだろうが。



 だが、彼女が去ってから思ったことは一つ。

 もっと色んなソラを見てみたい。

 だからもっと話せるようになりたいのだが――――。





 しかしその後も同じようなことは何回かあった。



 留学生の俺は、一部の講義を3年生と混じって受けなくてはいけないのだが、そこでも度々ソラに会うことはあった。だが彼女は同学年の女子と一緒に座っているため、講義を一緒に受けることは出来ない。講義後に彼女に話しかけに行こうとするも、いつも何か急いでいる様子でなかなか捕まえられない。

 ソラが先日のレポートを出しに来たときも遭遇したのだが、それも愛想笑いを浮かべながら提出してすぐ帰ってしまったので、まともに会話らしい会話をすることが出来ないでいた。



 忙しいのか、避けられているのか――。



 俺としては別に下心などなく純粋にソラと話をしてみたいだけなのだが。

 こんな日が2~3日も続いてしまうと、だんだん俺にももやもやが広がってくる。

 その上夕方からはアルバイトで客が文句ばっかり付けてくるので、イライラしっぱなしだ。



 まったく、一体どうすればいいんだ。



 ガリガリと頭を掻きながら、俺は気まぐれにキャンパスを散歩する。

 昼下がりのキャンパスは犬を散歩する人や広場で絵を描くものも何人かいて、とにかく平和だ。季節も5月も下旬になり、ぽかぽか晴れ渡る中に湿り気が混ざるようになる。葉はすっかり青々しく茂り、虫も鳥も活気づいている。

 そんな様子を見ると、少し荒れくれ立った気持ちが自然と凪いでいく。

 まぁ、急に明日明後日会えなくなる、というわけでもないだろうし、こういうことで急いでもよくない。ゆっくり構えながら話せるようになればいいか。



 そう思いながら進んでいくと、途中で俺の足がキャンパスの裏側に向いていることに気がつく。

 まったく、たった今そんなことを考えていたばっかりだというのに、無意識に俺の身体はソラを追いかけているとは。これじゃあ梅乃に恋だと言われても否定が出来ないな。俺自身、まだよく分からないが。


 能動的にか、無意識か、俺の身体はずんずんとサークル会館の方に向かっている。

 そこに彼女がいる確率など低いのに、そこへ行けば会えると思っている自分がいる。

 何ともおかしな話だな。



 しかし、そこまでたどり着く前に俺は見つけてしまった。

 サークル会館までの途中にある池の畔で踊っているソラを。



 池の対岸で、ソラはしなやかに身体を動かしていた。背の中程まで伸びた黒髪を揺らし、手足をしなやかに上げたり下げたりしている。よくバレリーナが履いているトゥシューズではなくただのパンプスだというのに、器用につま先で立ちながら、くるくると速く回っている。

 池の畔で踊っている姿はとても美しく、水面に姿が映っていることも相まって、まるで水上で踊っているかのようだった。



 俺は気配を消してソラの方へ行く。

 俺が移動している間も、人の気配を全く気にする様子などなくソラは踊り続けた。

 そしてあと10歩もないところまで来ると、俺はすぐ傍にある木にもたれかかって間近で観察した。



 顔は至ってポーカーフェイスだが、全身から楽しいんでいるのが伝わってくる。それと同時に『白鳥の湖』独特の儚さが表れているようにも思える。



 ほどなくしてソラは踊り終え、こちらに背を向けたまま大きく息を吐く。

 俺は隠れることなく拍手した。


「――――!?」


 ソラはびくっと肩を揺らして勢いよく振り返る。

 そして恥ずかしそうに眉間にしわを寄せて困った顔をする。

 それは今までの愛想笑いとは違って新鮮だった。


「見てたんですか?」

「あぁ少し前から。きれいだった」


 するとソラは少しため息混じりに視線を泳がせた。

 俺は少しずつソラに近づく。なんだか恥ずかしげなソラを見るのもいいかもしれない。


「今の、『白鳥の湖』の振りだろう?」

「はい、黒鳥のオディールです」

「やっぱりな。先日見たばかりだったから覚えていた」


 あと1歩の距離で俺は止まり、ソラを見下ろした。

 ソラは相変わらずどうしたらよいか困惑の表情を浮かべて視線をさまよわせている。


「バレエ、好きならそのまま続ければよかったのに。以前もサークル会館で踊っていただろう?」


 俺がそう言うと、ソラは再び眉間にしわを寄せた顔を俺に向けてきた。

 やっぱりどこか恥ずかしげだ。


「それも見てたんですか」

「あぁ、というかソラを知る前に見ていたんだ。あれもとてもきれいだった。さっきも黒鳥踊っていたが、ソラの踊る白鳥も見てみたいものだ」


 ひと月前のことを思い出しながら言うと、ソラは少し目を見開いて眉を変な形に歪ませる。

 これはどういう意味だろうか、とても複雑そうな表情だ。

 しかし、程なくしてソラは表情を戻し、口元を控えめに笑わせた。


「恥ずかしいのでもう踊りません。ニールセンさんこそ踊ったらいかがですか?」


 と、口元に手を当ててくすくすからかう調子で言ってきた。


「俺がバレエを踊れると思うか?」

「さぁ。でもバレエじゃなくても欧米人って自然と踊れるイメージがあるので」


 そう小首を傾げて俺を見上げてきた。

 さきほどまでの困惑した様子はどこへやら、少し挑発的な微笑みだ。

 そんな瞳を向けられると、なんとなくそれに乗ってやろうではないかと思ってしまう。



「なるほど。確かにバレエは踊れないが、踊れることは踊れる。ただし――」

「――――!?」

「ソラも一緒だ」



 俺は口元に当てられているソラの手を取り、ソラの腰を引き寄せる。


 腕の中に入ったソラは、驚愕のあまりか少し身体が硬い。

 困惑しきった切れ長の瞳はこれまでよりも大きく見開いている。

 その黒色の中いっぱいに俺の顔が映っていた。



 少し強引な手だったかもしれないが、ソラの視界が俺で埋め尽くされていると思うと、何故か心が満たされた。



 ソラは戸惑った顔をしていたが、再び先ほどのように口元を笑わせた。

 よく俺に見せてくるような愛想笑いだ。


「これは私、口説かれてるんですか?」


 やはりどこかからかうような口調だ。

 俺もそれにつられて口元を綻ばせる。


「あぁそうかもな」


 だが俺がそう返すと、ソラは再び目を見開き、困惑の表情を見せた。



 俺はそのまま強引に足を動かした。

 それにつられてソラも足を動かすが、勢いよく瞬きをして俺に言う。


「え、ちょっちょっと! 本当に踊るんですか?」

「あぁ、ソラも踊り足りないだろう? バレエじゃないけどな」


 ふっと笑いながら言ってやる。

 俺がどんな顔をしていたのかは自分では分からないが、おそらくだいぶ意地の悪い顔をしていたのだと思う。その顔を見たソラが少しだけ眉間にしわを寄せたから、きっとそうなのだろう。


「大丈夫だ。つられるままに足を動かしていればいい」

「まったくどうしてこうなっているのかしら」


 俺は左足を前に出し右足を横にスライドさせる。それに合わせてソラも右足を後ろに出し、左足をスライドさせる。簡単なワルツのステップだ。

 渋々ながらも自然と足が動く様子は、さすが踊り子といったところだろうか。顔は若干恥ずかしそうに唇を尖らせている。

 なるほど、こんな顔もするのだなと、俺はなんだか愉快な気持ちになる。



 そして改めて思う。

 俺、やっぱりソラに惚れてしまっている。



 今日なのか、この前の授業の時なのか、観劇の時なのか、ひと月前なのか。

 それは分からないが、少なくとももっと色んな顔を見てみたいと思うくらいには惚れている。


 そう思いながらソラを見ていると、彼女もそれに気がついたのか俺を見上げる。

 相変わらず憮然とした表情だが、ほんのりと頬と耳が赤くなっている。

 唇は硬く引き結ばれているが、黒い瞳はぼんやりと俺を映してる。

 少し硬かった身体も次第に力が抜けて、自然に足を動かしている。




 静かな金曜の昼下がり。

 そこにいるのは俺とソラだけ。

 お互いに特に何も話さず、ただじっと見つめ合って踊っていた。






 ――――ピリリリリリ。




 そうしてどれくらい経っただろうか、突然携帯電話の音が鳴り響いた。

 それまでぼんやりと俺を見上げていたソラは、その音が鳴った瞬間にはっとし、肩を揺らした。


「いけない、私もう行かないと」

「あ、あぁ……」


 焦った様子だったので身体から手を放すと、ソラは急いで池の傍らに置いてあったバッグをひったくるように取ってその場から去ろうとする。


「また、会えるか?」


 ソラがその場からいなくなる前に、俺はその言葉をかけた。

 ソラは一瞬立ち止まってちらりと俺を振り返る。

 しかし、そのまま何も言わずに去って行ってしまった。




 その背中を見送りながら俺は一人ため息を吐く。



 ようやく自分の気持ちに自覚したばかりで、まだまだ彼女と知り合ったばかりだ。

 なら今日のところは上出来か。



 そう思うのに、気持ちは何故か焦ってしまっていた――――。


 


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