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捨てられた王子たち  作者: ふたぎ おっと
第3章 アヒルもきれいな白色
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5.そわそわぼんやり

梅乃視点です。

5.そわそわぼんやり



 朝8時15分。

 今日火曜日は1限目に『バレエ芸術に楽しむ』の講義が入っている。

 しかし授業が始まるまであと30分。とても余裕すぎる時間帯だ。

 こんな時間から講義室にいる生徒など、片手で数えられるくらいしかいない。

 その片手で数えられるくらいの中に、私とテオは含まれていた。


「うあー、ほら、やっぱり全然席余裕だったじゃない。もうちょっとゆっくりしたかったのに」

「う……す、すまん」


 朝ご飯を食べた後のこの時間は妙に眠い。なのでいつも朝食を食べてから30分くらいは家でのんびりして、ちょうど今くらいの時間に家を出るのだ。

 なのに今朝ダイニングに降りるとやけにテオがそわそわしていて、食事中もそわそわ。そして速く食べたと思ったらやたらと私を急かしてきたので、仕方なしに私もいつもののんびりタイムを削ってやってきた。


 そして今に至る。


「今日に限って一体どうしたのさ? なに、何かあったの?」


 あまりにも時間がありすぎて暇なので、右隣に座ったテオを文句ありげに見やりながら聞いてみる。

 テオは講義室を目線だけで一通り見渡してから、小さく咳払いをする。いつもテオを観察しているわけじゃないから知らないけど、なんだかやっぱり不自然だ。


「い……いや、何かあったわけではないんだが、何というか……」


 やけに歯切れの悪い返事だ。自分でも上手く説明が出来ない、といった様子。

 するとそこで私はふとあることを思いついた。


「もしかして、今日の内容がこの前の『白鳥の湖』の解説だったからいい席取りたかったの?」

「え?」


 思いついたことをそのまま尋ねると、テオはびくっと肩を揺らして私を見てきた。

 図星か何なのか分からないけれど、それは理由の一つにありそうだ。


 ついこの前の土曜日、私とテオは「白鳥の湖」のバレエ観劇に行った。というのも、今日これから受ける『バレエ芸術に楽しむ』の講義の一項目に、実際のバレエを観るというものがあり、それの一つがこの前の観劇だったということだ。

 そして今日はそれの解説。


 おとぎの国の友人でもあるらしい「白鳥の湖」の王子さまに頼まれたからと、かねてよりそのバレエ観劇を楽しみにしていたテオだ。この前の観劇の時はとても楽しんでいたみたいだけれど、その解説も早く聞きたくて仕方なかったのではないだろうか。


「まぁ、それもなきにしもあらずだが」

「うーん、よく分かんないなぁ。それとも今日は『クルミ割り』とか『眠れる森』とかのビデオ観るから?」


 さっき言ったように今日は「白鳥の湖」の解説もあるけれど、「白鳥の湖」といえばチャイコフスキーの三大バレエの一つ。なので他の「クルミ割り人形」とか「眠れる森の美女」も今日一緒に解説するらしい。

 どれもおとぎの国と関わりのある題目だから、やたらとこんなにそわそわしているのではとも考えられる。

 まぁ、それを言ってしまっては、バレエもオペラもおとぎの国と関わりのある題目ばかりなんだけどさ。


「確かにそれはとても楽しみではある」


 うーん? 楽しみ「では」ある?

 それじゃあ他に何か楽しみにしているものでもあるというのだろうか。

 全く分からん。



 そんな特に進展しない会話をしていたら、なんだかんだで時間は過ぎていき、ぞろぞろと入り口から人が入ってくる。

 時計を見れば長針は「6」のあたりを差している。

 みんな講義室に入ると、必ず一度はテオの方に視線を向ける。しかしすぐに視線は外れ、自分の座りたいところへ移動する。毎週火曜日の朝と言ったらいつもこれだ。まぁ理由は言うまでもなくテオがそんじょそこらにはいなさそうなイケメンの外人さんで目立つからだ。

最初の数回は多くの学生たちが好奇心に満ちた目でテオを見ていたのだが、それが毎週となると見る方も「あぁいつもの」といった色合いに変わっていった。ついでに隣に座る私にも視線をよこすのだが、それも最近はなくなった。



「あ」


 すると突然テオが入り口の方を見ながらピンと背筋を張った。


「ん? どうしたの?」

「え、あ、ほっほら。この前会ったお前の友人」


 と、何か誤魔化すようにテオが言ってきたのでそちらを見れば、ぞろぞろと入ってくる人に凛としたさらさら黒髪ストレートの女の子が入ってきた。



 羽山はやまそらだった。



「空、こっちおいでよ!」


 私は手を挙げて空を呼んだ。空は私たちに気がつくと、小さく手を挙げてこちらにやってきた。


「おはよう梅乃。でも私がいたら邪魔にならないかしら」


 空は私たちの席の前まで来ると、控えめな笑顔でちらりと私の右隣に目をやって言った。

 口ぶりからして私とテオが付き合っているみたいな言い方だ。


「そんなことないって。別に私とテオそんなんでもないし、それにほら、空と会うの久々だったのにこの前はあんまり話せなかったからさ」

「そう、ならここお邪魔するわね」


 そう言って空は私の左隣、テオとは反対側の方の席に腰掛けた。


「空、この前はともかくとして、まともに話すの1年ぶりくらい? 全然会ってなかったよね?」


 羽山空は私の高校時代からの友達で、経済学部3年生の超美人さん。と言うのも、背中の中程まで伸びたさらさら黒髪ストレートはとっても艶やかで、姿勢も良く凛としている。鼻もすっと通っていて睫も長く、真っ黒の切れ長の瞳はまるで日本人形のようだ。


 大学入ってからしばらくはちょいちょい会っていたのだけれど、2年生の途中でぱたりと会わなくなってしまった。

 そうしてついこの前の土曜日、バレエ観劇の時に再会した。ついでにこの講義も取っているって言うこともそのときに聞いた。



「色々……忙しかったから」


 空は少しきつめの切れ長の瞳を入り口の方に流しながら、あんまり大きくはない声で返してきた。


「そうなんだ? そういえばサークル会館でも全然見なくなったもんね」

「あぁ、バレエサークル辞めたの。半年くらい前にね」


 と、肩を竦ませてどこか残念そうに目を伏せる。


 空はずっと昔からバレエをやっていたようで、大学に入ってからも続けていた。そのためオケの練習や個人連の後などにたびたびサークル会館で会っていたのだ。

 だけど、言われてみれば確かに空と会わなくなったのは半年くらい前だったか。


「えっもったいない。空のバレエとっても上手なのに」

「そんなこと――」

「バレエ、するのか?」


 私が空に質問攻めにしていたら、横からテオが割り込んできた。

 すっかり隣に座っていたのをほったらかしてしまっていたのだけれど、そちらを見れば灰色の瞳を驚くほど興味津々な色に染めている。


「少し前に……」

「めちゃくちゃきれいなんだよ、空のバレエ」

「そうなのか。それは見てみたいな」


 私がいかに空のバレエがきれいだったかを言うと、テオは机に頬杖を付いた状態でにっと笑って言った。

 割と好奇心旺盛な笑顔を向けてくるテオだけれど、たった今見せている笑顔は単なる好奇心や興味津々といったものではなく、もっと好意的なものが含まれている。もはや馴染みすぎてしまっているが、元々がかなりの美形なだけに、どこか相手を魅了するような笑顔だ。

 その笑顔を向けられた空をちらりと見れば、少し目を見開いている。頬はどこかほんのりと赤みがかっているような気がするけれども。



「でも本当にもう辞めたんです」


 空はテオの視線から逃れるように目を瞑ってため息混じりに言った。


「でもどうして? 忙しいとかさっき言ってたけど……あ、そういえば今お兄さん……あれ? 従兄だっけ……の家が忙しいとか?」


 私は言いながら首をひねる。


 そういえば空の家は色々と複雑で、もともと母子家庭だったのが高校卒業前にお母さんが亡くなってしまい、その後お兄さんか従兄の家で暮らしているとか以前言っていたはずだ。

 でも大学入学当時から既にそういう状況だったから、今更忙しくなるってことはあるのだろうか?



 と、首を傾げつつ空に視線を向ければ、元々あんまり豊かでない空の表情がよりいっそう硬くなっている気がした。



「よく覚えてたわね。そう、今従兄の家にいるの。そこの家のお手伝いをしてるのだけれど、色々と忙しくって」


 しかしそれはすぐに控えめな笑顔の裏に隠された。

 それはなんとなく「これ以上聞くな」と言っているようにも見えたけれど――。



 そんな会話をしていたら、講義室の入り口から講義の先生が入ってくる。

 いつの間にか8時45分になっていたようで、そのまま授業が始まった――――。





 今日は予定通りビデオ鑑賞もあったため、いつもより時間が過ぎるのが早く感じた。

 そうしてあっという間に90分が経ち、授業が終わった。



「はぁー楽しかった。やっぱりバレエはいいね!」


 ぞろぞろと多くの学生が講義室を後にする中、私は座っていた席で伸びをする。

 それを見た空が少し気恥ずかしげに笑う。


「そういえば今度学祭で『花のワルツ』弾くんでしょ? 楽しみにしてるわ」


 と、昔からするような控えめな笑顔で言って、出していた筆記用具を片付ける。



「な、なぁ! この後時間があるなら、ラウンジに行かないか?」



 するとすっかり筆記用具をしまい終わったテオが、どこか切羽詰まった様子で提案してきた。

 テオは私たちふたりに提案してきたけど、その視線は何故か私を通り越して空を見ているようでもあった。

 それに私は火曜日はこの後午後まで授業がないため、いつもこの時間はテオとラウンジで過ごしていたから、この質問はきっと空に向けてのものだろう。



 ここまで様子を見ていて思ったけれど、何だかテオ、空をやたらと気にしているような――――……?



 空の方を見れば、テオに気圧されてか少し目を見開いて言葉に詰まっている。


「そ、そうだよ。2限目ないならちょっと早いけどご飯でも食べようよ」


 テオもなんとなく堅い様子だし、このままでは話が伸展しなさそうと思って助け船を出してやる。まぁ私ももう少し空と話したかったし。


 空は少し大きくしていた目を元の大きさに戻すと、鼻で息を吐く。


「まぁ時間はなくはな――――」



 ――――ブーブーブーブーッ。



 すると突然どこからかバイブ音が聞こえる。

 音の方向からして、空のバッグの中からか。


 空はバッグの中からスマートフォンを取り出し確認すると、盛大にため息を吐いた。

 なんとなく嫌そうな雰囲気だった。


「ごめんなさい。今ちょっと呼び出されてしまって、行かなくちゃいけなくなったわ」


 ため息混じりにそう言うと、空はバッグを持って立ち上がる。

 そして控えめに笑って私とテオを交互に見る。


「申し訳ないですけど、また今度誘ってください。それじゃあ」


 それだけ言うと、空は身を翻して講義室の入り口の方に向かった。

 その背中は相変わらず凛としているけれど、どこかうんざりとしていて、でもどこか焦った様子で、そそくさと廊下の人混みへと消えていった。


 うーん、なんだかこの前もこんな感じで空帰って行かなかったっけ?

 色々と忙しいのかなぁ。

 この前よりはゆっくり話せたと言ってもほんの少しだったので、もう少し話したかったなぁと名残惜しい気がする。



 と、そうこうしているうちに2限目にこの講義室を使う学生たちがぞろぞろと入ってくる。私たちもそろそろ出ないと次の授業が始まってしまう。


「テオ、ほら私たちも行かないと」


 私は立ち上がってテオを見下ろした。

 するとテオははっとしたように目を瞠り、私を見上げてきた。


「そうだな。行くか」


 と、すぐにいつも通りの落ち着いた笑みを返してきた。

 そしてそのまま私たちも講義室を出て、教養棟と工学部棟の間にある学生ラウンジに向かった。




 そこまでの道中、いつものように他愛ない世間話をしていたけれど、なんとなくどこかテオは上の空だった。

 今朝もやたらとそわそわしていたし、さっきの口ぶりからしてもやっぱり――――。



「テオ、空のこと気になるの?」

「えっ」



 ラウンジに着いてから私はテオに尋ねてみた。

 すると図星なのか、弾けるようにテオは反応してきた。

 テオは口をへの字に曲げると、どこか気恥ずかしげに頬を掻くが。


「気になるというか……気になるのか……?」


 などと疑問で返してきた。

 どうやら自分でも分かっていない様子。



 うーん、私の勘違いかも知れないけど端から見て結構明白よね?

 そう考えれば今朝のこともしっくりくるし。



 その後もテオと昼食を一緒に摂ったけど、やっぱりどこか上の空だった。



 これはやっぱり、恋、したんじゃないの? テオさんよ。


 


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