28.和解
第三者視点です。
28.和解
あの日から一週間。
しばらくは兄、桐夜と一緒に住む部屋で過ごしていたけれど、週末から実家で数日間療養していた。
さすがに実家は平和で、地元の子たちとも沢山遊んだ。それはとても楽しく優しい時間で、ずっとここにいたいとも感じたほどだ。
だけど自分には行くべきところがある。
このまま地元で過ごしていたいけど、あれから学校がどうなったのか気にならなくもない。
それにクリスが言っていたことも気になるし。
そういうわけで、楠葉は一週間ぶりに瀬佐美女子学園に向かった。
門のところまで送ってくれた桐夜にだいぶ心配されたし、やっぱり今までのこともあって学校に行く足取りが重くもあったが、それでも今日は頑張ろうと意を決して門をくぐる。
校内に入ると別のクラスの子や顔見知りの後輩たちがこちらを見てくる。
好奇心、同情、無意味な心配。
そんな視線が色んな方向から突き刺さる。
…………いや、もしかすると自分の思いこみかもしれないが。
昇降口をくぐり抜けて下駄箱のところに行くと、クラスの子と目が合った。
一瞬楠葉はどうしていいか分からず、気まずげに視線を下げる。おそらくその子も気まずそうにしていただろう。
しかしほどなくしてその子が近寄ってきた。
「くっ楠葉! ようやく出てきたんだね。怪我とか、大丈夫なの?」
どこかぎこちない様子で楠葉に話しかけてくる。
見れば喋り口調同様、顔も若干引きつった笑いを浮かべているが、なんとかフレンドリーに接しようと努めているのは伝わってきた。
だが心の内では何を今更そんな心配しているのと、楠葉は思わなくもなかった。
目の前のこの子は高校2年生になったときからずっと無視し続けてきた。楠葉が辛い思いしているときにも知らんぷりだった。
そう思うと、咄嗟に上手く言葉を返せなかった。
するとその子は少し眉尻を下げて申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「その……今まで、ごめんね。ずっと知らんぷりしてて。この前本気で後悔したの」
と、楠葉の左手を優しく握ってくる。
その仕草に楠葉は若干戸惑うも、その子が本当に申し訳なさそうにしていたので、許してもいいような気がしてきた。
心の中にもやもやは残るが。
「もう……いいよ」
少し言い方が素っ気なくなってしまったか。
でもこれ以外にかける言葉がなかった。
今までのことを引っ張り出す気にもなれないし、気にしてないなんて言えるはずもない。
だけどあまりにそのことに固執しすぎるとよくない気もするので、当たり障りない返事を返す。
すると、その子は嬉しそうに笑うと、楠葉の腕に手を回してきた。
「よかった。楠葉許してくれないんじゃないかと思ってたの。ね、さっそく今日お昼一緒に食べようね」
その仕草が明らかにこれまでと違いすぎていたので、やっぱり楠葉は戸惑ってしまう。
違和感だらけだ。違和感しかない。
だけどもうこれまでのことを気にしすぎて仲直りができないのも嫌だったので、楠葉は苦笑いを浮かべつつ、「うん」と返事した。
それから二人並んで教室の方に向かって歩き出す。
2年生の教室は南に向いている昇降口から右側、東棟の2階に位置する。
そこまで歩く道のりで、やはりまた好奇心や同情の目線が多く楠葉に突き刺さる。
誰も彼も、先週のことが気になっているに違いない。
内心でそう気分悪く感じていたら、途中で数人の女の子が楠葉のところにすり寄ってきた。みんな1年生の時は仲良くしていたのに高2に上がった瞬間無視してきた子たちだった。
「楠葉、聞いたよ? ねぇ、怪我とかもう大丈夫なの?」
「楠葉、本当にこれまでごめんね。あたし、二度とあんなことしないから」
「大丈夫? 楠葉。本当に私心配したの。本当に泣きそうだったの」
と、みんなこれまでのひと月半がなかったかのように楠葉の右手を左手を握り、申し訳なさそうな表情を作る。そのうちの一人は泣きそうな顔でもあった。
やっぱり楠葉はこんなみんなの反応に戸惑いを感じてしまうけれど、ここにきてようやくクリスの言葉を信じることができるようになった。
「もう君はいじめられることはない」という言葉――――。
そう考えると、クリスが何かをしてくれたのかもしれないし、自然な流れでこうなるのを知っていたのかもしれない。
これがそれだと思ったら、少しずつでもみんなを許そうと、楠葉は内心で思った。
そうして廊下を歩いているうちに楠葉に気がついたクラスメートが次々と寄ってきて、今までのことを謝ってきた。一つ一つに楠葉は許し、その楠葉の言葉に一人一人が安堵の息を漏らす。
それはきっとこれまでのことを考えたら当たり前のことかもしれない。
だけど不自然にもみんながすり寄ってくる様子に、楠葉の違和感は心の内で膨れあがっていた。
そんな気持ちを抱えつつ、みんなと一緒に教室に入る。
その瞬間、感じていた違和感の正体が分かった。
教室のドア側や後ろ側には登校したばかりの女の子たちの群れがいくつかできている。
何人かの子は席に座って喋っている。
そこまではこれまでもあった光景。
いや、これまでなかったことと言えば、楠葉を白い目で見ていないことだろうか。
しかしそんなことではない。
教室の真ん中に座る女の子の後ろ姿。
背中ほどで切りそろえられたボブ、凛とした背筋。
それが一目見て透子であると分かった。
いつもはその席の周りに色んな子を集めて楽しそうにお喋りしているのに、今日の透子は自分の席にひとり、寂しげに座っている。
そんな透子をちらちら見ながら笑い合う女の子たち。
その光景を見て楠葉が固まっていると、楠葉が教室に入ってきたことに気がついた別のクラスメートがまた寄ってきた。
いつも透子と一緒にいる二人組だ。
「楠葉! よかった、何もなかったの? 心配したんだから」
「ホントホント。心配でクリスさんにも聞いたりしてたんだよ?」
「クリス」という単語が出てきて、楠葉はこの前のクリスの言葉を再び思い出した。
やっぱりクリスは何か知っていたんだと、楠葉は心の中で納得する。
しかしそれとこれとはまた別。
どうしてこの子たちがこんなにフレンドリーに話しかけてくるのかは不思議でたまらなかった。そしてどうして透子じゃなく自分のところに寄ってくるのかも分からない。
一度に色んな光景を目にしすぎて、楠葉は戸惑うばかりだった。
そんな楠葉の様子を知ってか知らずか、また別の子が話しかけてくる。そしてまた別の子が心配そうに楠葉にすり寄ってくる。
そうして気がつけば楠葉の周りはクラスメートの女の子でいっぱいになる。
さすがに楠葉は訳が分からなすぎて、クラスメートの一人に尋ねた。
「ねぇ透子、いったいどうしたの?」
すると尋ねた子は少し顔を歪ませて、内緒話をするような様子で楠葉に言ってきた。
「楠葉知ってた? 透子っていつも家のこと引き合いに出してきたじゃない? あんなの嘘なんだよ」
「嘘?」
「そうそう。だって先週? 楠葉のお兄さんたちが来たときに透子のお母さんも来てたんだけど、校門の前で透子がひっぱたかれてるのあたし見た!」
「ホントだよね。透子が親と仲良くないんじゃあ、今まで脅されてたのってなんだったの、って感じ」
一人が答えればそれに乗っかるように別の子も楠葉の質問に答えてくる。
答える子が増えればその分声のボリュームも大きくなる。
その声は少なからず透子には聞こえているはずだ。
そんなこと分かっているだろうに、話す子たちの声量はどんどん大きくなる。
楠葉は改めて自分と透子を見る。
みんなに囲まれてちやほやされる自分と、教室の真ん中でひとり座る透子。
完全に逆転していた。
この状況をどう受け止めるのが正解か、楠葉はよく分からなかった。
今までされたことを思えば、この状況は当然なのかもしれない。
本当にひどいことを沢山された。
今みたいに教室の真ん中で後ろ指差されるなんてことが日常だった。
沢山パシリにされた。教科書に落書きされた。ぬいぐるみを焼かれた。
先週のことだって――――。
一つ一つ思い出せば、今の透子に楠葉が同情する理由もないと思えてくる。
それにもう自分に矛先が向くこともない。平和じゃないか。
だったら自分が気にすることなんて一つもない。
どこかで感じる罪悪感に蓋をしよう。
楠葉はそう自分に言い聞かせた。
「でもこれでやっと楠葉と仲良くできるね」
しかし、集まってきた子たちのそんな一言に、楠葉は再び固まる。
「これでやっと楠葉と仲良くできる?」
その一言に、周りの子たちはうんうんと頷いている。
そしてべたべたと楠葉にスキンシップをとってくる。
しかし楠葉はその手を払いのけた。
「……楠葉?」
楠葉に手を払いのけられた子が、楠葉を不思議そうに見る。
楠葉は周りを囲んでいた子たちを睨み付ける。
「よくそんな白々しいこと言えるよね」
いきなり楠葉にそんな一言をかけられたクラスメートたちは、一気に顔を引きつらせた。そのうちの数人は訳が分からないといった表情を浮かべている。
そんなみんなの様子などに構わず、楠葉は透子のところに向かった。
当然その場に動揺が走る。
「くっ楠葉? 透子は散々楠葉にひどいことしてきだんたよ? 同情することないんだよ?」
その言葉に楠葉は振り返る。
そして冷めた目でクラスメートたちを見た。
「それ、みんなもそうだよね? 遠巻きに見てるだけならまだしも、透子と一緒になって私に何してきたか、分かってるの?」
「そっそれは透子に脅されてたからで……っ」
「だから? だからぬいぐるみを窓台に置いたりしたの? 落ちたの見てたくせに誰も呼んでくれなかったの? それが”仲良くできるね”なんだ?」
「それは……っ」
楠葉が淡々とクラスメートたちに言うと、彼女たちは最初は言い訳をしていたものの、次第に返せなくなる。
誰も彼も正直な反応だ。楠葉の言うとおりだからだ。
楠葉は透子の席まで来ると、右手を差し出した。
自分の席で本を読んでいた透子は、ちらりと楠葉を見ると、それまでに寄せられていた眉間のしわを濃くした。
そして再び本に目を戻す。
透子は黙ったままだった。
楠葉はもう一度同じように手を掲げたが、透子は同じ反応だった。
楠葉は一つ鼻でため息を吐くと、透子が持っていた本を取り上げた。
透子は一瞬慌てたようにするが、楠葉を前にすました態度を取り繕った。
「なんなの? さっきから。笑うならあっち行ってみんなと笑ってきたら?」
「そんなこと言いに来たんじゃない。ほら」
そう言うと、楠葉はまた右手を差し出した。
透子はそれを見て眉をひそめると、楠葉をにらみ返した。
「何のつもり?」
「仲直り」
楠葉の一言に、透子だけでなくクラスメートたちも動揺する。
透子は黙ったまま、楠葉の右手を見つめる。
楠葉は右手を差し出したまま、教室の後ろに集まっているクラスメートに目を向けた。
「私、確かに透子のしたこと許せないし許すつもりもない。それはみんなに対しても同じ。かと言って同じことを繰り返すのもばかばかしい気がする。だから」
楠葉は透子に向き直ると、強引に透子の右手を取った。
触った瞬間透子は強ばったが、それでも楠葉はその右手を握って言った。
「これで終わり」
2章終了まであと2話!




