9.兄妹ケンカの理由
9.兄妹ケンカの理由
私の部屋に戻って、とりあえず先に楠葉にシャワーを浴びさせる。
すぐに帰るんだったら頭を拭いて私の服を貸せばよいが、泊まるとなったら話は別だ。
雨に濡れた髪を綺麗にしたいだろうし。
ついでに体も冷えていたので湯船を張って、ゆっくり体を温めさせる。
そんなことをして楠葉をお風呂に入れている間に、兄桐夜に電話をした。
『どうした? 楠葉が何かやらかしたか?』
「ううん、今お風呂入ってる。出てきたら話を聞こうと思うけど、その前に軽くお兄ちゃんの話を聞いておこうと思って」
すると電話口から兄のため息が聞こえてきた。
『俺……兄ちゃん失格かもしれない』
ぽつりと兄が言い出した。
さっき電話に出たときよりもだいぶ声のトーンが下がっている。
「それはいきなりだね。どうしたの?」
『いやぁ、最近どうにもあいつおかしくてな。何がおかしいって、とにかく最近無駄遣いが過ぎるんだよ。だから叱ってやったら、「お兄ちゃんに私の気持ちなんか分からない」って出て行ったんだよ』
「うーん、それは年頃の女子高生なんだし、無駄遣いしちゃうもんなんじゃないの?」
楠葉は今高校2年生の16歳。お洒落もしたい年頃だし、友達とも遊びたい年頃。それだけでなくマンガや雑誌も読みたいだろうし。とにかくあれもこれもしたい年頃なのだ。それでついつい無駄遣いしてしまったりもする。まぁそれでお金の使い方を学ぶものでもあるけれど。
『それは俺でも分かるんだが、無駄遣いの割に楠葉の物が増えてるわけじゃなさそうなんだ。それどころか……』
そこでお風呂の方からお風呂場のドアを開ける音が聞こえてきた。
ちょうど今上がって体を拭いているところだろう。兄との電話を楠葉に聞かれるといけない。
「ごめん、話途中だけど楠葉がお風呂から出てきたから切るね」
『ん? あぁ、よろしく頼む』
電話を切ると、ちょうど楠葉が出てきた。
だいぶ体が温まったようで、さっきより落ち着いた顔をしている。
風呂上がりにと、私はお茶を出す。
「今電話してたの?」
猫舌なのか、お茶をふぅふぅ冷ましながら楠葉が聞いてきた。
兄と電話していたのがバレたのかと一瞬ドキッとしたが、どうやらそこまでは分かってなさそうだったので適当にごまかす。
「いや、学校の友達」
「ふーん…………彼氏?」
「ぶふっ」
お兄ちゃんが彼氏かぁ。一瞬想像してしまった。
さっきは兄失格かもしれないなどと零してきたけど、あれで面倒見がいいからモテるらしい。だけど同時に優柔不断なので、彼氏にはしたくないとすぐにフられるらしい。
今は楠葉と一緒に住んでるから、楠葉が高校卒業までは彼女作らないとか言ってるけど、単に出来ないだけなんだと私は思っている。
そんな想像をしてしまっていたら、楠葉がお茶を一口飲んではぁあーと息を吐いた。
「いいなぁ、お姉ちゃん。かっこいい彼氏いっぱいいて」
「ぶふっ」
再びむせてしまった。
かっこいい彼氏がいっぱい!?
「いやいやいや、違うから!」
「じゃあどの人が彼氏なの? あ、あの赤い髪の中東の人?」
「いやいやいや、アサドじゃないから!」
「えーだって私が行ったとき、お姉ちゃんのこと抱きしめてたじゃん。じゃあ、青い髪の人? あの人も抱きしめてたよ?」
「いやいやいや、カリムでもないから!! てかどれでもないから!!」
おとぎメンバーが彼氏?
確かに顔はその辺のと比べもんになんないくらいかっこいい人の集まりだけど、あくまで顔だけだ。みんな一癖も二癖もあるような連中だ。(しかもほとんどがバツイチ)。
色んな意味で付き合える気がしないぞ?
「そうなんだ。最初はてっきり、クリスティアンさんが彼氏かと思ったけど」
「クリス? どうして?」
クリスは言ってしまえばおとぎメンバーの中でも彼氏にしたくない一人なんだけど。
「だって、おどけたサンチョでバイト一緒だし、一緒に住んでるし……」
そこまで言うと、楠葉は体操座りになって、お茶に目を落として言った。
「それに、一番かっこいいから……」
…………何だか若干、楠葉の顔が赤い気がする。
クリスに恋しちゃった……とか? そうじゃなくても、あんなにかっこよければ(あくまで顔が)、楠葉くらいの年頃だったらどぎまぎしちゃうのかな?
「そう言えばクリスと一緒にここまで来たんだよね?どうだった?」
すると、体操座りで膝を抱える楠葉の腕に力が入ったように見えた。
顔もさっきより赤くなっている。
「とっても優しくてカッコよくてどきどきしちゃった」
そこまで言うと、楠葉は少し潤ませた瞳をさまよわせた。
……これは恋しちゃったな。協力するべきか、クリスのネガティブモードを見せるべきか。
楠葉はもう一口お茶を飲むと、もう一度ため息をついた。
「はぁー、いいなぁ、お姉ちゃん。一緒に住めて」
そう言われると何か語弊がある気がするけど、そこで突っ込んでしまっては話が進まないので、我慢する。
「お兄ちゃんだってかっこいいじゃん。あれでめちゃくちゃ楠葉のこと考えてるよ?」
「うーん……」
「ねぇ、何があったの? お姉ちゃんじゃ話せない?」
さっき兄から大まかには聞いたが、こういうのは当人の口から聞くのが一番だ。
だから楠葉がしゃべり始めるまで待つ。
楠葉はしばらくだんまりだった。
私に話すかどうかを逡巡しているのか、どうやって話そうか言葉を探しているのか。
さっきまでクリスの話をしていたときのようなほんわか恋する乙女といった感じから、眉を複雑にゆがめて口をヘの字に曲げて目線を下げて、難しい表情を作っている。
高校2年生だから色々悩める年頃なんだとは思うけど。
すると、ようやく言葉が見つかったのか、楠葉は話し始めた。
「私、友達いっぱいいるの」
唐突に話し始めた内容に、私は何回か瞬いた。
それ、お兄ちゃんとケンカする理由なの?
でも、それで終わりではなく、楠葉は言葉を続けた。
「本当にいっぱいいるんだど、ほら、私、瀬佐美女子じゃない?私がみんなからもらう誕プレとかお土産とかクリスマスプレゼントとか、みんなそれなりにするものをくれるんだけど、私から返せる物はそれに見合わなくて……」
ぽつりぽつりと、楠葉は話してくれた。
楠葉の通う瀬佐美女子は、この界隈ではトッペレベルを争う進学校。名前から分かるように、女子校なのだが、そこから毎年20%に近い生徒が東大や京大、医学部へ進学するらしい。それ以外の子も、それなりに難関なところへ進学するほどのレベルだ。
それと同時に私立のお嬢様学校でもある。聞けばこの界隈の企業の社長令嬢とか議員の娘とかがめちゃくちゃ多いらしい。だから遊び方も変わるらしいが。
「それで無駄遣いって怒られたの?」
楠葉は無言で頷く。
未だに視線を落としたままだ。
ふぅ、と私は一息つく。
「友達が多いのはいいことだと思うけど、その、贈り物の価値って値段じゃないと思うよ」
「それは……そうだけど」
「でしょう? 確かに値段で気持ちを表せるように思うけど、楠葉がそれに対して本当に感謝してたら、別に気にしなくてもいいと思う」
「そうだけど……」
「それに、その友達のことを思って贈る物は値段以上の価値があるはずだよ?」
確かに贈り物の値段は気にしてしまうのは分かる。私も高校時代はそうだったと思う。
だけど、それの価値が物に託された相手の気持ちであることを知ったら、値段は気にしてはいけないと思うようになった。
先日夏海から貰ったサファイアの指輪とランプは、どうやら結構したらしいが、本人に気にするなと言われた。高価な物をわざわざと思ったけれど、仮にそれが値段が安いものでも、私は喜んで受け取っていただろう。何故なら夏海が私を思って選び抜いてくれた物だから。まさかそれがこの生活をもたらすとは思ってなかったけど。
「プレゼントは見合う見合わないじゃなくて、気持ちが大切なんだよ」
そう言って楠葉の背中をぽんぽん叩くと、楠葉は納得したようなしてないような、微妙な反応を示した。
悩める年頃でそういうところを悩むのは分からないけど、なんとなく理解したかな?
すると。
──────コンコン。
「梅乃さん、いいかな?」
ドアの向こうからクリスの声が聞こえてきた。
落ち込み気味だった楠葉は、それだけで顔を一気に赤くした。
そんな恋する妹を尻目に、私は扉を開けた。
クリスはお盆に二人分の夕食を乗せて持っていた。
「今日は二人でゆっくりしたいでしょう? だから夕飯も二人の方がいいかと思って」
と、にっこり笑ってお盆を差し出してきた。
そのにっこり笑顔は例の如く、完璧な王子様だ。
後ろには恋する妹、目の前にはその相手。
うーん、私も妹は可愛いからな。
「クリスも一緒に食べなよ」
と、誘った。
後ろでガタッという音が聞こえてきた。きっと動揺しているのだろう。
しかしクリスは少し困った顔をしていた。
「僕は食べて来ちゃったんだ。申し訳ない」
と、見る見るうちに眉尻と目尻を下げて悲しそうな表情になる。
待て待て待て、どこにネガティブモードのスイッチを押す言葉があった!?
「だっ大丈夫だから! ほら、お茶出すし!」
と、何とか言ってクリスを私の部屋に招き入れた。
何とか彼のネガティブを止まらせることが出来たようだ。
クリスは慣れた仕草でローテーブルに夕食を並べていく。
実はクリスの夕食は初めて。今晩のメニューはワンプレートの上に刻んだキャベツと可愛く形取られた人参とタマネギ、ポテト、それからチーズが乗った厚みのあるハンバーグが乗っている。その横におそらくクリスの手製のソースが添えられている。その外に、スープカップに香りのよいオニオンスープとふんわりと膨らみのあるパンがテーブルの上に並んだ。
どれも朝に劣らずおいしそうだ。
向かいに座った楠葉は目を丸くしている。
「これ、クリスティアンさんが作ったんですか!?」
その驚きの目をクリスに向ける。
クリスは王子様スマイルを楠葉に向ける。
「うん、遠慮なく食べて?」
クリスがそう言うと、楠葉はまずスープに口を付けた。
その瞬間、びくっと楠葉の背筋が伸びた。
「……おいしい」
その次に、ハンバーグにナイフを入れた。
切れたかけらのチーズがとろっととろける。
それを口に運ぶと、楠葉は目をきらきらさせてクリスを見上げた。
「とってもおいしいです!」
クリスはその反応が嬉しかったのか、にっこりと極上の王子様スマイルになる。
「ありがとう、そう言ってもらえると嬉しいよ」
その笑顔は私から見ても周りにきらきらと薔薇が取り巻いて見えたのだが、楠葉にはそれ以上に美しく見えたのか、目がうるうるきらきらして、ほっぺもピンク色から真っ赤に変わった。
「本当にクリスティアンさんて、素敵です! かっこいいし、優しいし、料理も出来るし。まるで王子さまみたいです!!」
「──げほっ」
楠葉の発言に、私は思わずむせてしまった。
まるで王子さまって、本当に正真正銘の王子さまだから当然なのだが、まさか楠葉がそう表現するとは思わなんだ。
言われた当の本人は、少し照れたように目を丸くすると、再びにっこり柔らかく笑った。
「ありがとう」
再びその笑顔に楠葉がやられた音が聞こえた。
ちょうどそのとき、私のスマホが鳴った。
見たら同じ学科の大沢からのメールだったが……。
from 大沢
to 資源生物学科メーリス
title 明日のバレーボール大会
今日は雨だったがみんな体力温存したか!?
明日は待ちに待ったバレーボール大会だけど、学校の体育館前に朝8時15分集合!
一回戦までに練習しましょう!
絶対勝つぞ!!
「あああ、忘れてた。明日バレーボール大会だった……」
どうしよう、明日朝一でお兄ちゃんが楠葉を迎えにくるとか言ってたけど、朝8時までにお兄ちゃんが来てくれないと間に合わない……。
っていうか、下手すると一回戦まで間に合わないんじゃないか?
私は少し考えて、クリスを見た。私の視線にクリスも気がついたようだ。
私はクリスの両肩をたたいてお願いする。
「クリス、あなたは私のお隣さんね?」
「え……うん……」
「そのお隣さんにお願いしたことにして、明日の朝、楠葉をお兄ちゃんに託してくれ」
「「え」」
クリスと楠葉の声がそろう。
クリスはよく意味が分からなかったらしく、楠葉は私の言葉に動揺。
しかし、物分かりのいいクリスは楠葉の動揺を気にした様子もなく、快く引き受けてくれた。
別にお姉ちゃんはクリスと楠葉をくっつけようとしているわけじゃないぞ?
ただちょうどよくクリスがいて、楠葉の信頼も上がっていて、他のおとぎメンバーに頼むよりも多分悪い印象を与えないからだ。
だけどちょっと協力してあげたい気持ちもあったのは確か。
さて出てきたクリスに桐夜兄は……?




