3.夢と現実
第3者視点
3.夢と現実
カールのせいで、今日は由希にも冷静さがないと見なされ、帰ってきた保育士に今日はもういいと言われてしまった。
当然由希はそれに反論したが、その反論自体が由希が冷静でない証拠であるため、断られてしまった。子供の前でカールを叩いたのも良くなかったらしい。
「なぁ、本当に悪かった。こんなつもりじゃなかったんだ」
ずんずん帰路につく由希を追いかける。
しかし、由希は見向きもしなかった。
「なぁ、ごめんって。なぁっっ」
本当にカールが元凶であるのに、まったく見向きもしない由希に焦れてきたカールは、強引に由希の肩を掴んだ。
その拍子に由希の顔を覗き込んだが、由希はぎろりとカールを睨み上げてきた。
「あたし、不審者とは喋らないから。じゃあね」
「誰が不審――」
「あんたよっ」
由希は身をよじってカールの手から逃れる。そしてカールに向き直ってはっきり言いたいことを言う。
「何なのよ。いきなり絵本投げ捨てたり、嘘の話を子供に言い聞かせたりなんかして!」
由希の発言はもっともだった。絵本を投げ捨てるなど、普通の人がなせるわざではないし、仮にも幼児相手にひどい話を聞かせようとするのは不審者以外の何者でもない。
由希が関わりたくないのは当然だ。
しかし、カールはそれに対し謝罪するどころか、聞き捨てならない発言を拾ってしまった。
「――嘘の話だって? 俺が言ったのは嘘なんかじゃない!」
言い返してきたカールに、由希もムキになって反論する。
「嘘よ! 大嘘よ! ひどい話だったじゃない!」
「あぁそうだよ! 『白雪姫』とはひどい話さ! 小人は嫉妬深いし白雪姫は頭がいかれてるからな!」
「そんなことないわよ!」
由希は思わずカールを突き飛ばした。
カールは少しよろけるが、左足で踏ん張ったため転ぶには至らなかった。
由希は両手に拳を握りながらわなわな震える。
「あんたは本当に最低ね! 頭が腐っているんだわ。あれは女の子の憧れの物語。それを嫉妬とか頭がいかれているとか、そんな解釈をするあんたの方が頭がいかれて――」
そこまで言いかけて、由希はこの男がどうしてそんなひどいことを主張するのか、一つの考えが浮かんだ。
「……あんた、非リア充なのね?」
「は?」
当然カールは”非リア充”という言葉など聞いたことはないのだが、そんなことはお構いなしに由希は思いついたことをそのまま口に出す。
「なるほど、そうなのね。だってそんな最低な性格してるんだもの。そりゃあ彼女いない歴イコール年齢よね。だからおとぎ話の登場人物にさえ僻んでるのね」
由希は口に出しててだんだん目の前の男が憐れになってきた。
わなわな震えていた手で口を隠し、蔑みと憐れみのこもった目をカールに向ける。
しかし、現在非リア充なことには間違いないが、彼女いない歴イコール年齢でもなければ(というかもはやバツイチ)、おとぎ話の登場人物に僻んでもいない。そもそも自分が登場人物で実際に起きた話なのだ。それを憐れみの目で否定されるのはカールとしても腹立たしい。
だがここで怒っては相手の思うツボな気がしたため、カールも自分を抑えて反論する。
「はん、”女の子の憧れの物語”とか言って、あんたが一番それに夢抱いてるんじゃないだろうな。まさか本当に結末がめでたしめでたしで終わるとでも? はぁあん、”夢見る乙女”ってーのはめでたい思考だね」
「なんですって!?」
カールは肩をそびやかしながらやれやれといった調子で首を振る。
しかしその仕草は由希の怒りを買うのに容易かった。
「”夢見る乙女”が子供たちに夢を見させてるんだ。さながら理想に溺れた”恋に恋する”やつらが続出するんだ」
カールは仕上げに鼻で笑った。
由希の怒りはもう止まりそうになかった。
由希は勢いあまってカールの襟を掴み上げた。
150cm弱しかない由希の身長じゃ175cmあるカールの襟を掴み上げられたわけではないが。
「もうあんたむかつく! さいってい。あんたなんて本当に――――」
「あれ? 森山?」
由希がカールに渾身の罵倒文句をかけようとしていたところ、その場にそぐわない明るめの声が響いた。
見れば柳がそこにいた。
「や……柳さん……。どうしてここに?」
由希はカールを掴み上げていた両手を急いで身体の後ろへ隠す。
しかし、完全に見られていたわけだし、仮にも道ばたで大声でケンカをし合っていたため、由希は少しばつの悪い顔をする。しかも見られた相手が柳というのが痛いところだった。
だが柳はそんなこと気にした様子もなく、明るく笑いながらこっちに寄ってきた。
「あぁ、今日このあと4年生で飲もうって買い出しに行くところなんだ」
「あ、そう……なんですか」
柳は大学オーケストラの由希の一つ上の先輩で4年生。4年生で飲むということは、自分は参加できない、と暗に意味しているような気がして、由希は少し落胆する。
しかし、由希が懸念しているのはそれだけではない。
「それにしても森山痴話ゲンカか? なかなかかっこいいヤツ捕まえたなっ」
と、柳は由希の肩を叩く。
しかし、由希が好きな人当人にそんなことを誤解なんてされたくないし、そもそもカールと付き合うとか考えたくもなかった。
「ちっちがいます! この人は怪しい人なんです!」
「おい、誰があやしーんだよっ」
「あんたよっ」
「うんうん、仲がいいのはいいこった」
由希とカールが再び口論を始めそうになると、それを柳がにこにこしながら眺めていた。
さらに誤解が深まりそうで由希は焦るが、ちょうどそのときもう一つの懸念事項がやってきた。
「――――カズ」
もう一人、その場に加わった。
それは長谷部曜子、由希と同じ大学オーケストラで、柳と同じ4年生の先輩だ。
「あれ? お前先行ってたんじゃないの?」
「あぁ、ちょっと忘れ物取りに行ってた」
曜子の呼びかけに柳が応じる。
曜子が今呼んだ「カズ」とは柳和正の「カズ」。柳は同期のメンバーにはそう呼ばれていたのだが、その中でも一番仲がいい女子は曜子だった。
由希は心の奥がずきんと痛むのを感じるが、それを顔に出さないようにする。
「あれ? 由希ちゃん、かっこいい彼氏出来たんだね」
と曜子も同じくカールを由希の彼氏と勘違いする。
「だから違いますってば!」
由希はすかさず否定するが、曜子も柳と似ている部分があり、にかにかしながら肩を叩いてきた。
「それじゃ、俺らは飲みあるから行くわ。じゃあ明日練習でな」
柳は片手を上げると、颯爽と買い出しに向かっていった。
当然曜子もそれに続いていく。
由希は何とも言えない気持ちでその後ろ姿を眺めていた。
その由希をカールは眺めていた。
そして再び一つの考えに及んだ。
「はーん。”夢見る乙女”は大変だね~。好きなヤツがいるのにそいつが振り向いてくれなきゃ夢も見れない」
その言葉にかっと顔が熱くなった由希は、再びカールを殴ろうと拳を振り上げる。
しかしその拳は目の前のカール自身によって止められる。
「おとぎ話だったら王子サマは迎えに来てくれるのに、その王子サマはまったくその気がない。現実は厳しいこった」
カールはさらに由希の心を抉る。
由希を見下ろすコバルトブルーの瞳は、嘲笑に満ちていた。
「しかもそいつは別の男を王子サマに仕立ててしまった。現実は物語のようには上手く――」
「もういいでしょ!」
由希はそれまで以上に大きな声でカールの発言を遮った。
その声に、再びカールは我に返った。
見れば由希の目に涙が溜まっていた。一つ瞑れば、あふれ出てしまいそうだった。
由希は乱暴にカールの手から自分の手を放すと、カールに背を向けた。
「そ、そうよ? 笑えばいいじゃない。現実が厳しいから夢見る憐れな女だって」
由希の肩は上下に震えていた。顔が見えなくても、それだけで泣いていると言うことは分かる。
さすがにカールは自分がひどいことを言ったと自覚した。
「だけど、あんたには関係ない。あたしがいくら夢見ようとそれをあんたにバカにされる云われもない」
由希は涙を堪えながらカールを振り向く。
眉間にはち切れんばかりのしわを寄せ、カールを睨み上げる。
それを見たカールは目を瞠る。
由希はその表情のまま、嘲笑気味に言う。
「あんたが王子サマ? さながら王子サマの皮をかぶった悪魔のようね!」
それだけ言うと、由希は踵を返し、ずんずん足音を立ててその場を去る。
こんな言い合いをしていたけれど、嫌な気分にもさせられたけど、そもそも今日会ったばかりの知らない人。
二度と会うことはないから、もう気にするなと自分にも言い聞かせる。
「ひとつ俺の教訓を教えてやるよ」
後ろから声がかかったが、由希は構わず歩き続けた。
「夢ばかり見ていると、最後に傷つくのは自分だぜ」
カールの言葉がその場に響く。
由希にもその声は届いたが、聞こえないふりをしてそのまま歩き去った。
カールを大人だと思っていたのは梅乃の思い過ごしでした。
これまでのお話を読み返してみたら、ちょくちょく誤字があるのに気がつきました。
一応直しはしましたが、また誤字を見つけたらご指摘下さい。




