37.主従成立
久々の梅乃視点です
37.主従成立
「梅乃ちゃん、起きて」
「ううーん……気持ち悪い……」
「梅乃、花見だぞ」
「ううー……頭痛い」
朝8時。いつもより遅い起床。
目が覚めると、アサドのにこにこ顔とカールの人なつこい顔が映る。
だけど、頭が痛いし喉も痛い。体もだるい。完全に二日酔いだ。
さすがに飲み過ぎた…………。
「ほら、今日はお花見行くよ?」
いつもは寝起きにエロいことをしてくるアサドだが、今日はそんな素振りは見せずに、普通に私の背中に手を差し込んで、私の体を起こす。
だけど、花見?
いや、今日は寝てたい。
「ごめんアサド。二日酔いに日光の下はつらい……」
「まるで吸血鬼みたいなことを言うよな」
「うー……そうなの、吸血鬼……だからおやすみ」
「ちょっとちょっと」
吸血鬼発言に乗じて再びベッドに体を寝かそうと後ろ向きに力を掛けたのだが、アサドは聞いてくれなかった。
アサドは再び倒れようとした私を起こすと、カップを私の手に持たせた。
中を見れば、お茶のような緑色や茶色でもなく、水のような透明でもない。とにかく青い色をした何か。
「何これ」
「これ飲めば二日酔いはすぐに治るよ」
ヒトがしんどくしているのにアサドはにこにこ愉快そうに笑う。
二日酔いがすぐ治るなんて、本当だろうか。
よくある市販の薬でも、若干後を引くというのに。
「なんかうさんくさい」
「ひどいなぁ梅乃ちゃん、ボクを一体何だと思うの?」
私はカップの飲み物とアサドを見比べる。
「……魔神」
「そう、魔神。ボクに不可能なことなんてないのさ」
アサドは再び私の手を取ると、カップを握らせる。
確かに、魔神が作るものに不可能はない気がする。
私はもう一度カップの中の青色を見ると、一気にそれを飲み干した。
「――――うぇっ」
青色したその薬は、予想通りと言えば予想通りだったが、かなり苦いものだった。どれだけ苦いかというと、イソジンに葛根湯を加えたような苦さ。
ぺっと吐き戻してもきっと口の中に残る苦さ。いや、きっとどころではない。口直しに何を飲んでも食べても残る苦さだろう。
しかし、それを嚥下した途端、さっきまでがんがんしていた頭痛も、酒焼けしてただれた喉も、胃のむかむかも肩のだるさも、全身のしんどさが何もなかったかのように消えていった。
まるでいつもの寝起きだ。
「どう? 治ったでしょ?」
と、アサドはしたり顔。
うーん。このしたり顔に素直に頷きたくないが、この効果にはさすがと言わざるを得ない。
「良薬口に苦し」と言うけど、これこそそのことわざを具現化しているものはないと思った。
「ほら、梅乃。朝ご飯下に用意してあるから行くぞ。クリス兄がしじみ汁作ってくれたんだ」
私の調子が良くなったのを見計らって、カールが私を引っ張ってベッドから起き上がらせる。
私は起き抜けの格好のまま、カールとアサドに引っ張られてダイニングへ向かう。
ダイニングに入ると、ハンスとクリスとテオ以外の皆さんがいた。
「お、おはよう。気分は良くなったか?」
「うわ、あんたその格好のまま降りてきたの? 終わってるね」
「それならフリード、梅乃お嬢様のお着替えを持ってきたらいかがでしょう」
「いかがじゃないってば」
フリードに起き抜けの格好を指摘されたが、それは私も同感です。
このwithおとぎ連中との生活がはじまってからは、一応食卓に降りる前に身支度を済ませていたのだが、今日は何故かそんなこともさせてもらえず、髪もぼさぼさ。顔も何か気持ち悪い。それにスエット姿だ。
「梅乃ちゃん、席に座ってて。今運ぶから」
アサドはそう言って私を席へエスコートすると、キッチンに向かって手のひらを上向きにくいくいと指を動かした。
するとキッチン扉が開き朝ご飯の皿が飛んできて、私の前に並べられた。
色々と突っ込みたかったが、私は大人しく朝食に目を向ける。
並べられた朝食は少なめのご飯、漬け物、海苔、ひじきと、しじみ汁が並んでいた。
しじみ汁って……。二日酔いの朝にはありがたいけど、よくそんなものをクリスが知っていたなと思う。
とりあえず私はしじみ汁を啜る。
あー……身体に染み渡る。
アサドの薬のお陰ですっかり気分は良くなっていたが、喉に残るくすりの味と昨日のお酒がしじみ汁で浄化されている感じだ。
「なんかオバサンみたいだな」
「うるさい」
私がしじみ汁に癒されていると、横からカールが口を出す。
ひどいな、まだ20歳なのに。
しかし。
私は自分を見る。
髪はぼさぼさなのだが、スエット姿。顔は洗いたいけど、それはいつも毎朝するような洗顔がしたいだけであって……。
「ねぇ、私、昨日どうやって帰ってきたの?」
私がそんな質問をすると、一同は目を丸くし、息を飲んだ。
だが、アサドはいつも通りににこにこ愉快そうな顔、カリムは頬杖をついてやれやれと言った顔、フリードは心の底から呆れたような顔、カールはバカにしたような顔をし、ハインさんはいつも通りの涼しい顔になった。
一瞬の沈黙を破ったのは、フリードだ。
「……あんた、まったく覚えてないの?」
「いや、まったくっていうか……途中から?」
「どこまで覚えてんのー?」
「えーとえーと、新歓で、新入生の横で飲んでた」
「そのあとは覚えてないのか?」
「えーとえーと…………」
私は頭を抱えて考える。
そもそも私、何で二日酔いになるくらい飲んだんだっけ?
確か新歓で、金髪の男に……あ、ハンスか。
「えーと、ハンスと飲み比べをしようって言ったのは覚えてる」
そうだ。ハンスと飲み比べを始めたんだ。日本酒で。
「だけど飲み比べ……結局どうなったんだっけ……?」
昨日のことを思い出せない私に、フリードとカリムはため息をつく。
ダメだ、まったく記憶にない。
「ねぇ、二人がため息つくほどの何かを私やらかしたの?何やらかした?」
私はフリードとカリムに尋ねる。
何かまずいことがあると、とりあえずため息をつく二人なので、きっと些細な何かなんだろうと思うが。ていうかそうあってほしい。
少なくともフリードはため息キャラだから気にしなくてもいいのかもしれないけど。
「あ、でも、あるとしたらフリードは寝場所に困ったとか? あれ? じゃあカリムは?」
「いや、俺にもフリードにも何かやらかしたわけじゃないんだが……」
「えー、じゃあ私が気にするようなことは起きてないってこと? あれ? じゃあ私はどうやって帰ってきたの?」
思い出せない事実に頭を悩ませていると、二人は本当にやれやれと言った顔をする。いや、やれやれじゃなくて何かあったなら教えてくれたっていいのに。
――――ガチャ。
何かあったらしいのにはっきりしないフリードとカリムに私がもやもやしていると、ダイニングの扉が開く。
入ってきたのはテオデリックとクリスティアン。そしてハンス。
「あれ? ほっぺたに湿布なんて貼っちゃってどうし――――」
「あんたは喋るなっ」
入ってきたハンスは、爽やかで綺麗な顔をしているのに、その左頬に湿布を貼っていた。
そのことを指摘しようとしたら、一席置いて左隣に座っていたフリードが焦って私の口を塞いできた。
どうしてフリードが私にそのことを言わせないようにしたのか、まったく疑問だったけれど、その行動はどうやら遅かったようだ。
ハンスが私を射殺さんばかりに睨み付けてきたからだ。
ハンスは私を睨み付けてはいるものの、口元には笑みを浮かべている。
一見知らない人からすると爽やかな笑みは、目元が恐ろしく笑っていない。まぁそれもいつものことなんだけど。
「あ、おいハンスっ」
テオの制止の声もどこへやら、ハンスは目元と口元がまったく合っていない爽やかな顔でゆっくりと私の方へ近寄ると、私とフリードの間の席――本来はクリスの席――に腰掛けた。
そして徐に私に手を伸ばし、顎を捕らえる。
「えーとえーっと……私何か良くないことを言いましたでしょうか?」
私はハンスを見ながら控えめに尋ねる。やばいよ、だってこの人の切れ長の若草色、射殺さんどころか、直接手を下されるほどの殺気がみなぎってるもの! 殺気なんて普段感じないから余計顕著に!
その質問にハンスは切れ長の目をを柔らかく細める。
しかし至って若草色は鋭い光を放っている。
「昨日ね、とても不愉快なことが起きたんだ」
「そ……そりゃあほっぺが腫れるくらいのことですものね」
「そうだよ。ほっぺが腫れちゃったんだ。ところで梅ちゃんは昨日の飲み比べがどうやって終わったか覚えているかい?」
「え……っと」
どうしてほっぺが腫れていることと飲み比べの話が……。
…………。
ちょっと待て、一つの考えがよぎる。
私は目線だけ動かして、視界に入るテオやクリス、フリードやハインさん、カリムの顔を見た。ハインさんは至って涼しげだが、テオは顔に手を当ててあちゃーって顔をし、クリスは心配そうに私とハンスを見守っている。フリードとカリムは二人してため息をついた。
…………え、そのまさか?
「あーははは……。もしかして私が殴ったとかじゃないよね……?」
ハンスは形だけ歪ませていた目と口を元に戻して真顔になると、左手で捕らえていた私の顎を後ろへと放りやった。
私は咄嗟のことで受け身が取れなかったが、そこまで強い力ではなかったため、一瞬からだが仰け反っただけだった。
ハンスはクリスの席から立ち上がると、テオの右横の自分の席へ向かう。
「えっと、ごっごめん!」
きっと何か言われると身構えていた私は、何も言わずに自分の席へと向かったことに若干焦りを感じていた。
「どうせ何も覚えてないんでしょ?」
「……はい。それも含めて」
だが私の謝罪の言葉は受け入れられなかった。
確かに、後遺症になるくらい殴ったっていうのに、その本人がまったく覚えてないっていうのは謝罪もその場しのぎに聞こえるだろう。
ハンスはため息をつきながら席に着く。
クリスがそれを見てキッチンにハンスの分の朝食を取りに行く。
立っていたテオも席に着くが、私とハンスに挟まれたくないのか、カリムとアサドの間の席に座った。
「まったく、何で殴られたのかも意味が分からないのに、何も覚えていないとか。俺からすると何もかも理不尽」
ハンスは運ばれてきたスープを飲む。
どうやら私用とハンス用とでメニューが違うらしい。
「本当にごめんなさい。あぁ……確かにわけわかんないよね」
だんだん飲み比べ前の記憶が蘇ってきた。
そもそも昨日の飲み会、私いらいらしてた気がする。せっかくの新歓なのに、みんな新入生じゃなくてハンスを歓迎していたから。
ハンスも大人ならちやほやされるんじゃなくてちゃんと気を遣えよって思ってた。
……それだけでも何でハンスにいらいらしたのか意味が分からない。
多分、前回のハンスとの言い合いから沸々と決着を付けたい気持ちが溜まっていたんだと思うけど。
そう、それでハンスを貶めようと思ったんだっけ?それで離婚話をさせて、その離婚話をするハンスが飄々としていて、奥さんとか人魚姫とか呪いとか気にしない感じのその話し方に何故かいらいらして、飲み比べを持ちかけた。
今冷静になって考えてみたら、何で私それで苛立ったの?
いいじゃん、ほっとけばよかったのに。
呪いだって考えすぎだし、離婚話だって私が口突っ込む話じゃないのに。
自分でも意味が分からないのに、やられた本人はもっと理不尽だろう。
「というか、どうして謝るのか分からないな。だって君は何でか知らないけど俺を嫌っているし、そんな相手を殴れてせいせいしているんじゃないのかい?」
ハンスはスープを飲み干すと、目線だけ私に向けてきた。
「確かに、あんたはいけ好かないし、私の嫌いなタイプだけど、殴るのは別」
「あんたそこは認めるんだね」
ハンスの質問に私が答えると、横からフリードが口を挟む。
そのフリードの頭をハインさんが無言で叩く。
そんなどうでも良いことは置いといて、私は体ごとハンスに向き直る。
「さすがに私もそこはひどいことをしたと思う。だから、ごめんなさい。お詫びに何でもするわ」
真剣にハンスに向かって言うと、それまでこっちを見向きもせずパンを口に運んでいたハンスは、その手を止めた。目を大きく見開いているのが、横からでも分かる。
その様子を眺めていると、後ろや横からため息の声が聞こえる。
3人分あったから、きっとフリードとカリムとテオだ。
今の発言に何か問題あった?
ハンスは周りの雰囲気を気にせず、ゆっくりと顔を私に向けた。
「……何でもするの?」
私はハンスの切れ長の目をまっすぐに見て頷く。
「うん、何でもする」
するとハンスは無表情だった顔から、ゆっくりと目元を柔らかくし、口角を上げた。
先ほどまで殺気が宿っていた若草色は、今は愉快そうに、同時に見下すような色を宿した。
「じゃあ、文字通り、何でもしてもらおうかな。これから」
――――――え?
ハンスの表情が変わったから、どんな醜態を晒されることになるのだろうと覚悟を決めていたのだが、予想していた内容と違っていた。
文字通り何でもする?
いや、何でもすると言ったのは私だ。だけどそれはそういうことじゃなくて……。
私はゆっくりと顔を巡らし、他のみんなの顔を見た。
テオとカリムは「やってしまったな」という顔をし、フリードは呆れ顔。クリスはハラハラしながら私を見ていて、ハインさんはいつもと同じ顔。アサドはさっきよりも愉快そうな顔をしていて、カールは今にもお腹を抱えて笑い出しそうだった。
そしてもう一度ハンスの顔を見上げる。
ハンスはニヤリと鼻で笑う。
「ちゃんと言うこと聞くでしょ?」
ああああ。私、自分で奴隷宣言してしまったのか――――!?
梅乃は墓穴を掘りました。




