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捨てられた王子たち  作者: ふたぎ おっと
第1章 おとぎの国からこんにちは
35/112

34.甘い毒(夏海)

夏海視点です。

梅乃退場後の話です。

34.甘い毒


「二人とも、大丈夫だから放してってば」

「もう梅乃、今日は飲んじゃダメ」

「やーだー。飲むの!」

「梅、もうやめなよ」


 由希と二人で暴れる梅をとりあえず店の外に出す。

 あの部屋にいると次に何が起こるか分からないからと、外の空気で少し頭を冷やさせるためだ。

 だが完全に酔っぱらった梅は、それで大人しくするたまではなかったではなかった。

 店先で戻ろうと必死にもがく。


「もう何もしないから戻るっ」

「ちょっと梅乃、本当に――」

「梅、いい加減にしな」


 さすがに呆れたあたしは、梅の頬を軽く叩いた。

 叩かれた梅も、さすがにこれで大人しくなる。

 由希は私と梅の横で、それを見守っていた。

 一瞬大人しくなったと思った梅は、何故かあたしと由希に恨めしい目を向けてくる。酔っぱらいの赤い目だ。


「何その目」

「何じゃないよ。今日せっかくの新入生歓迎会なのに、二人も含めてみんなハンスハンス。放っておかれた新入生にしちゃひどいもんだよね」


 さっきあんな惨事を引き起こした張本人に指摘されたことは、ごもっともなことだった。

 確かに今日は新入生歓迎会で、見学に来た1年生をもてなす会だったはず。飲み会が始まったときは、ちゃんとその通りもてなしていたのだが、いつしか「ハンスさんと一緒に飲む会」になってしまっていた。

 それに関してはあたしも由希も、他の女子たちも深く反省しなくてはいけないところだろう。

 だがしかし。


「その歓迎会を最終的にめちゃくちゃにしたのはどこのどいつだ?」


 その質問に、さすがに梅もまずいことをしたと思っているのか、頬を膨らまし口を尖らせてそっぽを向く。まずいと思っているものの、反省はまったくしていない様子だ。


「ほら、誰がやったの?」

「……………………私です」


 もう一度問いかけてやれば、不承不承に答えてくる。

 すると梅はまったく反省の色のない目つきのまま、あたしに振り返ってくる。


「そんなこと言って、あいつの肩持つ気でしょ?」

「はぁ? 悪いのは明らかにあんたじゃん」

「そうだけど」

「けどじゃない。あんたがハンスさんの何を気に入らないか知らないけど、いきなり殴りかかるとか最悪じゃない」

「……………………」


 若干頭が冷えてきたのか、ここまで言うとさすがの梅も反省の色を出し始める。一体自分がどんな惨事を引き起こしてしまったのか、ようやく後悔し始めたようだ。


 なのに未だにあたしに何かを言い聞かせようとする。


「確かに私が悪いよ。悪かった。だけど、だからと言って、あいつにほだされちゃダメ! あいつはあんな優男な顔してるけど、裏ではひどいこと思ってるんだから!」


 反省したかと思えばこの様だ。正直らちが明かない。


 昨日はバツイチだからやめろと言ってきて、今はひどいヤツだからやめろと言う。

 とにかく昨日からやたらとあたしにハンスさんを諦めさせようとしているが、正直いいなと思う程度であって、そこまで本気で付き合おうだなんて思っていない。そもそも雲の上のような、高嶺の花のような、そんな存在だ。確かに話しかけられて逆上せてしまっているが、別にそんなつもりは全くない。


 そもそも、あたしに執拗に諦めろと言う梅の方が分からない。口ではあたしにそんなことを言うが、実は梅の方が彼に気があるんじゃないかと思う。

 バツイチだからやめろ? そんなの恋を諦めろという理由にはなり得ない。

 裏ではひどいことを思っている? なんでそこまで梅は彼のことを知っている?

 そもそもこの子は気がついているだろうか、途中からハンスさんのことを呼び捨てしていることに。

 さっきだってみんながハンスさんをちやほやしているのを怒っていた。それは梅が彼を独り占めしたいから――――?


 ――――やめよう。

 もしそうなら、あそこで殴ったりはしないだろう。

 本気で梅はあたしを心配して彼を諦めさせようとしているだけだ。

 だけど同時に不可解でもあった。

 どうしてあそこまで梅がハンスさんに怒っていたのか。




 先ほど、居酒屋の一室で起こった事件に、その場にいた一同は息を飲んだ。

 

 ――梅乃が入ったばかりのハンスさんを殴ったからだ。


 というか、その事件の始めから終わりまで、とにかく梅はひどい有様だった。

 それまでまったくハンスさんとの会話に入ってこなかったのに、突然ハンスさんの前に座ったかと思うと飲み比べをけしかける。

 最初はハンスさんがやんわりと断っていたが、梅は女の子たちを何とか味方に付けて飲み比べを始めてしまった。


 あたしが見ているだけでも日本酒が8合分はいっていたと思う。それを二人だけで、しかもほろ酔い状態で始めて飲み干しているのだから、梅もハンスさんもお酒は強い方なのだろう。

 だけどお酒が強いといっても、人にはお酒の限界というものがある。一気をしているならなおさらだ。

 9合目の日本酒に入っても、まだ限界を示すつもりのない二人。だが、もはや限界は既に訪れていたであろう。

 梅は顔が真っ赤だ。梅はもともとお酒を飲むとすぐに赤くなる方だ。といっても別に弱いわけではない。顔にすぐに出るだけで、飲む量はハンパない。おそらく立て続けに一気をしたため、顔の赤さがいっそう増しているのだ。その赤さは顔だけでなく、首や腕まで広がっていたが。

 対するハンスさんは梅のように全身が真っ赤というわけではなく、ほっぺが赤く色づいている程度だった。きっと彼はあまり顔に出ないタイプなのだろう。しかしそう言うタイプこそ周りが判断しにくいのでついつい飲ませてしまい急性アルコール中毒になってしまう。

 制止の声もそこそこに、梅は更に飲み比べを続けようとする。


 思えば梅の様子はいつもと違っていた。というのも、やたらとハンスさんに対して敵意がむき出しだったからだ。

 この飲み比べの提案をし始めたときからなんとなくそう言う違和感を感じていた。

 そんなに絡みがあったわけじゃないはずなのに、何故か梅はハンスさんに嫌味っぽいものをぶつけていたようだった。最初は遠回しに言っていた皮肉や嫌味も、お酒を増すごとだんだん直接的になっていた。

 もはや9合目の時にははっきりとハンスさんを睨み付けていた。


 何故そんなにハンスさんに敵意をむき出しているのだろう。そこに疑問を感じずにはいられなかった。


 そんな疑問を、向けられているハンスさんも感じたのか、梅に質問をした。

 が、理由も正直よく分からなかった。

 どうやらハンスさん離婚の件で怒っているようなのだが、どうして梅が怒る必要があるのだろうか? それに関しては当のハンスさんも訝しげだった。

 というか色々意味が分からない。

 人魚の呪い? 一体何のこと?

 呪いが奥さんにかかった? まったく意味が分からない。

 そもそもどうしてそこまで踏み込んだことを梅が知っているのだろう。


 おそらくみんながみんな、同じことを感じていたに違いない。そしてよく訳も分からない状況で、言っている意味を考えてしまっていたから、ハンスさんが何か言ったときに梅を止めることが出来なかった。


 そう、気がついたら梅はハンスさんの左頬を殴っていたのだった。




 そして今に至る。

 相変わらず梅はあたしに不安の目を向けてくる。「あの男だけはやめた方が良い」という目。

 本当にそんなつもりもあたしは、一つため息をついて梅にその子とを伝えようとする。

 だがしかし。



「――――うえぇぇぇ。だめ、きもちわるいぃ~~~」



 梅はいきなりその場でしゃがみ込んだ。口元を手で隠している。

 無理はない。尋常じゃない量を飲んだのだから、吐きそうになっていても当然だ。急性アル中でないだけまだマシだろう。


「梅乃、大丈夫? トイレ行く?」

「うぅぅ~~~~だめ。世界がぐるぐる回ってる~~~~。あ、地球だから回るのか」

「…………よくそんなボケ挟めるね……」


 しゃがみ込んだ梅の背中を由希がさする。こんな時でもアホなボケを挟む梅だけど、とうに限界を超えてしまっていたのだ。相当体もふらふらするだろう。実際ここに運ぶときには千鳥気味だった。


「うぅぅ~~~。てか本当に気持ち悪いのに、吐きそうで吐けないというか、ううう……」


 梅はかなり呼吸を荒くして、肩を上下させている。

 「吐きそうで吐けない」という状況は、相当辛いものだろう。

 この子、明日はきっと二日酔いだ。まぁ自業自得といえば自業自得なのだが。


「――――由希、ちょっと梅を見てて。あたし水もらってくるね」

「あ、うん。分かった」


 人が酔ったときの対処法として、まず一つはそれ以上飲ませないこと。これはまぁ基本中の基本である。しかし梅はその段階をとうに越えてしまっている。

 二つめにとりあえず吐かせること。吐いたら一応それで楽にはなるのだ。次の日に少し喉は痛くなるだろうが、二日酔いの程度を軽減できる。しかし、今の梅は「吐きそうで吐けない」状態。

 三つ目として、とりあえずウーロン茶なり水なりを沢山飲ませる。とにかくアルコールを分解させるのだ。今の梅に出来ることはこれしかない。


 あたしは店内に戻ってお店の人にウーロン茶を頼む。

 お店の人がそれを用意してくれている間に、近くを通りがかった団員に梅の鞄を取ってきてもらうようお願いする。

 その両方を待っていると、ちょうどお手洗いから左頬をハンカチで冷やしているハンスさんが出てきた。


 彼はあたしを見ると、片頬が腫れているというのに、いつものようににこっと爽やかに微笑む。


「梅ちゃんは外?」

「はい。だいぶ気持ち悪いって言って、うずくまってますよ」

「はは、あれだけ飲めばね」

「そういうハンスさんは大丈夫なんですか?」


 少なくともあの飲み比べが始まってからは、梅とハンスさんは同じ量を飲んでいる。梅はあの様だけど、ハンスさんは頬の腫れは別にしてさっきより顔の赤みが引いている気がする。というか若干白い気もする。

 彼は頭に手を当て、眉を少し下げて参ったという顔をする。


「あんなパンチ食らえば、さすがに頭が痛いよね」


 その言葉にあたしは盛大にため息をつく。

 まったくあの子は。かなりの力で殴ったんだな。

 顔色と対照的にハンスさんの頬の腫れは梅を強制退場させる前よりもだいぶ赤くなっていた。これもしばらくは続くだろう。



「夏海ちゃんは優しいね」


 ウーロン茶を持ってきてくれた店員さんに、もう一つウーロン茶と氷を持ってきてもらったら、ハンスさんがそんなことを言ってきた。

 見上げれば、綺麗な切れ長の瞳を柔らかく細めてあたしを見下ろしていた。


「何でですか?」

「だって梅ちゃんの介抱もして、今だって俺のために水を頼んでくれたじゃないか」

「それはあたしが梅を止める役で、今のはちょうど店員さんに頼んでいる最中だから」

「ほら、やっぱり優しいよね」

「そんなこと――――」


 気がついたらお店の壁を背に、あたしはハンスさんに閉じこめられていた。

 ハンスさんは右手で先ほど持ってきてもらったウーロン茶を持っており、左手をあたしの顔の横に置いている。その左手があたしの首元までしかない短い髪に滑り落ちる。

 顔は先ほどと同じ、若草色の切れ長の瞳を柔らかく細め、口元をやんわりと上げている。


 さすがにあたしの心臓はばくばく鳴る。

 ただでさえ、彼を目にすると、心がドキドキ鳴るというのに、この状況は一体何なんだろう――。


 だけど、彼の左頬がとても痛々しくて、あたしは思わず左手に持っていた氷グラスをその左頬に当てる。

 すると冷たすぎたのか、彼は一瞬顔をしかめる。だがそれもすぐに元の笑顔に戻る。


 ハンスさんは優しい笑顔であたしにささやいてくる。


「本当に優しいよね。最初に会ったときから思っていたんだ」


 若草色の瞳にあたしが映る。それはとてもあたしの心を落ち着かなくさせる。


 最初に会ったとき――それは今週頭の電車の中での出来事。

 電車に乗っていたら前に立っていた人がかなり酔っていたので、途中で下ろして介抱した。ただそれだけのこと。

 だけど翌日構内を鼻歌を歌いながら歩いていたら、後ろから声を掛けられた。

 「とても魅力的な声だったから分かった」と言って。

 きっと彼にとってあたしなんか大勢いるエキストラの一人だと思っていたから、そう言って声を掛けられたのは、とても心が締め付けられた。


 だけどやっぱり彼はあたしなんかが手を出していい人じゃないと思うし、あたしなんかが釣り合わないと思うから、ちょっといい人に止めておこうと思った。それは梅に言われる前からだ。



 なのにこの状況は、あたし、自惚れてもいいの?

 あたしはエキストラの一人じゃなくていいの?

 ねえ、こういうことをされたら、あたしは自惚れてしまうよ?



「優しいし、友達思いで本当に良い子だよね」



 ハンスさんはゆっくりとあたしの顔の左側に顔を近づける。

 そして耳元でささやいた。






「――――ねぇ、友達思いで優しい夏海ちゃん、梅ちゃんの苦手なものって何?」




「――――え?」


 ゆっくり近づいてきた顔に、かなり心臓がばくばく言っていて、自分に余裕がなくなりかけていたことと、正直自惚れかけてしまっていたため、あたしは一瞬何を言われたのか、それが脳に到達するのに時間がかかった。

 ――――梅の苦手なもの?


 あたしは離れたハンスさんの顔を見上げる。

 その顔は、先ほどと同じような柔らかい微笑みをしているが、柔らかく細められた若草色の瞳の奥に、何か仄暗い光るものを見た気がした。


「……ど……どうして」

「いくら俺でも、やられっぱなしは面白くないからね」


 とハンスさんはにっこりと笑う。

 その瞳には先ほど見た気がする仄暗い光はもう宿っていなかった。


「あぁ、と言っても別にひどいことするわけじゃないよ。ちょっと悪戯するだけさ」


 そう少しお茶目っぽく言うと、再び柔らかい笑顔のままあたしに顔を近づける。

 髪をすべっていた左手をあたしの顎に移動させて、あたしを上向かせる。


「ね、さっきのことには夏海ちゃんも同情してくれるでしょう?」



 ――――あぁ、今なら梅の言っていたことがなんとなく分かった気がする。

 この人はこんなに眩しい笑顔をあたしに向けながら、本当はあたしのことを梅への復讐に利用しようとしているのだから。

 だけどそれで諦めるには、あたしは遅すぎた。

 たった数回しか会っていないのに、釣り合わないと思っているのに、「魅力的な声」と言われたことが、あたしを完全に恋に落としていた。



「ど……同情はしますけど、梅の弱点を言うなんて出来ないです」


 すっかり遠くなりそうな気を取り直して、あたしは答える。

 すると、ハンスさんはにっこり笑顔のまま鼻で息をつき、あたしから離れていく。


「残念。夏海ちゃんなら話してくれるかと思ったのに。あ、だけど――」



 あたしの左手から氷グラスを奪うと、切れ長の目を細めたまま誘惑するようにあたしに微笑みかけてきた。



「苦手なことじゃなくても、梅ちゃんのことを色々と話してくれると嬉しいな」


 そう言って階段を上り、オケの宴会室へ戻っていった。



 あたしはしばらくその場から動けなかった。

 緊張の糸が切れたからか、彼が離れたことでようやく足ががくがくしていたことと、頭が混乱していたため。



 ハンスさんはあたしを梅への復讐に利用しようとしている。だけど―――。



 ――――ねぇハンスさん、気がついていますか?

 きっかけはあんな暴力沙汰だったかもしれないけれど、ハンスさんは確実に梅に興味を持ち始めた。

 それは今は復讐の念からだろうが、いずれは好意的なものに変わるだろう。

 今のハンスさんの瞳がそれを物語っていた。



 ハンスさんはあたしに梅の情報を求めた。

 それをあたしから引き出すために、きっとさっきのようなことをこれからもしてくるだろう。

 頭では分かっているのに、きっとあたしは彼に近寄られたら喜んでしまうだろう。

 




 ――――――――なんて甘くて残酷な毒なんだろう。


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