第24章 絶命島潜入計画
海外へ留学に出た志々村彩佳だったが、服飾デザイナーになるという夢は簡単なものではなかった。大見得を切って日本を出た手前もあり、「駄目でした」と帰国することは彼女のプライドが許さなかったと見える。彩佳はデザイナーになるという夢が半ば絶たれた状態でも、留学先に留まり続けていた。そればかりではない。彼女は祖母の志々村八重をはじめ国内の家族に対しては、留学がさも順調に行っているかのように偽り、自分のデザインした服がファッションショーで披露される、などと虚言を綴ったメールを送ったりしていた。それというのも、彩佳の留学費用はそのほとんどを八重に出してもらっており、特に八重に対しては人一倍負い目があったためと思われる。
彩佳は、この五月中旬に帰国していた。家族に対しては、いつも通りデザイナーの仕事を順調にこなしているという嘘をつき続け、それを疑うものは誰もいなかったという。
留学先に戻る日の前日、彩佳は両親から、ある話をされる。それは、十九年前に絶命島で起きた志々村鉄雄の死の謎を、八重が冥土の土産に解き明かしたいと願っているという話だった。八重は夫を殺した人物に対して、今さらどうこう言うつもりはないが、これだけははっきりとさせておきたい、と。そのために八重は、日本中から十名程度の探偵を選び出し、彼ら、彼女らに対して絶命島への招待状を送ったとも聞かされた。それを聞いた彩佳は、脳がぐらりと揺さぶられるような感覚に襲われたという。なぜなら、十九年前に志々村鉄雄を殺した犯人は、自分だったからだ。
その話を聞いた彩佳は、すぐに祖母のもとを訪れて直接話を聞く。八重は、両親から聞いた話の他に、島でのホスト役を妹尾真奈に頼んだことも告げた。真奈ちゃん、懐かしいだろう、と相好を崩す八重の声も、そのときの彩佳の耳には全く入らなかっただろう。
何とかしなければならない。十九年前の事件の謎を解かれるなど、絶対に阻止しなければならない。彩佳はこのとき、長い間の努力が実ったのか、留学先で自分のデザインした服を作品で使いたいという、有名映画監督のオファーを受けたばかりだった。少し前の半ば夢を諦めかけていた自分であれば、八重の話を聞いても、これほど動揺しなかったかもしれない。あの事件の謎が、そう簡単に解かれるものか、という高をくくった気持ちにもなっていたかもしれない。だが、今は違う。こんな大事なときに過去の醜聞が白日の下に晒されるなど、絶対に避けなくてはならない。せめて、自分も絶命島に行き、探偵たちの捜査を阻止することが出来たら……。
八重を始め家族に対しては、留学先に帰ってすぐに大事な仕事が待っている、と言ってしまっていた。今さら、「自分も絶命島に行きたい」などと口にしたら、さぞ訝しがられるだろう。八重たちに内緒で島に渡ったところで、居合わせた探偵や、妹尾真奈に対しては身分を明かさざるを得ないだろう。その中の誰かが、実は島で彩佳さんに会いました。などと口外して、家族の耳に入りでもしたら……。密かに島に上陸して、誰の目にも触れずに探偵たちの捜査を阻害することなど、どう考えても不可能だ。大手を振って島に渡り、事件の謎が解かれるのを阻止するためには、身分を偽って堂々と島に入り込むしかない。そんなこと、どうすれば……。
彩佳は妙案を思いつく。八重が島に招待するという探偵たち。その中の誰かに自分が成りすませばいい。彩佳は八重の目を盗んで、彼女のパソコンから招待状を送った探偵の名簿を入手した。その中に自分が入れ替わることの可能な探偵がいないか。候補は二名いた。自分と同じ年代である二十代半ばから後半の年齢を持つ女性探偵。朱川美夕と、安堂理真。その日のうちに調査をした結果。朱川に成り代わることは無理と判断された。八重が招待状を送った探偵の中に、馬渡晃平なる人物の名があった。彩佳は調査で、この馬渡が過去に朱川とコンビを組んでいたということが分かった。馬渡が招待を受けて島に来たら、朱川に成りすますことは不可能だ。残るひとりは、安堂理真。この安堂なる探偵は新潟に居住しており、招待状が送られた他の探偵の誰とも知り合いではないらしい。彼女しかない。自分が安堂理真に成りすまして、絶命島に渡るのだ。そのために必要なことは、ただひとつ。安堂理真の手に渡るより早く、八重が出した招待状を手に入れること。八重が招待状を投函したのは昨日のことだという。新潟であれば郵便の到着に先回り出来るだろう。彩佳は留学先に戻る振りをして新幹線に乗って東京から新潟へ、ネット上の情報を調べ上げて知った理真の住所へと飛んだ。
理真の住むアパートの玄関口。そこが見通せる場所で彩佳は見張り続けた。郵便が配達されては、理真の部屋のメールボックスを覗き込み、八重からの招待状が届いていないか確認する。その日は空振りに終わり、翌日最初の配達物の中に彩佳は目的のものを見つけた。グレーの紙に黒い縁取り印刷がされている、八重がいつも使っている封筒だった。彩佳はそれを抜き取ると山形県に向かった。
彩佳が絶命島に潜入した経緯は朱川美夕の推理通りだった。二十年近く無人であった絶命島に人を呼ぶとなれば、さぞ大規模な家屋の清掃や、井戸、発電機の整備が必要になるだろう。そういった人手は地元で調達するはずだ。山形県内の業者を当たって彩佳は、八重の依頼を受けた業者を探り当て、そこの作業員に成りすまして絶命島行きの船に乗船することに成功した。彩佳は変声機と睡眠薬を持ち込んでいた。
作業の途中で屋敷を抜け出し、彩佳は島に残った。作業員たちを乗せた船は島を離れ、現在、絶命島にいるのは自分と妹尾真奈の二人だけ。彩佳の目的は、十九年前の事件の捜査を妨害、いや、捜査そのものをさせなくすること。そのためには妹尾を何とかしなければならない。彼女は裏館地下室に妹尾を監禁することにした。命を奪って永遠に口を封じる手段も当然考えただろうが、実際、彩佳はそうはしなかった。幼少の頃からずっと会っていなかったとはいえ、幼なじみ、しかも何の罪もない人間を手に掛けることを躊躇ったのだろう。作業中に見た妹尾真奈は当然のことながら、自分の記憶とはほど遠い大人の女性に成長していた。そうと言われなければ、彼女が幼なじみの妹尾だとは気が付かない。そして、それは妹尾が自分に対しても同じはず。彩佳は、万が一、妹尾が探偵が島にいるうちに監禁から救出されて顔を合わせても、自分は「安堂理真」として通せるはずだと確信していた。調べでは安堂理真は、誰にも顔が知られているとは到底言えないマイナーな部類の作家だが、もしも妹尾が安堂のことを知っていた場合を考え、ネットで調べた理真の著者近影を見て、出来るだけ顔が似るメイクを施していた。幸いなことに、絶命島は現在も携帯の電波が入らない場所。滞在中に安堂理真のことを誰かに調べられる危険もない。彩佳はそう考えていた。
五月二十二日の夕方。身を潜め準備をしていた彩佳は行動を起こした。妹尾がおやつにと準備をしていた飲み物に、彼女がトイレに立った隙に睡眠薬を混入する。広間のソファで寝入った妹尾を地下室まで運び監禁する。あまり過酷な環境に置いて暴れ出されることを懸念したのか、幼なじみの妹尾に対しての情がさせたのか、彩佳は地下室に彼女の荷物と、食料としてサプリメント、ペットボトルの水、寝床まで用意した。
五月二十三日。探偵たちが絶命島に上陸、志々村邸を訪れる。彩佳の、安堂理真としての生活が始まった。その直前に、妹尾に差し入れたカレーライスの皿を流しに立てたままにしていたのは明らかな失策だった。が、彩佳はそれがさも自分が食べたもののように装い、このピンチを逃れた。
「ここで、影浦さんの行動です」
志々村彩佳が辿ってきた犯行の様子から、理真は探偵のひとり、影浦涯に話題を移した。
「影浦さんは絶命島に上陸すると、単独行動を起こし、ひとりでどこかへ行ってしまいました。表館と呼ばれる建物に姿を見せるまでの間、彼は一体、どこで何をしていたのでしょう。彩佳さんは御存じですよね」
鉄格子越しの彩佳は黙ったまま頷いた。それを確認すると理真は、
「そうです。影浦さんは、あの絶命島で携帯の電波が入る場所がないか、探し回っていたのです。あの島は基本的に丸ごと電波圏外ではありますが、一箇所だけ、僅かに電波を拾える場所がありました。私も現地へ行って確認しています。それは、杉や竹が群生している林を抜けた海岸沿いです。そこのごく狭いエリアだけ、かろうじて電波を拾うことが出来る。影浦さんはその場所を探り当てていました。彼は探偵の他に、恐喝という反社会的な生業も持っていたそうですね。そういったことを行う人間にとって、情報は何よりも優先されるべきものです。そして当然、その場所、携帯の電波を拾える場所があることを、他の人たちに教えたりするはずがありません。一旦表館に顔を出した影浦さんは昼食を食べ終えると、また外に出ていってしまいました。何のためにか。決まっています。電波が通じる場所に行って、島に集合した探偵たちのことを調べ上げるためです。影浦さんとは馴染みのメンバーもいたようですが、初顔合わせの人間のことを調べようとしたのでしょう。そこで影浦さんは当然知ることになります。今、絶命島にいる〈安堂理真〉なる人物が偽者であることを。ネットで顔を調べてそう思った、というだけではありません。実は私は、五月二十日から五日間に掛けて、東京で出版社が主催するイベントに何人かの作家仲間たちと一緒に参加していたのです。その様子は、逐次ネット上にアップされていました。そのような公的なイベントに参加している安堂理真と、絶命島にいる安堂理真、どちらが偽者であるかは論を待ちません」
そうなのだ。私が「安堂理真が殺人容疑で逮捕されたらしい。場所は山形県沖の孤島で」という一報を新潟県警の丸柴栞刑事から聞いた際、「どうして?」と思ったのはこれが原因だ。「どうして?」というよりも、「はあ?」が正しいかもしれない。理真はイベントが終わってからも、原稿の締切が近いということでそのまま東京に滞在して、ホテルに缶詰になっていたのだ。イベントという衆人の目がある現場や、鬼より怖い担当編集者の目を盗んで、理真が東京から山形県まで殺人を犯しに行けたはずはない。動機云々言う以前に物理的な問題だ。いや、理真がそんなことをする子じゃないって、動機的にも信用してはもちろんいるよ。理真(の振りをしていた彩佳)を確保した山形県警が、「彼女は新潟を拠点に活躍している素人探偵です」という朱川の話を聞いてまず、新潟県警に連絡を入れてくれたらしい。「おたくの探偵を逮捕しましたよ」と。それを聞いた新潟県警の丸柴刑事は、まっさきに私に電話をくれ、理真自身の携帯電話にも掛けた。「理真、逮捕されたんだって?」「えっ?」それが通話の第一声同士だったそうだ。警察に逮捕されている人間が携帯電話に出られるわけがない。
丸柴刑事からの話で自分が逮捕されたと聞いては、理真も黙っているわけにはいかない。ちょうど原稿が脱稿した直後だったということもあり、東京から新幹線で直接山形県入りして、絶命島も訪れて捜査を開始したのだ。私は私で、理真の愛車に乗って(東京行きのときは理真は新幹線を使う)山形県に入り、こうして理真と落ち合うべく赤川署にやってきたのだ。
「さて、話を絶命島に戻しましょう」
理真は話の続きを語り始めた。
現在、島にいる、ついさっき自己紹介した安堂理真なる人物が全くの別人だと知った影浦は、これは何かに使えるとほくそ笑んだことだろう。何せ、自分たちが絶命島に呼び集められた理由一切が不明なのだ。あのニセ安堂理真が何かの鍵を握っていると考えてもおかしくはない。
翌、五月二十四日。探偵たちは島の散策を行うことになったが、全員で一緒に廻るか、チーム分けをするか、多数決で決めることとなった。ここで影浦と彩佳は全員一緒案に投票した。この影浦の行動を、「お前が団体行動案に賛同するなんておかしい」と湖條が問い詰めていたそうだが、ここまで来ると影浦の目的は明白だ。自分が見つけた携帯電波受信可能地帯を他の探偵に知られたくないため、全員を監視下に置いておこうということだ。彩佳が全員案に賛同したことも頷ける。彼女もまた、影浦と目的は違えど、勝手な行動を取られないよう、探偵全員を視界に収めておきたかったからだ。
散策を終えて屋敷に戻った彩佳が、屋敷内大捜索の隙を見て、監禁している妹尾におにぎりを運んだのは朱川の推理通り。さらに、彩佳と影浦が別々に屋敷を出て崖の上で落ち合ったことも彼女の推理通り。だがその理由が違っていた。影浦はニセ安堂理真を呼び出し、その目的を訊き出すのが目的だった。「言うことを聞かなければ、お前が偽者だと皆にばらす」そこまで言われたのだろうし、実際、彩佳もそういったやりとりがあったことを肯定した。彩佳としても、何の証拠もなしに、「はい、私は偽者です」と名乗り出るわけがない。影浦は証拠も見せた。それが、本物の理真が出席しているイベントのネット情報だった。影浦は島で唯一携帯電波が受信可能な場所があることを彩佳に教え、そこで通信してキャッシュしていたネットのページを彩佳に突きつけてきた。
それを見せられては彩佳も、自分が偽者であることを認めざるを得ない。さらに、身分を偽って島に上陸した自分の目的と、探偵たちが集められた理由も話した。影浦はそれを興味深そうに聞いていたという。「そこまで話したからには、その場で影浦を殺すことは決めていた」彩佳はそう述懐した。自分の話を聞いて、影浦は随分と何かを考え込んでいる様子だった。その隙を狙った。影浦に体当たりを仕掛けて崖から突き落とすタイミングを、彩佳はずっと窺っていたという。それから後に、影浦が武術を使うということを聞いて、彩佳は内心肝を冷やしたとも口にした。もしその情報を事前に知っていたら、足がすくんで影浦の殺害は為し得なかったかもしれない。そう言って彼女は僅かに笑みを見せた。
それからの彩佳の行動も朱川が推理した通りだが、ひとつ謎が残っている。それは、影浦がいなくなり島に捜索に出る際、彩佳が咄嗟に各人に捜索範囲の割り振りを行ったこと。だが、今までの話を聞いてみれば、その理由も明白になる。彩佳は、影浦から聞いた、島で唯一携帯の電波が入る場所、杉と竹が群生する林に他の誰も立ち入らせないよう、自分が捜索するように仕向けたというだけだ。他の場所と人員の割り振りは適当に行ったと彼女は語った。身体能力に優れる馬渡に、影浦の死体がある崖を担当させたのも何か目論見があってのことではなかった。ただ、その後、湖條から影浦の背広に盗聴器が仕込まれていたという話を聞き、朱川の推理通り彼女は影浦の死体を海に沈めることとなるのだが、それによって死体の第一発見者でもあり、メンバーの中で唯一崖の上り下りが可能だった馬渡に嫌疑が掛かってしまい事件が複雑化してしまったことが、彼女にとって功を奏したのかは分からない。
そして、ついに監禁していた妹尾真奈が発見されてしまうこととなる。




