88 終息と収束
完結時にはなかった、『87 全部認めて』の続きを差し込みました。
二度目の婚約破棄に向けて、もう二、三話差し込む予定です。
どうしたいのか祈れと神に言われ、イザベラは口を開いた。
「私は」
自分がどうしたいのか。そんなもの、最初から決まっている。
幸せになりたい。ただ、それだけだ。
イザベラは、祈った。自分の魂を賭けて祈った。
「私は大切な人の幸せを。皆の幸せを願ってる」
――ああ、愛し子。己のためではなく、人のために祈る。なんて美しく清らかな祈りでしょう。それでこそ、聖女です――
確かにそうだ。他人のために祈る行為は、美しく感じるかもしれない。
「だから私が祈るのは、全てを認めて全てが元通りに存在することよ」
祈りは光となり、イザベラから放たれる。結界に阻まれていたアメリアを、セスと剣を合わせるジェームスを、祈りの光が包んだ。
白く眩い光が満ちる光景。それは現に美しい。眩しすぎて、色々なものが見えないけれど。
イザベラは両手を広げた。
「だって私は、幸せになりたい。そのためには、皆が幸せじゃなきゃ嫌なの。気持ち悪いの。心から笑えないの」
『聖女とは。己自身をも犠牲にするほどの祈りと、それほどの祈りを捧げられる純粋で美しい魂の持ち主。私の声を聞き、私の力を受け入れ、振るうことの出来る器を持ち、私と契約を交わした者』
エミリーの口を借りて、神はそう言っていた。神の基準での『純粋で美しい魂』と器、契約の条件は満たしている。イザベラはそれを利用する。利用して、神の力を、聖女の力を使う。使った上で、望んだ。
「私は、欲しいものはみんな欲しい。私の幸せも、皆の幸せも、全部全部、手に入れたいの」
――愛し子?――
異変を感じたのか、神の声に訝し気な響きが混じった。
他人のための自己犠牲とは、神の言うように純粋で美しいものなのだろうか。イザベラはそうは思わない。少なくともイザベラ自身は、違う。
「他人の幸せのために祈るのは、本当は他人のためなんかじゃない。全部自分のため。他人に幸せになってほしい、幸せな姿を見て自分が幸せになりたいっていう、自分の欲望よ」
他人の幸せがほしいという欲のために自分を捧げる。それは、魔王に魂を捧げる人間‥‥‥魔王の器と何も違わない。美しい言葉で飾っても、エゴでしかないのだ。だって自分を犠牲にしたら、他人が悲しむ。絶望する。前のセスがイザベラを庇って死んでしまった時のように。
――そんな、まさか。違います。違う。貴女は聖女なのです。純粋で美しい、私の愛し子――
魔王を倒す方法は二つ。ジェームスを勇者のセスが殺すか、祈りの力でジェームスの中の魔王を消すか。どちらの方法でも本当の意味で消滅させることは出来ないが、数百年は平和が訪れる。
その代わり、前者はジェームスが死ぬ。後者は祈りの力だけでなく魔石の力まで使ってみたが、不完全な器のせいかノイズと黒い影を薄めただけ。消せなかった。
「そのまさかよ。さあ、魔王。欲望は好きでしょう? 私は誰よりも強欲よ! だから、私の中に来なさい!」
殺すことも消すことも出来ないなら、自分の中に取り込んで封印してやる。
「ザザ‥‥‥やめろ、そんな欲はいらない。私が望むのは、もっとどろどろと暗く、深い絶望ォおおおおォォァザザザザザァアアアッッ!」
セスと戦っていたジェームスが悶え、黒い影が引き剝がされると、イザベラに吸い込まれた。
「お嬢様っ!!」
「嫌でございますです」
「いけません、なんということを」
「イザベラ嬢」
「イザベラッ!」
白い光が満ちる中。セスが、膝を着いたジェームスを放って駆けてくる。エミリーが、ジェイダが、エヴァンが、トレバーが、悲鳴を上げた。
――違う違う違う! 真っ白な私の聖女が、汚物を受け入れるなんて。ああ、純粋さが、美しさが、ああああぁ――
「うるさい!」
イザベラの中で、神と魔王の力が暴れて相殺し合う。荒れ狂い、暴走しそうなそれをイザベラは必死に抑え込もうと踏ん張った。
神と魔王を内に取り込むのは、思ったよりも苦しかったけれど。大丈夫だ。幸い、神と削り合っている分、魔王の力は弱っている。勝算はある。
「ザザッ‥‥‥魔王様! させるか、聖女ぉぉおオオオッ‥‥‥ザザザザアアッ!」
アメリアから黒い影が立ち上り、離れた。モンスターになっていた人々からも。それらがイザベラに向かってきた。
「お嬢様‥‥‥イザベラ!」
「セス!」
駆けてきたセスが、飛びつくようにイザベラを抱きしめる。イザベラも抱き締め返す。
温もりに包まれて、こんな時なのに安堵する。
「大丈夫です。俺が今度こそ守ります」
顔を強張らせたイザベラを、息が出来ないほど強く抱きしめてから、セスが体を離した。
「聞け、魔王!」
イザベラの中の魔王に向かって、セスが声を張り上げる。
「何度も何度も彼女を殺しやがって。俺から奪いやがって。俺はお前が憎い。彼女に犠牲を強いる神が憎い。世界が憎い!」
目の前の青い目が、炎を吹いた。暗い憎しみの炎を。
「……駄目」
「世界は優しくない。汚い奴らばかりだ。毎日毎日ひもじくて、冷たくて、暗くて。光りなんてなかった。希望なんてなかった」
「セス……!」
イザベラが拾う前、セス母子はガリガリに痩せて、衰弱していた。屋敷に連れ帰って治療した医師から、二人の体に新旧いくつものあざがあったと聞いた。
二人がどんな扱いを受けていたか。セスは話したがらなかったが、想像に難くない。体の傷が癒えても、大きな傷と暗闇を心に抱えたままだったのだ。
「正真正銘、お前の好きな絶望と憎しみだ。来い!」
「駄目。駄目よ、セス!」
イザベラの制止を無視して、セスが叫ぶ。あちこちから向かってきた黒い影と、イザベラから出ていった黒い影がセスに吸い込まれた。
――ザザザザ……いいぞ、これだ。この憎しみだ。絶望だ。ははははは!……ザザザ――
「ぐうぅぅっ……ザザザ」
黒い影に纏わりつかれたセスの顔が歪む。うめき声にノイズが混じった。
「セス!」
イザベラの中には神がいるから、魔王を抑えられるという見込みがあった。けれどセスには何もない。
「……ザザッ……お嬢様……ザザザザッ」
堪らず伸ばしたイザベラの手を、セスが握った。苦悶の表情をゆるめ、微笑む。
大好きな微笑み。イザベラがどんなに我が儘を言っても、当たり散らしても。死の瞬間でさえ笑ってくれていた。
「……ザザ……お嬢様は光なんです。汚い世界の唯一の光。俺の希望。俺の光。魔王なんかにやるものか」
微笑むセスの顔が、涙でぼやけた。
「好きです。愛しています。今も昔も、俺は君だけに命を賭ける。魂を捧げる。神だろうが魔王だろうが、やらない。俺はイザベラのものです」
「本当に?」
「はい」
「勢いとか、気の迷いじゃなくて?」
「十年以上ずっと好きだったんですよ。覚えてはないけど、前世とか合わせたら何百年。勢いや気の迷いなわけないじゃないですか」
「セスぅぅう」
目尻でゆるゆると大きくなっていた涙が決壊する。
「私、セスがいなくちゃ幸せじゃないの。セスが好きなの。大好きなの。ずっとずっと好きだったの。セスがいなきゃ嫌ぁ!」
一度溢れてしまえば、想いも涙も止まらくなった。気持ちと顔面もぐしゃぐしゃで、自分でも何がなんだか分からない。
「イザベラ。願って下さい。俺に。俺だけに」
セスの手を握り返し、祈りの力を注ぐ。震えて、詰まりそうになる喉を使って、願った。
「お願い。魔王なんかに負けないで」
「はい……もちろんです。俺は勇者なんですから」
弾けるように笑ったセスが、腕を天に向けて。
「破壊」
大規模攻撃魔法を放った。
最初は王城の天井が吹き飛んだ。次に壁、床へと破壊が連鎖する。
足元は崩れ、轟音と共に大小の破片が飛び散った。この場にいる全員が重傷や即死に見舞われる魔法を、魔王を取り込んだセスが放ったのだ。




