87 全部認めて
回復魔法でアメリアの焼け爛れた皮膚が剥がれ、ピンクの新しい皮膚がはる。ずたずたに裂けていた右足の血が止まり、傷が塞がる。浄化の魔法と祈りが、ノイズと黒い影を薄めていく。
「裏切られて怒っても、憎んでもいいの。当たり前のことだもの。自分よりも出来る人を、持っている人を羨んで、妬んだっていいのよ」
――何を言うのです、愛し子!――
「裏切られた時。奴隷落ちした時。燃え滾る怒りに焼かれたわ。嫉妬に身を焦がして、どす黒い憎しみに喉をかきむしって、出来ない自分を、愛されない自分を呪ったわ」
――なりません、愛し子――
「そうだ、当たり前だ。怒れ。憎め。呪え。絶望しろォァアザザザザアァァ」
「同じくらいに、出来るようになりたい、愛されたいって思ったわ! 私は今度こそ幸せになるって誓った。大切な人を、セスを幸せにするって誓ったの!」
「ザザザふざけるなよ、聖女ォ……ザザァアアア!」
「それでいいだなんて。思ってもいない言葉で懐柔? ザザッ……薄っぺらい……ザザアッ!」
ゆらり。アメリアが立ち上がった。背中の翼は縮み、黒い影は部分的にこびりついている。
ジェームスもまた、全身を覆っていた黒い影がところどころ剥がれ、光に薄められてはまた濃さを増すということを繰り返しながら、こちらに剣を向けた。
「下ろしますよ、お嬢様」
イザベラを抱いたまま様子を見ていたセスが、囁いた。
返事も待たずに無事な床に下ろすと、踵を返した。向かってくるジェームスに突っ込む。
セスとジェームスの剣が激突。衝撃が空気を揺らした。火傷と怪我が治ったアメリアの突き出した爪が、イザベラの祈りで張った結界にぶつかって止まる。イザベラは、目の前の爪を無視して、アメリアの視線を正面から受けとめた。
「だからふざけてないって言ってるじゃない! 嫉妬とか、怒りとか、憎しみとか、嫌な感情だけど。そればっかりになったら、堕ちてしまうけど。それがあるから頑張れるじゃない。努力しようって思えるじゃない!」
――愛し子。まさか、アメリアとジェームスを助けるだけでなく、魔王さえ認めるつもりですか――
頭の中に響く神の声には、珍しく焦りと動揺と咎める響きがあったが、気にせず首肯する。
「そのまさかよ。でないと、終わらないもの。魔王はね、倒せない、消せないものなのよ」
このまま浄化を続ければ、ノイズと黒い影、魔王を倒せるだろう。
しかしそれでは、リスタート前より、前世の麗子の時よりも前。さらに前世で魔王を倒した時と同じ。
『――私は魔王。心の影に潜む闇。人が存在する限り、私は存在し続ける――』
あの時魔王はそう言って消えた。消えたように見えた。だけどこうして今、目の前にいる。麗子の時に見えた黒い影も、魔王だったのだと今なら分かる。
だとすればここで浄化しても魔王は消えない。人がいる限り存在し続ける。そういうものなのだ。勇者が倒し、聖女が浄化する。表面上、一時平和は訪れるだろうが、それだけ。根本の解決にはならない。
どうせ根本的な解決にならないのなら。認めてしまえばいい。
――そんなことはありません。この世に、私の創った世界に、負の感情など不要です。消えなさい、魔王!――
いつも静かな神の声に苛立ちが混じった。
「不要なのはお前だ、神。我らを生んだのは人間だと言っただろう。人が求めているのだ。怒りを、憎しみを、絶望を。愛、幸せ、喜び、そんなものこそ不要。偽りだ!」
神と魔王は、互いが互いに認められないと、否定し合った。
「うるさーい!」
イザベラは拳を握り、力いっぱい叫んだ。
「私は優しさとか愛とか信頼とか純粋さだけで出来てないわ。そんな人間いるのなら見てみたい! こいつ嫌いとか怠けたいとかイライラするとかムカつくとか、どっちかというとそっちの方が多いくらいよ。それが私よ」
アメリアとジェームスに人差し指を突きつけてから、自分の胸をどんと叩く。
「神!! 私を愛し子と呼ぶのなら。私を愛していたというのなら。人間を愛しているというのなら。負の部分も認めなさいよ。全部全部愛しなさいよ。魔王も含めて!」
――負の部分も――
「ザザッ……勝手なことを。認めてもらおうなど思っていない。認められたところで変わりはしない。世界を怒りと憎しみと絶望で満たすだけだ。お前たちが目を逸らそうとする、見ようとしない闇で覆い尽くしてやる……ザザザ」
――そうですね。変わりません。どちらにしてもこの世界を導くのは、神である私でも魔王でもありません。あなたたち人間です。祈りなさい。あなたがどうしたいのかを――
「言われなくても。私は」
結界に阻まれていたアメリアを、セスと剣を合わせるジェームスを、祈りの光が包んで。
※※※※
「イザベラ・サンチェス。君との婚約を正式に破棄する」
きらびやかな王の間にジェームスの一言が厳かに染みた。王子から王太子になったジェームスの隣には、可憐で小動物のような女が寄り添っている。
「セス・ウォード」
中央の王座から、壮年の男が口を開いた。
「勇者ジェームスと共に魔王を討伐した功績により、デリンズ辺境伯に任ずる」
デリンズ辺境伯領は、領地の九割を森が占める未墾の地である。これといった特産品も資源もなく、旨味のない辺境の土地。魔王討伐という功績に対する報奨には到底見合わない。体のいい厄介払いだ。
王の間を去るイザベラとセスに向けられる、無言の憐れみ、嘲笑が含む視線。
それが、華やかな表舞台でイザベラの見た、最後の光景だった。
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