86 祈りと魔法
すごい、すごい、すごいすごいすごい。
頭の中で馬鹿みたいにすごいを繰り返しながら、イザベラはセスを見ていた。
「手に持っている魔石はダミーかぁあ!」
「さあね……ブースト!」
身体強化の魔法をかけたセスが、ジェームスと激しい剣戟を繰り広げる。
ジェームスの下からの切り上げ、横合いからの一閃、斜め上からの袈裟懸け、鋭い突き。それをセスがかわし、いなし、受け止め、流して、反撃している。
「こ、こうなったら聖女を……」
背中と翼を焼かれたアメリアが、イザベラに向かって走り出した。
「バースト!」
「ぅあああっ!!」
アメリアの足元が、爆発する。
「うう」
二度も魔法を受けて、ボロボロのアメリアが転がった。焼けただれた翼と背中。破れて見すぼらしくなった黒いドレス。ぼさぼさに乱れた髪。二本あった角の片方は根元から折れている。右足は無残に裂けていた。
回復魔法でも使おうとしたのか、アメリアの周囲で魔力が発生し、消える。
「サンダー!」
アメリアの魔力を使ったセスの魔法が雷電を生み、ジェームスを襲った。
「魔……王様」
大きな緑色の瞳が歪んだ。瞳を潤した涙が耐え切れなくなって零れ落ちる。ぎこちなく緩慢に、小さくて細い手が、ジェームスの方に伸びた。
このままではモンスターと一緒にアメリアも消える、死んでしまう。
「お嬢様っ、わわっへぶっ!」
イザベラは大きく深呼吸をして、アメリアに駆け寄った。慌てて止めようとしたエミリーが、イザベラを掴み損ねて背後でびたん!と床に張り付いた。痛そうだけど、今は無視。
「消えちゃ駄目よ、アメリア」
大丈夫。出来る。
アメリアの側に膝を着いたイザベラは、祈る。
「戻ってきなさい、アメリア!」
神よ。お願い。アメリアとジェームスを元に戻して。
ノイズに、黒い影に飲まれたあの時。二人が見せたあの表情。アメリアの涙。流れなかったけれど、ジェームスの涙。あれは嘘じゃない。あの後二人の心がどうなったのか。黒い影に同化してしまったのか、消えたのか、眠っているだけなのか何もかもが分からないけれど。
アメリアとジェームスの魂は、きっとまだある。それを信じる。
祈りを受けてイザベラから白い光が放たれる。光はジェームスとアメリアに降り注ぎ、二人を覆う黒い影を薄めた。しかし消去には至らない。もし消去できたとしても、酷い怪我をしているアメリアは影が離れれば死んでしまう。
「セス、だめーーーーーー!!」
「うわあ!」
雷電の魔法とイザベラの祈りで動きの鈍ったジェームスに、止めを刺そうとしていたセスが刃先を滑らせた。狙っていた首を逸れ、肩を斬る。
「殿下を殺さないで!」
「無茶言わないで下さい!」
肩の傷などなかったように振るうジェームスの剣を、後ろに跳び退って避けたセスが、イザベラにぶつかるようにして抱きつき、床を一回転。アメリアの爪がイザベラのいた床に突き刺さった。
「何甘い事言ってるんですか。やらなきゃやられるんですよ!!」
起き上がるなりセスが叫ぶ。イザベラはセスの首に腕を回してぎゅっとしがみついた。
「無茶なのは分かってる。でも、ただ殺しても駄目なの。お願い、セス。……信じてるわ。だから、私を信じて」
「……ああ、もう! 分かりましたよっ!」
イザベラを抱えたセスが、横に跳んだ。剣を振り下ろしたジェームスが返す刀でイザベラたちを狙ったが。
ダガン。ジェイダの銃弾が剣を弾いた。瀕死のアメリアはエヴァンが拘束している。
床を蹴り、弾丸のようにジェームスが追いかけてくる。イザベラを抱えたセスは、床や瓦礫を左右でたらめに踏み抜いてジェームスを引っ掻きまわした。それでも人一人を抱えているハンデで追いつかれそうになると、魔法を使う。
「クラッシュ!」
ジェームスの側の床が小さく爆発。直撃はしなかったが、足止めに成功。距離が開く。
『どうするんですか。魔石、もうあと一個だけですよっ』
『じゃあその最後の一個、私に貸して』
『……左のポケットに入ってます』
『ありがとう、セス』
抱えられて移動という激しい揺れの中ポケットを探り、落とさないように握り込んだ。
「ザザザザ無駄だ。信じるも何も、この体の持ち主は消えている……ザザザ、否。もし在ったとしても復活した二人はまたお前たちを裏切るだけだ……ッ」
ジェームスとアメリアの黒い影があざ笑うように躍った。大量の虫が奏でる羽音のようなノイズが脳内に響く。
「あの二人の裏切りを忘れたか。魔王を倒した瞬間を狙ってお前たちを刺し殺した二人。あの二人はその後どうしたと思う。何食わぬ顔で勇者と聖女を名乗り、壊滅した荒野に新たな国を興したのだ。ジェームスはあの魔法剣士の末裔よ。そしてアメリア。こやつもまた、あの魔法使いの縁者にあたる。憎い、憎い、裏切り者の末裔なのだぞ……ザザァァアア」
ぐっとイザベラを抱くセスの手に力が入った。セスもまた、過去を思い出しているのだ。裏切られ、刺されて死んだ最期を。
「こやつら二人を助けてみろ。また裏切られ、お前たちは殺される! アメリアを操った悪女イザベラと、勇者を騙った真の魔王セス! そして生き残った自分たちこそ勇者と聖女だと、高らかに名乗るだろうッ……ザザザアッ」
眉間にしわを寄せたセスを、イザベラは一瞬力を込めて抱き返し、声を張り上げた。
「それが何なの! 祖先がどうとか関係ないじゃない裏切られたから何。面倒くさいししんどいけど、裏切られたって、それだけよ」
そう。それだけ。だから大丈夫。セス。過去に囚われないで。
「ははは! 強がりを言うな。裏切られたら腹が立つだろう。悲しいだろう。辛いだろう。憎いだろう。思い出せ。裏切られた時の怒りを。絶望を」
「そうね、ノイズ。いえ、魔王と呼ぶべきかしらね。裏切られたら腹が立つし、悲しい、辛い、憎いわ」
それはよく知っている。
「そうだ! ザザザ……怒れ、憎め、憎め憎め憎め憎めェザザザザアァァアアアッ」
「でもね。それでいいのよ」
「……は?」
魔王が虚をつかれた顔をして、静止する。しん。一瞬だがノイズさえ止んだ。
イザベラは祈る。
私は強欲なの。欲しいものはみんな欲しい。だから私は私の幸せを願う。セスの幸せを願う。エミリーもジェイダもエヴァン様も、ジェームスとアメリアもよ。
だから神よ。祈りを聞き届けて。
――愛し子。本当に貴女は――
「命脅かすものよ、偽りを吹き込み闇に染めるものよ。その体から疾く去ね」
祈りだけではきっと足りない。石を握りしめ、回復と浄化の魔法を使う。魔石からは魔法の、イザベラの体からは祈りの光が広間を白に染めた。




