83 あの時とは違う
「今、この状況で過去話?」
「そうです、愛し子」
イザベラが非難を込めて眉をひそめると、神が頷いた。
過去話どころじゃない。こっちは切迫しているのに。これだから神ってやつは。
落ち着いたその態度にカッとなる。イザベラは文句を言ってやろうと息を吸い込んだが、肩を掴む手にとめられた。
「それは必要な話なのですね」
イザベラを止めたのはジェイダだ。彼女は神を前にしても態度を変えることなく、背筋を伸ばして冷たい薄青の瞳を向けていた。
「過ちは正されなくてはなりません。過ちを正すには原因を知らねばならない。違いますか」
「だそうですよ、イザベラ嬢」
結界の外に剣を向けたまま後ろに下がり、ジェイダに軽く肩をぶつけて茶目っ気たっぷりにウィンクするのはエヴァンだ。
「ただし、ただの人間である我々は結界がなくなると話を聞くどころか、サクッとやられかねません。申し訳ありませんが手短にお願いします」
にっこりと告げるエヴァンだが、目は笑っていない。肩にも緊張がみなぎったままである。
もし結界がなくなればモンスターがなだれ込んでくる。そうなればエヴァンとジェイダが戦うことになるが、二人はセスのように加護での強化がない。
「分かっています。この国の始祖王、勇者の伝説は知っていますね?」
「それくらいは誰でも知っております」
ジェイダが冷ややかに答える。
かつて。魔王が力を増し、人々の闇が深くなった時。世界中で戦争が頻発し、疲弊したところをモンスターが蹂躙したという。それを憂えた神は勇者と聖女を選び、魔王に対抗する力を与えた。
その戦いはすさまじく、魔王と勇者の魔法行使で世界の魔力を干上がり、魔法の時代は終わりを告げた。魔王を倒した勇者と聖女は、荒廃し何もなくなった土地に新たな国を興し、少ない魔力で動かす魔具の時代が始まった。
それが歴史だ。
しかし続く神の言葉が歴史を裏切った。
「魔王を倒したのは勇者と聖女ですが、この国を興したのは、二人を殺した魔法剣士と魔法使いです」
「二人を殺した?」
エヴァンとジェイダが目を見開いた。
「魔法剣士と魔法使い」
チリッと脳みその奥が痛んで、イザベラは頭を押さえた。映像が奔流となって押し寄せてくる。
……ザザッ……刺された腹と口から流した、大量の血に沈んだ彼。暗くなる視界の中で、冷笑を浮かべて彼と自分を見下ろす二人。
「二人の裏切りは聖女の魂に染みを作りました。私は闇に飲まれた愛し子の魂を浄化するため、争いのない平和な世界に転生させたのですが、結局は魔王の呪いを断ち切るどころか、闇を深めてこの世界に戻すことになったのです」
ザザザザザザ……。
神が喋っている声が遠くに聞こえた。代わりに聞こえてきたのは、ノイズと、知らないはずなのに知っている声。
『心配するな。魔王を倒した勇者として、俺が国を継いでやるから。なあ、兄者』
『魔王を倒してくれてありがとう。後は私たちに任せて』
そうだ。裏切ったあの二人。
彼の弟の魔法剣士と、魔法使いの令嬢。一緒に旅をしてきた仲間。
どうして。仲間だって、思っていたのに。
――許さない。
彼を陥れた二人を。そんな二人を信用していた、能天気な私を。愛しい彼を救えなかった私を。
「この世界に戻ってきたものの、闇の深まった魂は本来の器であるアメリアではなく、別の器に引き寄せられました。愛し子の魂は器に引きずられ、さらに堕ちていきました。あのままなら貴女は魔王になっていたでしょう。それだけはなりません。私は時に干渉しました」
――許せない。
私を裏切った殿下。平民の娘を取った殿下。許せない。許せない。許せな――。
「お嬢様。怖ーいお顔になってるでございますですよ」
むにゅ。頬っぺたをつままれて、イザベラはまばたきをした。
「……ぁ。エミリー?」
ノイズも、血の海も、裏切った二人も消えて、目の前にはそばかすの浮かんだ頬を膨らませたエミリー。
「駄目でございますですよぉ、お嬢様。そんなお顔してたら、幸せが逃げていっちゃいますですぅ」
むにゅむにゅとイザベラの頬を揉みながら、エミリーがふにゃりと笑う。
揉まれるたびに、力が抜ける。暗い光景と先ほど心を満たしていた憎悪が消えていった。
「そうそう。そのお顔でございますですよぉ」
「エミリー、ありがとう」
今だけじゃない。エミリーには感謝してもしきれない。
へにゃりとした笑顔と和やかな空気が、厳かなものに戻った。
「聖女とは。己自身をも犠牲にするほどの祈りと、それほどの祈りを捧げられる純粋で美しい魂の持ち主。私の声を聞き、私の力を受け入れ、振るうことの出来る器を持ち、私と契約を交わした者」
神がエミリーの胸に手を当てた。
「今借りているこの娘は、聖女ではありません。この娘には私の声は聞こえていませんし、力を使うことも出来ません。この娘は貴女を救うため、身を挺したことがあります。貴女を守りたいという己の犠牲も顧みない、損得とは無縁の純粋な祈り。それがかろうじて私がこの娘の体を借りられる条件となっただけ。それも長くはもちません」
エミリーの胸から手を離し、イザベラの方に伸ばしてきた。とん、と指で軽く触れる。
「愛し子。貴女の魂の闇は消え、本来のものでない器も魂に馴染んできています。今の貴女なら聖女の力を使いこなせます」
簡単に言うがやり方が分からない。今までの祈りでは同じ効果しかないのではないだろうか。それでは状況は変わらない。ということは、今までとは違う方法の祈りがいるのでは。
「使いこなせるって言われてもどうやって? 自分の命でも犠牲にしろとかじゃないでしょうね?」
己自身を犠牲に出来るほどの祈りというのは、もしかして他人のために命を削れということでは。
「確かに。誰かの為に命をも削る行為は美しい。けれど私は、生け贄を求めているわけではありませんよ、愛し子。とはいえ貴女は前科がありますし、どうしてもというのでしたら受け取りますが」
疑り深く眉を寄せると、神は可笑しそうに目を細めた。
「本来聖女の祈りは勇者だけでなく、仲間にも及びます。裏切られた過去が枷になっているだけです」
神が慈愛に満ちた微笑みを浮かべると、イザベラの胸から指を結界の外へ向けた。
「さあ、結界が消えます」
「ちょっと、結局どうやったらいいのかって答えは?」
「大丈夫です。答えは貴女の中に……って、きゃーーー!! お嬢様っ、なんかモンスターが」
優雅に外へ向けていた指がプルプルと震え始め、微笑みがひきつった。
「あーもう!!」
神の言うことはどうも抽象的だけど。
イザベラは押し寄せるモンスターを睨み、自分を認めてくれて、一緒に戦ってくれている仲間のために祈った。
大丈夫。
今は聖女だったあの時とも、麗子だった時とも、やり直す前のイザベラとも違う。皆はあの二人とは違う。信じていい。
それがきっと神の答えだ。
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